ゴリラゴリラゴリラ
街を徘徊する死者達が祈りを捧げる私を取り囲む。
この区画は絵本から飛び出して来た様なロシア・バロック様式の建物が点々とその顔を覗かせている。外からは分かりにくいけど、デパートやホームセンターを通り沿いに構え、それらのライフラインが機能していたからこそ私は今日まで永らえる事が出来た。亡者とデパートで暮らすのもなかなかスリリングだったわ。目を開け、周りを見渡すと亡者達が此方を見つめている。その姿は彼等の死因により様々で直視出来ない個体もある。幸いな事に気温は低くて腐敗の進行も緩慢だった。
もうこの街に人と呼べる存在は消え失せてしまったのだろうか。
瞳を閉じると私の瞼の裏に死者達の蒼く揺らめく魂が見えてる。この哀れな街の人々にせめてもの安らぎを。
爆撃機が去った空の静寂に於て遠くから男の叫び声が聞こえてくる。その声がした方を見ると両手にポリタンクを抱えたエプロン姿の大柄な男が大通りを横切ってこっちに走ってくる。55日振りの生きている人間だ。その腰のホルダーには数本の鉈とリボルバーがそっと差し込まれていた。
「お前らにもう水は必要無いでしょうが!いや、狙われてるのは俺か?」
死者の群れを引き摺りながら突き進む血塗れの男と遠巻きに視線が合う。怪我人の割に元気そうね。もしかして返り血かしら?
「……人形?」
「残念ね、人間よ」
「マジかよ……こんな女の子が……それもゾンビ密集地域で無傷とか……死霊使いか何かか?」
大きな二つのポリタンクを軽々と振り回す男に今度は私が質問をする。
「一つ聞いていいかしら?」
「なんだ?」
男が亡者達を蹴飛ばしながら進路を変えて近付いてくる。
「貴方は死に切れなかった人?それともゴリラ?」
「選択肢に悪意しかないぞ!おっと、これ持っててくれるかい?両手が塞がってちゃ仕事が出来ないもんでね」
私の体に押し付ける様にポリタンクが引き渡される。私の力では持ち上げられなくて、座ったままそれを石畳の上に放置する。
「さぁ、解体ショーの始まりだ。見学料はなんとたったの1ルーブル!」
細い男の目が見開かれると同時に右手を振り抜く。彼の体を掴んでいた亡者達の腕がいくつも空を舞う。その手には鉈が握られていた。申し訳程度に飛び散る濁った血に構う事なく今度は体勢を低くしながら地を這うように左手が大きく弧を描きながら振り抜かれると、いとも簡単に死者達の足首がその脚部から切り離されていく。彼の動きは止まらない。その太い腕で繰り出される鉈が死者達を一息の間にバラバラに解体していく。まるでゴリラが暴れているようだけど、その動きは何処か繊細かつ滑らかで洗練されたものだった。
「どうだったかなお嬢さん?」
「ゴリラのダンスに1ルーブルは出せないわ」
「こりゃ手厳しい」
「あとお金持ってない」
「それは失敬、さて。貴重な生きた人間のお嬢さん。これも何かの縁だ。一緒に来るかい?」
私はその大柄の男から差し出された大きな手にそっと手を差し伸ばす。
「そうね……ひとまず壁の向こう側まで案内お願い出来るかしら?」