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デストラクションエラー  作者: 仕方舞う
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消える生存条件…。

 揺らぐ生存条件に心を乱されながらも、戒の本質を歪める事は出来ない。例え死が現実に迫っても、許せないものは絶対に許さない。無謀なのか勇気なのか、結局は結果に委ねるしかない。

 朝の差す牢の中で、戒は一人唸っていた。

 冷たい拘置所の床でゴロゴロ転がりながら、ああでも無いこうでも無いと足りない知恵をフル活動させていた。

「どうして…俺は生きている?」

 警察に捕まった事で心臓が爆発する筈だった。だが、待てど暮らせど心臓が激しく鼓動する事は無く、至って平常運転のまま日を跨いだ。今まで信じていた条件の一つが崩れた事で、これから死を回避する為に何をしたら良いのか悩まずにはいられない。未知の条件を発見できなければ、老人の声と共に幾度も死を体験する羽目になる。


「育鯖戒、出ろ」


 刑事が二人、牢の扉を開けて待っている。

「何言っているんだ?」

「お前は何もしていない…それが答えだ…」

 奥歯に物が挟まったような微妙な面持ち。

「…誰かが無かった事にしたのか? 一体誰が?」

「山下電工の新社長だ…」

 噂でしか聞いたことのない警察上層部と企業との繋がり。それを自分が体験するとは露ほどの思ってなかった。だがお陰で、自分が死ななかった理由が分かった。条件の警察に捕まらない事は、警察に捕まった世間的認識が必要。世間に認識されていない以上、捕まった事にはならない。何とも強引だが、今の状況からはそう思うしか納得する術がない。

「それじゃあ遠慮なく」

 意気揚々と拘置所から出ていく戒を刑事達は不機嫌そうに眺めている。揉み消しが行われても刑事達の頭の中では戒は犯罪者。上層部の意向に従うしかない不愉快な状況に刑事としてのプライドを投げ捨てた気分になっていた。



 拘置所を出た戒は、慌ててアパートに戻り高校に向かう準備を進める。現在時刻は午前7時、遅刻回避最終電車まで残り30分。間に合わなければ走って高校に向かうしかない。その場合、間に合う可能性は限りなく低い。因みに、就職に関わる用事は出席扱いになっているので昨日の条件は満たしている。これも刑事に捕まったり時と同じ理論。

「急げ急げ~~~」

 アパートを出た瞬間、目の前に弓が現れる。

「お兄ちゃん!」

「ゆ、弓?」

 悠長に話している場合ではない。だが、弓の激怒は無視して去る事が出来ない。死の運命を回避する為でも妹の圧力に勝てない喧嘩の強さが嘘みたいな戒の性格。

「喧嘩はしていないって言ったよね? あれは嘘だったの?」

「う、嘘じゃない…あの状況は仕方ないって…」

「社長さんを殴る理由って何よ? 毎日喧嘩しているから衝動的に殴ったんでしょ!」

 警察は黙殺された筈なのだが、何故か弓にはバレている。

「どうして知っているんだ?」

「なんででもいいでしょ! ねぇ答えてよ!」

 弓に圧倒されていると、木陰から若い女性が現れる。

「あ、あの…私が話しました…」

 目を凝らすと山下電工の前社長が襲っていた女性だった。

「なんでここに居るんだ?」

「あの時のお礼が言いたくて…でも、それどころじゃなくなって…」

 半泣き状態の若い女性。その原因は弓。

「え…お兄ちゃん、この人を助けたの?」

「お前何も聞いていなかったのか?」

「社長さんを殴った話を聞いて…衝動的に…」

 戒を責めた言葉がブーメランとなって返ってくる。このように、普段は穏やかだが激情に流されると前後不覚になる。大抵は正しいので問題になる事は無いのだが、時折間違うと何とも恥ずかしい状況になってしまう。

「ご、ごめんね。私…つい」

 若い女性に向けて必死に頭を下げる弓。

 戒は、その様子をニヤニヤしながら見守る。

「しっかり謝っとけよ。いや~運がいいな。滅多にみられないぜ、弓の謝罪」

「お兄ちゃん!」

 頬を膨らませる弓だが、何処か悲しげな戒の様子に悪い事をしたような気になる。

「…さぁて、残りは1時間。電車は無理、バスやタクシーは資金不足、当然走りでも…詰んだな」

 弓の頭をガシガシ撫でながら、戒は空を見上げて溜息を漏らす。

「どうしたの?」

「…あ、あの、私何か悪い事でも?」

「遅刻決定だからな…」

 戒の悲哀に満ちた表情は二人を異様に不安にさせる。

「遅刻ぐらいで死ぬ事は無いでしょ? お兄ちゃん大袈裟」

「…まぁ気にするな」

 実際に死ぬ訳だから笑えてくる。事情を話しても信じる筈もなく、戒はただただ乾いた笑みを浮かべる事しか出来ない。

「あ、あの…送りましょか?」

 若い女性が手を上げて反応を待っている。

「送るって…車持っているのか?」

「はい。近くの駐車場に置いてあります」



 若い女性に誘われた駐車場には、一台しか車が停まっていない。どう見ても高額な真っ赤なスポーツカー。よくよく見ると純正とは思えないパーツが使われている。

「すげぇ~…本当にこれがお前の車か? 金持ちなのか?」

「金持ちではありません。叔父が知り合いのディーラーから譲ってもらった訳ありの車で、正規価格の10分の一だったと思います。訳ありって言うのは…死去した有名な走り屋が所有していたとか…」

 話を聞けば聞くほど、おとなしそうな若い女性が乗るような車には見えない。

「お兄ちゃん、本当に乗るの?」

「選択肢はない。俺は乗るぞ」

 二人の失礼な会話に若い女性は苦笑い。

「し、心配はいらないですよ。これでもライセンス持っていますから…」

 若い女性が提示したのは、国際Aライセンス。

「レーサー?」

「は、はい…。趣味の筈が、いつの間にか…」

「高校生じゃないよな?」

「自己紹介まだでしたね。私の名前は、北崎風(きたざきふう)、23歳です。大学を卒業して一年間就職浪人をしていました」

 23歳と聞いて二人は顔を見合わせる。23歳にしては外見的にも精神的にも幼さが残っていて、身長を除けば弓の方が大人に見える。特に幼さを醸し出しているのは服装。フリフリのスカートにリボンが装飾され、鮮やかな色のキャラクターTシャツを着ている。服装だけを見れば、身長が異常に伸びた小学生に見えなくもない。

「なんか、すまないな…年上とは思えなくて」

「…私はノーコメント…」

 幼くみられるのに慣れているのか、風は全く動じない。ニコニコしながら後部座席のドアを開ける。

「二人とも後部に乗ってください。友人の話だと、助手席は色々怖いらしいので…」

「おい、弓も乗せるつもりか?」

「間違いなく安全ですから」

 国際Aライセンスを信用し、二人は渋々乗り込む。

 一般路を走る為とは思えないバケットシート、カスタマイズされたハンドル、横転しても平気な構造補強。見た目以上にレーシングもしくは走り屋仕様。

「弓が乗っているんだ。くれぐれも安全を重視しろよ」

「任せてください! 最短距離、最短時間、最適空間。この三つを確約します!」

 ギアに手を乗せ深呼吸をすると、風の顔は喜びに歪む。

「さぁ行きますよ!」

 華麗なギア操作から流れるように発進。速度は然程出ていないが、大通りを避け狭い路地を選んで突き進む。法定速度を守りつつ、如何に速度を落とさないかを追求したレーサー思考の走り。実際の速度以上に乗っている者に恐怖を植え付ける。目まぐるしく変わる景色、いつ人が飛び出してくるかのヒヤヒヤ感。助手席に乗っていたら思わず叫ぶ事だろう。



「着きましたよ」

 風のスポーツカーは、高校の校門前に到着していた。

 乗っていた二人は、出来るだけ外の景色を見ないように座席の裏に隠れていて気付いていなかった。声を掛けられても弓はなかなか顔を上げられない。

「風…驚いたぞ。人は見た目で判断してはいけない…だな」

 戒はフラフラしながら降りると、他の生徒に紛れるように登校する。いつもの荒々しさは陰り、弱々しく頭を下げる様子は全くの別人に見える。


「よォ、戒! 今日も楽しい一日になりそうだな!」


 いつものように不良が集まり戒を小突き始める。その様子は明らかに親しい仲ではなく一方的な力関係を感じさせる。何も知らない風にもそのように映る。

「戒さん…虐められている? そんな、あんなに強いのに…」

 風の言葉に、弓が慌てて顔を上げる。

「お兄ちゃん…本当に…」

 僅かに残っていた疑念を戒の姿が払拭する。戒が本当に喧嘩をしていなかったと知り、弓は疑った自分を責め、虐められる兄を救おうと考えた。それが今の自分にできるせめてもの償いと、中学生の少女とは思えない責任感で車を降りる。

「止めなさい!」

 不良達を掻き分け、戒を庇うように両手を広げる弓。

 不良達は、現れた弓の可愛らしさに下種な笑みを浮かべる。

「何だ? こいつの妹か?」

「可愛いな、俺たちと遊ばないか?」

「どう見ても子どもだろ? お前何時からロリコンになったんだ?」

「可愛ければ何でもいいだろ!」

 不良達は戒への興味を失い、弓へその手を伸ばす。

「妹に手を出すな! いつも通り俺を殴って満足すればいいだろ?」

 戒の言葉に従う者など居らず、弓の腕を掴み引っ張っていく。

 ここで暴れれば他の生徒に通報され警察に捕まる。生徒に通報されるパターンは経験済みで、捕まった瞬間心臓が爆発して死ぬ。だが、大切な妹を不良達の好きにさせる訳には行かない。

「頼む! 妹だけは!」

 不良の足にしがみ付き、諦めるように懇願する。

 だが、蹴り飛ばされるだけで取り合う気配はない。

「…頼む…」

 戒の目には、涙を浮かべつつも笑顔を見せる弓の姿が映る。

(お兄ちゃん…ごめんね…)

 弓の声が聞こえた気がした。

 後悔と懺悔の声が…。


「もう…死んでもいい」


 不良の一人が宙を舞い落下。

 目の前で起きた異変に不良は目を丸くする。

「な、何が起きた…?」

「さ、さぁ…」

 落下した不良は泡を吹いて気絶している。

 それを覗き込んだ不良が急に意識を失い倒れる。


「お前たちは本当に馬鹿だな…」


 戒の声が再び響くと、不良達が次々と倒れていく。

 ある者はあり得ないほど吹き飛ばされ、ある者は地面に顔面がめり込み、ある者は肘が逆方向にねじ曲がっている。

 目の前で起きる異常現象に不良達は恐怖で発狂する。

「誰だ! 誰がこんな事を!」

「声が聞こえないのか? 耳が腐っていたか」

 叫んだ不良の背後に戒が現れる。

「か、戒…」

「そう、お前達が虐めていた弱々しい男だ」

「お、お前がこれを…?」

「余計な事をしなければ良かったのに、本当に馬鹿だな」

 不良の肩を掴み、指が食い込む程握りしめる。

「痛い、痛いっ! た、頼む…助けてくれ…」

「ダメだ。俺が頼んでも聞いてくれなかっただろ? だったら虫のいい事言うな」

 肩を握ったまま何度も顔面を殴る。

 不良は、見る影もなくなった不細工な顔で気絶する。

「これで最後だったか…」

 弓を取り囲んでいた不良は全滅。

 連れ去られそうだった弓からは恐怖が消え、再び戒への疑念が蘇る。

「お、お兄ちゃん…喧嘩していなかったんだよね?」

「…本当はしてた。まぁ仕方ないよな、俺が喧嘩を止められる筈がない」

 正直に話すしかないと思った。弓は感が良く、嘘を吐いていてもいずれ真実を知られる。そうなれば、戒が嘘を吐き続けた事実が弓を絶望させかねない。深い傷を付ける前に白状した方が良いと判断した。

「……お兄ちゃん、大嫌い!」

 泣きながら去っていく弓。 

 様子を見ていた風が車で後を追う。

「嫌いか…これで良かったのかもしれないな」

 死の運命が待っている身の上、一人でも好意を持っている人が居ない方が気が楽。何度も繰り返してきた死の中で戒がいつも気にしていた事。



 案の定、生徒の一人が通報し警察に逮捕された。

 これにより条件の一つを破った事になり、心臓が盛大に爆発…する筈だった。


「これ…どういう事だ?」


 戒は生きていた。

 社長を殴った時と同じ牢の中で寝転がっていた。違うのは、朝日ではなく夕日が格子窓から差し込んでいる事。

「弓や風が居たけど、状況は知っている死にパターンと一緒。何でだ? テレビにも報道されたのに…」

 社長を殴った時に考えていた世間的な認識だが、極悪人のようにテレビで報道されているので当然満たされている。テレビで報道されているという事は、例の新社長も揉み消しをしていない。なので、牢の外に居る刑事は起訴出来る事にニヤニヤが止まらない。

「全くわからん…」

 ゴロゴロ転がりながらこの先の事を考えて唸る。


 

 戒が逮捕された警察署には風と弓の姿があった。

 風は窓口で戒の事を詳しく聞いていて、弓は窓近くの椅子に座ってチラチラ風の様子を見ている。

「お兄ちゃん…もう…」

 弓は戒の嘘が許せず、本当は来たくなかった。だが、風が心配で様子が見たいと懇願した為渋々一緒についてきた。


「おや、弓ちゃんじゃないか」


 弓に声を掛けたのは、二人の部下を連れた筋骨隆々の制服刑事。

「おじさん! どうしてここに?」

 この刑事は海藤山路(かいどうやまじ)。戒と弓の昔からの知り合い。近所に住んでいて、暇な時にはよく遊んでもらった。家には寝たきりの息子が居て、刑事でありながら夕方には帰ってきて息子の面倒を見ている。奥さんは、寝たきりの息子の世話に疲れて離婚した。

「戒の様子を見に。弓ちゃんもかい?」

「私は違います」

「珍しいじゃないか。いつもなら喧嘩をして捕まる度に心配してただろ?」

「…お兄ちゃん嘘ついたんです、喧嘩していないって…だから、今回は怒っているんです」

 山路は、部下に渡していたバックから書類の束を取り出す。

「弓ちゃん、これが何か分かるかな?」

 書類の束を弓に渡す。

 内容を確認した弓は、訳が分からず首を傾げる。

「それは署名だ。戒の釈放を嘆願する」

「こ、こんなに…」

「まだまだこんなもんじゃないぞ。現在10万もの署名が集まっている」

 弓は綴られた名前を一つ一つ見ていく。

 どれもしっかりした文字で丁寧に書かれていて、時間の合間にちょちょいと書いた代物ではない。誰もが戒の事を思って戒の為に時間を割いて書いている。

「どうしてこんなに慕われているの? 喧嘩ばかりしているのに…」

「彼らは戒に助けられた。戒の喧嘩のお陰で平穏と安定を手に入れた。戒が居なければ、絶望に蝕まれて今頃路頭に迷っていた」

「喧嘩の…お陰…」

「確かに暴力はいけない。相手を傷つける行為は許してはならない。しかし、全ての暴力を否定すれば裁く事が出来ない悪もある。戒はその役目を担ったのだ」

 弓には理解できなかった。警察もある、法律もある、それなのに暴力が必要なのだろうか? 平和な世界があって殆どの人が満足している。それでも必要な暴力があるのだろうか? 

「弓ちゃんにはまだ理解できないだろ? 両親の愛情に守られている間は知りえない。いつか大人になって理不尽な世界に足を踏み入れれば、私が言ったことを理解できるかもしれんな」

 山路は、署名を受け取ると警察署の奥に消えていった。

 一人になった弓は、戒の事を考えた。両親に見放され、世間からも極悪人扱い。状況を想像する事は出来ても心情を想像する事が出来ない。知りうる世界だけの観点で怒っていた自分が幼く無知に思えた。



 牢でニヤニヤする刑事を押し退け、山路が牢のカギを開ける。

「戒、もう良いぞ」

 山路の声に反応して戒は起き上がる。管轄外の為、本人なのか目を皿にして確かめる。

「親父さんなのか? 随分久しぶりだな!」

「何言ってる! まだ2年半しか経っていないだろ?」

「そう言えばそうだった…」

 山路にしてみれば2年半、戒にしてみれば幾度の死を経験した後の2年半。感覚的には10年ぐらい会っていないように感じる。

「ほらっ、さっさと出ろ。私も忙しい身の上なんだ」

「忙しいって、だったら無視すれば良かっただろ? 親父さんも見慣れた喧嘩の成れの果てだからな」

「そうは行かない。恩人に唾を吐く真似をすると思うか?」

「…親父さんらしいな」

 戒は鈍った体を解し、青ざめる刑事を横目に牢から出る。

 納得できない刑事は山路に掴みかかる。

「これはどういう事だ! 奴は犯罪者だぞ!」

「被害者が居ない案件をどうやって裁判に持ち込むつもりだ?」

 制服の内ポケットから取り出した封筒を刑事に渡す。

 封を開けて中の書類を見た刑事は悔しそうに地団駄を踏む。

「どうしてこの男を裁けない…くそっ!」

 刑事が見たのは、被害届の破棄申請。出されていた被害届を無効化するもので、発行する為には被害者全員の同意が必要。成人の犯罪で無い為、これ以上の拘留はされない。



 警察署の外では、風と弓が待っていた。

「戒さん、お帰りなさい」

「…お兄ちゃん…」

 嬉しそうに駆け寄る風、なんとも微妙な面持ちの弓。

 戒は、風に対応しながら弓に謝る。

「戒、用事があるから先に帰らせてもらう」

 空元気なのが見て取れる。単純な疲労なのか、心労なのか、流石に表情からは読み取れない。ただ、今までに見た事のない表情なだけに戒と弓は心配になる。

「親父さん、何かあったのか?」

「おじさん…心配事なの?」

 山路は笑顔を止め、泣きそうな顔で心情を吐露する。

「…謙二郎(けんじろう)が危篤状態で苦しんでいる」

「謙二郎が!」

 海藤謙二郎。中学生の時にある事件がきっかけで半身不随になった。僅かな希望に縋ってリハビリに励んでいたが、3年続けても治る気配を見せず心が折れた。しかし、心は折れても生きる精神は歪まなかった。動けなくても出来る絵画を始め、なんと個展を開けるほどになった。因みに、戒とは小学校時代からの大友人。

「半身不随だったけど病気じゃなかった筈…どうして急に?」

 弓の疑問はもっともで、普通の人よりも健康なのが本人の自慢事項だった。それが中学卒業後2年でどうして死病にかかるのか? かかったとしてこんな短期間で死に至る事があるだろうか?

「もっと早く話しておけばよかったな。最後の別れもさせてあげられない…」

 山路は涙を流しながら去っていく。

 戒は、我慢できなかった。

「親父さん! 話せって! 俺にとって謙二郎は親友! 何があったかぐらい話せ!」

 山路は足を止め、一言だけ発する。

「刑事は恨みを買う…」

 去り行く山路を見つめながら、戒は何処かに走っていく。

 弓や風が声を掛けても反応せず。


 

 辺りがすっかり暗くなった頃、戒が訪れたのは巨大な門構えに立派な表札がかかった柴原組組長の邸宅。周囲の住宅とは一線を画した豪華さと広さに城という言葉が似合う。だが、一帯を牛耳っている柴原組にしてはやけに怯えた様相に見える防犯カメラの数。

「お~い! 話があるから開けろ~!」

 門前で大声を上げる戒。

 だが、何故か一向に門は開かない。暴力団の組長宅、普通に考えるなら強面の手下達が大挙して現れ戒を取り囲んでもおかしくない。

「聞こえているんだろ? 早く開けないとこっちから入っていくぞ~!」

 勿論誰も居ない訳ではない。門の裏では大量の手下がナイフや拳銃で武装して待機している。しかし、誰一人としてそれを使おうとは考えていない。全身を恐怖で震わせながら手にした武器を使わず何処かに隠そうとあたふたしている。

「時間が無いんだよ! 本気で門を破壊するぞ!」

 武器をその辺に放り投げ、手下は慌てて門を開く。

「す、すみません…。よ、用事があったので…返答に応じるのが遅く…」

 嘘の自供に笑顔を見せる戒。

 その不気味さに手下の精神は崩壊寸前。

「組長は居るか? 大事な大事な話があるんだ。居るなら早々に会わせろ」

「戒さん、組長は外出中で…」

「本当か? だったら仕方ないが…もし嘘だったら…」

 戒の笑みに怒りが滲む。

「す、すみませんっ! 居ます、バリバリ居ます! 今直ぐにご案内します! どうか、どうかお許しくださいぃーーー!」

「謝る事は無い。さぁ、さっさと案内しろ」

 手下達はペコペコ頭を下げながら邸宅内に誘う。



 通されたのは豪華な装飾品に彩られた20畳の応接間。ここに呼ばれるのは幹部の中でも組長の信頼がある者のみ。故に手下達も中には入れない。

「ようこそおいで下さいました!」

 組長は土下座して戒を迎い入れる。

 更にインパクトを増しているのは、邸宅に居た幹部全員が同じように土下座している。天敵である警官でもお目にかかれない珍事。もし警官がこの場に居たら、殺伐とした雰囲気で一触即発。

「土下座なんかして、どうしたんだ?」

 柴原組の最大の敵である戒。しかも、全く手も足も法律も通じない最悪の敵。頭の中にあるのは、プライドでも復讐でもなく組の存続。戒の機嫌を損ねて組を完全に破壊されるのは避けたい。

「お、お気になさらず…それより、今日はどのような御用で…?」

「話が早くて助かる。実は探して欲しい者が居る」

「…探し人ですか?」

「海藤山路の一人息子、海藤謙二郎が何者かによって毒を盛られた。その何者かを探し出して居場所を教えろ」

「海藤…山路? もしかして、悪魔の捕縛人?」

 組長の発言に幹部達は戦々恐々。

「そうだ。お前たちにとっては誰よりも怖い存在だろ? もしかしたら、恨みを持っている奴も居るんじゃないのか?」

 山路は3年前まで悪魔の捕縛人と呼ばれ犯罪者や暴力団から恐れられていた。悪の基準を満たした者は一切の容赦なく強引に捕縛する。如何に抵抗しようが、如何に法律を盾にしようが、暴力の限りを尽くして次々検挙する。山路在るところに、悪は無し。山路在るところに、慈悲は無し。これが裏の世界での常識だった。

「無いと言えば嘘になりますが…恐ろし過ぎる相手には立ち向かわないのが我々の鉄則でして」

「今でも恐怖を感じているのか? 3年前から現場には立っていないけど」

「勿論です! 確かに以前ほどの恐怖は無いですが、戒殿との繋がりがあるので…寧ろ以前よりも手を出せません…」

 戒は柴原組を疑っていた。だが、組長の顔からは嘘を吐いているようには見えない。上司に頭を下げる平社員のような面持ちは偽って作れるようなものではない。役者経験のない者には。

「分かった。じゃあ、探してくれ。海藤山路に恨みを持っていて、行動に移せる相応の力を持った奴。表だけじゃ分からない事もお前達なら分かるだろ?」

 戒の笑顔から滲みだす圧力。それは断る事を許さない所謂命令。

「…は、はい! 総力を挙げて必ず見つけ出します!」

 組長の宣言に幹部一同も従う。


「あ、あの~…」


 扉の外から手下の腑抜けた声が聞こえる。

「誰だ! 身の程知らずの馬鹿者は!」

 扉が開かれ、手下が引きずり込まれる。

 幹部達に睨まれ恐怖で縮こまる中、何とか声を絞り出して答える。

「す、すみません! じ、実は、心当たりが…」

 戒は幹部達を掻き分け、手下の肩を強く掴む。

「本当か!」

「は、はい! 密輸している極甘チョコレートを横浜の埠頭に受け取りに行った時、倉庫裏で黒いセダンに乗った男が金髪の外人から何かを受け取っていました」

「顔は見たのか?」

「その時は同業者と思って気に留めていなくて…でも、その人物がテレビに出ていたんです!」

「テレビ?」

「たまたまチャンネルを変えた時に見た伝説の経営者って番組で…」

「で、誰だ?」

「…権藤マーケットの社長、岡島毅(おかじまたけし)です」

 権藤マーケットは全国展開しているスーパーマーケット。多彩な品揃えと他社比較で最低価格を保証している優良店。勿論世間的なイメージも良く、社長の岡島毅は世界に誇れる日本の宝として扱われている。

「…有名人か」

 表立った行動が出来ないと思いほくそ笑む幹部と組長。だが、次の一言で絶望に変わる。

「だったら証拠を山ほど集めないとな」

 戒の視線は組長に向けられる。

「予定変更。今直ぐ岡島毅の身辺を調査しろ! 良いか、出来るだけ多くの情報を集めろ! 後ろめたい事以外にも何でも集めろ!」

「そ、それって…我々には関係ないですよね?」

 組長の質問に戒は笑顔で答える。

「ああ、その通りだ。だけど、断った場合どうなるか想像出来るよな?」

「は…はい」

 組長を含め紫原組の面々は頷く事しか出来なかった。

「さぁ急げ! タイムリミットは限られている。もしも、謙二郎に何かあったら組を完全に破壊するからな!」

 戒の脅迫で組長まで飛び出していく。



 三日後。

 市民病院の一室に山路が呼び出されていた。

「申し訳ありません…」

 長机を跨いで正面に座る謙二郎の主治医が頭を下げる。

「手を尽くしたのですが、体を蝕むウィルスの除去がままならず…これ以上は…」

「謝る必要はありません。分かっていた事です…」

 山路は俯いたまま泣いている。

「今の我々に出来るのは、苦痛を取り去り、最後の時間を穏やかに…」


「諦めるな!」


 扉を蹴破って戒が入ってくる。

 服がズタズタに斬り裂かれ、体中に無数の擦り傷がある。

「戒! どうしてここに!」

「親父さん、諦めるなんてらしくないっ! 謙二郎に笑われるぞ」

「笑えるなら笑って欲しい! もう無理なんだ!」

 戒は、山路の右手を開き透明の瓶を渡す。

「…これは?」

「見つけるの、大変だったんだぞ」

 戒はそれだけ言って部屋を後にする。

 山路は、渡された瓶に張られたラベルを見てそれが何か理解する。

「戒!」

 部屋を飛び出し戒を探すが、既に姿はない。

 代わりに現われたのは、大汗をかいて走ってくる刑事達。

「海藤署長! は、犯人が自首しました!」

 衝撃の報告だが、山路は驚かない。

「分かっている」

「えっ? 誰かが先に来ましたか?」

「…まぁな」



 この日の午後、衝撃の事件が列島を震撼させた。

 

 権藤マーケット社長、岡島毅、殺人未遂で逮捕。権藤グループ会長、権藤栄伸(こんどうえいしん)、殺人教唆で逮捕。


 知名度も人気も高い企業のトップだっただけに、国民が受けた悲しみや怒りは尋常ではなかった。だが、事件はそれだけでは終わらなかった。逮捕された権藤栄伸から語られたのは、政治家との悪しき繋がり。与野党問わず関与した政治家の名前が挙がり、遂には総理大臣にまで波及。全面的に否定する政治家達だが権藤栄伸から提示された証拠の信憑性は非常に高く、国民の深い疑念を払拭する事には至らなかった。遂には国会が機能不全に陥り、総選挙が行われるまで政治不在となった。


 世間が騒然としている中、ただ一人戒だけは別の事に気を揉んでいた。


「あ~あ…遂に無くなったか…」

 

 部屋でゴロゴロしながら唸り声を上げながら考え込んでいる。

 戒が困っているのは今まで信じてきた生存条件が全部消えてしまった事。最後まで守り続けていた喧嘩をするという条件をこの三日間満たしていない。途中何度か死を覚悟したが、結局死ぬ事も心臓が激しく鼓動する事も無く平穏な状態。こうなると、『別に条件がある』か『条件自体が無くなった』かのどちらか。楽観的に考えるなら条件が無くなったで落ち着く話なのだが、30回も死の経験をしているだけに

別に条件があると考えてしまう。さて別の条件とは、と考えると、思い浮かぶのは山下電工関係。進学や他社受験を許さないように心臓が鼓動した事から条件の一部なのは間違いない。ただ、入社しなければならないのか、受験するだけで良かったのか、社長を殴る事が本命だったのか、それ以外なのか皆目見当もつかない。もし入社が条件だった場合、結果が出た時点で死ぬ事になる。


「警察沙汰を何度も犯したんだ、間違っても合格はしないだろ…」


 運命を受験結果に委ねるしかなく、それまでの時間を悩み続ける事になった。

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