破戒(はかい)が望む世界
幾重にも施した対策。だが、まだ足りない。何処に居るのかも、何処から見ているのかも分からない未知の存在。必要なのは、常識を超えた思いも寄らない大胆な奇策。
ジートの研究が終わり、いよいよその成果を披露する日が来た。全ての人をありとあらゆる恐怖から救う。規模が大きすぎるせいで完成と聞かされても誰一人として納得しなかった。納得させる方法はただ一つ。実際に成果を実感させる事。その為、戒と二人で結果を見守るつもりだったが、アーセオン家の全員で見学する事になった。
桜の木が生えた広い庭。
「そろそろ始めますよ」
ジートが大声で宣言するが、使用人を含めた全員は桜の木の下で宴会に集中している。戒だけは話を聞く姿勢を見せるが、両脇に居るアリアと弓に料理を勧められ身動きが取れない。
「…皆さん、お願いします。是非話しを聞いてください…」
「皆、聞いてやろう。本来の目的は研究の成果発表だ。宴会は一旦忘れるぞ」
ジートの声は通らなかったが、戒の声は隅々まで行き渡る。
全員が一斉にジートに注目し、静かに耳を傾ける。
「で、では…簡単な説明を…」
ジートは庭に設置されたロケットの前に移動。
高さは5mほどで、衛星を打ち上げるロケットと比べるとかなり小さい。
「これは、リトルガーディアンシステムを起動する為のロケットです。三つのブースターで先端にある統率機を宇宙に打ち上げ、ブースターの中に収められた超極小ナノマシンを切り離した際の爆発で世界に散布します。宇宙に打ち上げた統率機は散布された超極小ナノマシンに指示を出す為のもので、状況に応じて超極小ナノマシンを人間の守護の為に運用します」
勿論出てくる疑問は多い。
「ナノマシンは本当に世界中に広がるのか? そんなに沢山あるように見えないけど?」
「宇宙にある統率機に異常が起きた際はどうするの? お兄様、まさか宇宙に時々赴く訳ではありませんよね?」
「何が危険か、何が守護か、統率機は理解できるのですか?」
疑問にジートは一つ一つ答える。
「改良したナノマシンは、如何なるエネルギーも糧にして自己研鑽、自己増殖、自己再生を行います。如何なる状況でも爆発的に増え、一時間もあれば地球全体に広がります。その機能は統率機にも採用していて、私達が何もしなくても自己で全てを完結します。そして、統率機には私が丹精込めて作った人格性AIを搭載しているので、人間の視点に立った運用を常に心がけてくれます」
「人格性AIは信用できるのか?」
戒の質問に、ジートは笑いが込み上げてくる。
「あるきっかけがあって、非常に信頼性が高い感情を見つける事が出来ました。それをじっくり教え込んだので間違いないです!」
どの回答よりも自信満々。
戒は何の事か分からないが、アリアと弓は直ぐに理解した。
「それなら大丈夫ですね」
「う、うん…」
説明がなされたが、詳しい仕組みについては一切声が上がらない。研究を手伝った使用人が他の使用人に口止めをしていた。戒が更に突っ込んだ話をしないように。
「この先は実際に目で確認しましょう。その方が分かり易い」
ジートは、ポケットから取り出した携帯で打ち上げ命令をロケットに伝える。ロケットは自動的に第一ブースターを点火し、浮上し始めたら支えていた支柱を解除する。空に上がっていくロケットはギリギリ目視できる地点で第一ブースターを切り離し、切り離されたブースターはロケットに影響を与えない範囲で爆発。爆発と共に周囲に光が広がる。ブースターの切り離しは順調に第二、第三と続き、その都度光が空に広がっていく。ロケットの先端部が宇宙に届いた頃には、目視できる空全体が光に包まれる。
「随分綺麗だな…」
「この光はナノマシンが増殖する際の反応です。光が世界を完全に包み込んだらナノマシンの拡散は終了。統率機の指示がナノマシンに伝わり次第光は治まるので、システムの運用が開始された判断は光が落ち着いた時点となります」
「幻想的な雰囲気になるとは思わなかった…」
ジートは携帯をしまい、宴会の輪に入っていく。
「待ちましょう。光が落ち着くまで…」
マットに広げられた料理をついばみながら、笑顔を見せる。
念願の研究が完成した割には感動が薄く、何処か達観したような、何処か研究の途中のような、見る者によって受ける感想が違う微妙な表情。中には失敗したのではと不安になる者も。
一時間後。
世界を覆った光は消え、ジートが言っていた統率機のシステム運用が始まった。しかし、実感を感じられるような変化はなく、本当にナノマシンが自分達を守護しているのか疑わしい。
「本当にこれで恐怖が無くなったのか?」
「お兄様、失敗ですか?」
不安の声を笑って受け流し、ジートは折り畳みナイフを取り出す。
「戒、こっちに来てください」
戒が近づくと、ジートはいきなり戒の胸を刺す。
青ざめる一同。
だが、当の本人達は笑っている。
「大したもんだ!」
「分かって頂けましたか?」
突き刺した筈のナイフは、胸の手前数cmの所で止まっている。よく見ると、厚さ5㎝ほどの鉄板がナイフと胸の間に出現している。
「危機の状況に応じて必要な防御策を講じる。私の力、ナイフの強度、ナイフを折るべきか原形を留めるか。ナノマシンを必要量集め、必要な姿に変化させる」
ポケットから拳銃を取り出し、戒を撃つ。
銃弾は、現れた弾力性の高い壁に包まれて吸収される。
「今頃紛争地は混乱しているでしょうね。武器が意味を成さず、誰一人として殺せない。主義主張を通せる手段は会話しかなくなった」
ジートが言う通り、世界は大いに混乱していた。銃で武装した兵士が撃ち合っていると、壁が現れて弾丸を全部吸収。諦めてナイフで襲い掛かるが、持っていたナイフがグニャグニャに溶けて空中に消える。変化は紛争地だけではない。癌、糖尿病、失明などなど、回復不可と思われていた病までもが突然回復していく。突然起きた変化に驚かない者は居ない。だが、その変化が良いものだと知れば、殆どの者が好感を以って受け入れる。世界は歓喜に埋め尽くされる。
「凄いな、天才! 世界は確実に変革された。我が望んだ全てが手に入る」
戒の言動が変化。
普段使わないような言葉遣いに、普段とは違う声色。老人のようでありながら、力強い戦士のようでもある。博識でありながら、妄想的でもある。
「…112134252! シークレットコード起動!」
急に叫んだジートは、戒に向かって何度も発砲する。
「お兄様!」
「ジートさん!」
アリアと弓が駆け寄り止める。
だが、ジートは発砲を止めない。
「当主権限委譲! アーセオン家に仕えし者よ! 全員を屋敷内に避難させろ!」
ジートの言動もおかしい。
まるで戒のが言っているように聞こえる。
「アリア、弓! 早く逃げろ!」
「ジートさん、急にどうして?」
「お兄様、権限は譲りません!」
ジートは聞く耳を持たず、戒を睨みつけている。
現れたメイドが二人を強引に連れて行く。
命令を聞いた使用人達も戸惑いながらも避難する。
「…流石の対応力。だが、些か天才らしくないな?」
大量発砲を受けた戒は、全身から血を流している。
何故かナノマシンの守護が効いていない。
「そっちも大したもんだ。どうやって銃弾を回避した?」
ジートは再度発砲。
銃弾が額に当たる瞬間、有り得ない速度で回避する。
「時に介入して速度を調節している。この体でなければ成立しない偉業」
戒は消えたり現れたりを繰り返し、ジートの背後に移動。
囁くように質問する。
「今度はこちらが質問だ。どうやって別の体に移動した? 我に知られずいつの間に?」
ジートは、素早い動きで戒の背後に回り込み格闘戦を仕掛ける。研究者とは思えない身のこなしで戒を圧倒。フェイントを織り交ぜた巧みな蹴りで吹き飛ばす。
「それは私が答えましょう」
ジートは懐から一枚の書類を取り出す。
殴り書きで何の脈絡のない言葉が綴られている。
「これが分かりますか?」
「…暗号? いや、意図を感じない。これは…反応記録」
「昨日の夜、就寝後。脳の機能を停止させた状況で精神の抽出を行いました。その際に正しく精神を抽出出来たか確認する為に書いたものです。内容に意味は無く、自分ではない精神が映った確認」
「我が介入する仕組みに気が付いたか。流石、流石! 我が思っていた以上の逸材だったか」
ジートが行ったのは、戒の体から戒の精神を取り出しジートの体に同居させる魔法のような荒行。研究の合間に考えていた対策の一つ。
要は、今のジートは戒でもある。
「未来の意思の正体は…未来の戒。精神の抽出をするまでは不安でした。もし仮説が違っていた場合、対向処置は全部無駄になってしまう」
「結果は大正解! 実に愉快だ! こんなに楽しいのは久方ぶりだ」
戒(未来)は、大声で笑いながら両手を交差させる。
すると、周囲の大気が真っ黒に染まる。
「マスターライセンス発動! 生み出されし守護者よ! 真に従うべきは我!」
真っ黒な空間が空を埋め尽くす。
ジート(戒)が、拳銃を乱発。
だが、銃弾は全て戒(未来)の前で現れた壁に遮られる。
「渡した設計図を改良しても無駄だ。秘匿の構図が隠されているのは如何に天才でも見抜けまい! 今でも理解できていないだろ? ナノマシン、統率機の根源理論。組み立てただけの天才には製作者の真意は超えられない!」
悔しさに唇を噛むジート(戒)。
「悔しさに苦しみながら死ね!」
戒(未来)の周りに無数の重火器が出現。全ての銃口がジート(戒)を捉える。
「ジート、これは無理だ。すまん…」
「謝るのは私の方です。もう少し体を鍛えておくべきでした…」
戒の周囲の地面には、無数の刀身が顔を覗かせている。回避云々以前の問題として、そもそも移動が出来ない。動けば串刺し確定。
「動いて串刺しか…動かず的になるか…どっちが良い?」
「私は…第三択を模索します…」
ジートは既に状況打開の方策を考えていた。だが、幾ら考えても打開できる訳もなく、自力で状況を切り開く事を諦めて何かの要因で回避出来る事を祈っていた。
二人の混乱を嘲笑うように、重火器も地面の刃も全く動かない。
「…殺してしまうのは簡単だが、それでは楽しみが一つ減る事になる…」
重火器が消滅し、地面の刀身は引っ込む。
「何のつもりだ!」
「我が世界に何を望んでいるか分かるか?」
「…望み?」
「徹底的に弱者を否定する強者の世界! 脆弱さを淘汰した真の進化!」
強調しているのは原始的な考え。近代的な世界に向かないどころか、捨て去るべき悪しき考えの一つ。ジートが目指した世界とは真逆。
「何故そんなものを…?」
「育鯖戒、お前なら分かるだろ? この世界は一部の人間の為にある。何処を見渡してもエゴだらけ、作られたモノ全てが一方的で偏っている。いつから人は錯覚していた? 平和が善良であると。平和の言葉、形に惑わされ、醜悪な世界を疑いもせず受け入れている…」
戒には嫌と言う程思い当たりがあった。謙二郎を事故に遭わせた不良を捕まえた時、警察は有名な議員の息子だからと取り合わなかった。山路が介入しなければ世に知られる事も無かった。財布を盗んだ大学生を捕まえた時は、罪を擦り付けられ代わりに牢の中。後に分かったのは大学生が大企業の子息。罪を肩代わりした報酬が送られてきて分かった。
「…確かに捻じ曲がっている。力を持った奴らには法律も正しさも通じない…。立場が弱い奴には…暴力ぐらいしか抵抗策が無い…」
「戒…」
「だが違うだろ? お前の言っている脆弱さは、精神的な事じゃなく、戦闘力的な事だろ? 言い訳を幾ら羅列しても、隠しきれていない真意が漏れている!」
戒(未来)の体がナノマシンと融合し黒い機械の体に変化。ナノマシンの自在な特徴を生かし、機械でありながら筋肉に沿った形をそのまま再現。腕を回す様子からは機械独特のぎこちなさを全く感じない。
「以前の感想を述べたところで見抜かれる。自分の過去を侮ったか? それとも違う自分に戸惑ったか? まぁ、お前の言う通りだ。我は単に戦いを好み、戦いの為だけに生きる! 今のお前のように、誰かの為に生きる道など我には興味が無い」
浮かび上がる戒(未来)。
「だからこそ、お前達は生き残る。単に戦いを求む意志がお前達に期待している。いつか至高の戦いを齎す存在だと。感謝しろ。戦闘狂だった事を」
戒(未来)は、どんどん空高く上がっていく。
「逃がすか!」
ジート(戒)は、拳銃乱射。
しかし、弾丸は空中で分解され消滅。
「待っているぞ。我を満足させる存在になる事を」
真っ黒に染まった空に消える戒(未来)。
ジートと戒は、ただただ唇を噛み事しか出来ない。
「ジート…これから何が起きる? あいつは何をするつもりだ?」
「…人間が作った世界を壊します。人間ごと全部…」
その日、世界は闇に包まれた。
人の手によって作られた希望は、悪意によって絶望に染まる。祈りも願いも通じず、世界に充満する闇は命を黒く染めていく。人間が作って来た道理は純粋な破壊の前では非力。権力も、金も、警察も、法律も、幾ら声高に道理を説いても叫んでも、聞く耳を持つ者は居ない。最後には声も出せなくなる。人としての想いも消え、世界は無機質な破壊の音だけが響く。
「ジート、俺は諦めない!」
「私もです!」
世界にはまだ光が残っている。
破戒が犯した過ちが…。