終演
眼を覚ますとそこはベッドの上で、辺りを見渡しても椅子や机すら見当たらない真っ白な医務室。
厳重にロックされた扉は病院と言うよりはどこかの実験施設みたい。
白い腕には管が繋がれていて、点滴が処方されていた。
私の名前はユニ=ドロヴナ=リトヴィリーエ。
うん、頭の方は正常ね。
現時刻を知りたくて辺りを見渡しても何も無い。
「イズヴィニーチェ?《すいません》誰か居ないかしら?」
透明なガラス扉の向こうに呼びかけても全く反応は無い。
ふてくされて再びベッドに腰掛ける。
私の衣服は病院服だ。
状況が飲み込めないけど、出来る事も無いので再び寝る事にする。
瞼を閉じると鮮烈な光景が脳裏に蘇る。
鉄の壁が隆起し、私の街を囲う。
そして光が街を覆い尽くし、雪空を戦闘機が切り裂く様に旋回し、私の街は破壊された。
あの日、私は家族が心配で急いで自宅に戻った。
その道中、近くの病院が焼夷弾の直撃を受けて爆発炎上、その炎に巻き込まれる所までは覚えている。その後、一体街がどうなったかを知りたい。灼熱の炎を浴びた私の身体はあの時、確かに滅びたはずだった。
最後の瞬間、私は……何を強く望んだのだろうか。
誰かが私の心の声に強く応えてくれた様な気がしたのは覚えている。
あれは誰だったんだろう。
扉の施錠が解除され、1人の看護師が険しい顔をする私の顔を見て、驚く様に眼を見開いている。
「何かしら?あと、ここは何処なの?今日は一体何日なの?」
その長い黒髪を左右に纏めた女の人がその紅い目に涙を溜めながら私に抱きついてくる。よくみると彼女の左腕は包帯で覆われていて、そこから体温が感じられず、どこか無機質な肌触りがする。
「ちょ、急に抱きつかないでよ!って、耳は止めて!」
この看護師はそれでも嬉しそうに私をその大きな胸元に引き寄せて抱き締めてくれる。彼女が手にしたコンパクトな端末を操作し、連絡をとると、数分も立たない内に私の知らない色んな人が現れて私を囲んでいる。
「……貴方達、一体誰なの?」
私に抱きついている黒髪の女性を筆頭に、まるでゴリラの様な茶髪で緑の瞳をしたお兄さんと、空色のベレー帽を被ったワンピース姿のまるで死人の様な肌の色をした同世代ぐらいの女の子に、銀色の髪をした少年が……。
「あっ、君の事は知ってるわ。髪の色は違うけど、ハルザード君ね。君もこの変な人達に捕まったの?」
ハルザード君は近い区画で暮らしていたクラスメイトの男の子だ。空爆のあった日、私を家族の元へと駆けつけさせてくれたので私の印象は中の上ぐらい良評価だ。
「うーん……確かに捕まったという表現の方が正しいかもね。実際には12歳にして就職口を見つけた感じかな?ちなみに君もその候補に入ってるよ?」
「私が?なんで?」
「いやいや、死霊使いの毒舌人形ユニって言ったら、僕等の街、サンクト・ペテルブルクを救った英雄の1人だよ?そのもう一人は僕だけど、結果的に街の壊滅に貢献しちゃったし、どちらかというと悪印象なんだけどね」
「死霊使い?私が?幽霊なんて信じる訳無いでしょ?」
困惑するハルザード君に、横で難しい顔をしていたゴリラのお兄さんが口を挟んでくる。
「おいユニ、笑えない冗談はやめろよな?」
彼の隣で死人の様な女の子が必死にこちらを見て頷いている。
「見知らぬゴリラに呼び捨てにされるほど私は安くないわ」
「ちょ、俺にあんなに泣きながらお礼言った癖に、その言い草は……」
「はっ?そんな訳無いでしょ?なんで私がゴリラなんかに頭を下げ……ないと……?」
私の衣服に何かの雫が零れ落ちる。それは私の瞳から溢れ出た涙だった。
「あれ?私、何で泣いてるの?……どこかで貴方達と会ったかしら?なんで……なんでこんなに嬉しさが込み上げてくるの?」
混乱する私以上に周りの人達も困惑しているのが見てとれた。
この人達の事は記憶に無い。けど、彼等の安否を確認出来て、私の心が震える様に何かを訴えかけているのは分かった。私は自分の心を覗く様に自分の小さな膨らみを持つ胸を見降ろす。眼を凝らして見ると、そこにはぼんやりと赤く燃える火の塊を幻視してしまう。よく見ると、この中の大多数の人にも同じ様に火の球が揺らいで見えている。ハルザード君の心臓に浮かぶ炎はどちらかと言うと紫色に近かった。それは私を抱き抱えている看護師の人もそうだった。死人の様な女の子とゴリラのお兄さんには何も浮かんで来ない。ゴリラの様なお兄さんが私の両肩を掴むとそのごつい腕と胸板で私を包み込む。
「ちょっ、離しなさいよ!このロリコンゴリラ!」
「なんでもいいさ、俺はお前が意識を取り戻してくれて嬉しい、それだけだ」
ごつい身体に似合わず、その腕にかけられた力は繊細でその優しい腕の温もりが私の心を落ち着かせてくれる。
「馬鹿ゴリラ……」
その安心感に眼を閉じると瞼の裏に今度は鮮明な青白い炎が浮かび上がって来る。慌てて目を開けてゴリラさんから身体を引き離すけどあの蒼い炎は見えなくなっていた。
私は恐る恐る眼を閉じる。そこから見えるはずの無い蒼い光を覗き見る。その蒼い炎はゴリラのお兄さんと死人の様な女の子、そしてハルザード君の心臓にも宿っている様だった。私の心臓に宿る炎は赤い。この違いは一体何なのだろう?私の口から自然と言葉が零れ落ちる。
「ジョゼフ……貴方は取り戻したのね、冷え切っていた貴方自身の心を……もう魂無しゴリラとは呼べないわね」
「そう……だな。まぁ……人間とは呼べなくなっちまったがな。ユニツーと同じだと思えば気は楽だけどな」
「元々人間とは呼んでないわ、ジョゼフ。貴方はゴリラゴリラゾンビよ」
「おいぃッ!結局そこに収まるのかよっ!」
周りで笑いが起きて、一気に私の周りが騒がしくなる。
私では無い誰かの記憶が私の心を通して流れ込んで来た様な錯覚を覚える。それにこの目に見える炎の揺らめきは一体なんなのだろうか。施錠が解除される音と共に部屋の扉が開かれて6人ぐらいの異様な出で立ちをした人達が私の病室に入って来た。金髪の女子高生はまぁ許せるとして、他に目隠しの布を巻いている銀髪女性に、兎の耳を模したレザーヘッドギアに眼帯を装着した灰黄色の髪を垂らした少女に、猫耳ゴシックドレスのショートボブの少女、スチームパンクの世界から飛び出した様な出で立ちの片目が潰れた青年に、烏を模したガスマスクを装着した黒コートの女。その白い胸元だけは大きく開いて眩しいわ。それにしても誰なのこのコスプレ集団は?
その一番先頭に立っている女子高生の制服を着た金髪の女性が二冊のメモ帳をこちらに指し示す。
「今は混乱していると思うが……きっとこれを読めば何かの助けになると思い、警察からくすねてきた」
私はそれを素直に受け取る。マーシャとくまが描かれた方はメモ帳で事細かに霊魂がどうのこうのとか、亡者のタイプがどうのこうの書かれていた。私の目に映る火の玉についてこちらを見れば何か分かるかも知れない。
チェブラーシカが描かれている方は日記帳の様で、その記入日が10月27日から始まり2月23日で止まっていた。戸惑う私に金髪の女子高生が私の頭を撫ででくれる。
「そこに記されているのは……君に取り憑いた黒霊の少女の物語だよ……どうやら君のその強過ぎる思いに取り込まれ、《《自分が君》》だと思い込んでた様だがな……その133日間は君に取っても……そして彼女にとっても掛け替えの無いものだった。それだけは理解してやってほしい……」
そっと、金髪女子高生が身体を離すと、軍人の様な歩き方で部屋を出ようとする。そして扉前でこちらを振り返った後……こう付け加える。
「ちなみに……君の暗殺される危険性も危惧して……君は記録上、核がロシアに落とされた日、死んだ事にさせて貰った……」
「はっ?!ロシアに核?!って私、死んだの?」
「フフッ……大丈夫だよ……検査の結果、君は99%生きた人間だと証明されている。後日、正式に君を日本警察警視庁特殊犯捜査(SIT)第5係……特殊部隊「Nephilim《ネフィリム》」と呼ばれる私の組織で君の身柄を保護という名目でスカウトしようと考えているんだがどうかな?あ、因みに私の名前は……」
「……それより……まずは私に人間として足りない残り1%について詳しく聞かせて貰えるかしら?」
どうやらここは日本で私はこの変わり者の集団にスカウトされたようだ。憧れの地に来られて嬉しいけど、今はサンクト・ペテルブルクに帰りたいわ……。




