祈る悪魔
街全体を囲う鉄の壁から一斉に火柱が上がり、その轟音が休息していた僕の睡眠を妨げる。その疲れ切った黒い体はまるで僕のものじゃないみたいに重い。
(軍による攻撃?それにしては爆発が起きた場所が壁と言うのはおかしいか。それに爆弾なんかで今更何を?)
僕が居座るペテロパヴロフスク聖堂はロシアの教会にしては珍しいヨーロッパの建築様式を準えた尖塔型の聖堂でその高さはサンクト・ペテルブルクで最も高い122Mを誇る。幼少の頃何度か訪れたこの場所は僕のお気に入りだった。この聖堂はザーヤチイ(兎島)と呼ばれる浮島にピョートル大帝が堡塁を設置して作らせたペテロパヴロフスク要塞の中に建造されている。その下にはピョートル大帝を始めとする歴代の皇帝達が静かに眠り続けている。もしかしたら動き出しているのかも知れ無いけど、さすがに自力で棺から顔を出すのは不可能だろう。
要塞と呼ばれるこの場所は高さ12M、厚さが2.5~4Mの城壁がぐるりと周囲を巡らされている。北方戦争時には監獄ともなったこの場所、その最初の入獄者がそのピョートル大帝の息子だったというのは皮肉としか言いようが無い。
閑話休題。
だからこそ、戦車や歩兵部隊が隊列を作って押し寄せれば尖塔の上から街を眺める僕からは丸見えになる。そう言った動きはまるで無いようだった。ただその日、街全体が揺れている様な錯覚を覚える。戦闘機に戦車、戦艦、その全てを僕はことごとく破壊し続けて来た僕の体は黒い影に覆われている。最初は元の姿に戻れたんだけど、長い長い人間との戦いで元に戻る術を無くしてしまった。硬質化した黒い鎧の様な外殻が悪魔に近い形状の怪物を彷彿とさせる。
体長も戦いの中で5M程の大きさにまで大きく膨れ上がってしまった。けど、それでも僕は自分が誇らしかった。この町を守っているの自分だったから。
声が聞こえる。
それは僕に憑いた黒い悪魔の声。
(壊セ、壊セ、全テを)
腕が痛みを伴いながら痙攣する。僕はそれを無理矢理抑え込んで大人しくさせる。
「黙れ、この糞悪魔」
(壊セ、全て消し去レ)
「黙れって言ってるだろっ!」
僕の背中から一対の黒い鋼鉄の翼が生えようとするのを無理矢理止めさせる。言う事の効かない右手を無理矢理尖塔に打ち込むと、大きく瓦解し、僕の体は天井を突き破って聖堂内へと落下する。
アーチ型の美しい建物内が僕の一撃で台無しになってしまった。
この場所はお気に入りだったのにな。
軍からの攻撃は2週間程前からピタリと止んでいた。
けど、それと反比例する様に僕の変質した体は更なる闘争を求める様に暴れ出そうとする。意識をしっかり保たないと。それに僕が自我を失ってしまえば誰がこの町を守るっていうんだ。聖堂内に垂らされたシャンデリアの輝きに照らされながら僕はイコンへと祈りを捧げる。
「どうか、この街と人とを守る力を僕に」
ふと人の気配がして振り返る。そこには黒い毛皮のコートを纏った日本人女性がこちらを不思議そうに見つめていた。その双眸は血の様に紅い。その腰には木造りの鞘が二つ提げられている。カタナだろうか?戦闘機や戦車、軍艦、そして最後に差し向けられた刺客は、忍者?頭の左右で二つに纏められた長い黒髪を揺らしながらその女性が足音を立てながら近付いてくる。
「驚いたわ……まだ自我を保てているとわね。黒悪魔さん。神への祈りは済んだかしら?」
「貴女は?」
「あら、以外と可愛い声なのね。少年みたい。この声の感じは……声変わり前の男の子かしら?」
「僕はハルザード。キュートなくノ一お姉さんが最後の刺客?」
「私は人喰魔女のポゥ=グィズィー。君の様な存在を消す為に日本から送り込まれた刺客。今、楽にしてあげるわ?」
その提げられた鞘から二振りの短い白銀の刀が引き抜かれた。
キイィィンという音が静かな聖堂内に鳴り響いている。それはまるで刀身自体が震えている様に。僕の体が自然と震える。いや、違う。僕じゃない、僕に取り憑いた黒い悪魔の魂が震えていた。




