犬と下種7
何が何だかわからないが、クロガネはその原因を調べようと近づいていく。
その時、
「ぐっ……」
今度はクロガネが呻き、膝をついた。
「くうっ……」
剣を掴んでいる右手から、まるで電流のように痛みが走る。
激痛に耐え、クロガネは剣を鞘に戻す。
かちんと音がして刀身全体が納まると、悪魔の手が開き、クロガネを放した。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
眩暈を覚えながら、クロガネは深い呼吸を繰り返した。
額には大量の汗が滲んでいる。
「……そうか……スパイキーも……似たような……」
だから、あの筋力。
だから、突然死。
だとすれば――
「私も……長くない……かもしれないな……」
そう呟いてから体を起こした。
「……いや……そうも言っていられんか……」
それから近くに倒れていた騎士から槍を奪う。
「先にテトラを追うべきか……それとも……」
槍の感触を確かめるように手の中で転がす。
「シイタケ。もういいぞ。出て来い」
クロガネは空に向かって言った。
だが、返事はない。
「おい、シイタケ?」
やはり返事はない。
よく考えてみれば、シイタケが姿を消していられる時間はそう長くない。
「戦闘に巻き込まれたわけじゃあないだろうが……」
辺りを見渡しても、落ちている様子もない。
「……あいつにテトラを探させようと思ったが……いなくていい時はいる癖に」
クロガネはぶつぶつと呟きながら、テトラを投げ飛ばした方向を見た。
「……騎士団は倒した。なら、やはりこっち(、、、)を先に片づけるべきか……」
クロガネは振り向き、何もない空間を見て呟いた。
いや、そこは僅かに陽炎がゆらめいていた。
この極寒のララシフルに、陽炎が現れるなどあり得ない。
いかなる尋常ならざる力が働いているのであろうか。
何かを待つように、クロガネはただその一点を見つめて穂先を向ける。
だが、全く別の方向から音がした。
視線だけそちらに向けると、街道を町から馬車が向かって来ていた。
「くそ……こんな時に……いや、あれは――」
行商人が使うには、あまりにも煌びやかな金銀で装飾された馬車。
馬車の御者は、白い鎧を纏っている。また馬車の周りを守るように走っている数頭の馬にも同じように白い鎧の騎士が乗っていた。
そして何より、幌に染め抜かれた七色の極光。
「教会……っ」
馬車はクロガネの側で止まり、中から何頭もの犬がまろび出てきた。
その首輪には黒い束が繋がっており、その先、つまり馬車の奥から、一人の女性が現れた。
しゃらり、シルクの服とビロードミンクの毛皮のコートが衣擦れの音を立てる。
その女性はいわくつきの名画を思わせる妖艶な美をたたえていた。
いや、そんなことは瑣末なことだ。
クロガネの目を引いたのは、その女性の頭から蜘蛛の巣のように伸びる髪である。
そしてそれは犬の首輪に繋がっていた。
「何だ……貴様は」
「無礼者! 私を誰と心得ますか! シアン司教ですよ! 頭を下げなさい!」
鋭い一喝。
それでもクロガネは微動だにしない。
「なんたる傲岸不遜……!」
「失せろ。今はそれどころじゃない」
「な……ななな……」
シアン司教は顔を真赤にして、しかし怒りのあまり声が出ない。
それから絞り出すように、
「こいつを始末しなさい!」
「無駄だ。見ればわかるだろう。そこらにのびてるのはご自慢の寵愛騎士団じゃないのか?」
「な……」
やっと気づいたようだ。
これで逃げかえればいいが、そうクロガネは思ったのだが、
「なんて役立たずなの!」
司教は倒れているスパイキーの遺体にずかずかと近づいて行くと、感情のままに蹴り飛ばした。
「折角強化してやったのに! この愚図!」
何度も。何度も。
それから頭を踏みつける。
「貴様……!」
クロガネは槍を手に歩いて行く。
スパイキーは敵だった。
だが、そんなことは関係ない。
「何その眼は。私は司教よ。私に手を出すという事がどういうことかわかっているの? 全世界的な規模を持つ教会の、司教区を任された存在よ。そして……」
「黙れ!」
クロガネは槍の石突きを思い切り放った。
空気を切り裂く鋭い突き。
それはマルマインゲアーと戦った時よりはるかにキレのある一撃だった。
だが――
「人の話は最後まで聞きなさい」
「……!?」
司教は槍を掴んでいた。
クロガネとて殺すつもりはなかった。
だからといって手を抜いたわけでもない。そんな余裕があるほど冷静ではなかった。
「寵愛騎士団は神の寵愛を受けている。……だったら司教位である私は?」
「く……!」
クロガネは槍を引こうとした。
しかし、びくともしない。
「もちろん、もっと神に愛されているに決まっているでしょう?」
引いても無駄だと判断したクロガネは槍を半ばからへし折った。
だが、退くわけではない。
「その足を、どけろ」
クロガネは残った槍を投擲する。
「まだわからないの!」
その槍も、司教の腕の一振りで弾かれる。
だがそれは囮だ。
クロガネは倒れている別の騎士の手から槍を奪う。
一方、司教はそれを意にも介さず、
「あなたは犬を殺したのよ。地獄の劫火に焼かれなさい!」
叫び、両手を広げた。
同時に虚空に黒が漏れ出した。
それはゆらゆらと揺れ、まるで影が燃えているようだった。
「……これは……魔法!?」
「ふざけないで。魔法なんて汚らわしいものとは違うわ。……そう、これは奇跡。邪悪なものを滅ぼす聖なる力!」
魔法。
悪魔固有の術。
人には扱えないはずの力。再現不可能なはずの力。
そして、自然にあらざるものとして、教会が狩りたてているもの。
「……読めたぞ。カラクリが」
「神の領域を知ろうなどと不遜の極み。誤った理解など罪以外の何物でもないのよ」
炎が三つに分かれ、ぐるぐると三つ巴に回り始めた。
それは一回りごとに膨張し、みるみる内に家ほどの大きさになった。
その熱で周囲の雪が解け始める。
もしあれをまともにくらったならば、骨すら残らないだろう。
「潔く受けなさい。浄化の鉄槌を!」
「なにが浄化……っ!」
司教が炎を放とうとしたため、クロガネはその場を離れた。
いや、離れようとした。
だが、馬車の周囲を守っていた騎士たちが飛び出すと、クロガネの体に纏わりついた。
「やめろ! 放せ! お前たちも巻き込まれる……」
と、そこで気づいた。
騎士たちの顔に浮かぶのは、歓喜の表情。
「ムダよ。彼らはもう寿命が間近。天国に行けるチャンスを逃しはしないわ」
司教はゆうゆうと狙いを定め、炎を放った。
「冗談じゃないっ!」
クロガネは全身の力を込め、群がる騎士たちを振りほどいた。
それは女性にはあり得ない、いや常人にはあり得ない剛力だった。
そして遮二無二跳躍する。
その中で見た。
炎に焼かれながら恍惚となる騎士たちを。
「……馬鹿野郎」
呟き、片手で地面を叩き跳ねて距離を取る。
視界の奥では、再び司教が炎を巻き起こしていた。
「く……」
クロガネは腰に差した魔剣に手を伸ばす。
しかし――
「……ダメだ。今抜けば『もう一体出てきてしまう』……」




