犬と下種8
槍を手に、再び司教の元へ走る。
あの炎が集束し、また放たれるまでには時間がかかるという判断だ。
「甘いですよ」
司教はにやりと笑い、炎に向けていた手を思い切り握った。
瞬間、膨らみ始めていた炎が弾け、溶岩弾のように飛び散る。
「な……!?」
その数は片手で数えられる量を遙かに超え、とても全てかわし切れるものではない。弾こうにも槍では困難――
の、はずだった。
クロガネは背後に思い切り跳んだ。
それは人間の限界を超えた跳躍。たったの一跳びで二〇メートル以上跳び、火炎弾をかわし、それが地面に落ちると同時に再び跳躍する。
「……っ!」
そのまま鋭い突きを放つクロガネ。
「きいっ!」
司教は真剣白羽取りの要領で穂先を挟み込んで止めた。
「この……化け物めっ!」
「どっちがだ。聖職者にあるまじき顔になっているぞ」
憎々しげに吐き捨てる司教に、クロガネはまさに憎まれ口を叩いたが、その実肉体は悲鳴を上げていた。
膝から力が抜けそうになり、また全身の筋肉繊維が痛みを持って休息を要求していた。
何より、シェイクハンドを握っていた右手が、激痛のみならず内部からめきめきと音を立てていた。まるで、中から獣に食い荒されているような錯覚。
「どうしたの? つらそうじゃない? あきらめたらどう?」
「だったらさっさと終わらせるまでだ」
実際のところ、両者ともお互いダメージを与えられていない。
互いに攻め手を欠いていた。
それでも、ダメージの蓄積があるクロガネの方が不利だった。
今の言葉は憎まれ口というより、自分に言い聞かせるようでもあった。
「ぐうううっ!」
無理やり槍を突きいれようとするが、通らない。
みしみしと槍本体が音を立て始める。
「がああああっ!」
腕に全力を込め、槍をねじ込む。
「甘いわ」
ピィと司教が口笛を吹いた。
それに合わせて髪にくくられている犬たちがクロガネに襲い掛かった。
「くっ」
それは犬と呼ぶにはあまりに獰猛で、まるで狼の群れに襲われているようだった。
腕や足に噛みついてくる犬。
しかし槍を緩めれば炎を放たれる可能性が高い。
この至近距離ではおそらくかわせない。
激痛を――どうせもうあちこち痛いんだ――と、無理やり無視し、クロガネは槍を突き入れた。
「……!」
犬に襲われたことでその手が緩むだろうと思っていた司教は、その油断から逆に自分の手を緩めてしまっていた。
そこに放たれた突きは、その両手を弾き飛ばし、毛皮を貫き鎖骨に突き刺さった。
「ぎゃああああっ!」
司教は絶叫した。
痛みのあまり狂ったように喚き散らす。
致命傷ではない。
だが、彼女が手傷を負うのは初めてだった。
「こ、この……無礼者がああっ!」
司教は槍を掴み引きはがそうとするが、両者の力が拮抗しており、一進一退を繰り返す。
「今頃気づいたの……かっ!」
クロガネは犬に噛まれ続けながらも、それを筋肉の締め付けで止め、槍をねじ込む。
「ぎ、ぎ……痛い痛い痛い痛い! 止めなさい私は司教よ。地獄に落ちるわよおっ!」
「もう地獄には落ちてるさ」
「ぐぎいいいいいいいっ!」
司教は一際大きな叫び声を上げると、槍を自らに突き入れ、空いた両手でクロガネの目の前で炎を発生させた。
「ぐああっ!」
膨張に時間がかかる技であったがこの距離ならば関係ない。
さしものクロガネもその高熱に身を焼かれ、思わず槍を手放し後退した。
犬は火を怯えて離れたものの、マントに炎が燃え移り、慌てて雪の上を転がる。
その間に槍を引き抜いた司教が幽鬼の如き形相で歩み寄って来ていた。
手には血にまみれた槍。
それを雪で火を消しているクロガネの頭に向けた。
「落ちなさい!」
司教がそれを放とうとしたその時――
ぐるる……犬たちが怯えるような声を出した。
そして、司教の後ろに回り込もうとする。
「な、何よ貴方達……どうしたのよ」
髪を引かれる形となった司教は顔を下に向けた。
だから、気づかなかった。
一方クロガネは槍ではなく、犬たちが見ている方向を見ていた。
それは、陽炎だった。
クロガネが魔剣を抜いてから生まれた景色の歪み。
しかし、明らかに肥大していた。
そして――
『コアアアアアアアアアアアアアアア!』
耳をつんざく咆哮が響き、巨大な獣がそこから飛び出してきた。




