中
ディアナとグレーテルがあんまり泣くので、ヘンゼルはすっかり困ってしまいました。
「そ、そうだ。ディアナ。もしよかったら、その、君が読めなかった本を見せてくれないかな」
「は、はい。その、ドアのむこうが本の部屋です」
ディアナはしゃくりあげながら、そう言いました。
ヘンゼルはさっそく、ディアナが指さしたドアを開いて、となりの部屋に行きました。
「わあ、すごい」
そこは、そんなに広い部屋ではありませんでしたが、かべはすべて本棚でうめられ、棚の中も、すきまなく本が並べられていました。
見たこともないくらい厚い、大きな本もあります。
「すごいね、ディアナ!」
ヘンゼルは、ひとことドアのむこうのディアナに声をかけると、わくわくしながら本を手にとりました。
本はとても高価で、ヘンゼルとグレーテルの家にはほとんどなかったからです。それでも、お父さんと、元気だったころのお母さんに文字の読み書きを教わっていたので、ヘンゼルも少しなら文字を読めました。なので、一度、いやになるほど本を読んでみたいと、ずっと思っていたのでした。
一方そのころ、グレーテルとディアナは、すっかりなかよしになっていました。
「こんど、いっしょにおはなのかんむりをつくりましょう。おともだちのしるし」
「本当に? うれしいです!」
ふたりが楽しそうに話しこんでいると、ヘンゼルが何冊かの本を持ってもどってきました。
「ディアナ! きみの先生は、本当にすごい魔女だったみたいだね。たしかに、ちょっとこわいこともたくさんしたみたいだけど」
「おにいちゃん、そのごほん、よめたの?」
おどろくグレーテルに、ヘンゼルはうれしそうな顔でこたえます。
「ああ。もしかしたら、母さんの病気も治せるかもしれないぞ!」
「えっ、ほんとう?」
「どういうことですか?」
ヘンゼルはテーブルの上に本を広げました。そこには、ケーキやクッキーの作り方が書いてありました。
「ディアナ、さっき、魔女の国のことばじゃなくて、読めなかったって言ってたよね? これは、ぼくたち人間の国のことばなんだよ。むずかしい文字はさすがに読めないけど、ぼくもだいたいなら読めるよ」
「そ、そうだったんですか」
ディアナは目を大きく開いて、本を見つめました。
「先生は、わたしに、人間のことばはまだ勉強しなくていいって言って……でも、教えてくれる前に、いなくなってしまって」
先生のことを思い出したのでしょう。せっかく止まっていた涙が、またあふれてきてしまいました。
「泣かないで。ディアナ」
そう言ったヘンゼルも、泣きそうな顔をしていました。
「きみの先生が書いた、メモがあったんだ」
「えっ?」
ヘンゼルは、一枚のメモと、氷づけになったビンをとりだしました
「これ、きみにわたすようにって書いてある」
ヘンゼルが氷づけになったビンを差し出すと、ディアナはふるえる手で受けとりました。
すると、ディアナの手にふれたとたん、ビンが真っ白に光って、ビンをおおっていた氷がきらきらと光りながら溶けていきました。
ビンの中には透明な液体と、その中に小さな種がひとつ、沈んでいました。
「わあ、すごぉい! とってもきれいだったね!」
グレーテルがはしゃいだ声で言いました。
ヘンゼルとディアナも、目を丸くしてビンを見ています。
「すごいや。これが世界樹の種…… 」
ヘンゼルがそう言うと、ディアナはパッと顔を上げて、ヘンゼルを見ました。
「これ、世界樹っていう木の種なんだって。これは、たくさんの人の笑顔とか、楽しい気持ち、嬉しい気持ち、しあわせな気持ちとかを栄養にして育つんだって」
ディアナは、これ以上ないくらい大きく目を見開いて、ビンの中の種を見つめていました。ヘンゼルは、そんなディアナの横顔を見ながら、言いました。
「この種を、育てるようにって、書いてあったよ」
「えっ?」
ディアナは顔を上げて、ヘンゼルを見ました。ヘンゼルも真っ直ぐにディアナ見つめ返しました。
「この本に書いてある、お菓子やお料理を作って、たくさんの人に食べてもらうんだ。そうして、たくさんの笑顔やしあわせな気持ちを集めて、この木を大きくするんだよ!」
「そうしたら、おかあさんの、ごびょうきもなおるの?」
まん丸な目を大きく見開いて、グレーテルが言いました。
「ああ、きっと治るよ! この世界樹はね、木の近くの病気を消す力があるんだって。木が大きくなれば、大きくなるほど、広くたくさんの病気を消せるんだって!」
ヘンゼルとグレーテルの目は、お母さんを治せるかもしれないという喜びで、キラキラしています。
ディアナは、そんな二人を見て、決意しました。
「わかりました。この木が育てば、グレーテル、嬉しいんですね。お友達ですもの。私、がんばります」
ディアナが真剣な顔でそう言うと、グレーテルはパッと笑顔になり、ディアナに抱きつきました。
「ありがとう! いっしょにがんばろうね!」
「はい!」
手を取り合う二人を見て、ヘンゼルが言いました。
「よし! じゃあさっそく始めよう!」
その声は、とても嬉しそうでした。
世界樹の種は、ビンの中で、そおっっと芽吹き始めていました。
それから、三人は協力してお菓子を作りました。
材料は、ヘンゼルもよく知っている小麦粉やお砂糖の他に、マンドラゴラの悲鳴だとか、聞いたこともない名前のハーブを乾燥させたものだとか、よく分からないものもたくさんありましたが、全部、地下の倉庫に揃っていました。
マンドラゴラもハーブも、お菓子の家の裏側に畑があり、そこにちゃんと植えられていました。
普通にお菓子を作るところは、ヘンゼルとグレーテルが。魔法を使ったり、魔女でないと使わないような材料を使うときは、ディアナが、それぞれがんばりました。
作っている途中で、「ああそれ、卵を使うんですね」とか「お砂糖だったんですね」とか、ディアナが一人言を言うので、ヘンゼルは、ディアナのお菓子がまずいのは、どの材料を使うのか分からなかったからだと気付きました。
ディアナは、ちょっぴりおっちょこちょいですけれど、材料さえ正しく分かれば、ちゃんとしたお菓子を作ることが出来ました。
「できたー!」
ようやくクッキーが焼きあがりました。
こんがりとおいしそうな色と、甘い、いいにおいがします。
三人は、お互いに顔を見合わせて、ひとつずつ食べてみました。
「おいしい!」
グレーテルが目をキラキラさせて言いました。
「はい! すごいです!」
ディアナも、驚いたような顔で嬉しそうな声を出しました。
「うん。おいしい! これならきっと……」
ヘンゼルがそう言いながら、ディアナを見ると、ディアナもヘンゼルを見て、にっこりと笑いました。
その笑顔といったら、まるで真冬に花開いた、小さくけなげな花のように、可憐で愛らしいものでした。
ヘンゼルも嬉しくなって、真っ赤な顔でにっこり笑いました。
「よし、明日はもっとお菓子を作って、たくさんできたら、街に持っていこうね!」
「はい! がんばりましょう!」
「がんばろうね!」
三人でそう言い合った後、ヘンゼルははっと何かを思い出して困ったような顔になりました。
「それで、あの、ディアナ。ぼくたち、行くあてがないんだ。その、ここに一緒にいても、いいかな?」
遠慮がちにそう言うと、ディアナはびっくりしたようでした。
「はい、もちろんです。と言うか、わたし、もう、一緒に暮らす気でいました」
言いながら、ディアナは、また顔を真っ赤にして下を向いてしまいました。
「ありがとう、ディアナ。本当にありがとう。これから、その、よろしくね」
「は、はい」
真っ赤な顔でうつむくディアナとヘンゼルの間に、グレーテルが入って、二人の手を握りました。
「いっしょ、いっしょ。うれしいな」
無邪気に笑うグレーテルを見て、ヘンゼルとディアナも思わず微笑みました。
このとき三人は気づきませんでしたが、ビンの中で、世界樹の種は、ほんの少し、芽を出していました。