秘密の金魚
週が明けた月曜日から、柳は学校に戻ってきた。安野との仲がもとに戻ったのかはよくわからない。
「おはよう、安野さん」
教室に戻ってきた柳は、以前よりも明るい表情をしていた。周囲のクラスメートが、驚いたような様子で柳のほうを見ている。柳は彼らの視線など意に介さない様子で、自分の席にさっと座った。その顔はもううつむいていなくて、まっすぐ前を向いている。
金魚の呪縛から解き放たれるのと同時に、柳は自分を縛っていた何かから自由になれたのかもしれなかった。
柳が、安野と今後どういう関係を築いていくのかはわからない。けれども、それはたぶん以前とはかなり違ったものに、それも、きっと良いものになるだろうと耕哉は思った。
「結局、柳と安野の間に何があったんだろうな」
猿投はその話題になるたびに首をひねる。金魚を盗んで、勇気をもって手放したんだ、と言おうと思ったが、説明したところでわかってくれるとは思えない。
あの金魚は、特別だ。どこから来て、なぜ人を魅了するのか。それは誰にもわからないことなのだ。
耕哉は、さあとあいまいに答えを濁して、詳細を話すことはしなかった。
その日、学校から家に戻ると、また玄関の扉が開いていた。初めは警戒したが、確かに今朝は、間違いなく、鍵をかけたのだ。あの事件以来、施錠については気を使いすぎて体力を消耗するほど気を使っているのだ。不安はなかった。
ドアを開けると家の中から、
「誰だ、耕哉か?」
リビングのほうから誰かが顔を出す。久しぶりに休みが取れたのか、父が帰ってきていた。耕哉は慌てて、リビングに駆け込んだ。
机の上に鞄を置く。父は食事用のテーブルでコーヒーを飲んでいた。
「耕哉、水槽のエアレーションがつけっぱなしだぞ」
エアレーションは、あの空気をぶくぶくやる機械のことだ。あれから勉強したから、耕哉にもわかる。
「いいんだよ、これで」
耕哉は空っぽの水槽の中に目をやった。もう金魚はいなくなった。けれど、何もなくなったわけではない。
「父さん、この水槽、僕の部屋にもっていっていいかな」
父は気軽に答える。
「いいぞ、何か、飼うつもりなのか」
「うん、でも何を飼うかは今考えてる途中」
「そうか。組み合わせには気をつけろよ、中には一緒の水槽にいるやつを食べるのもいるからな」
父の許諾を得て、水槽を二階の自室まで持って上がった。部屋の片隅に用意したテーブルの上に、水槽を置いてコンセントを入れる。エアレーションは重要なのだ。切ってしまっては、うまく育たない可能性がある。
耕哉は、水槽の中に浮かべた水草の中に目を凝らす。水草の間には、小さな無数の粒々があって、その中では新しい生命がすぐにでも生まれ出ようとしていた。
あの金魚は、水槽の中に卵を残していったのだ。
金魚を殺すことはためらった。けれど、柳やほかの人に知られたままにしておくのは良くない。友人が大切なのは、本当だった。けれど、耕哉は柳がそうだと評したほど強い人間ではないのだ。こうして保険がかかっていなければ、耕哉もどういう行動に出ていたかわからない。
柳と一緒に、金魚すくいをしたことが間違いだった。初めから一人で、誰にも知らせず、こっそりと飼うべきだったのだ。その教訓を、次からは生かそうと思う。
友人にも、金魚屋の主人にも、父にも、母にも、当然、柳と猿投にも絶対に教えない。この金魚は、今度こそ、自分だけの秘密なのだ。これから生まれ出る子どもたちが、耕哉の殺した金魚より、ずっとずっとう美しく育ってくれればいい。そのための努力を、耕哉は惜しまないつもりでいる。三百円やそこらの出費では、全然足りないだろう。
そう誓って、耕哉はひとりほくそ笑んだ。水草に産み落とされた無数の卵の中から、一対の黒目が耕哉のほうを覗いていた。




