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天暦992年 7月17日 其の一


 カーテンから差し込む日の光で目が覚めた。地上と違って空気中に漂う粒子が少ないからか、清々しくも鋭い光には未だに少し慣れない。

 時刻は七時十五分。

 まだまだ時間には余裕があるけど、朝ごはんを用意しなくちゃいけない。涼くんと、それからミリアちゃんの分も。一つ大きな伸びをして、私はベッドから抜け出した。


 昨日涼くんと喋った内容はすごく気になるけど、とりあえず今は目の前の事に集中しよう。

 私たちの目的を達成する為にはまず、深條くんの力が必要なのだから。



「おはよう、切原さん」

「おはよー深條くん。昨日はお疲れ様。筋肉痛とか、ない?」

「うん、問題ないよ。今日もばりばり飛べちゃう気分」


 校門で出会った深條くんはなんだか上機嫌に見えた。エアロ・ウォルクスで飛べたのがそんなに嬉しかったのかな。

 心の底から楽しそうに練習していた深條君の姿は、ちょっとうらやましかった。エアロ・ウォルクスはもう、私に綺麗な景色を見せてくれはしないだろうから。


「まぁその前にPOPを乗り切らないと。暫くは気の抜けない日々が続くと思うけど、頑張ろうね」

「ありがと。私も頑張るね」


 今日も、誰かから命を狙われる。きっと深條くんはそれを返り討ちにする。普通の学校の中で、あたりまえのように殺しが行われるのはやっぱり気持ち悪いけど、こればっかりはなれないといけないんだろうなぁ。


 他愛もない会話をしながら、教室へと足を運ぶ。いつの間にか深條くんとも自然に話せるようになっていた。私が慣れたからなのか、深條くんが気を使ってくれてるからなのかは分からないけど、多分どっちもだろう。


「あ、おはよー綾香ちゃん! お、深條と一緒に登校?」

「おはよう沙織ちゃん。うん、たまたま校門で一緒になったんだー。ね、深條くん?」

「まぁ僕は切原さんの事待ってたんだけどね」


 予想外のセリフに驚いてしまう。


「えっ、ほんと?」

「うそ」

「なにそれびっくりしちゃったよ……」


 まぁ確かに、効率重視というか、必要な事しかやらなさそうだもんなぁ深條くんは。わざわざ待ってくれる意味もないし、当然か。


「深條くんは本当に嘘付きですね」


 私たちの後ろから教室に入ってきたらしい由香ちゃんが言った。由香ちゃんの声ってとっても綺麗で、私好きだなぁ。


「おはよ、由香ちゃん。うそつきってどういう事?」

「おはよう、切原さん。そのままの意味です。深條くんは切原さんと出会う三十分以上も前から、校門の前にいましたから」

「待った、なんで由香ちゃんがそれを知ってるのよ」

「足立さん。今はそんなことはどうでもいいんです」

「りょ、了解……なんか怖いよ由香ちゃん……」


 由香ちゃんがなんて深條くんの事をそんなに観察していたのかも気になるところだけど、私はとりあえず深條くんに問いかけた。


「どういうこと?」

「……まぁ、ほら」


 一拍置いて、少し恥ずかしそうに深條くんは続けた。


「いつPOPが始まるかわかんないし、できるだけ学校の中では一緒に居ようと思って、それで……」


 え、あ。えーと、冗談、だよね? そんな嬉しいこと深條くんが言ってくれるわけ……


「深條お前、いつの間にそんな口説き文句覚えたんだよ! おねーさん妬いちゃうなぁ」

「べ、別に口説いてなんかないよ! 変な言い方やめてよ足立さん!」


 沙織ちゃんと深條くんのやり取りをぼーっと見ながら、私は状況を整理してみた。


 深條くんは今、POPで頂点に立とうとしているところだ。

 多分だけど、「私を守る」という名目があるからこそ、深條くんは大々的に人を殺す事ができるんだと思う。

 私の名前が涼くんと深條くんの間で交わした契約の中に入っているのはそれが理由だと、勝手に想像している。

 

 だとすれば。

 

 対外的に、転校してきたばかりの私を守る理由が深條くんには必要になる。

 たとえばそう、誰が見ても明白な「好意」という感情を使えば、それが可能なのではないだろうか。

 


 何故深條くん私を守るのか。それは私の事が好きだから。



 とても簡単な図式。しかしこれは、POPで頂点に立つ、という部分から目をそらさせるためのブラフ。深條くんの狙いは、きっとそこだ。


「よし、納得した」


 私にしては結構いい線をついている気がする。頑張った私。


「何がですか?」

「え? う、うーんと、深條くんは別に私が好きなわけではないんだろうなぁ、って思って」


 私の言葉が意外だったのか、ちょっと目を大きく開いて、そして悲しそうな顔をした。由香ちゃんってまつ毛が長くて目もくりっとしてて、お人形さんみたいだ。


「そう、思いますか?」

「うん」

「私も、そう思います。そう思いたいです……だって深條くんは……」


 言葉はしりすぼみになって、最後の方はほとんど聞こえなくなった。


「ご、ごめん由香ちゃん。今何て?」

「……っ、なんでもないんです。すいません忘れてください……」

「そう?」

「えぇ、変な事いってごめんなさい……あら?」


 由香ちゃんの目線が私の後ろに向いた。振り返ると、深條くんがクラスメイトの男の子と喋っているところだった。名前は知らないけど、ずいぶんと体が大きい。身長は深條くんくらいだけど、肩幅とかが全然違う。強そう。


「深條、俺はお前に異議を申し立てる」

「何? 安部君。僕何かしたっけ」

「簡単にいえば、うらやましい」

「というと?」


 勝手なイメージだけど、柔道部の部長とかやってそうな、質実剛健な見た目。そんな安部くんが、がばっと頭を下げて、大きな声で言った。


「俺にも切原さんといちゃいちゃさせてください! というか護衛させてください!」

「~~~~っ!」


 び、びっくりしすぎて声が出なかった……。というか申し訳ないけど、名前すら知らなかった人なんだけど……。


「それは無理」

「そこを、なんとか!」

「だって切原さんは転校してきたばっかりだよ? いつ狙われるかわからない。危険な目には合わせられないよ」

「身体能力では深條より俺の方が上のはずだ! 違うか?」


 確かに体格だけみれば安部くんの方が強そうだ。


「なんならここで試してみても――――」

「あぁ……オッケー。分かったよ。確かに僕だけ独占するのは、不平等だね」

「ほ、ほんとか深條! 恩に着る!」

「ただし、切原さんがいいって言ったらね」


 深條くんが腰をかがめて、私に目線を合わせて言った。


「しばらく護衛が安部くんに代わってもいいかな」

「そ、そんなの」


 嫌に決まってる。 

 安部くんには悪いけど、既に命を預けた事がある人か、全く見ず知らずの相手か、どちらに守って欲しいかなんて比べるまでもない。

 深條くんとだって会って日は浅いけど、彼は涼くんが認めた人だ。それだけで十分頼る理由になる。

 断ろうと声を出しかけた時、深條くんが私にしか聞こえないくらいの小さな声で、耳元で囁いた。


「ここは承諾して」

「――――っ…………い、いいよ」

「よっしゃぁあああああ!」


 大喜びする安部くんとその取り巻きは私の目にはほとんど映ってなかった。深條くんの顔だけが像を結ぶ。もっと、何か言ってほしい。情報を与えてほしい。


「ごめんね。細かい取り決めはこっちでしとくから」

「あ、あの深條くん」

「なに?」


 この状況は恐らく、深條くんが意図的に作りだしたのだ。理由は全く分からないし、きっと考えても思いつかないのだろう。なら、それならば、せめて。


「はやく、戻ってきて欲しい……かも」

「……うん」


 今まで見た中で一番優しい笑顔を浮かべて、深條君が言った。例え作り笑いだったとしても、嬉しかった。



◇◇◇



「よろしくね、切原さん」

「う、うんよろしく、安部くん」


 こうして、私の護衛は一時的に安部くんになった。四限の授業が終わり、安部くんと一緒に食堂へ向かう。深條くんが安部くんと交わした契約はこんな感じ。



 一、一週間だけ安部博あべひろしに護衛を任せる

 二、護衛は学校に居る間、午前八時から午後五時半までに限る

 三、命を賭して切原綾香を守ること 



 三番目とか仰々しすぎるような気もするけど、これが普通なのかな。私も少しは自分の身は自分で守れるようにならないといけないよね。その為には、もっとこの世界のルールを肌になれさせないと。


「無理言って変わってもらってごめんね。でも任せて! 見た目の通り、俺、結構強いから!」

「そ、そうなんだ」


 確かに大きな体とがっしりとした腕や足は、否応なく人に威圧感を与える。

 でもなんでかな。深條くんの方が、強そうに見える。


「えっと……安部くんはどうして私の護衛をしたいと思ったの?」

「んー、端的にいえば、一目惚れしたから、かな」

「ひ、一目惚れ……ですか」


 教室での会話でなんとなく予想はしていたけど、面と向かって言われると恥ずかしい。


「うん。自己紹介と、その後のおちゃめな発言を聞いて、完全に惚れちゃったんだ」


 あれはおちゃめな発言でもなんでもないんだけど……まぁそれは、今は置いておこう。


「声をかける前に深條に一番いいポジション取られちゃって、でも諦めきれなかったから、ああしてお願いしたってわけさ」

「せ、積極的だね」


 何を言ってるんだ私は。そんな他人事みたいな……


「ははは、そうだね。黙ってじっとしているのは性に合わないから。一週間で頑張って切原さんとの距離を縮めてみせるよ」


 とっても爽やかにそういうと、安部くんはからりと笑った。

 まだあんまり会話を交わしてないけど、誠実な印象をうける。良い子、なんだろう。

 でも、私がこうやって安部くんに守ってもらう事にオッケーを出したのは、深條くんに言われたからだ。

 だから少し罪悪感がある。安部くんのまっすぐな気持ちに向きあえていない自分が、嫌だ。

 そんな気持ちを紛らわせたくて、私は適当な話題を探す。

 確か転校生なら最初にする質問を深條くんが教えてくれたっけ。


「安部くんのポイント、見せてもらってもいい?」

「え? ポイント? もちろんいいよ。確かに切原さんは気になるよね」

「う、うん。そうなんだー」


 なんだか思ってたのと違う反応が返ってきたけど、安部くんはためらいなく私にポイントを見せてくれた。「切原さんは気になる」って、どういうことなんだろ。


「う、うわぁ、2245ポイント……す、すごいね」


 深條くんでも多いと思ったのに、更にその二倍以上。

 深條くんは、POPは体の大きな人間や、運動のできる人間だけに有利なようにできているわけじゃないって言ってたけど、これを見ちゃうとやっぱり、多少はそういう面も関係してるんじゃないかなって、思ってしまうよね。


「どうやら深條よりはポイントが多かったみたいだね」


 私の反応をどうとらえたのか、安部くんが心持ち得意気に言った。あぁ、そうか。さっきのセリフは「守ってくれる人のポイントは気になるよね」って意味だったのか。


「それはちょっと言えないけど……」

「うん、別に言わなくてもいいよ。例え彼にポイントが負けてたとしても、彼よりも言い働きをするつもりだったし。それは変わらないから」

「ありがと……」


 葡萄の木の世界では、好きな人にこういう風にアプローチする方法もあるのかなぁ、なんて事を思う。

 命をかけて守ると言われれば、嬉しくないわけがないし、例えば実際にPOPが始まれば、吊り橋効果やら何やらで、その人の事を好きになるかもしれない。私が知らないだけで、そういった文化があるのだとすれば。


 軽々しく護衛を引き受けてもらうのは、良くなかったのかもしれない。

 安部くんは今、少しは私の気を惹ける可能性があると思っているだろうから。

 胸が、痛い。


「どうしたの切原さん? 具合でも悪い?」


 私の目をのぞきこむ彼の瞳はとても澄んでいて、純粋に私に好意を向けてくれているのだと分かる。謝罪したい気持がつのる。




 そんな、時。




【POP、開始】




 はかったように低温のブザーが鳴り、端的なアナウンスが流れた。

 同時に腕輪が軽く振動し、赤く染まる。示された番号は、Ⅰ。


「切原さん、俺の後ろに隠れて!」


 安部くん素早く周りを見渡しつつ、私の体を壁際に寄せる。深條くんが言っていた、インターセプトを、彼もやるつもりのようだ。


「……くそっ、昼休みの食堂近くだから人が多いな……切原さん、ちょっと人が少ない所に移動して――――」


 安部くんが言葉を最後まで言い切らなかった理由は、私にもすぐにわかった。

 ゆっくりと、こちらに歩いてくる人物がいた。


「……誰だ、お前」


 その人物は、ネズミのお面をかぶっていた。手には大きなバタフライナイフを持ち、静かに歩を進めてくる。よく見ると、この学校の制服ではない、ロングスカートをはいている。


「ふざけたなりしやがって……来いよぶっとばしてやる。【purify】」


 安部くんがネズミ女を標的に定めた。廊下は安部くんとネズミ女の周りだけ誰もおらず、何メートルか先は野次馬でごった返していた。


「切原さん、腕輪の数字が増えたら教えて。あいつは囮で、俺が相手をしている間に他の奴が切原さんを狙う可能性もあるから」

「うん……分かった」


 冷静な判断。やっぱり、POP慣れしているみたい。


 ネズミ女と安部くんの距離が詰まる。


 安部くんのガタイが良すぎるから分からなかったけど、良く見るとネズミ女も相当背が高い。身長だけなら彼と同じくらいじゃないかな。


「だぁああああああああああああああああああああ!」


 突然の大声に、私の体が一瞬硬直した。

 空間を引き裂くような大きな掛け声をあげ、安部くんが突進していく。手には何も持っていないけど、彼の場合、その立派な体全てが武器になり得る。少しでも接触すればなし崩し的に負けてしまいそうだ。

 

 同じ事をネズミ女も考えたのか、安部くんの拳をひらりひらりとかわしている。その動きには無駄が無くて、なんだか安部くんの攻撃がどこからくるのか分かっているようなかわし方だった。


「く、そっ!」


 しびれを切らした安部くんが、今までよりも少し大きめに拳を振りかぶる。拳が突き出されるまでの時間がわずかに伸びた、その瞬間をネズミ女は見逃さなかった。


「おぉおおお!」


 周りから歓声が上がるほど鮮やかに、ネズミ女は安部くんの横をすり抜けて私の元へと駆け寄ってきた。

 手に持ったジャックナイフが鈍く光る。

 

 一撃。最初の一太刀は恐らく躱せる。嫌な汗がにじみ出るのを感じながら、私は体の無駄な力を極力抜く。

 


 だが。



「させるかぁああああ!」


 ネズミ女の刃が私に届くよりも早く、安部くんが彼女の襟首をつかんだ。そしてそのまま、力任せに投げ捨てる。


「か……はっ……」


 背中から床に叩きつけられたネズミ女が、仮面の隙間から辛そうな声を漏らす。ハスキーな声。


 そこに安部くんが追い打ちをかける。両腕を力いっぱい振りおろし、ネズミ女の小さな頭部へ強烈な一撃を





 ぱんっ





「う、おっ! な、なん……」


 多分、安部くんには何が起こったか分からなかったに違いない。

 それほどの早業で、ネズミ女は隠し持っていた袋を叩き、破裂させた。

 白い粉がぶわっと舞い、安部くんは攻撃を中止せざるを得なかった。

 とっさにバックステップで距離を取ったところを見ると、やはり安部くんはかなり戦いなれている。白い粉の正体は多分小麦粉か何かだろう。


「く、そ! あいつは……!」

「さっき逃げちゃった」


 分が悪いと思ったのだろうか、ネズミ女は華麗に窓から飛び出し、逃げて行った。


「そ、そうか……」

「うん。どうしたの、変な顔して」

「いや、切原さんって……なんでもない。とりあえず、無事でよかった。POPはまだ終わってないから、気は抜けないけど」


 一体何を言おうとしたんだろ。変な安部くん。


「そうだね……守ってくれてありがと。助かりました」

「お礼なんてやめてよ。あいつを殺せなかったから、今回は失敗だよ……」


 心底悔しそうに安部くんは言った。


「殺し損ねたから、ポイントもマイナスされてるんだろうなぁ。もしまた襲ってきたらちゃんと殺さないと」


 慣れた手つきでACSISを操作し、自分のポイントを確認している。でも、周囲にしっかりと気を張っているのが近くに居る私には分かった。何気に隙のない、良い立ち方をしている。


「……ねぇ、切原さん」

「ん、どうしたの?」

「これを見てほしいんだ」


 ACSISが手渡される。安部くんのポイントならさっき確認したよ? と言おうとして、私の目は画面にくぎ付けになった。


 そこに表示されていたのは、安部くんのポイントではなかった。POPの成績上位十名を記したランキング。

 第一位は前に見た時と同じくRanunculus。二位に味付け海苔、三位にハイブリッジと続き……


「四位……ネズミ仮面……」

「あぁ」


 神妙にうなずき、安部くんが拳を握りしめる。ぎちぎちと皮の擦れる音がした。否応なく思い出されるのは、さっきまで目の前に居た、あの女性。


「もしかしたら俺たち、とんでもないやつに目を付けられたのかもしれない」 


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