迷子の剣士と迷わせ悪魔
「迷った……」
辺り一面茶がかった緑。
人の背をはるかに超える木々が天を鎖し、蔦が蜘蛛の巣のようにその間に枝垂れ下がり、膝を超える高さの草が茂っている。
道など存在しない。
ここはカカブラキ地方に存在する、テオコアトルの森。
密林に等しいこの森は、冬である現在ですら木々草木に覆われ、地元の人も深入りしようとはしない。地元では、この森に迂闊に入りこむものを、「伝説の勇者」と皮肉を込めて言う。
「寒い」
伝説の勇者が呟いた。
寒いのも当然だろう。
ここは見た目こそ密林であっても、この地方自体は世界的にも寒冷な気候に属する。現在の気温も、4℃、5℃程度である。密林につきものの蛇なども寒くて出てこない。
呼気が白くなるこの森を、彼女は軽装で進んでいる。
そう、女性だった。
短い黒髪を、それでも少しだけ縛っており、前髪は右目を隠している。猫のようなくりくりとした瞳に、タートルネックなのかマスクなのか微妙な黒い布で鼻まで覆っていた。
肩や胸など要所だけを保護する鎧の下はスパッツ程度。動きやすさを重視した結果だったのだが……
それを外套で覆い、震えながら、剣を振るって道を切り開いている。
「早くここを抜けないと凍死する……」
この地方に来るのは初めてだった。
寒いとは聞いていたが、まさか一つ山を超えただけでこれほど気温が下がるとは。
「あはは~そんなカッコしてるからだよ」
陽気な笑い声が響く。
それはふわふわと浮かぶ小人からだった。
見た目は少年のようだが、大きさは西瓜ほどしかない。おかっぱ頭で、ワフクと呼ばれる足首までかかるひとつなぎの服を着ていた。下駄を履いた足をぷらぷらさせて呑気にしている。
その小人に、黒髪の女性は近づいてゆく。
そして――
「誰のせいじゃあっ!」
思い切りそのほっぺたを引っ張った。
「ほぎゃーーーっ!」
小人は悲鳴を上げる。
「やめてクロガネ~」
「断る!」
女性――クロガネはかまわず餅のようにほっぺたを引っ張る。
「はう~」
小人は手足をばたつかせてもがく。
クロガネはある程度ほっぺたをこねくりまわしてから小人を解放した。
「もう、なんてことするんだよう。クロガネの鬼」
小人は口をすぼませて言う。
それを聞いたクロガネは、
「鬼だと? なぁ、私の記憶が確かなら、シイタケとかいう名前の妖怪もどきが案内出来ると豪語していたような気がするんだが?」
氷のような視線で射抜く。
一方、小人――シイタケはそんな視線もどこ吹く風といった様子だ。
「だって、一〇〇年前と全然違うんだもん」
「植物が成長するって知らないのかなぁ? あぁん?」
クロガネはやっぱりシイタケのほっぺたをつねる。
「あっ、そーだ。そういやおれ飛べるからさ、上から見てこよーか?」
「はやく言ってくれないかなぁ」
軽い口調にちっとも笑っていない目で、クロガネは片手でシイタケの両ほっぺをぎゅっと握った。
「うぐぐ~」
シイタケはふわふわと浮いてゆく。
全身に影を落とす木々の葉をかき分け、空へ。
「あっ!」
シイタケは何かを見て、声を上げた。
そして、ゆっくり下りていく。
「どうだった?」
「うん。こっちこっち」
シイタケは手まねきをして、密林の奥に飛んでゆく。
「こ、こら待て」
置いて行かれないようにクロガネは慌てて追いかける。
「思いだしたんだ」
生い茂る邪魔な草木を切り払いながら息せき追いかけるクロガネとは対照的に、シイタケは陽気にふわりふわり蝶のように飛んでいく。
そのシイタケがぴたりと止まり、振りかえる。
「ほら」
シイタケが指し示す木立を抜けると――
「おおっ!?」
クロガネは思わず声を上げた。
赤。
黄。
赤。
黄。
紅。
山吹。
紅。
山吹。
あか。
き。
あか。
き。
一面の紅葉。
一面の銀杏。
視界を埋め尽くす、赤と黄の祭典。
ただ木々が並んでいるのではない。
中央に池があり、その周りを紅葉と銀杏が取り囲んでいた。
水面に紅葉と銀杏が映り、太陽と青空が映り、きらきらと輝いている。
ここだけ開けているゆえか、風が吹きこむ。
五芒星とハートの形の葉が渦を巻いて宙に舞う。
吹雪の如く葉が舞い散り、天に昇って行く。
嫌悪からではない鳥肌が、一斉にそばだつ。
「おお……」
打ち震える。
「へへ~ん。どう? いい所っしょ」
シイタケが得意満面で胸を反らせる。
「ああ……で、それはそれとして出口は?」
「あ」
彼女たちが森を出れたのは、数時間も経ってからだった。




