裏切者
■20××年 2月23日現段階に於ける生存者数凡そ200万人以上。
■亡者化数:約90万人〜
■被害施設:
×ヴァシリエフスキー島 <焼失>
×ゴーリカフスカヤ駅 <壊滅>
×砲兵歴史博物館 <壊滅>
×アルセナーリナ海岸通り <壊滅>
×チェルヌイシェーフスカヤ駅周辺 <壊滅>
×モスクワ駅周辺 <壊滅>
×ウラジーミルスカヤ駅周辺 <壊滅>
×アレクサンドル・ネフスキー大修道院 <焼失>
×フォンタンカ運河 <蒸発>
×サドーヴァヤ駅周辺 <消失>
×マリインスキー劇場 <消失>
×モイカ運河 <蒸発>
×イサーク聖堂 <消失>
×カザン聖堂 <消失>
×旧海軍省 <消失>
×エルミタージュ美術館 <焼失>
×マルスの広場周辺 <焼失>
×ネフカ川 <蒸発>
◯ペテロパヴロフスク要塞 <残存>
◯スモーリヌイ修道 <残存>
◯俺の家周辺 <残存>
ロシア連邦軍の陸軍、航空宇宙軍、海軍、そして最高司令部直轄の空挺軍が保有する全ての近代兵器が一匹の亡者により悉く破壊された。ユニが変異者と呼ぶ黒い怪物だ。我が国の圧倒的軍事力を133日間に渡り投入しても「黒霊」と名付けられた怪物を倒しきる事は出来なかった。軍に残されたのは歩兵部隊のみである。
戦闘機による爆撃や、戦車による砲撃で傷すら付けられない化物に歩兵が成せる期待がどれほど希薄なのかは軍属の人間じゃなくても分かる。核兵器使用という最終手段を行使する段階にまで事態は悪化しているは明らかだった。
サンクト・ペテルブルクの人口は軍の黒霊への攻撃に巻き添えになり三分の一にまで減少。残存している生き残った人々はユニの力が及ぶ範囲まで集められ、収容しきれない人員は付近の民家で寒さを凌いでいる。これまでにも度重なる軍の歩兵部隊による襲撃に見舞われたが、生きている人間達を救ったのは意外にも死にきれなかったゾンビ達だった。それを可能にしたのは日々、その力を増していくユニの存在だ。俺は彼女をこの街から逃がそうとしたが彼女はその申し出を頑なに拒否。ここに残って生者を軍隊とゾンビから守るという選択をした。その気持ちを無下には出来ない。
壁の傍までやってきた俺は軍服に身を包んでいる。その横には紺色の毛皮帽子とコートを着込んだ少女が豚の縫いぐるみを抱き締めながら立っていた。
「すまないな、俺に付き合わせて」
その少女はそっけなく静かに首を傾けるだけだ。どうやら完全に嫌われてしまったらしい。俺は手にした無線のスイッチを入れてかつての同胞に呼びかける。
「こちらヒューガー=パージェス。例の少女を連れてきた。指令官に繋いでくれ」
俺は今、壊滅したヴィテプスキー駅の路線上に立っている。この街を覆う鉄の壁にも通れない場所が無い訳では無い。復興時の要として路線を避けるように壁が作られているからだ。だからこそ軍も貴重な兵力30人体勢で武装し、誰もここから出られないように待ち構えているのだ、実戦ではもう使えないロシアの旧型戦車が線路を塞ぐ様に各路線に一台ずつ留められている。他にも同じ様な場所が4カ所存在し、大凡同じ様な光景が広がっているのだろう。しばらくして無線から聞き慣れた上官の声が聞こえてきた。
「潜入の任、ご苦労だった。こちらの狙撃手から確認させてもらった。その少女、例の実験における成功例と聞いたが……」
これは賭だ。ユニの発現した能力に政府がその有用性と安全性を見いだせればこの無益な殲滅作戦は終了する。あとは黒霊の方を何とかするしか無いが、生き残った人間によるバイオハザードの危険性が消えれば壁外への退去が認められるはずだ。
「あぁ。手荒な真似はするなよ?大事なお嬢ちゃんだ」
「もちろんだ。その前に例のものは仕掛けられたか?」
「当初の潜入目的はそれでしたよね?大丈夫ですよ、各市街、ライフラインに関わる全ての施設に爆薬は仕掛けてますよ」
「そうか、ご苦労だった。君には熱いスープを用意しているよ。迎えの者が来たらそいつと一緒に壁の中へと戻りたまえ。その少女は別の人間に案内させる」
「分かった」
俺の下に突撃銃を構えた陸軍の兵隊が迎えに来ると敬礼する。
「潜入の任、ご苦労でありました」
「あんたらもご苦労様。さて、暖かいボルシチでもご馳走になるとするか。そっちの少女にもスープぐらい出して貰えるんだろ?」
「もちろんですよ、なんてったって大事な客人ですからね」
その若い陸軍に着いていこうとすると、後ろから服を引っ張られる。
「大丈夫だって、お嬢ちゃん。俺は裏切らないし、街に仕掛けた爆弾も、爆破しなけりゃ安全だよ」
しぶしぶその手を離す少女。
その陸軍と共に施設に近づいていくと、入れ違いの様に別の兵隊とすれ違う。武装はAK-74 アサルトライフルに俺と同じ出立ちのフローラ迷彩ジャケットにタクティカルベスト、コンバットブーツを着用している。頭には空挺部隊特有の水色のベレー帽を着用している。ユニからは似合わないと不評だったが。その装備から俺と同じ特殊部隊「ロシア連邦軍参謀本部情報総局特殊部隊GRUスペツナズ」の人間だろう。案内なら同じ陸軍の人間でも構わないはずだが……いや、この地域の陸軍は西武軍管区による指令系統だが、空挺部隊に属する人間は別の最高司令部が管轄している。陸軍である彼には何も知らされていない可能性がある。俺は懐からリボルバーを引き抜きながら振り返るとその照準をすれ違った特殊部隊員に向ける。
「おい、なぜ銃を構えている?別旅団とはいえ、身内だろ?」
アサルトライフルを構えた男がこちらの気配を感じ取り、その視線が俺を捉える。戸惑う陸軍の青年が慌てて俺に見解を求める。
「一体、どういう事ですか!軍の者に銃を向けるのは重罪……」
俺は迷わず引き金を引く。
男が素早くこちらに銃を向けるが、俺の方が数瞬早かった様でその顔面に銃弾めり込み、顔半分が血塗れになってその場に膝を付いて倒れる。無線を手にして再び司令官に呼びかける。
「どういう事だ?話が違うぞ?」
「おやおや、そっちこそ話が違うじゃないか。君も処分対象に……」
遠くから乾いた銃声が雪空に鳴り響き、豚のぬいぐるみを抱えた少女の頭部を破裂させる。俺は叫び声を上げながら銃を構えた陸軍の兵士の武器を奪うと、狙い撃ちされない様にそいつを人質として利用する。雪の積もった路線上に赤い血溜まりを作る少女に近づいて声をかける。銃弾は彼女の左頭部に命中し、辺りにその中身が散らばっている。体が痙攣しながら必死に生きようと足掻いているが時間の問題だろう。再び銃声が聞こえると人質にしていた陸軍の青年の体の一部が弾け、そこから吹き出した血が白い路面を紅く染めていく。
「お前等なぁっ!!」
そっと青年を寝かせると患部を抑える。涙声で泣き叫ぶ陸軍の青年。
「い、痛い、痛い。どうして」
そこで事切れた青年の目から光が失われていく。このままでは狙い撃ちだ。無線に呼びかけ、鞄から取り出した起爆スイッチを向こうから見えるように掲げる。
「交渉決裂だな。司令官殿」
「こちらからも君の姿は確認出来ている。なんだその起爆スイッチは?自爆でもするつもりか?」
俺は通信を止め、違う周波数に切り替えて呼びかける。
「こちらコードネーム:ゴリラ。ゾンビ女、聞こえるか?オーバー」
無線越しに普段通りののんびりとした声が聞こえてくる。
「聞こえてるわよ?オーバー」
「交渉は決裂した。ⓤ《マルユー》作戦へと移行する。殺れるな?オーバー」
「フフフッ、OKゴリラさん。私達を怒らせた奴らに目にもの見せてやりましょう。こっちは任せといて?オーバー」
俺は無線を切ると同じ起爆スイッチを起動させ、一気に路線を反対方向に駆け抜けていく。未だ痙攣を続ける少女の遺体に向かって手を合わせながら。
「お嬢ちゃん。ありがとうな」
数瞬遅れて背後を銃弾が掠めるが気にせず走る。的がデカいからこちらも命がけだ。数秒後、辺りに閃光が走り、大きな爆炎の火柱が立ち上る。それは俺が仕掛けたサンクト・ペテルブルクに5カ所存在する唯一の抜け道、路線上に仕掛けていた爆弾が爆発した炎だ。これで出口は確保できるはずだ。あとの問題は壁の内部に待機している15万人の歩兵達と核攻撃への移行タイミングだな。核攻撃への移行は黒霊の殲滅如何が鍵を握っているはず。
「任せたぞ、ポゥ=グィズィー……」
遠くからその足音を響かせながら大軍となった亡者達がこの出口を目指し、大挙し押し寄せてくる。無線の向こう側から少女の声が聞こえてくる。
「こちらコードネーム:毒舌人形。ゴリラさん、聞こえるかしら?オーバー」
そっちも動き出したようだ。
「あぁ。聞こえるぜ?毒舌人形さん、オーバー」
「彼女、まだ動かせるわ。貴方のアシストしたいって」
黒煙を上げる火柱の近くで頭の一部を吹き飛ばされた金髪の女の子の死体が立ち上がる。その手には豚のぬいぐるみが硬く握りしめられている。彼女の亡者タイプは確か凶器さんだ。
「助かるよ。さぁ、戦争だ、戦争。ゾンビ軍対ロシア連邦軍のな!」
無線の向こうから呆れたユニの溜息が聞こえてくる。
「ホント、男ってバカね」
「知ってるよ。男はバカだ」
「でも、私も軍隊には一泡吹かせてやりたいとは思ってるわ」
「あぁ。この街と人とを核の犠牲なんかにさせられねぇもんな」
「ゴリラ……いえ、ジョゼフ……私、まだ貴方の事、許してないから」
「知ってるよ」
「けど、目的を果たしたら必ず生きて戻ってきて?約束だから」
「で、デレた?!」
「……貴方を殺すのは私よ。勘違いしないで」
「はいはい」
「ちょっと、何よそのやれやれ的な反応は!私はツンデレなんかじゃないわよ!この魂無しゴリラ!」
俺は少し彼女に許された様な気がして体が軽くなる。にしても口が悪いのはどうやら元々だったらしい。そろそろ爆破された施設に軍隊が集結し始める頃だ。俺の目的は後続する生存者達を守る事。いくらゾンビ兵といえども訓練された特殊部隊員までは恐らく数で押し切れない。俺の横を死にきれなかった者達が進軍する。更に後方には数多くの生者達が怯えながら様子を伺っている。十組に分けられた彼らの心配を解すように俺は声をかける。
「さぁ、案内はこのゴリラにお任せを!ゾンビ達の後に続いてくれ!背後は俺と別のゾンビ部隊が守るからな!」
さぁ、大脱走の始まりだ。その鍵を握るのはスモーリヌイ修道院で動けない人々と一緒に居る毒舌人形のユニ。そして、ペトロパブロフスク要塞に潜んでいる黒霊退治に向かった人喰魔女のポゥ=グィズィー。近代兵器でも歯が立たない奴を相手に勝算があるのかは分からないが、彼女の化け物染みた強さも知っている。あいつは鉄の壁に囲われたこの街に自ら乗り込んできた。背後を突かれた予想外の襲撃に壁の内部は混乱。次々とあいつに刺し殺され、この街への侵入を許した。その時、俺は奴に助けられたも同然だった。軍の悪行に嫌気が差した俺は味方に発砲。軍を裏切り味方に包囲されたとこにアイツが乗り込んできた。その性か未だに頭が上がらない。
「お前も生き残れよ、ゾンビ女……」
こうして俺達たった3人の小さな戦争は始まった。




