狩人を狩る狩人1
「さて、じゃあ聞かせてもらおうか。君と魔剣シェイクハンドについて」
休憩のため馬を止めたテトラは御者台から幌をかき分け、車内で休むクロガネに言った。
「……いいだろう。だが、その前にそっちがどの程度シェイクハンドについて知っているか教えてもらいたいものだな。その方が手間も省ける」
「なるほど。まったくそうだね」
テトラはいつものようにコートから本を取り出す。
それは、今まで彼が出したどんな書よりも禍々しいオーラを放っていた。黒い鮫皮のようなざらついた材質のカバーに、得体の知れない骨が意匠され、また埋め込まれた宝石は不気味に輝いて何かの眼のようでもある。
「な、なにこれ」
シイタケがその書にそーっと覗き込もうとした時、
「見ちゃダメだっ!」
「うわっ!?」
テトラが大声を出したのでシイタケは驚いて車内の壁で頭をぶつけた。
「……これはね、見た者の精神を向こう側に引き込む禁書中の禁書なんだよ。その名を死者の百科――『ネクロペディア』という」
「ネクロ……ペディア……」
クロガネがごくりと唾を飲む。
言霊とでもいうのであろうか、その名が発せられただけで場に冷たい空気が流れ込んだように思われた。
「この書には、悪魔についての記述が極めて詳細に載っている」
「悪魔って、おれみたいな?」
頭をさすりながらシイタケが言う。
テトラは笑って、
「それは五〇〇年前に極光教が定めた悪魔の基準だよ。この本はそれより遥かに古い。……これに書かれている悪魔とはすなわち、深悪魔のことさ」
「しん……あくま?」
聞きなれない言葉にシイタケが首をかしげる。
「人間の精神は深いところで全て繋がっているという説があるんだけど、深悪魔はその精神が集まる場所に棲んでいる超常の存在さ。その力は竜王種をも超えるという……」
竜王種と言えば教会指定の最上級悪魔であり、永劫に近い寿命を持つとされ、古い個体は一国の軍事力にも匹敵するという。ただし、深山幽谷に棲まうため、滅多にその姿を見ることはできない。
「……なんとなくわかったが、それが魔剣とどう関係があるんだ?」
「その剣に封じられているのが深悪魔なんだよ」
「なっ……!?」
さしものクロガネも言葉を失った。
「その魔剣は、一度抜くと絶大な力を与える代わりに、その肉体を蝕むだけでなく、剣に封じられた魔物を呼び出す事は知っているよね」
「ああ」
「この『ネクロペディア』と、精神世界について記された『アストラバルカン』の記述を突き合わせて考えると、魔剣シェイクハンドに本来(、、)封じられているのは、〝肉体の悪魔〟ラディゲだ」
クロガネは視線を魔剣に移す。
確かに凄まじい剣だが――
「だとして、どうなる? これまで猿魚や十字蛇、六角獣なんかも封じられていたんだ。深悪魔とやらが封じられていたとして不思議じゃあないだろう」
「それは違う。深悪魔は精神世界に棲む。精神を食らって生きているわけだね。そして魔法はイメージの具現化で、要は精神的なものを物理的なものに変換するわけだ。深悪魔はイメージそのものを食べてしまうから、魔法を使えるものは深悪魔によって引きずり込まれただけなんだよ。つまり、本来封じられているのは深悪魔であって、他の生物は副次的に封じられてしまっただけなんだ」
「……」
「……」
クロガネとシイタケは黙りこくる。
二人とも顔色はあまりよろしくない。
それは内容が衝撃的だったというより――
「……すまん。半分もわからん」
「え?」
「もっとかみ砕いて頼む……いや、私がというんじゃなくてシイタケがわからないだろうからな……」
「あー! クロガネずるいーー!」
「そうだなぁ……とにかくその剣には深悪魔が封じられてて、その深悪魔のせいで魔法が使える他の生物も封じられるってことだね」
「ふむ……なるほどな」
シイタケのほっぺたをこねくりまわしながらクロガネはひとりごちた。
「それともう一つ」
急に真剣な口調になってテトラが言った。
「魔剣シェイクハンドに封じられているラディゲは、〝肉体の悪魔〟の異名が示すとおり、魔剣の使用者の肉体を変質させていく。しかも抜いていない間も、魔剣を通じてラディゲの力が流れ込み続けるんだ。その量は、抜く度に倍増する。だからその分深悪魔の拘束力が弱まって他の生物が解放されるし、解放される生物も強力になっていく」
「……」
クロガネは目をつむり、一言一言を噛みしめるように聞いていた。
「今まで何回抜いた?」
「……五回か六回だな」
「……そうか。……『ネクロペディア』の記述によれば、およそ七回でもう二度と人間には戻れなくなるそうだよ」
「何……!?」
場が凍りつく。
シイタケでさえ声が出ない。
クロガネは右手を動かしてみた。やはり以前と感触が違う。鉄板ですら引き裂いてしまえそうな――
「抜くたびに肉体が変質して基礎能力自体強化されてるはずだ。だからもうこれ以上抜かなくてもまず敵はいないだろう。できれば手放すべきだ」
「……出来たらやってるさ。それには書いてないのか? この剣と私は一メートルも離れられやしない。……私の旅の目的はな、コイツと縁を切ることさ」
どこか自嘲気味に――目線を魔剣に移し――クロガネが呟いた。
「わかっているならいいんだけど、念のためもう一つ伝えておくよ……ラディゲはね、自らの意志で剣に封じられているんだ」
「何……?」
「ラディゲがわざわざ相手の肉体を変質させるのは、それが大好物だからなんだ。魔物を封じる剣として人々の前に現れ、抜かせて変質させ、思うように仕上がったら食べてしまう。それまでは封じさせた魔物から少しずつエネルギーを奪って待つ……とんでもなく狡猾な奴さ」
「……つまり、次抜けば、人間でなくなる上にその化け物も出てくるというわけか」
「その通り。これまで封じられていたやつなんかとは比べ物にならない怪物さ」
いつになく真剣なテトラ。
クロガネは小さく息を吐く。
「何にせよ……むしろ私よりテトラの方が遥かにこの剣については詳しいということじゃないか。わざわざ話すようなことはないじゃないか」
「そうかな? そもそもその魔剣は数百年間行方がわからなかったんだ。何で君が持っているんだい?」
「……大した理由じゃない。村に安置されてた。それを抜いてしまった。そして封じられてたこいつに纏わりつかれる羽目になった……それだけだ」
「ふうん……」
どこか納得していないような表情で、テトラは書を閉じ、コートに戻した。
「そういえば、そんなに危険な書なのにお前は見て大丈夫なのか?」
「……そうだね。大事なものを失ったよ」
それ以上言葉は続かなかった。
しばらく沈黙が場を支配する。
「……さて、そろそろ行こうか」
沈黙を破って、テトラが御者台に戻ろうとした。
その背に、
「どこに向かうんだ?」
「南だね。教会の勢力が弱い方にしばらく進もう」




