犬と帽子と本の虫4
翌朝。
クロガネ(とシイタケ)はテトラを護衛して入り組んだ小路の一角にある古本屋に行った。
テトラは店主と交渉しているが、クロガネは入口でいつでも出口を確保できるように辺りを見張っている。
シイタケはというと、魔法で姿を消し、本をこっそり読み漁っていた。
「ねーねークロガネ。あの本買ってくれよぅ」
シイタケは小声で囁く。
「断る」
あの、と言われても姿が消えている以上、どの本を指しているのか判断しようがないのだが、そんなことは関係なかった。どの本だろうと買うつもりはない。
「いいじゃん。たくさん前金もらったんだろ~?」
「そうだがお前を喜ばせるというのが気に入らん」
「酷!」
姿は見えずとも、クロガネにはシイタケが嘘泣きしているのがはっきり感じられた。
テトラは店主と粘り強く交渉していたが、まとまらなかったらしく「また明日来ます」と言った。
「お待たせ」
シイタケにせがまれるのが面倒なので店先に出ていたクロガネの元にテトラが戻って来た。
「ダメだったようだな」
「間違いなく持ってるはずなんだけど、持ってないの一点張りでね」
肩をすくめておどけてみせるテトラ。
「あんたの勘違いじゃあないのか?」
「それはないよ。僕は魔道書の位置がわかるからね」
「何?」
けろりと言ったテトラに対し、クロガネの表情は強張る。
「そんなことが可能なのか?」
「禁書というのは魔道書のことでね。『深き悪魔』について書かれた書物なんだよ。集合的無意識に潜む悪魔についての記述だから、本自体が集合的無意識に接続している。僕はそれをたどってるだけなんだよ」
ぺらぺらとテトラは喋り出すが、クロガネからしてみれば言っていることの半分もわからない。
ただ一つはっきりとしているのは、教会の教えにそのようなものはなかった、ということである。
「……あんた、そんな事を軽々しく喋って大丈夫なのか? 私が教会に告発したらどうする?」
「その心配はないと思うな」
テトラの柔和な顔。その眼鏡の奥は鋭い光を放っている。
「……どういう意味だ?」
その返事を聞くよりも早く、
「ちいっ!」
クロガネはテトラを抱えて跳んだ。
直後、先ほどまでテトラの居た位置にナイフが突き立つ。クロガネはその飛来方向を素早く振り向き見たが、そこには誰もいない。路地にその影によって溶け残った雪が積もっているだけである。
「テトラ、私から離れるな!」
クロガネは安物の剣を抜き、片手で構え、もう片方の手をテトラをかばうように伸ばす。
この気配の消しよう、相当な手練れだ。
おそらくはマルマインゲアー。
雪の中か?
「しゃっはーっ!」
しかし声は真上から降って来た。
「くっ!」
クロガネは咄嗟に真上を切り払う。
だが手ごたえはない。
その影は空中で止まっていた。
蜘蛛のようにロープを建物の煙突などに張り巡らせ、それによって体を宙に固定」しているのだ。
影はロープを思い切り引いて跳んだ。そのロープは近くの家の煙突に巻かれており、影は一瞬にしてその煙突の裏に消える。
「楽しんでいるのか? スマートじゃないな」
いや、上から攻撃出来たのにしなかったのは――
「注意を上に逸らさせたい……か」
道端の石を蹴り、近くに溜まった雪に飛ばす。
ぼふっと音がして、
「痛ぇっ!」
男が飛び出した。
テンガロンハットにボロボロのジャケット、そしてジャングルブーツ。
どこの秘境を冒険しているんだと言いたくなるような男だった。
「やるな。いいだろう。教えてやる。俺の名は……」
「マルマインゲアーだろう」
「名乗らせろい!」
マルマインゲアーは懐から取り出したのも見えないくらいの速さでナイフ数本を投擲してきた。
「こんなもの……」
クロガネはそれを切り払おうとしたが、
「甘いぜ嬢ちゃん」
ナイフにはロープがくくりつけられており、それを波打たせることによって軌道が変わった。
剣は空を切り、ナイフはクロガネを越えテトラに向かう。
「くそっ!」
クロガネは前にダイブし、ロープを押しつぶす。それによってロープが引かれ、ナイフはテトラに届く前に落ちる。
「店内に隠れてろ!」
クロガネはテトラが実際にそうしたかも確認しないままロープの上を転がり、体にロープを巻きつける。
「うおっ!?」
ロープが巻きこまれることにより、それを掴んでいたマルマインゲアーが体勢を崩した。
すかさずロープを切り裂いたクロガネが飛びこむ。
「つあっ!」
「危ねっ!」
クロガネの打ちこみをマルマインゲアーは転がってかわした。
二人とも雪まみれになりながら、ナイフと剣で数合切り結ぶ。
実力は、ほぼ互角か。
「やるねえ嬢ちゃん。……その格好、もしかして噂のクロガネかい?」
「……知らんな」
テトラの時で失敗しているクロガネだが、今回はしらばっくれた。
「ふぅん。噂じゃすげえ業物持ってるって聞いたが……それを頂くのもアリだなァ」
マルマインゲアーはそのトレジャーハンターとしての眼力でマントの下にもう一振りの剣があるのを見抜いていた。
「知らんと言っている」
クロガネは剣を手の中で遊ばせるように回し、マルマインゲアーに向かって走る。
「猿魚や十字蛇を倒した腕前、見せてもらおうかい」
マルマインゲアーは両手の中一杯にナイフを広げる。まるで刃の扇だ。
カッ、乾いた音と共にナイフが放たれる。
「なっ……!?」
全てのナイフが放たれたはずなのに、迫ってきているのは一本。
クロガネは反射的に弾こうとした腕に頭突きし無理やり止め、その勢いで前に転がった。
そのすぐ上をナイフの列が駆け抜けていく。
全く同じ軌道で放たれたがゆえに、一本しか見えなかったのだ。
もし弾いていれば二本目以降が一斉に隙だらけのクロガネを貫いていただろう。
だが、それなら一本だけ放ったと思わせていた方が良い。
つまり本命は他に――
クロガネがそれに思い至った時にはマルマインゲアーの姿は消えていた。
魔技。
もはやそう呼ぶしかない完全なるスニーキング。一切の気配も痕跡も消し去っていた。
ザッ、雪を踏みしめたような音。
「そこかっ!」
振り向いたクロガネが見た物は、雪の上に投げられたと思しき石くれ。
「上だよっ!」
そう叫んだのはシイタケだった。
それを咎めるヒマはない。
「かあっ!」
確かめもせず真上を切り払う。
「なにいっ!?」
真上からナイフを構えて飛びかかっていたマルマインゲアーは予測していなかった反撃に、そのナイフで受けるのが精一杯だった。
それでも体勢は完全に崩れている。
「うおああっ!?」
吹き飛ばされ、そのまま壁に叩きつけられる。
「がっ!」
肺を強打し、マルマインゲアーはそのまま地面に落下する。まともに受け身を取ることも出来ず、苦悶の声を上げた。
しばらくは動けないだろう。
「勝負あったな」
「く……」
マルマインゲアーも敗北を悟ったらしく、体から力を抜いた。
「……負けだ負けだ。……あ~あ、全くつまんねえ人生だったぜ」
彼はかっかっかっと乾いた笑い声を洩らす。
それから妙にすっきりしたように、
「殺しな」
「……いや」
クロガネは視線を路地に移す。
黒い獣が走って来ていた。
あの犬だ。
犬は弱っている獲物――マルマインゲアーに一直線に狙いを定め、猛スピードで迫ってくる。
「……へっ、よりによって最期はワン公かよ。似合いの最期かもしれねえな……かかっ」
彼は眼を閉じた。
じきに首なりなんなりを食いちぎられるだろう。痛いのは嫌だが、仕方ない。
そういう人生を生きてきたのだ。
だが――
「キャイン!」
甲高い鳴き声に彼が目を開けると、犬が血を流して転がっていた。
その傍らではクロガネが剣に付いた血を払っていた。
「……な、何を……」
マルマインゲアーは、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
犬が死んでいる。
殺された。
誰が殺した?
クロガネが剣を持っている。
あいつが切ったのか?
何で。
何で。
何で?
「何でお前……」
俺を助けたのだ、
その一言はなぜか口から出ない。
「人が犬に喰われるところなんか気持ち悪くて見れたものじゃあないだろうが」
クロガネは剣を納めながら特に感慨もなく言った。
それを呆然とマルマインゲアーが見つめる。
と、そこに、
「キャーーーーーーッ!?」
悲鳴が響いた。
路地の奥で、中年女性が顔を真っ青にして叫んでいたのだ。
「しまった……!」
「い、犬殺しよおぉっ! みんなーー! 犬殺しよおおおおっ!」
その声を聞きつけ、人が集まってくる。
「何てことだ……」
「あの黒服がやったのか?」
「司教さまにお知らせしないと!」
騒ぎが大きくなってしまった。
テトラもマルマインゲアーも残し、クロガネはその場を逃げ出した。




