ReQuest
身動きの取れない病人や高齢者はスモーリヌイ修道院に身を寄せ合って事の成り行きを見守っている。その数約10万人。その命の重さが私の肩に重くのしかかる。
「こちらゴリラ。毒舌人形、応答してくれ」
胸の前に組んでいた手を解き、サラファンのポケットに収納していた無線に手を伸ばす。
「こちら毒舌人形。良かったわ。死んだのかと思ったわ、何かしら?ゴリラさん」
彼の少し乾いた笑い声が聞こえ、手短に用件をまとめて報告してくれる。私が向かわせたドストエフスキーの亡者部隊との合流に成功し、それが功を奏し流入してきた軍の増援部隊を退けたらしい。そしてその勢いのまま、生存者の全組を壁の外へと避難する事が出来たそうだ。
「そっちは大丈夫か?」
「えぇ。私達の居る修道院半径700M四方を不動のニートさん、パラノイヤさん部隊、約12万人が常時待機しているわ。この亡者の壁を掻い潜るのは軍と言えど容易くは無いはずよ。あの子達は怒らせたら怖いし、謎の連帯感を発揮するから防壁としては一級品よ」
「そうか……気を付けろよ?もしかしたら市内への潜入捜査を任されたのは俺だけじゃないかも知れない」
「どういう事?」
「俺は市民側に付いたが、政府側に付いている人間がそっちに紛れこんでるかも知れない」
「潜入と破壊の任を与えられたのは貴方だけでは無いというの?」
「あぁ。すぐにそっちに向かう。だから何とか耐えてくれ」
「私の事はいいわ。それより怪我は無い?」
「……あぁ。大丈夫だよ。ユニツーも元気そうだ」
ユニツーって、恐らく私の影武者の事ね。少し可愛いネーミングだから許すけど。
「良かったわ……それなら生存者を誘導させる為に進軍させていたロリコン戦士部隊へのコントロールは解いて大丈夫そうね」
「あぁ。あとは……」
私が空を見上げると空からいつの間にか粉雪が舞い落ちてくる。
「核発射のタイミングは?」
「壁が爆破され、ゾンビが壁を越えた段階で核ミサイルが発射される事が予め決まってたみたいだな。どっちにしろ、俺達は悪者だ」
そこに途絶えていたゾンビ女から無線が入る。
「こちらゾンビ女、聞こえるかしら?無線壊れて無ければいいけど……」
私とゴリラの声が重なってそれに答える。
「「黒霊は!?」」
少しの間、含み笑いを混ぜた彼女の声が聞こえてくる。
「相手は素人、しかも可愛い少年だったわ。プロの殺人鬼である私が負ける訳無いでしょ?」
私とジョゼフは安堵の溜息をつく。
「こちらゴリラ。ゾンビ女、すまないが黒霊を倒したところで核が放たれる状況は変わらない。無駄足を踏ませてすまない……」
というより、あの黒霊と呼ばれる変異者をあのゾンビ女が短刀二本で退治出来た事に驚きを隠せない。
「こちらゾンビ女。気にしないで?こっちが本業だしね」
疑問符が一杯の私達を余所にゾンビ女のポゥ=グィズィーが続ける。
「核の発射については仲間から連絡が入ったから知っている。その迎撃に彼を向かわせたのはいいんだけど、あと一つ、問題があるのよね……」
彼って誰の事だろうか。それより問題の方が気になる。
「こちら毒舌人形、問題って?」
「……例え空中で迎撃出来たとしても、爆破の放射熱と放射線は地上に届くかも知れない」
「こちらゴリラ。なら今すぐ、壁の外へ出ろ!ユニ!お前だけでもいい!お前が居れば壁の外へ脱出した生存者に感染被害の実態は無いと証明出来る!そこからだとアレクサンドル・ネフスキー橋を通る路線から出られるはずだ。ミサイル到達の時間は分からないが、190万人の市民の命の方が……」
「数じゃ無いのよ……ね?父さん、母さん、お兄ちゃん?私はこの町と私の事を知ってくれている人達を1人でも多く助けたいの……許してジョゼフ?私の我儘を聞いてほしい……この133日間、私を守ってくれてありがとう……今度は私が守る番よ」
「ユニちゃん、私は貴女の力を信じてるわ」
「馬鹿野郎!くそっ、待ってろ!今からそっちに……」
「ポゥもありがとう……貴女は私を殺さずに生かして於いてくれた」
「フフッ、一体なんの事かしら?」
私は無線をサラファンのポケットに直し、立ち上がると教会の壁一面に描かれたイコーナを見上げる。聖障と呼ばれる聖人達が描かれた絵画だ。それは人間界と神の世界との境界線を現す。それはきっと人が侵してはいけない領域。だから本来の在るべき場所へと私は彼等を還さなければならない。それが私のあの時のからのたった一つの祈りだから。
さすがに疲労が溜まっているのか足元がフラついて歩く事もままならない。数時間にも及ぶ街中の亡者達へ捧げた祈り、その反動か相当体力を消耗している様ね……。
聖堂の扉が開かれ、ベーブを抱える片足を引き吊る赤髪の女の子が私に声をかけてくれる。
「ユニちゃん……もういいよ、逃げて?他の皆は助かったんでしょ?あのゴリラさんも日本人のお姉さんも頑張ってくれた……もういいよ、あの日から今日まで絶望的な状況下を貴女達は私達の事を守ってくれた。それだけで充分だよ……」
眼に涙を浮かべる彼女に私は声をかける。あの日以来、私は泣く事を忘れてしまった。それを少し羨ましく感じながら。
「貴女、誰?」
私と同じぐらいの少女が眼を開いて慌てた様に私に説明する。
「ユーリーだよ!ユーラチカ!私達が貴女を毒舌人形ってのけものにしたのは謝るけど、何度かチェブラーシカとか日本の事について話したでしょ?!確かに私、クラスで影は薄いけど……」
「そう……貴女も私を知る人なのね。それなら私、貴女の事も守りたい。その豚さんを宜しくネ?食べないように」
「そんな、食べないよ!ってどこにいくの?」
私はそっと聖堂の上階を指差す。
壊滅したサンクト・ペテルブルクの都市で一番高い建物は此処しか無くなってしまった。そこからなら到来する核ミサイルも目視出来るだろう。
「あともう一つお願い出来るかしら?」
「何かな?」
「死者に捧げる鎮魂歌を一つお願い出来るかしら?……そうね……ヴェルディ怒りの日も捨てがたいけど……フォーレのレクイエム Pie Jesuでリクエストさせて貰うわ?」




