犬と下種3
「……チッ」
ホテルを出ると、早くもクロガネは視線を感じていた。
普段は目立つ黒服であるが、今は大部分がマントで隠れているうえ、その下には更に毛皮のコートを羽織っている。そうそう見つかるものではないと思っていたのだが……。
クロガネは足早に――走れば余計目立ってしまうため、そうならないぎりぎりの速度で――メインストリートから離れた。
それでも視線を感じ続けていた。
後からついて来ているテトラのものでもなく、同じく姿を消してついて来ているシイタケのものでもない。
ホテルに戻った時には感じなかった。
つまり出てからすぐに見つかった……?
しかし、早すぎる。
ということは、町中に追手が放たれたのだろう。
それも、相当数の。
そうでなくてはこうも早く見つかるまい。
「……何にしろ、厄介なことには変わらんか」
自嘲気味に呟いて、クロガネは真っすぐ町の外を目指す。
視線ははりついたままだが、それならば敵が合流していないわけであるし、仲間を呼ぶには視線を外す必要がある。
どちらにせよ、まだ逃げるチャンスは十分にあった。
もともとホテルにも偽名で泊っている。この場さえ切り抜けてしまえば後はどうとでもなる。
馬を買いたいところだが、そういう場所は特に張られているだろう。
出口も同じだが、とにかく町を出るのが先決だった。
なにしろ教会と言えば国家より強大な組織なのだ。敵に回してただで済むような相手ではない。
もし吹雪いてきたら死ぬかもしれないが、どちらにせよこのまま残っていたら確実に処刑される。
「くそっ……どこでしくじった」
クロガネはそう言ったものの、これといって思いつかなかった。
その間も歩を進め、町の出口――と言ってもメインストリートではなく、単に民家やその他施設などがなくなった町の端――に着いた。
当然ながら道はない。
「行くぞ。私の足跡の上を歩くんだ。もしずれて冬眠中の雪針鼠を踏んでも知らんからな」
クロガネは一度も振り向かずに言ったが、シイタケもテトラもついて来ているのはわかっていた。
近くにあった木の枝を折ると、それを杖代わりに雪に覆われた地面をつつきながら進んだ。この知恵は、買い物の際に地元の人に聞いたことの受け売りだった。
いくら急いでいると言っても、街道に合流するまではこの地味な作業を続けなければならない。この地方の固有種である雪針鼠の針は、靴など易々と貫通する上、毒まであるのだ。死にはしないが、大きく腫れあがってしまう。それではまともに歩けない。
「僕は大丈夫だよ」
「バカを言え……ん?」
そこでやっと振り向いたクロガネが見たのは、わずかに、ほんの一センチほど宙に浮いたテトラの姿だった。
自分の胸倉を掴んで、その手に吊られて浮いているのだ。そしてそのまま宙を歩いている。
まるで物理法則を無視した現象だった。
「……な、なんだそれは」
「魔道書の力だよ。この『黒く塗られし書』のね」
なるほどテトラは、胸倉を右手で掴み、左手には黒い本を持っていた。
ぱらぱらとめくられるそのページもまた、墨で真っ黒に塗りつぶされていた。
どうやら、テトラはそれを指先でなぞり文字を読み取っているようだった。
「禁書になるわけがわかるだろ?」
「ふん……食えない奴だ」
普通なら気味悪がるところなのだろうが、生憎クロガネは普通ではない。
むしろ、シイタケも飛べる以上、自分だけがこんな作業をしなくてはならないというのが癪だった。
そうして遠回りながらも街道に辿り着いたのだが――
「ちっ……」
雪をかぶった街道脇の林の中から、何人もの人影が現れた。
十はいないが、屈強な騎士たちである。
彼らはクロガネ達を取り囲むように陣を敷いた。
彼らの鎧や服は純白であるが、それは雪をかぶっているからではない。
それは印だった。
「……教会直属の寵愛騎士団……っ」
クロガネは吐き捨てるように言った。




