許さなくてもいい
誰かの為を思った「許さない」。誰かを憎んだ「許さない」。同じ言葉でも込められた意志が違う。そして、迎える結末も違ってくる。知らぬ内に心で育った感情に左右され、気が付いた時には「許さない」を選んでいる。
帰還した戒を待っていたのは、全員の怒り顔。何故無茶な事をしたのか永遠説教され、気が付いた時には皆疲れて眠っていた。戒は、寝ている皆の顔をしっかり瞼に焼き付けた。最後の選択を誤らないように意志をしっかり固める為に。
「おはよう」
元気いっぱいの戒は、起きて早々、艦橋の掃除をしている。
目を覚ました一同は、不可思議な状況に困惑。戒が変になってしまったと些細な質問を続けた。だが、帰ってくる回答はいつもの戒。行っている行動は異常だが、思考は正常。混迷を極める状況だが、戒の「お詫びだ」の一言である程度は納得。だがそれでも、喧嘩万歳の戒が喧嘩を後悔する異常さは残る。
「戒、何があった? いつもの戒らしくない」
「俺は変わらない。言っただろ? お詫びの掃除だ」
艦橋を飛び出して掃除の手は艦内通路に拡大していた。
同じ歩調で歩く謙二郎は、戒の顔を凝視する。
「俺には分かる。笑顔の戒が仮面を作った時と逆だ。今度は仮面の戒が何かを作ろうとしている…」
謙二郎の言葉に戒は笑顔を作る。
慣れていないせいか不自然な硬さがある。
「笑顔ぐらいか」
「戒!」
「謙二郎…少し時間をくれ。俺にも色々あるんだ…」
戒は掃除の速度を上げる。
翌日の朝。
早朝6時に戒が掃除する姿が展望デッキにあった。大きな球体の一面ガラス張りで、透き通た青空と輝く太陽がデッキ全体を包み込む。雲の上を常に飛行している為、そんな綺麗な風景が毎日見放題。なのだが、戒は今日が初めて。足が向かなかった一番の理由は興味が無かったから。戦闘を追い求めるうちに、綺麗だとか、落ち着くだとか、戦闘に関係ない感情はどんどん鈍くなっていった。しかし、今は少し違う。仮面の自分を忘れて本来の自分を思えば、おのずと好きに思えてくる。本当の自分が欲しがっていたモノがこれだったのかと再認識。
「なぁ、俺はこれが欲しかったのか?」
(僕は綺麗なモノが好きだよ。景色も人も。見えるモノも見えないモノも)
「概念になるってどういう感じなんだ?」
(ふわふわ浮いているような…皆とは違う世界に居るような…少し孤独…かな)
仮面の戒に実感はなかった。
いつも誰かが居て、いつも誰かと触れ合っていた(喧嘩が多い)。孤独を感じる経験は全くなく、逆に騒がしい日々しか知らない。それ故に、笑顔の戒が『孤独』を悲しそうに語る意味を理解しきれない。
「俺に耐えられると思うか?」
(そんな必要ないよ。僕がこの世界を引き受けるから…)
「俺は許してない! お前が孤独に苦しむ世界を!」
(やっぱり僕の一部だ。ありがとう…)
笑顔の戒の気配が消える。
概念になった為、長い間意志を保てない。
「お前は優しすぎる。暴力の何が悪い…それが俺だ」
シーリアと風の部屋。
シーリアはぬいぐるみを編み、風はスポーツカーのプラモデルを作っている。
「シーリアちゃん、凄かったね」
「何が?」
「戒さんに向かって平手打ち。あの時は驚いて心臓が飛び出しそうだった」
シーリアは、恥ずかしそうに頬を染める。
「…戒が無茶ばっかりするから…」
戒が戻った時、一番激怒したのがシーリアだった。涙を流しながら平手打ちをする様は、怒ろうとおもっていた者達の熱を冷ます最強の冷却材になった。
「戒さんにとって最も痛い一撃だったかも」
恥ずかしくて何も言えないシーリア。
だが、恥ずかしさ以上に不安な事がある。
「ねぇ、風。一つ聞いても良いかな?」
「何かな?」
「戒はどう思っているかな? あの時の話?」
風は直ぐに結婚の事だと分かった。
だから確信をもって答える。
「多分、何も考えて無いと思う。戦う事だけで他の事は見えていない。シーリアちゃんが怒った原因もそこにあるからね…」
「風、違うの。私が聞きたいのは、本当の戒の気持ち。仮面の奥で泣いている戒…」
風に分かるのは、本当の戒が優しい事、自分を犠牲にしてまで力を貸してくれる勇気がある事、そして、誰よりも深い悲しみの中で耐えている事。しかし、それは断片的で具体的ではない。飛行戦艦の機能向上に手を貸してくれたのは感覚的に理解したが、実際に会った事がない為、詳しい考えを知る事は出来ない。
「私には分からない…でも、戒さんに聞けば…」
「それは出来ないよ…」
「シーリア、居るか?」
ノックと共に戒の声が響く。
突然の訪問にシーリアは動揺する。
「な、何…?」
「ちょっと話がある。展望デッキに来てくれないか?」
風は目で「行って」と合図を送る。
シーリアは覚悟を決めて扉を開ける。
展望デッキには戒とシーリア。二人掛けのベンチに座って黙っている。シーリアは冷や汗を滲ませ、戒は眉間に皺を寄せている。
そして、野次馬の謙二郎と風、ゼロノート。少し離れた場所にある植え込みから見ている。
「か、戒…何の話?」
「シーリア、俺が戦いに行く前に結婚って言っていたよな? あれは本気か?」
「う、うん…もしかして、断りに来たの?」
野次馬一同は、戒の答えを聞きたくて身を乗り出す。
植え込みがしなり、徐々に限界が近づく。
「本気なら頼みがある。本当の俺を幸せにしてくれ! 笑顔のあいつを幸せに出来るのはお前しか居ない! 頼む!」
頭を下げる戒の背中をシーリアは優しく撫でる。
「何があったの?」
「俺はあいつのお陰で充実した人生を送れた。あいつが犠牲にならなかったら、俺は絶対に…幸せじゃなかった」
「戒が犠牲?」
「あいつは俺の為に概念になった。俺が俺として生きて行けるように、自分を犠牲にして支えていくつもりだ! 二度とお前達の前に現われず、永遠に一人ぼっちで耐え続けるつもりだ! 俺はそんなのは嫌だ! 喧嘩したい、もっと暴れたい、そんな事よりあいつに幸せであって欲しい! 俺にとっての本当の幸せはそれだった。すっかり忘れていた!」
植え込みで見ていた野次馬は、戒の頭を下げる様子に嫌な予感を感じる。
だがそれでも、飛び出す訳には行かない。
「今度こそあいつの為に俺は戦う。だから、弱いあいつを頼む!」
「寂しくないの?」
「…俺には新しい友達がいる。アポカリプスって言う不器用な友達が。だから大丈夫だ、安心して良い。それに、会う事は出来なくても絶対に見ている」
シーリアは、笑顔で頷く。
戒はその笑顔を見て肩の荷を下ろす。
「ありがとう。これで安心だ」
戒の背後にアポカリプスが現れる。
野次馬達は、いきなりの出現に腰を抜かす。
「告げなくても良いのか?」
「言ったら拒否される、これで良い」
アポカリプスが戒に触れると、背中から透明の戒が抜け出る。
透明の戒は、シーリアに手を振る。
「必ず幸せにしろよ! あいつを泣かせたら許さないからな!」
アポカリプスと去って行く戒。
ガラスをすり抜け、空に消えていく。
「約束する! 戒は絶対幸せにする!」
シーリアの声は空に消える。
不自然に飲み込まれるように…。
「…僕は、許さない…」
戒の頬は涙で濡れる。
シーリアは戒を抱きしめる。
涙が止まるまで…。
翌日、戒は艦橋で空を眺めていた。
傍に居るシーリアは、戒の笑顔を眺めている。
「どうして僕の顔を見てるのかな?」
「私の記憶にある戒だって思って…」
結婚の話は一旦棚上げになった。それを申し出たのはシーリア。夢を叶えるまでは戒を幸せに出来ないと断言。戒もその事を受け入れた為、それ以上話題にならなかった。代わりに注目が集まったのは、シーリアの夢。どんな夢で、なぜ戒に関係あるのか、艦内はその話で持ち切り。
「弱虫でいつも逃げていた。でも、これからはそれではダメだね」
戒は腕を回して、口調を変えてみる。
「俺が皆を守ってやる! だから安心しろ!」
「…戒は戒らしく。そっちの方が良いよ」
「そうだね。旅立った自分の為にも強くなって破戒を倒さないと!」
戒の手の甲に紋章が浮かび上がる。
「何じゃこれは?」
戒とシーリアの間を割ってゼロノートが現れる。
「おじい!」
シーリアの冷たい視線に臆せず、ゼロノートは現れた紋章を角度を変えて眺める。
「初めて見る紋章じゃ。円の中心に二本の剣、小さくて見えずらいが円には呪文が刻まれておる。よく見ると、剣にも何やら呪文らしきものがあるようじゃ」
「分かりますか?」
戒の質問に、ゼロノートは怪訝な表情。
「さぁて、儂には何かの象徴だと思うが…調べてみないと何とも判断がつかんの」
ゼロノートは紋章をしっかり見て記憶し、足早に何処かに去って行った。
シーリアは、頬を膨らませ怒る。
「おじいったら…」
「その顔を見ていると弓を思い出すよ。今頃どうしているかな?」
「弓って、妹だよね?」
シーリアは、弓の姿を記憶の中から引っ張り出す。
出てきたのは、甘えていた頃の弓と、しっかり者になった弓。戒への態度は全然違うが、顔の印象は同じように見える。
「私も会ってみたい。きっと仲良しになれる」
「僕もそう思うよ。でも、簡単には会えないかな…」
アーセオン家の屋敷。
相変わらず気力の欠片も無い雰囲気。沈んだ顔がただ自分の役目を果たすだけ姿。すっかり本来の目的を見失って細々と生きている。因みに、山路の姿は無い。東京管理区に食料を運ぶ役割を果たしている。気力を取り戻し、「落ち込んでいては謙二郎に合わす顔が無い」と自分から志願して動いている。一人では大変と、アリアの命令でメイド達も手伝っている。
「出来た!」
屋敷に響くジートの声。
聞きつけた弓とアリアが扉を開ける。
「出来たよ。解決策が」
機械がひっくり返っている室内で、ボロボロの白衣を纏ったジートが高らかに剣を掲げている。光の筋が切先まで伸びていて、血管のように脈打っている。
「遂にできました! リトルガーディアンシステムを超える力が!」
掲げた剣を抱きかかえて頬ずりをする。
「お兄様…その剣に何が出来るのですか?」
「この剣にはレコードマーカーと呼ばれるナノマシンが使われています。レコードマーカーは受けた攻撃を記録して印を付けます。印を付けた攻撃は自己で対策を生み出し、二度とその攻撃が通じないように進化します」
ジートは、近くに転げていた拳銃を持ち、剣を壁に掛けて撃つ。
銃弾が当たった瞬間、剣は激しく光り銃弾が弾ける。
「見てください! この速さ! 銃弾が当たった瞬間マーキングして、銃弾が接触している間に破壊しました」
拳銃を何度も撃つ。
純弾は当たる前に破壊され始める。
「もう二度と銃弾は効きません! 勿論、使用者も含めてです」
研究所を探って見つけ出したのは、封がされた瓶。
「この中には金属を食べるバクテリアが入っています」
封を切って瓶の中身を躊躇いなく剣にかける。
剣はまたも激しい光を放ち、健在を維持。
「進化は止まらない! この剣は破戒を滅ぼせます!」
嬉々として話すジート。
だが、弓とアリアは深く落胆する。
「お兄様、私達に必要だったのは生活を安定化する発明です。戒に許してもらう為にも戒の力に頼らない姿を見せないと…」
「食料庫に残っている食料は無限ではありません。戦う力より生きる力が必要なんです」
アリアと弓の言葉はジートに届かない。
怒りを露わにして見せた事の無い険しい顔になる。
「何が生きる力ですか…そんなものは必要ない! 必要なのは力なんです! どんな力も圧倒できる力! 私の研究が無いと生きられない弱者に構っている暇はありません! 破戒を倒して…戒を見返さなくては…」
「お兄様! お願いします、そんな事言わないで下さい。戒は友人です。協力し合わなければならない存在です。見返す相手ではありません!」
ジートは、剣を振り回して機械を破壊する。
「何が友人ですか! 私達を裏切った許されない存在です!」
弓はジートの頬を平手打ち。
激しい衝撃に剣が反応する。
「お兄ちゃんは裏切ったりしていない! 私達が追い出したの! ジートさんも知っている筈なのにどうして…? 同じ事を言ったら…私、許しません!」
「…戒は、裏切り者」
弓は研究所から飛び出していく。
アリアも軽蔑の視線を浴びせて去って行く。
「許さなくて…いい…」
挫折を知らず、思い通りに研究を行え、求めるモノは手を伸ばせば直ぐに掴めていた。しかし、今は違う。挫折ばかりで、思い通りに研究は進まず、求めるモノは伸ばした手からすり抜けていく。ジートの心は綺麗で脆弱だった。掲げていた理想は脆くも壊れ、出来てしまった隙間に憎悪が紛れ込んだ。憎悪と言う毒は、心の綺麗さまでも奪い、自分でも気づかないうちに歪になってしまった。




