犬と下種6
「何よ……この感じ……」
スパイキーの表情が陰る。
クロガネはただ剣を抜いただけだ。
だというのに、空気が重くなった。
喉が渇く。
指先が震える。
背中を冷たいものが伝う。
「あんた……何なのよ!」
「さぁな」
ごう、そう音がしたと誰もが感じた。
だが実際には、音などしていなかった。
それは、月並みな言葉で言えば、殺気だった。
あまりにも純粋で、暴力的な殺気。
戦闘中、一度としてクロガネが放っていなかったものだった。
「あああああっ!」
クロガネは飛び出した。
そのまま矢の如きスピードで手近な騎士に飛びかかる。
「!」
騎士は反射的に槍を放った。
これも超高速の突きだった。
だが、クロガネはその穂先に合わせて突きを放ち返す。
「バ……」
バカな、騎士はそう言おうとしたのだろう。
だがその言葉が出るより早く、穂先に潰されるように槍の本体が砕けていく。どんどん短くなる。
「カ」と騎士が言う頃には、騎士は吹っ飛ばされていた。
なぜ自分が吹っ飛んでいるのか理解も出来なかっただろう。
その騎士がどこかに叩きつけられるよりも早く、もう次の騎士が吹っ飛んでいた。
早い。
とにかく早い。
影さえ追いつけないのではないかというほどの、超超高速。
あまりの速度に積もった雪が舞い上がり、まるで吹雪のように辺りを包んだ。
その銀幕を切り裂いて、怪鳥の如くクロガネが駆ける。
瞬きする間に、五人の騎士たちが倒された。
そこにいたと思い振り向くと、既に背後にいるのだ。
それに気づいた時には地面を舐めている。
早さが違うというより、最早時間軸が違うと言っていい。
それほど、差があった。
「嘘でしょ……あたしたちは寵愛騎士団よ!?」
スパイキーがそう叫んだ時には、立っている騎士団員はいなかった。
死んでいるわけではないが、全員気絶あるいは意識はあっても動けない状態にされていた。骨の一本や二本は軽く折れていて、とても戦える状態ではない。
その間およそ三秒。
「嘘よおおおおおっ!」
スパイキーは滅多矢鱈にムチを振り回した。
音速を超えたムチの先が、破裂音を何度も起こす。
だが、それはクロガネからしてみれば止まっているに等しい。
木の枝でも折るように空いた左手でムチの先を掴むと、力任せにスパイキーを引きずり倒した。
そこに至って、ようやくクロガネの動きが止まった。
クロガネはゆっくりスパイキーの方を振り向く。
「お前たちが神の寵愛を受けているなら……私は悪魔に呪われている」
「何を言って……」
「失せろ」
「ひっ……」
クロガネの射抜くような視線に――実際、スパイキーは千本の矢に射抜かれた感覚を受けた――スパイキーはよろめいた。
抜けかかった腰で、半ば反射的に這いずって逃げようとし、
「かはっ……!」
突然体を震わすと、その動きを止めた。
吐血していた。
「な……」
流石にクロガネも驚いた。
いかに地面に叩きつけたとはいえ、内臓に損傷が出るほどまでに強くは打ちつけてはいない。
スパイキーはゆらりと起きあがった。
その瞳は真っ赤に充血し、口元は血でべったり濡れている。
「嫌よ……まだ早いわ……後一人裁くだけで天国に行けるのに」
顔面を蒼白にさせ、スパイキーはよろよろとクロガネに迫る。
「近寄るな。寄ると斬るぞ」
剣先を突きつけるが、スパイキーの足は止まらない。
「お願い死んで! あなたで百人なのよおおおお!」
正気を失った目でスパイキーが飛びかかる。
だがそんなものは、技でもなんでもない。
クロガネはその腹に肘打ちを叩き込み、吹っ飛ばした。
「きゃうん!?」
スパイキーは地面を跳ね、そのまま倒れ伏した。
「……あと、あと一人なのに……早すぎるわよ……神サ……マ……」
スパイキーは虚空に手を伸ばす。
もうクロガネなど見えてもいない。
その手はふるふると震え、そして落ちた。
「お、おい……」
もう死んでいた。




