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水と剣の物語

水と剣の物語 2話 「清流の中の冒険」

作者: 兵藤晴佳

1、

 高校から県道ひとつ隔てた住宅地の向こうに、その清流はある。積翠城のふもとに広がる城下町を抜け、険しい山並みを仰ぐ本流へと続くこの川は、町の子供たちの格好の泳ぎ場でもある。従って、生徒たちのほとんどにとって、ここは懐かしい遊び場であった。夏休みが過ぎて授業が始まると、体育教師の中には、水泳と称してここで生徒を遊ばせる者もいる。しばらくはまだ暑いので、生徒も喜んでこれに応じる。

 県道は、城下町の入り口で大きく湾曲し、橋となって川の上を渡る。橋の下は堰堤になっていて、滝となった流れが、轟音を立てて水しぶきをあげている。

 ここに立つと、橋の下の堰堤から川上が男子生徒、川下が女子生徒の泳ぎ場となっているのが分かる。車で走ると気づかないが、自転車や徒歩で歩道を渡る者は、川上の少年たちのじゃれあう声に微笑む。そして、川下の川原に寝そべって何事か囁きあう少女たちのまぶしい姿に見とれるのでる。


2、

 「ねえねえ、みゆき、みゆき……」

 石動絵梨佳は、白いかわらにころりと横になって、隣にねそべる那智みゆきに囁きかける。2人のスクール水着の上から羽織ったTシャツには、水着の黒がぼんやりと透けて見える。

 みゆきは答えない。まだ暑いとはいえ、そろそろ高くなり始めた空の澄んだ青を見つめているばかりである。絵梨佳は、う~んと唸って、しなやかな白い脚を初秋の空に向かって伸ばし、ぱたんと落とす。

 シャツのすそから覗く水着は、濡れてもいない。一応水泳の授業と称してはいるが、川はどうしたって競泳には適さない。また、中学までの夏休みならいざ知らず、もはや少女たちは濡れたTシャツのからみつく水着姿を、平気で外に晒すことはできなくなっていた。

 「な~に~、絵梨佳ちゃん?」

 けだるそうにみゆきは答える。剣道部の朝練は、結構こたえる。こんな時にでも寝ておかないと、午後はもたないのである。

 「氷室君のこと、好き?」

 「全然。」

 遠い目で空を仰ぎながら、みゆきは平然と答えた。

 「何で?気があるの?」

 絵梨佳は慌てた。

 「え~、違う違う、だって私、悠鷹君がいるもん」

 「この。」

 必死で否定する絵梨佳のさりげないのろけに、みゆきはその額をかるくこづく。

 「痛いな、も~……だって、氷室くん、みゆきちゃんのこと、いろいろ聞いてくるんだもん」

 ちょっと怒ってみせて、絵梨佳は意味ありげに微笑んだ。

 「奈美ちゃんのことも聞いたでしょ?」

 「全然。」

 「そのうち聞いてくるよ」

 寝転んだまま首をかしげる絵梨佳を眺めながら、みゆきは、内心でぼやく。

 (この子はも~。あたしにかこつけて、あんたに絡んでるんじゃない。鈍いんだから)

 「なになに、何話してるの?」

 水際の浅瀬で他の数名とじゃれて遊んでいた奈美が戻ってきた。

 まだ、太陽の光は熱い。Tシャツには、水着に抑えられた体の起伏が、影となって映っている。濡れている素足の跡が大き目の砂利の上に点々と残る。 無理やり2人の間に割り込んで寝そべると、彼女は頭ひとつ背が高かった。

 「氷室君のこと。」

 「え、なになになに、みゆきちゃん、もしかして……」

 「何であたしなの!」

 絵梨佳の返事で何やらうろたえる奈美に、みゆきはすかさず突っ込んだ。

 「だって、絵梨佳ちゃん、悠鷹君いるし……」

 絵梨佳が、ぽんと手を叩いた。

 「あ、奈美ちゃん、もしかして……」

 「うん……」

 くすっと笑って、絵梨佳は奈美の豊かな胸に頭を乗せる。

 「がんばってね。」

 励ましの言葉と共に、みゆきも奈美の胸を枕にして、居眠りの続きをはじめる。つられるように、他の二人もとろとろと眠りにつく。遠くから、少年たちの嬌声が聞こえてくる。


3、

 どちらかと言えば渓流といっていい川であるが、深いところは結構深い。

 「1番いきまーす!」

 川面に突き出た岩の上から、掛井悠鷹は、きれいにトンボを切って飛び込んだ。それを川原から遠目に見ながら、氷室はぼやく。

 「ガキ……」

 水と戯れる同級生たちを眺めながら、氷室はなにやらぼやき続ける。

「 だいたいやな……」

 何がくだらないといって、女の子なしの水泳の授業ぐらいくだらないものはない。筋肉隆々、あるいは胸毛まで生えていようかという野郎どもである。海パン姿を10数体並べられて、気色のよかろうはずがない。そんな連中と半裸になってじゃれあうなど、氷室の美意識が許さなかった。

 ごろりと川原に横になると、隣には、既に陽介が寝ている。相変わらずの無表情である。生きているのか死んでいるのか、ときどき心配になる。

 「おい、起きてるか?」

 ついと突付くと、陽介は細く目を開ける。

 「もう、授業、終わりか?」

 「まだ、20分ほどあるなあ。」

 「寝かせろ」

 つっけんどんに言って、陽介は再び目を閉じる。


 陽介の目に映っているのは、冬の冷たい水底である。彼は、はるかな高みにある、ほのかな光を見つめながら、そこに横たわっているのだった。

 水の流れは、かすかではあるが、はっきりと全身の皮膚に感じられる。その中を、いくつもの幻が流れていく。それは、氷室のようでもあり、悠鷹のようでもあり、絵梨佳のようでもある。彼がこれまでに会った人々の姿が、それこそ袖擦りあう程度の人に至るまで、水の光の中に浮かんでくる。重なり合う影・影・影。陽介は、その影たちに抱かれていることを知っていた。

 これが幸福というものなのだろう、と、彼は思っていた。


4、

 「あほが、水にはまりよった……」

 派手に水しぶきを上げた悠鷹を眺めて、氷室が、あきれたようにつぶやく。川で泳いでいるのだから、水にはまるのは当たり前であるが、この場合は「岩場から脚を滑らせた」の意である。

 また、すぐに上がってくるだろうと、氷室はぼんやり考えていた。


 悠鷹の遠のいた意識が、一瞬の夢に変わる。

 足を滑らせて水中に落ちた瞬間、視界が暗転した。深い深い水の底へと、彼は落ちてゆく。いけない、と思って水を蹴るが、体は浮かび上がろうとしない。

 おかしいと思って手足を見ると、何か、繊細な触手のようなものが無数にまとわりついている。二、三度、手足をばたつかせてみるが、まるで蜘蛛の網にからまれた羽虫のようなもので、身動きひとつできない。全身の筋肉が、緩んでいく。

 絶望の二文字が、暗い眼前に浮かんだ。


 「いかん……」

 幻たちの流れが、大きく揺らいでいた。何かが起こったことを、陽介は感じた。周囲のぼんやりとした光は、次第に薄い闇へと変わっていく。それに従って、陽介の目に映るものは、はっきりとした形をとりはじめる。

 やがて、そこには、繊毛に捕らわれた悠鷹の姿が現れた。

 「水剣みつるぎを」

 いつのまにか、陽介は一本の剣を手に、悠鷹のそばに佇んでいる。冷たい銀光が、縦横に閃く。


 ふわりと上昇する感覚に、悠鷹は気づいた。周囲はぼんやりと明るくなり、かすかな水の流れが肌に触れる。いやらしい触手の感覚はすでになく、かわりに、白くたおやかな腕が、背中から彼を抱えていた。

 やわらかい乳房の感触に、何やらほっとして、その腕に身を委ねる。長い髪が、二人を包むように揺らめいているのに気づく。

 (女……?)

 頭上の光を見上げると、彼を見下ろす少女の顔があった。

 絵梨佳に似ている、と思った。


5、

 「悠鷹君?」

 突然叫んで跳ね起きた絵梨佳に驚いて、奈美とみゆきは目を覚ました。

 「ど~したの?」

 「彼、向こうじゃなかった?」

 二人の問いに、絵梨佳はテレ笑いをしながら頭を掻く。

 「え……と、寝ぼけた……」

 こら、と額を突っつく2人に同じ反撃を加える絵梨佳は、川面の煌きの中から現れる、小柄な少年に気づいた。

 「悠鷹君?」

 「やるじゃ~ん!」

 異口同音に羨望の声をあげて、奈美とみゆきは絵梨佳をもみくちゃにする。当の悠鷹は、きょとんとして周囲を見回していた。

 「掛井いいいいいい!」

 堰堤から大きくジャンプした氷室の姿が、一瞬、水煙の下に消える。数秒後、悠鷹の姿も、水面下に消えていた。

 「悠鷹君?」

 「氷室くんだあ!」

 「ここがどこだか分かってんのか!戻れ!」

 心配と喜び、二通りある絵梨佳と奈美の叫びを後に、みゆきは水飛沫とともに立ち上がった男子二人めがけ、絶叫して走り出す。

 「何しくさる!」

 「俺が先にやろうと思うてたことを!」

 川の中でローリングソバットと太極拳の回し蹴りの応酬をはじめた氷室と悠鷹に、駆け込んだみゆきのダブルラリアットが炸裂する。

 「お前ら何やっとるかああ!」

 三人まとめて倒れこんだ水の中まで、体育教師の怒号が響いた。


 川上の川原で、陽介は目を覚ました。川下から、先生の説教が風に乗って聞こえてくる。男子連中は、てんでに大き目のTシャツを羽織って、泳ぎ場を離れつつあった。

 氷室と悠鷹は、彼の力でも、もはや救出不能である。陽介も、とりあえず帰ることにした。

 太陽はそろそろ中天に登りつめようとしている。もう昼近かった。


(完)

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