下
明くる日、三人はたくさんのお菓子やお料理を作りました。
ディアナの先生が残したレシピをもとに、クッキーやパウンドケーキ、チリビーンズを作り、かごにたくさん詰めて、森の向こうの街に出発しました。
地図はありましたが、ヘンゼルは、街がどのくらい遠くにあるのかがよく解らず、少し不安でした。けれど、ディアナと一緒に森に出ると、小鳥やリス、うさぎたちが、次々出てきて、地図の中でも一番近道になる道を、案内してくれました。動物たちの言葉はわかりませんでしたが、三人の前を歩いて連れて行ってくれました。
おかげで、三人はお昼すぎには街に着くことが出来ました。
街は、病気のせいで活気がなく、見慣れない三人のことを、誰もかれもが怖い目をして見ていました。
「おにいちゃん……こわいよう」
「きんちょう……しますね」
ディアナとグレーテルが両端からヘンゼルにしがみついてきました。
「大丈夫。二人のことは、必ずぼくがまもるから」
そうは言ったものの、ヘンゼルも、不安でいっぱいでした。
でも、この気持ちに負けたら、自分たちも病気にかかってしまう。ヘンゼルはそれを知っていました。
「さあ、この広場で始めよう。怖かったら、二人は後ろにいてもいいからね」
そう言うと、ヘンゼルは、自分の中から勇気を呼び起こすように、大きく息を吸って、今まで出したこともないような大声を出しました。
「お、お菓子はいかがですかぁ! おいしいお菓子ですよ!」
道を行く人たちは、ちらりとこちらを見ましたが、みんな遠くから見るだけで、近くには来てくれません。
「おいしいお菓子です! お代もいりませんよ!」
ヘンゼルが一生懸命に叫ぶのをみて、グレーテルとディアナも、声を上げました。
「い、いらっしゃいませ~!」
「おいしいお菓子ですよ~」
ふと、遠くから見ている大人の声が聞こえてきました。
「そんな、無料のたべものなんて……」
「きっと、裏があるにちがいないよ」
「毒が入っているのかもしれない」
ヘンゼルは、大人たちの言葉に、悲しくなりました。
「お代はいりません、本当です。毒も、入っていません」
勇気を出して言ってみても、誰も何も言ってくれないし、もちろん、こちらに来てもくれません。
困っている三人のもとに、ひとりの男の子が歩いてきました。
グレーテルと同じくらいの年に見えたその男の子は、緊張した様子でヘンゼルに声をかけてきました。
「あ、あの、本当に、お金、いらないの?」
「いらないよ。本当に。ひとつ、食べてくれるかい?」
ヘンゼルは、しゃがみこんで男の子に、クッキーのカゴを差し出しました。
男の子は、恐る恐る、クッキーを手に取ると、一つ口に入れました。
すると、男の子は目を大きく見開きました。
「お、おいしい」
「本当ですか? もうひとつ、どうぞ!」
ディアナがケーキのカゴを出すと、男の子はケーキを手に取ろうとしましたが、はっと手を止めました。
「う、ううん。あの、ぼくの兄弟がいるんだ。ぼくの分はいいんだけど、その、弟や妹たちの分を……」
グレーテルは、ポケットからハンカチを取り出して、クッキーやパウンドケーキを包めるだけ包むと、男の子に渡しました。
「どうぞ、みんなでたべて!」
グレーテルが笑顔で言うと、男の子は目に涙をためて頭を下げました。
「あ、ありがとう!」
男の子は大切そうに包みを抱きしめて、走っていきました。
「グレーテル。あのハンカチ、お母さんが作ってくれた、宝物だったろう? よかったの?」
ヘンゼルが慌ててそう言うと、グレーテルはにっこり笑って頷きました。
「いいの。あのこ、はじめてのおきゃくさんだし。おいしいっていってくれたし。それに、おとうとや、いもうとのためだっていってたし」
「グレーテルは、優しいんですね」
ディアナがにっこり笑って言うと、グレーテルは嬉しそうに微笑み返しました。
「あ、あの、わたしにもひとつ頂けますか?」
ふと、いつの間にか女の人が近付いてきていました。
「わたしにも」
「俺にも!」
一人がお菓子を食べると、次々と人々がやってきました。
「どうそ、あ、おさないで」
「並んでください、まだ、ありますから」
三人が一生懸命配っていると、あっという間にカゴは空になりました。
周りを見ると、みんなおいしそうにお菓子を食べていました。にこにこ笑っている人たちもいます。
「疲れたけど……なんか、よかったね」
ヘンゼルが言うと、ディアナとグレーテルも、笑っていました。
三人が森の中のお菓子の家に帰ると、すっかり夜になっていました。
「あ! 見てください!」
地下室に入るなり、ディアナが大声で言いました。
「種が……芽が出ています!」
ビンの中の種から、小さな二つの葉が付いた芽が出ていました。
「すごいね!」
「本当に、みんなのしあわせな気持ちで育つんだ……!」
三人は疲れも忘れて喜びました。
それから三人は、お菓子やお料理を作ったり、材料を育てたり、材料を準備するためのディアナの魔法の練習を手伝ったりと、毎日一生懸命働き、十日に一度は街に出かけて食べ物を配りました。
ビンの中の種も、すっかり育ち、立派な双葉がビンの口に届くほど育ちました。
「双葉まで育ったら、お菓子の家の庭の土に、特別な肥料を混ぜて、植えるようにって書いてあったよ」
ヘンゼルはそう言って、メモにあった特別な肥料の作り方を、読み上げました。
ディアナは、ヘンゼルとグレーテルに手伝ってもらって肥料を作る魔法に成功しました。
三人で一緒にお菓子の庭に植えると、双葉はキラキラと輝き、さらに大きく開きました。
三人は嬉しくなって、もっと頑張ろうと決意しました。
それから三か月ほどが過ぎました。
世界樹はヘンゼルの背の高さほどの、小さな木に成長していました。
三人のお菓子もすっかり評判になって、隣の街や近くの村からもお客さんが来るようになりました。
頑張ってたくさんお菓子を作っても、追いつかないほどになってきていました。
ある日、三人がお菓子を配りに街に行くと、順番をめぐって大人たちがケンカをしていました。
「俺が、ずっと並んでいたんだ! 俺が一番だ!」
「誰がアンタが先頭だって決めたんだ! 俺こそ、ずっとここで待っていたんだぞ!」
「そんな……!」
ヘンゼルはショックを受けました。
しあわせな気持ちでいっぱいにするためのお菓子で、争いが起こってしまうなんて。
「やめて! やめてください! たくさん持ってきましたから!」
ヘンゼルが何とかしなくては思っているうちに、ディアナが叫びながら駆けだしていきました。
「あ、ディアナ!」
ヘンゼルが慌てて追いかけましたが、ケンカをしている大人たちは、ディアナを見るなり、ディアナに怖い顔で叫びました。
「何がたくさんだ! この前はうちの分までなかったじゃないか!」
「そうだ! ずっと並んでも食べられなかったぞ!」
「争ってほしくなかったら、もっと準備しろ!」
「ひ、ひどい!」
グレーテルが目に涙を浮かべて言いました。
ヘンゼルは慌ててディアナの前に立ちました。
「やめてください! ぼくたちはいっしょうけんめい……」
「一生懸命なんてな、そんなものじゃ腹はふくれないんだよ!」
大人たちはそれでも止まりません。ヘンゼルにもひどい言葉を投げかるありさまです。
グレーテルはついに泣き出してしまいました。
「待って! おじさんたち、やめてよ!」
そこに、男の子が走ってきて、三人を護るように両腕を広げてたちはだかりました。
「きみは……」
その子は、初めてのお客さんになってくれた、あの男の子でした。
「どうしてひどいことするの? ぼくの家族は、この子たちのおかげで元気になったんだ! ぼくは、この子たちに本当にありがとうって思ってる! おじさんたちもそうじゃないの?」
「どけ、小僧……」
「どかないよ!」
「や、やめてください」
ヘンゼルが、どうしたものかとうろたえていると、聞き覚えのある声が聞こえました。
「あなたたち、子供を相手に恥ずかしくないんですか」
そう言いながら、男の子に向かって振り上げられた腕をつかんでいたのは、ヘンゼルとグレーテルのお父さんでした。
びっくりしすぎて、ヘンゼルは声が出ませんでした。
大泣きして、ディアナに抱き締められているグレーテルは、まだ気づいていないようでした。
「何だおまえ……」
「そ、そうだよ! おやめよ!」
「悪いのはアンタたちだよ!」
ケンカをしていた大人たちが、まだ何か言い返そうとした時、街の人たちが揃って声を上げました。
「は、はい!」
ディアナが震える声で、クッキーが入った包みを二つ持って、争っていた大人たちに渡しました。
「わ、わたしの先生が言っていました。人間は、弱いけれど、必ず試練に打ち勝てるのだって。そして、辛い試練を乗り越えれば、そのたびに強くなれるのだって」
大人たちの顔から、みるみる、怒りが消えていきます。
「このお菓子は、みなさんが、試練を乗り越えるための、手助けをするものなんです。どうか、このお菓子で元気になって、そして、必ず、あなたの足で前に進んでください。そうすれば、きっと……」
争っていた二人は、そっとディアナの手から包みを受け取ると、涙を流しました。
「悪かった。俺たちが悪かった。情けないよ」
「ありがとう、このお菓子を食べたら、俺たちも頑張れるよ。怒鳴ったりして悪かった。許してくれ」
ヘンゼルは、大人たちに微笑み返すディアナを見て、胸がどきどきしました。
ディアナはまるで、女神様のように、きれいでした。
お菓子を配り終わると、ヘンゼルとグレーテルのお父さんが、そっと声をかけてきました。手には、クッキーの包みとケーキを一つ持っています。
「ふたりとも、驚いたよ。こんなにがんばっていたなんて」
お父さんはぼろぼろと涙をこぼしていました。
「おとうさん! あいたかった!」
グレーテルも泣きながらお父さんに抱き着きました。
「すまない、二人とも。本当にすまない。許しておくれ」
ヘンゼルはそっとお父さんに近付いて、しゃがみこんでグレーテルを抱きしめているお父さんの、肩に手を触れました。
懐かしい、暖かい感じがして、涙が出そうになりました。
「いいんだ、お父さん。怒ってなんていないよ。それより、どうしてここに来たの?」
「この街に十日に一度、お菓子を配りに来る子供がいると噂で聞いてね。そのお菓子を食べれば、病気が治るという話だったから……。母さんは、すっかり悪くなってしまって、もうベッドから起きられないほどになってしまったんだ。それで、もしその噂が本当なら、お母さんに食べさせてあげたいと思って……。しかし、その子供たちが、お前たちだったなんて」
「おかあさん、ぐあい、わるいの?」
グレーテルが不安そうな声を出しました。
「お父さん、このお菓子、お母さんに食べさせてあげて。きっとよくなるから」
ヘンゼルが真剣に言うと、お父さんはまた涙を流しながら、ヘンゼルの手を握りました。
「ありがとう、ありがとう。こんなダメな親を、許してくれるのか」
お父さんはひとしきり泣いてから、二人に、今度は元気になったお母さんと一緒に来ると約束して、帰っていきました。
ディアナは、恐る恐るヘンゼルに言いました。
「あ、あの、二人は、お父さんと一緒に帰らなくて、よかったのですか?」
ヘンゼルは、にっこり笑って頷きました。
「いいんだ。帰ったって、お母さんの病気が治らなければ一緒に暮らせないし、それに」
「それに?」
「ぼくたちには、やるべきことがあるからね。世界樹を大きくするんだ、一緒にがんばるって決めたんだ」
ディアナは、目をうるうるさせてヘンゼルを見つめました。
「あ、ありがとう、ヘンゼル」
「あ、今! 名前、初めて呼んでくれたね!」
「えっ」
ディアナはヘンゼルにそう言われて、顔が耳まで真っ赤になってしまいました。そう言えば、今まで、グレーテルのことは名前で呼んでいましたが、ヘンゼルの名前は呼ばず「あの~」と声をかけるだけでした。
「うれしいな、ありがとう」
ヘンゼルの笑顔は、夕日に照らされてきらきらしていました。
三人が帰ると、真っ暗な森の中で月の光に照らされて、きらきらと世界樹が輝いていました。
世界樹は、お菓子の家を追い越すほど、大きく成長していました。
「すごい!」
「本当に……これなら、きっとヘンゼルとグレーテルのお母さんのところまで、世界樹の力が届きますよ!」
「すごいすごーい!」
三人は大喜びして、世界樹の周りではしゃぎました。
世界樹も、嬉しそうにきらきらと輝いていました。
それからさらに三か月が過ぎました。
三人がお菓子を持って街へ行くと、お父さんが元気になったお母さんを連れてやってきました。
ヘンゼルとグレーテルを見るなり、お母さんは泣きながら謝りました。二人を森に置き去りにしたことを、後悔していたのです。
お母さんの病気はすっかり良くなっていました。
ヘンゼルとグレーテルも、嬉しくて泣きました。
ディアナも一緒に泣きました。
しかし、ヘンゼルとグレーテルは、家には帰りませんでした。
「お父さん、お母さん。ぼくたち、ディアナと一緒に守りたいものと、やるべきことがあるんだ。だから、今は一緒に帰れない。けれど、ときどきは帰るから、どうかそれを許してくれる?」
そう言ったヘンゼルの顔は、すっかり大人びていました。
お父さんもお母さんも、二人の気持ちをわかって、三人を応援してくれました。
「ディアナさん、本当にありがとう。これからも二人をよろしくお願いします」
お父さんとお母さんはそう言って、ディアナに頭を下げました。
「本当に、よかったんですか?」
ディアナが不安そうに言いました。
「ヘンゼルとグレーテルは、お母さんの病気を治して、一緒に暮らしたくて、がんばっていたんですよね?」
ヘンゼルは、世界樹を見上げたまま答えます。
「いいんだ。お母さんの病気を治せたら、それで。それに、たまには帰るし」
「わ、わたしのことは、気にしなくても、いいんですよ?」
そう言うディアナは、少し寂しそうでした。
「はは。ありがとうディアナ。大丈夫だよ。これは、ぼくのためでもあるんだ」
ヘンゼルはそう言って、疲れて眠ってしまったグレーテルをちらりと見ました。
「ねえ、ディアナ」
「は、はい」
ヘンゼルは真っ直ぐにディアナを見て、言いました。
「世界樹が大きくなって、世界中が病気に勝つ力を取り戻して、ぼくたちも大人になって、もうディアナが魔法を使わなくても、よくなったら」
「へ?」
ヘンゼルの「魔法を使わなくてもよくなる」という言葉の意味がわからず、ディアナは首をかしげました。ヘンゼルは、構わずに続けます。
「そうしたら、その時、ぼく、ディアナに言いたいことが、あるんだ」
「言いたいこと……ですか? 今じゃダメなんですか?」
「うん。今じゃだめなんだ。だから、ぼくも、それまで一緒にがんばらせてくれるかな?」
顔を赤くして、必死な様子でそう言うヘンゼルを見て、ディアナも思わず姿勢を正しました。
「は、はい。わたしこそ、お願いします、ヘンゼル」
「ほんとう? よかった!」
「ふふ、こちらこそ、よかった、です」
二人は、月明かりに照らされた世界樹のもとで、しあわせそうに微笑みました。
その後、世界樹は大きく成長し、世界は、人々は、病に打ち勝つ力を取り戻しました。
世界中の人々を苦しめた、その病の名前は「絶望」
その病を打ち消した力は、「希望」
世界を救った希望の力、世界樹。
ヘンゼルとグレーテルとディアナは、その後もずっと世界樹を護り、森を護っていきました。
そして、家族になって幸せに暮らしました。
ヘンゼルとグレーテルとディアナは、聖人の兄妹と希望の魔女として、いつしか伝説になったと言いますが、それは、ずうっとずうっと先のお話です。
本編はここまでとなります。
読んでいただいてありがとうございました。
次話はおまけのようなものですが、読んでいただけましたらうれしいです。