第14件目 元魔王のオッサン、騙る。
「週に一回の脳波チェック、カウンセリング、データの照らし合わせにバイタルへの影響の確認。これを続けてきたけれど、私達にわかったのは杏とヒルデロッタが別人格という事だけ。二人を分ける方法は未だに緒すら掴めていないわ。」
苛立ちの孕む久留屋さんの声。眼鏡の奥に見えるその眼光はいつも以上に鋭く光っていた。ダストに呼ばれて此処に来た訳だが、ダストはただのお使いだったらしく俺を置いてすぐに去ってしまった。今、この部屋には俺と久留屋さんの二人だけ。……なんとなく気不味い。
「予算だけ費やしてこの結果だなんて……情けなくて涙が出るわね。」
「……。」
「悪いわね。愚痴を吐く為に呼んだ訳じゃないのだけど。」
「いえ、何もお役に立てず……。」
「役には立ってるわ。聞いたわよ。彼女の治療、大変良好だそうね。」
「そうなんですか?」
「あら、聞いて無いの?」
「いえ、そういったプライベートな事は……。」
「ベルウッド君は昔から変わらないわね。」
少し微笑みを零す久留屋さん。そんなおかしな事を言っただろうか。
「転生セラピー程では無いけど、精神の安定性が保たれているそうよ。恐らく異世界の片鱗であるヒルデロッタの影響だって聞いたけど、間違いなくベルウッド君の影響も大きいと私は思ってるわ。よくやったわね。」
「!?」
まさかの行動だった。久留屋さんがスッと手を伸ばしたかと思ったら我の頭を撫でたのだ。強ばる身体。下手に動けず、なされるがままそれを受け入れる。しかし、久留屋さんもすぐその違和感に気付いたらしい。
「……! ご、ごめんなさい。」
「あ、いえ、ありがとうございます……?」
「え?」
「いや! その! 撫でてくれた事とかじゃなくて褒めてくれた事に関してお礼を……! あ、でも! 決して嫌だったとかではなくて……!」
「ふふっ……。」
俺の慌て様が面白かったらしい。少なくとも戸惑いは感じられない笑みだ。
「いいわ。私もその、弟と、間違えてやってしまった……っておかしいわよね。こんなおばさんなのに。」
「何を! 全くです! 魅力的ですよ! 熟女というにはまだ若く、未熟というには熟れている――。」
「ベルウッド君。貴方がそんな人でなければ今クビを刎ねてもよかったわ。」
我の詠唱を遮ったのは『エターナルフォースブリザード』だった。今、謝らなければ我の一生はここで尽きる。
「すみません!」
「何が悪いか理解してないわよね? 異性を褒めるのは容易に誤解を生むわ。気をつけなさい。」
「は、はい!」
溜息を吐く久留屋さん。俺を処分する権利とかは多分無いと思うんだが、この人は本当に怒らせたくないと思う。
「……話を戻すけれど、”タイムリミット”が近いわ。対象者の拘束期間を誤魔化そうにも限りがある。それなのにこの程度の進捗では間違いなくヒルデロッタには消えて貰う事になる。」
「それは……!」
「えぇ、患者の心に大きな負担を強いる可能性もある事を考えるとこのタイミングでのその選択は避けたいの。」
「アプリコットを呼んでいないのは理由があるという事ですね。」
「そうね。恐らくもう理屈じゃないのよ。記憶のデータ解析なんて出来たらノーベル賞を貰ってもいいくらいだもの。アレは現代に偶然創り上げられたオーパーツ。それを都合よく動かそうにも無理があったって事ね。」
「……でも、ロッタの人格だけを指定して消せるっていうのはその部分を指定出来てるって事ですよね? 何故その部分だけを切り取る事が出来ないんですか?」
「指定出来ていないからよ。私達が出来るのは記憶のバックアップを復元するだけ。全ての記憶を治療する前の状態に戻すの。言ったでしょう。記憶のデータ解析技術はそこまで進んでないの。」
「……!」
じゃあ……全てが無くなる? ロッタだけでなく、快復に向かっているというアプリコットの”今”まで全て?
「だ、駄目です!」
そうだ。そんな事が許せるはずがない。俺はアプリコットの父親に約束してしまったのだ。完全な状態にして貴様の娘を返す、と。それを不祥事を隠す為、しかも私が原因の事故で反故に出来るなんて受け入れ難い!
「…………。」
俺は真正面から久留屋さんの瞳を見つめた。彼女は今、何を考えているのだろう。その真っ直ぐな眼差しはブレる事なく俺の視線を押し返す様だ。
「どうしようもないのよ。」
「そんな事は無い。何か手立てはあるはずだ。」
「その根拠は?」
「二重人格でも日常に支障をきたしていない人なんて前例が幾つもあるはずだ!」
「論点が違うわ。この会社の為にもそれは出来ないと説明したはずよ。」
「まず不祥事を隠すのがおかしい!」
「明かしたら患者が奇異の目に晒されないとでも? 依頼者の想いはどうなるのかしら。」
「……ッ!」
何も言い返せない。我が宣言した”完全な状態”とはロッタのいない健全な心の事だ。ロッタは悪でも邪魔でもない。ただ、異物には違いないのだ。
「何をするにも必ず必要になるのは時間だわ。だからこうして早目に言っているの。私だって憎まれ役をしたい訳じゃないから努力は惜しまないけれど、”その時”が来ると決まったら潔く受け入れなさい。」
「……。」
「話は以上よ。」
会社は不祥事を隠そうとしている。しかし、患者や依頼者の希望を叶えるという事はロッタを消すという事だ。それが事実であるだけに反発する理由を削がれてしまう。俺だって”お節介”を肯定してこの会社にいるのだからな……。
それでも、これくらいは言おう。
「……失礼します。」
*****
十五時。俺はビルとビルの間でツナギを着て清掃員に擬態していた。そして、状況を確認する。
「スィトゥー、ターゲットは?」
「五分後辺りに作戦予定地を徒歩で通る。」
「了解。」
「それよりも、ベルウッド。聞いたぜ? アプリコットちゃんとムーンランドにプレゼントあげたんだってなぁ。」
「……何が”それより”かはわからないが、そうだな。」
「あの後二人共ウッキウキだったぞ?」
「私別にそんなんじゃなかったし!」
「……殴りますよ?」
「あー……アプリコットちゃんはともかく、ムーンランドはそのガチトーンやめてくれ。冗談に聞こえない。」
「……。」
「冗談だよな?」
「殴ります。」
「ムーンランドさん、やっちゃって下さい。」
「隊長、今日早退していいっすか?」
「……始末所が先だな。」
「始末ジョ? 隊長今、始末書じゃなくて始末ジョって言いました?」
まだ五分あるとは言え、此の班は変わらず騒がしい。今日の作戦はよくある”拉致”。ただ、トラックでも通り魔でもない。ステルス拉致だ。まぁ、ありふれた奴だな。対象者の中には火事、飛行機事故、爆死等、面倒な方法で死んでこそ異世界への導入に繋がると思い込んでいるという場合が”まま”ある。そうなると、こっそり眠らせ連れ帰り脳みそを弄り回して疑似体験して貰うという方法しかないのだ。たった一人の治療に飛行機を買うなんて事出来ないからな。
しかし、思い返せば異性にプレゼントなんて”現実では”成人してからは初めてだったかもしれない。それが他の人に知られるというのは……なんだかむず痒い物があるな。それもこれも失敗したからだと思ったのだが、ウキウキだった? 喜んでいたのか? いや、拙い贈り物を嘲笑っていたのかもしれない。何故ポジティブに解釈出来るのだ。実際ムーンランドは怒っていたしな……。
「駄目だ駄目だ。隊長と共に俺は班を纏めなくてはならない。」
マイクをミュートにして、そう自分に言い聞かせる。
「そして、アプリコットとロッタについても……。」
責任だ。それを忘れるな。
「オッサン。」
「ん、アプリコット。どうした?」
噂をすればだ。プライベート通信を送ってくるとは思わなかったが……。
「その、プレゼントなんだけど。」
「あぁ、その件なら――。」
「ありがとう、ね。」
「何? お、おい。」
言いたい事だけ言って通信を切りやがった。なんだ? 今回のプレゼントは成功だったのか? ムーンランドだけ失敗したのか? それとも情けか?
あ゛ー! 全くわからん!
「おっと、報告だ。」
スィトゥーが真面目な声に戻り、オープンチャンネルで現状を告げる。
「ハルが工事を装いターゲットを裏道へ誘導。此方では車内から目視でターゲットを確認出来た。ベルウッド、用意はいいな。」
「あぁ、問題ない。」
俺はあくまで囮だ。ターゲットは裏道に入ってすぐに俺を見つける。そして、俺が何かする事で気を引きつけ、その間にアプリコットが項にスタンガンをぶち込むという訳だ。
ん……ターゲットが歩いてきた。……しかし待て。クソッ! 余計な事ばかり考えて俺としたことが気を引きつける行動を考えずにいた。俺が手に持っているのはモップとバケツだけだぞ!
「待て!」
な、何をやっている! 我は何故呼び止めた? 話術という高度な技術なんて我は持っていないぞ!
「な、え、どうしました?」
ほら見ろ! 挙動不審になっているではないか!
「えっと、そのぉー……ダッシュって読んでます? 少年週刊誌の漫画雑誌。」
「え、は、はぁ、一応。」
だよな。リサーチ済みの情報からの推測だが当たっていた。対象者は少年漫画を愛読しているらしい。であれば、最も人気のある漫画雑誌が一番無難な話題となる。
「それのペインツって漫画あったじゃないですか。その、数年前に終わったアレが大好きなんですけど、その中の有名な詠唱で『零れ出す混沌の象徴、傲慢なる凶気の鞘……』の続きを忘れちゃってこれをどうにか思い出せないと仕事が手に付かないというか……。」
何を言っているんだ我は。
「砕道の九十、赤棺ですね。『汲み上がり、拒絶し、爛れ、煌き、目覚めを妨げる跛行する磐の王』と続きます。それと、細かいですけど、『傲慢なる凶気の鞘』ではなく『驕慢なる凶気の鞘』ですね。」
ガ、ガチ勢……だと? ってコレでは話が終わってしまう! というかアプリコットはまだなのか!?
「あっ、そっ、その時のポーズはどんなんだったかわかるか!?」
「ポーズ? ポーズって言ったってこう、手を伸ばして……。」
天を突く様に人差し指を空へ向けるターゲット。
「あ、表情は大事ですよね。一応敵のボスの台詞ですし、顔にこう影を作る感じで。」
瞬時に悪人顔を作り上げるお前は一体何者だ? しかし、このやり方は失敗だった。そんな格好をされてはアプリコットがスタンガンを当てにくいだろう。そして、アプリコットは奴のすぐ後ろにまで来ていた。クッ! どうすれば……!
「……ところで、これを見てくれ。」
「はい?」
話題が変わった事にキョトンとした顔で見つめてくる。それを確認すると、俺は息を深く吸いまず腹と腕に思いっきり力を込める。見ろ、今の俺の”必殺技”だ。
――モスト・マスキュラー!
全身の筋肉が収縮され膨れ上がり、体積を増す。すると、俺のツナギは瞬間的に筋肉で満たされ筋肉飽和状態となった。下半身はリラックス。しかし、降ろした拳はクワガタの顎の様に向かい合わせ謙虚で且つ逞しく、美しく……!
『パンッ!!』
筋肉の凱旋を祝す様に背中からファンファーレが鳴り響く。……俺は、人類でありながら羽化したのだ。さぁ、キメろ。
「……こいつを、どう思う?」
「すごく……うっ……!?」
感想を述べようとした瞬間、ターゲットは低い声を漏らして崩れ落ちた。アプリコットが特殊スタンガンで仕留めたのだ。……少々残念だったが、やっと安心出来る。必殺技が通じなければ、俺も嘗ての勇者達の様に絶望を顔に浮かべていただろう。まぁ、最強の魔王には無縁だがな。
「何、してんの?」
「それは我の台詞だ。遅すぎるぞアプリコット。」
「だってスィトゥーさんが、面白いからもう少し待てって……。」
「……隊長は?」
「ハルへの指示で忙しい。」
「よし、行こうか。始末所へ。」
この世界での俺の敵はスィトゥーである。それは明確な事実だ。




