血の上の聖堂
ロシア、サンクトペテルブルグ市内、グリボエードフ運河沿いに建てられた約百M近い聖堂、スパース・ナ・クラヴィー聖堂の尖塔、青と黄緑と白色が交じった螺旋状の玉葱屋根の尖塔から街を見下ろす。運河の河面は街の街頭に照らされ、極寒の水温を不思議と感じさせない。政府も文化的に価値のある建造物は大事にとっておきたいらしい。この場所には未だ多くの生者が集落を作って身を潜めている。時々、亡者がバリケードを越えて人間を襲う事もあるけど、自警団を形成したりして皆何とか生き延びてくれていて嬉しい。
ほとんどの地区が焼け野原となり、北のヴェネツィアと称されたかつての面影は残念ながら何処にも無い。市内の建造物のうち歴史的価値のある城や美術館、教会は比較的無傷な状態で残され、それとは別に発電所や上下水道関連等のライフラインを司る区画は無傷な場所が多い。そして比較的爆撃によるダメージが少ない道通りを辿っていくと必ず街の中央へと続いている。政府はもしかしたら意図的に爆撃場所を選んでいるのかも知れない。壁に近づけば殺される事を学んだ住民の生き残りは恐らく街の中央に集まって生活している。
このゾンビハザードに対して明確な原因追究はされていない。いや、国も正確に状況を把握できていないと言った方が正しいのだろうか。彼らは何か大規模な実験をあの日、行った。壁から突き出た装置の崩落から、それらの実験は失敗に終わったと見るのが正しいだろう。だからこそ、この街から誰も出られないのだ。ゾンビハザードに対する有効な手立てが無い限り、サンクト・ペテルブルグの半数近く生き残っている住民はこの壁の中に閉じこめられたままだ。長期化すればこちらがどんどんと消耗していく。物資の調達が困難な現状に加え、病院の殆どが壊滅状態で、一つの怪我や病気が死を招く最悪の事態だ。他の一部の者は亡者が俳諧する危険区域で死ととなり合わせに生きているらしい。亡者に殺されるか、人に殺されるか。僕らはそのどちらかの選択肢しか与えられていない。いや、違う。僕は、僕だけはもう一つの選択肢を与えられている。
定刻通りに壁の向こう側からMiー24のクラカヂールと呼ばれる戦闘型のヘリが広範囲なサーチライトで夜空を照らしながら上空を旋回している。昼は爆撃機、夜は戦闘ヘリによる偵察。この行動パターンは変わっていない。そのサーチライトが聖堂の尖塔の上でヘリを見上げている僕の姿を捉えた様だった。大体の位置は向こう側に筒抜けらしい。僕は眼を細めながら口元を歪ませる。
「根比べだ。くそったれども」
ヘリに搭載された旋回式の12.7mmの4銃身ガトリング機銃が唸りを上げながら回転し、僕の腰掛けていた古くさい玉葱型の丸い屋根を瓦解させていく。眼下からはここに避難してきている人達の悲鳴が聞こえてくる。
「お構いなしかよ」
足場を無くした僕の体が衝撃で空中に投げ出されて落下運動を始める。
「いや、違うか」
あいつらは歴史的建造物の保護よりも、危険対象である僕の抹殺を優先させている。それだけだ。迷彩柄の丸いボディに提げられた小型ミサイルが煙を上げながらこちらに向かってくる。その鼻先が僕に触れたと同時に紅蓮の炎が次々と辺りに巻き起こる。「血の上の聖堂」を意味するこの聖堂が僕の爆風に巻き込まれて木っ端微塵になっていく。かつてこの場所で皇帝アレクサンドル2世がテロリストに手榴弾で殺された。その場所で僕は弾丸とミサイルを食らうとはなんとも皮肉としか言いようが無い。だけどこれで証明された。軍には予め優先順位が設けられている。
①壁に近づいた者は皆殺し。
市内の住民をこの街から出すつもりは無い。
②市内の爆撃。
ただし、ライフラインに関わる場所や、歴史的価値がある場所への破壊行為は禁じられている。
③僕の抹殺。
何が何でも殺したいらしい。
僕の体が百Mの高さから地面に叩きつけられると同時に大きな砂煙が舞い上がる。灼け崩れていく聖堂を見守るように戦闘ヘリが砂煙の中に居る僕を見つける為にサーチライトを巡らせる。
僕は溜息を吐きながらゆっくりと立ち上がると、黒く変異したその右手を突きだした。僕の体を中心に青白い光の環が形成されていき、それが脈打ちながら右腕へと集約されていく。
「何でもいい……僕を殺して見ろ、人間。僕はお前等の恐れる怪物だ」
圧縮された青白いエネルギー弾を僕はそのままレールガンの要領で射出する。戦闘ヘリのコクピットを貫通し、操者の体ごと貫通したそれは人間の体を意図も簡単に沸騰、爆発させて機体もろとも跡形もなく吹き飛んでしまった。放たれた僕の青い弾丸が流星の様に白い尾を引きながら宇宙へと打ち上げられていく。それは重力に引き寄せられた流星というよりは重力に逆らい、母なる地球の圏内から飛び出そうと足掻く、ロケットの様に。
「これは復讐だよ。毒舌人形ユニ。死んだ君への弔い合戦だ」




