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秘密の金魚  作者: ミズノ
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金魚掬い

「ライ麦畑で捕まえて」でちらっと出てきた架空の作品タイトルから勝手にいろいろ想像して書いてみたお話です。一読いただけると嬉しいです。

 ひと目見て、欲しいと思った。

 水分を多く含んだ夏の風が吹き付けて、どこかの屋台につるされた風鈴が澄んだ音を立てた。夏の空気の湿り気も、夜を照らす白熱灯の温かみも、屋台の並ぶ通りを埋め尽くす人々の喧噪も、少女たちの着ている、色とりどりの浴衣の鮮やかさも、まるでどこか遠くのものに感じられていた。耕哉の視線はただ、水槽の中の一点に引き寄せられていた。

 屋台テントの四分の一ほどの面積を占める水槽の中では、たくさんの金魚が泳ぎ回っていた。その中で、体がほかの金魚たちより一回り大きくて、色合いも鮮やかな一匹に耕哉は引き付けつけられた。その金魚は、ほかの金魚たちにまるで遠慮することなく、ここには自分一匹しかいないとでも言っているかのようにゆったりと泳いでいる。

 その美しい金魚に向かって、耕哉の傍らからポイが伸びてきた。そいつを捕えようとしているらしい。ポイは、金魚をうまく中央にとらえた。しかし金魚は胴を激しく動かして抵抗し、水にふやけた紙を破って再び水に潜った。ポイの主は、何度か捕獲を試みたが、やがてあきらめたのか狙いを小ぶりな金魚に変え、数匹を捕獲すると別の屋台へ移ってしまった。

 ポイの主が暖簾をくぐるのを確認してから、耕哉は自分の財布の中の小銭入れを探した。いろいろ見たり、買ったりしたいものはほかにもあったが、一度くらいは挑戦してみる余裕はありそうだ。退屈そうに店番をしていた店主が、興味を持ったらしい耕哉に気づいて、声をかけてきた。

「一回、三百円ね」

 耕哉は三枚の百円硬貨を手渡して、それと引き換えにポイを受け取った。先ほど金魚を捕まえようとしたものと同じ、紙製のものだ。

「金魚すくいなんて、子どもみたい」

 傍らで、柳がバカにしたような表情を浮かべて耕哉を見ていた。柳は、今年初めて買ってもらった浴衣を汚したくないからか、去年と違って、屋台での買い物や遊びにあまり積極的ではない。昔は、お祭りといえば自分のほしいもの、楽しませてくれるものをすべて手に入れる場であったはずなのに。今年の柳は、着こなしの難しい(らしいと本人のいう)紫の浴衣の評判を気にしてばかりいる。

「どうせガキだよ俺は」

 耕哉はポイを水面に近づけた。

 金魚すくいにはコツがある。まず、獲物の動きを追いながら、金魚が水面すれすれまで上がってくるのを待つのだ。そして、水面まで浮上してきたところで、ポイを水に入れる。入れる角度は四十五度。水の抵抗で紙が破れてしまわないようにするためだ。それと、紙の上に金魚を乗せてはいけない。できるだけ、手元に近いところで金魚をすくうのだ。

 獲物が水面すれすれまで上がってくるタイミングを見計らい、耕哉は金魚の腹の下にポイを滑りこませた。抵抗するかと思ったが、金魚はまるで眠っているようにおとなしかった。何度も狙われて、疲れていたのかもしれない。そんな思考が頭の中で言葉になるよりも早く、耕哉は片方の手に持ったお椀に金魚を放り込んだ。しかし金魚は体が大きく、重い。だから放り込んだときの勢いで、水でふやけた紙に穴が開いてしまった。まだ、小さい金魚ならあと数匹は捕えられそうだったが、もうポイの様子は気にならなかった。

 使い終わったポイと金魚の入ったお椀を店主に渡す。

「こいつは、この水槽の主だよ。みんな苦戦してたんだ。よく捕ったな」

 店主は透明のビニール袋に金魚を移し替え、耕哉に手渡した。それと一緒に、どこかで仕入れてきた駄菓子を二つ差し出してきた。

「そっちの嬢ちゃんにもあげるよ」

 耕哉と柳は、各々ひとつずつ駄菓子を受け取って屋台を離れた。


 しばらく歩き回った後だったから、近くで休憩することにした。屋台の列から少し離れた場所に、木製のベンチが設置されている。幼いころから何度も参加しているお祭りだから、どこになにがあるかはよく把握しているのだ。提灯と屋台から漏れてくるあかりがその場所だけを丸く照らし出していた。幸いまだ先客はいなかったから、耕哉と柳は並んで腰を下ろした。

 あかりの下で、捕まえた金魚をもう一度眺めた。透明なビニール袋の表面を水滴が伝って地面に落ちる。金魚は袋の中でくるくると小さく円を描いていた。

「きれい」

 気づくと、柳の顔がすぐ近くにあった。暑さのためか、目の前の金魚の美しさのためか、頬が少し紅潮していた。陶酔に溶けてしまいそうな瞳は、袋の中の金魚に向けられている。もし柳の首の角度が、もう十度ほど耕哉のほうに向けられていたら、たぶん耕哉は恋愛か、それに準ずる感情に引きずり込まれていただろう。

「耕哉、と柳」

 耕哉と柳は二人そろって声のほうを向いた。友人の猿投だった。

「ここにいたか。もうすぐ、花火が始まるぞ」

 耕哉はすぐ行く、と応じて立ち上がった。

「悪いなあ、邪魔しちまって」

 猿投の見当違いな謝罪を聞き流しながら、耕哉はベンチから立ち上がった。

「なんだお前ら、金魚すくいなんてやってたのか」

 猿投は耕哉が手に持ったビニール袋を見て、ふふんと笑った。

「意外とガキだなあ」

 耕哉の隣では、柳が不服そうに猿投をにらみつけていた。


 広場にはすでに人が集まっていた。一歩踏み出せば誰かの頭とぶつかるような混雑具合だ。人込みをかき分けながら進む三人の頭上に、色取り時の炎が瞬いては消えていく。毎年、見入っていた光景なのに、今年はどうしてかあまり楽しめていない気がした。小学校を卒業してしまったからか、それとも片手から下げた金魚があまりにも美しいからか、そのどちらかだろうと耕哉は考えていた。


 花火は一時間ほどで終わった。花火を見終わって、お祭りのイベントはすべて終了した。耕哉、猿投、柳の三人は、連れ立って帰りの道を歩いていた。お祭りの喧噪とあかりがだんだん遠ざかっていく。捨てるタイミングを逃した焼き鳥の串が、間が抜けているけれどなんだが切ない。

 と、耕哉の頬に一点、冷たい雨が打ち付けた。片手で頬を伝う水滴をぬぐった。あっと思った時にはすでに、勢いを増した雨が、容赦なく三人に襲い掛かってきていた。

「わっ、降ってきた」

 ここからだと、耕哉の家が一番近い。しばらく雨宿りしてもいいし、傘を貸してもいい。

「とりあえず、俺の家まで行こう」

 

 住宅街の中にある一軒家が耕哉の自宅だ。郵便受けの中に隠してあったカギを取り出す。家の中は誰もいないから、まっくらだ。防犯を考えて、あかりくらいはつけておくべきだったか。

「親はいないのか」

「うん、二人とも、今週はずっと出張だから」

 耕哉の両親は二人とも忙しい。頼りになるが、家族が一緒に過ごせる時間は少ない。

「そっか」

 柳は大変だねというような顔を向けてきたが、耕哉はそれに答えず玄関の扉を開けた。

「まあ入れよ。親がいない方が、好き勝手できていいだろう」


 タオルを一枚ずつもって、居間のテーブルで三人向かい合う。耕哉は台所からガラスのコップ三つと麦茶のボトルをもってきて、テーブルの上に置いた。

「ごめん、お手洗い借りても良いかな」

「部屋を出て、右な。一番手前のところ」

 柳が部屋を出て、リビングのドアが閉まったところで、耕哉は自分のコップに麦茶を注いだ。猿投はすでに自分のコップにお茶を注いでおり、ごくりと一口で飲み干した。のどが渇いていたらしい。

「柳は変わったな」

 猿投は廊下の向こうでドアが開閉する音を確認してから、そう言った。

「そうか?」

 猿投はコップに麦茶を注ぎ足し、二敗目の麦茶も一口で飲み干した、

「小学校のときは、めちゃくちゃおとなしくて、ほかのやつにからかわれたりしてだろ」

 小学生のころから、猿投は柳のことを心配しているのだ。

「確かに、小学校のときはおとなしかったけど、昔より、今はよく話をしてる。こんどクラスメートを家に誘う、みたいなことも言ってた」

「ま、もう心配しなくてよさそうだな」

 耕哉達三人は家が近く、幼いころからよく一緒にいる間柄だ。だから、互いの性格はなんとなく理解している。柳は、嫌なことを嫌だと、欲しいものを欲しいと言えない性格で、よく人にからかわれる。だから、猿投は柳のことを心配していたのだ。

「たぶんね」

 廊下の向こうで、もう一度ドアが開閉する音。廊下をゆっくりと遠慮がちに進んでくる足音が数歩聞こえたところで、リビングの扉が開いた。柳が戻ってきたのだ。耕哉は思わず、猿投のほうに身を乗り出す姿勢を改めて背筋をぴんと伸ばした。柳は、あからさまに不審な表情を浮かべている。

「なんの話してたの、私の悪口?」

 耕哉は一瞬言葉に詰まるが、猿投は面白そうに、

「お前が成長したなあ、って話をしてたんだよ、柳」

「どういうことよ」

「俺はうれしいぞ、あんなにちんちくりんだった柳が……」

 柳は右手を勢いよく前に突き出した。その拳は猿投の腹部にめり込み、猿投は飲みかけていた麦茶を口からこぼしそうになっていた。

 他愛のない話が始まったので、耕哉は、自身がよていしていた作業を進めることにした。リビングの脇に置かれた、空っぽの水槽を確認する。そこに、持ち帰った金魚を放り込んだ。アクアカタリストとしての知識はほとんどないが、とりあえず空気をぶくぶくさせるボタンを押しておけば大丈夫だろう、くらいの気持ちで、水槽の傍らにある機械の電源をコンセントにつなぎ、スイッチをオンにした。

「あ、晴れてきたんじゃない」

 下腹部を抑えてうつむく猿投をよそに、柳は窓の外に目をやった。雲の間からは月の光が漏れ始め、地上を覆っていた暗闇が薄らいでいく。

「傘はいらないな」

「そうだね、じゃあ、もう帰ろうかな。ほら、猿投くんも」

 猿投はよろよろと立ち上がる。

「ありがとう、耕哉くん」

「じゃーな耕哉」

 耕哉は玄関まで二人を見送った。外はすっかり雨が止んで、空の頂上には黄色い三日月が見えた。空中の水分がその光を反射しているのか、三日月の放つ淡い輝きが、黄色い絵の具を薄く、めいっぱいに引き伸ばしたように天上を覆っていた。


 二人を見送った後、リビングに戻って水槽の中の金魚を眺めた。ゆったりとひれを揺らしながら泳ぐ姿はほかの種とは別格だと思った。色合いが違うのか、たたずまいが違うというのか、迫力がある、とでもいうのか。なぜ自分が、こうも強くこの金魚にひかれるのか、耕哉にはまったく理由がわからなかった。

それと柳のことで、ひとつだけ気になっていることがある。猿投はともなく柳は、家にいる間中、水槽のほうに片時も視線をやらなかった。あんなに、この金魚のことを気に入っているようだったのに。まるで、意識して見まいとしているように思えた。それとも、単にもう興味を失ってしまっただけかもしれない。深く考えようとも思ったが、思考の鎖は数秒もたたずにあっさりと絶たれた。

 それは、目の前の金魚の美しさが、耕哉の中に生じた違和感を跡形もなく流し去ってしまったからだ。

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