天暦992年 7月16日 其の五
私が生まれた時には、もう戦争は始まっていた。正確には、「まだ続いていた」というのが正しいのかもしれない。
最も戦争の激しかった時代は「焔の時代」と呼ばれていて、今から百年ほど前の話だ。私や涼くんが生まれたのはそれよりは落ち着いている時代、世間では「残火の時代」なんて言われている。
それでもやっぱり戦争は戦争だから、当然沢山の命が瞬く間に散っていったし、戦える者は戦闘に加えられた。
なんで戦争をしているのかは、正直よく分からない。歴史の授業とかで学んだ知識をつなぎ合わせてなんとか分かるのは、全ての原因が「葡萄の木」にあるという事だ。
葡萄の木は現在どの国の所有物でもなく、そこから生み出される「資源」は各国の代表が集まって平等に分け合う仕組みになっていた。
土地は枯れ、大気の汚れた地上では、充分な食糧を確保する事ができない。「資源」とはつまり、環境が整えられた「葡萄の木」で作られた食料や家畜、衣類や木材等の資材、そして「人」だった。
年に一度、「葡萄の木」の根元にある「カクテル」と呼ばれる場所から様々な資源が吐き出される。その中には葡萄の木の住人も含まれていた。彼らは非常に体が丈夫で、且つ従順であった為、労働力として重宝された。労働力といっても奴隷の様な扱いではなく、寧ろ最高の待遇でもてなしたと言われている。
葡萄の木の施しを受けつつ、地上を浄化し、再び快適に暮らせる世界に戻す。それが地上の住民の、最終的な目標だった。
そう、目標「だった」。
西暦三千十五年、天歴にして七百二年。一人の葡萄の木の住民が、エアロ・ウォルクスを手にカクテルから現れた。「綿兎」と名乗るその少女を手にしたのは、偶然にも日本国だった。
綿兎は今まで現れたどの葡萄の木の住民よりも凶暴だった。その名前とは裏腹に、常に戦いを求める、血に飢えた狼のようだったという。
凶暴で、且つ非常に高い戦闘力と、エアロ・ウォルクスという未知の兵器による高い機動性に目を留めた当時の政府は、試しに自国の軍隊と綿兎を戦わせてみる事にした。
結果は綿兎の圧勝だった。
戦車や飛行艇といった大型戦闘機を前に、戦闘時間わずか二十四分という驚異的な記録を目の当たりにした政府は、一つの決断をする。
すなわち、全世界の武力による征服。そして「葡萄の木」の独占である。
結果からみれば、それは決して切ってはいけないカードであったように思われる。今となっては誰も口にはしないし、人によっては脳裏によぎりすらしないだろうが。
国同士の共闘、そして裏切り。それに伴う綿兎の戦死、さらには、エアロ・ウォルクスの独自開発。
様々な、どこかで見たことのあるような歴史を超え、今現在、各国の武力は拮抗状態にある。
当時から変わらないものと言えば、カクテルからの資源分配の方法だろうか。その周辺だけは不可侵条約が結ばれ、今も各国に平等に資源が分け与えられている。
なら戦争なんて始めないで欲しかったと、私は声を大にして叫びたい。人よりも少しだけうまくエアロ・ウォルクスを扱えた私は、幼小の頃から特殊な学校に通わされていた。
そこでは主に戦闘訓練、特にエアロ・ウォルクスを用いて人を殺す方法を教えられた。毎日最低な気分だった。空を飛ぶのは好きだったけれど、人を殺すのは嫌だった。初めての実地訓練で一人、名も知らない人を殺した晩は、胃液しか出なくなるまで吐き続けた。
けれど回を重ねるごとに、毎晩ぐっすり眠れるようになって、それがまたたまらなく嫌だった。
嫌々訓練を受けていたからか成績は芳しくなく、「まじめにやれ」と教官からは言われ、「ふざけるな」と同期生からも冷たくあしらわれるようになった。
認めてもらうには人を殺すしかなくて。人を殺さなければどんどんと居場所がなくなって。そんな負のスパイラルに、気付けば入ってしまっていた。
何のために生きているのか、良く分からなくなってきた時。
助けてくれたのが、涼くんだった。
涼くんは恩人だ。命の恩人、と言ってしまうと、なんだかありふれていて、軽い気がして、あまり言いたくないけれど、でも他に表現の仕方もわからない。
とにかく、私は涼くんにこの上ないくらいの恩があるし、感謝している。きっと私が彼に向ける感情の中には、尊敬と、多分少なくない好意が含まれている。いつか、この好意が一方通行ではなくなる事を、願っている。
だからこそ
「なぁ、綾香」
「なに?」
「いつになったらミリアとお前は仲良くなるの?」
同じ感情を抱く女の子と打ち解けるのは、難しい。
「う、うーん。もうちょっと、かな?」
「冗談だろ……まぁ問題がミリアにあるのは明らかなんだけどな」
「そうでもないかもしれないかも?」
「どっちだよ」
「私にも原因はあるかなって」
「そうなのか? よく分からんけど、計画もこれからどんどん進みそうだし、そろそろ仲良くしてくれよな。せめて――――夕飯くらい一緒に食べたいしな」
伏せられたお椀とおかずにかぶせられたラップにちらりと目をやりつつ、涼くんが言った。ミリアちゃんはいつも、私たちが食べ終わった後に一人でご飯を食べる。最初のうちはご飯をよそったり、一緒にお菓子を食べようとしたりしていたけれど、全身から放たれる鬼の様な殺気に堪えられなくなってやめてしまった。
「そうだね……皆で食べたほうが、楽しいし」
「まぁミリアに関しては、俺の方でも何とかしてみる。綾香が学校に行って
る間とか、二人きりだしな」
今の言葉に少しだけ胸が痛むのはダメなこと、なのかな。ダメだよね。独占欲とか嫉妬とか、よくないもんね。そう言い聞かせて、感情を押し殺す。
「で、今日はどうだった。あいつ、深條タタラはどう動いた」
「えーと、まずPOPが起こって――――」
記憶を辿りよせながら、今日あった事を報告していく。
初めてのPOPに、ポイントの換算方法、それと、これからの方向性、思えば色々な事があったなぁ、とぼんやりと思った。
「濃い一日だったな」
「うん」
「あいつは人をこれらかも殺すけど……堪えられそうか?」
「…………うん」
即答はできなかった。同学年の男の子の目をえぐり、削り続けていた深條くんの後ろ姿が脳裏をよぎる。
「大丈夫。必要なことなんだし、深條くんも、できれば回数は減らすって言ってくれたし、それに……」
「それに?」
「……あれが、文化なら、受け入れる。受け入れられる」
本当は、違う事を言おうとした。
私は既に、何人もの人を手にかけている。そのうちの何人かは、なんの感情も抱かずに、ただ淡々と殺した。あまり覚えていないけど、多分そうだったと思う。
あまり覚えていないからこそ、そうだと思う。
だから。そんな私が、今更人殺し云々で綺麗ごとを言うのは、間違っているのだ。
でもそんなことを口にすれば涼くんはきっと怒るから、自分の中だけで完結させる。
「そうか……。まぁ、なんかあればいつでも相談しろよ。遠慮……なんか、今更ないか」
そう言って笑うと、涼くんはお味噌汁をすすった。ここの食材はどれも新鮮だからご飯がおいしいと、来た初日に嬉しそうに行った涼くんの姿が思い出された。
「なんか気になる事とかは無かったか?」
「んー、そうだなぁ」
ポイントの加算方法に関しては気になりはするけれど、明日か明後日か、深條くんが教えてくれる気がする。そうなるとやっぱり引っかかっているのは……
「今日POPの時に深條くんが守ってくれたんだけど、その時ちょっと変だなぁ、って思った事があってね」
「ほう」
「私を殺そうとした人が二人いたんだけど、どっちも死角から攻撃してきたの。多分私たけだったら死んでたと思う。けど、当然深條くんにもあの二人の姿は見えてなかったはずで……なんでよけられたのかなぁって。あ、私の言ってる事伝わってる?」
説明が下手だとよく言われるから心配だ。涼くんは頭がいいから、多分大丈夫だとはおもうけど。
「要するに、深條は何故、見えないはずの攻撃をよけられたのか、ってことだろ」
「うん」
「そうか」
複雑な顔で笑う。嬉しそうにも、辛そうにも見えた。
「ハイスペックだねぇ、あいつは……」
「どういうこと?」
「G Senseって聞いた事ないか?」
「じーせんす?」
「あー、ないのね。どっから説明すっかなぁ」
食器をテーブルの脇に寄せ、裏紙とペンを取り出すと、涼くんが説明を始めた。
「G Senseってのは、簡単にいえば超能力みたいなもんだ」
「え! 火とか出せるの!」
「いや、流石にそれは聞いたことないな……目に見えてがっかりするな」
だって超能力なんて涼くんが軽々しく口にするから……深條くんは氷とか出せそうだなぁ。
「地味だけど、強力な能力なんだよ。例えばそう俺が見た事があるのは、近い未来を予測する能力、それから任意の相手に催眠術をかける能力。それから……殺気を感じ取る能力」
「それ……」
「あぁ、多分深條はそのG Sense持ちだ。殺気を感じ取ることができるから、見えない場所からの攻撃もよける事ができた、と考えるのが妥当だろう」
だから体育館裏でも、いつ相手が飛び出してくるかわかったんだ。
「それってグレ……葡萄の木の人は皆使えるの?」
「グレイプでいいんじゃないか? 少なくとも俺たちの間では」
「だって……差別用語っぽいし……」
葡萄の木の住人の事は「グレイプ」と呼ぶ人が多い。それはただ単に葡萄の「グレープ」を取っただけの様にも思えるが、その裏には「レイプ」と「エイプ」という二つの差別単語が含まれている。どちらも地上の人間を蹂躙した葡萄の木の住人、綿兎を見て、誰ともなく使い始めた言葉だ。
「問題ないだろ、呼びやすいし。それに、グレイプは差別用語じゃない。言葉の裏に差別意識さえなければ、言葉は無害だ」
「うぅ、そうかもだけど……じゃぁグレープで……」
「何が違うんだ」
「より葡萄っぽいかなって……」
「なんでもいいよもう。で、なんだっけ」
あきれたように笑う涼くんを軽く睨みつけてみる。涼くんは強い意志があるからそんな風に考えられるかもしれないけど、皆が皆、そうじゃないんだからね。
「グレープは皆その超能力、使えるのかなって」
「重要な点だな。結論から言えば、皆は使えない。多分全人口の十%未満ってところじゃないかな」
「根拠はあるの?」
「あぁ、そもそもどうして、グレイ……グレープだけがG Senseを使えるのかってところから話が始まるんだが」
さりげない優しさが嬉しくて、笑いそうになりながら涼くんの話しを聞く。私がした質問だし、ちゃんと聞かないと怒られちゃうからね。
「集団遺伝学的な話になるが、稀な形質は無作為抽出の効果によって生じる遺伝子プールの対立遺伝子頻度の変化、つまり遺伝的浮動の効果で固定されることがある」
「もう一回」
ちゃんと聞いてても分からなかった……
「そうだな……例えば百匹ウサギがいたとするだろ」
「ウサギ? うん、かわいいよね」
「ウサギは九十八匹が黒色だったとする」
「ねぇそれもしかしてウサギ?」
涼くんが紙に書いた謎の物体を塗りつぶし始めたのを見て、思わずツッコんでしまう。
「……説明やめるぞ」
「ご、ごめん続けて」
「で、だ。二匹だけ白色だったとする」
「うん」
「白色と黒色が交尾すると子供は皆、黒色になるとする。白いウサギが生まれる為には、白同士が交尾しなければならない」
なんか昔、エアロ・ウォルクスの訓練を受ける前に、普通の学校で習った気がする。黒色みたいなのを優勢形質、って言うんだっけ。白色が劣勢形質か。
「こうなると、世代を重ねるにつれて白いウサギはいなくなってしまうよな」
「そうだね」
「ところが、この白ウサギだけ違う場所に連れていくと」
二匹だけが違う場所に矢印で連れて行かれる。
「交尾は白同士しかできない。必然的に子どもは全部白ウサギだ」
「あ、ずっと白しか生まれないんだ」
「その通り。さて、このウサギを人間にしてみるぞ」
「絵は書かないの?」
「うるさい。……で、白色を超能力持ちと置き換えてみてくれ。黒色は一般人な」
白色は劣勢だったから、超能力も劣勢。一般人と交わると、消えてしまう。
「超能力持ちがいなくなっちゃうね」
「それが地上。もとい、普通の世界だ。だけど、葡萄の木は、違うだろ」
白色が沢山いる部分に丸をつける。
「……ち、ちょっと待って」
「気づいたか」
約千年前、天暦零年。葡萄の木に一部の人類が移住した日。その日の事は、あまり詳細に記述されていない。
だが、もし。何らかの方法で「超能力を持つ者」だけが葡萄の木に移住したのだとすれば。
「子孫であるグレープは、超能力を持つことができる……」
いや、でもそれだと、ここの住人はみんな超能力、G Senseを持つ事になる。私の思考回路を読んだように、涼くんが補足する。
「まぁ、このウサギの毛の色ほど単純な遺伝様式じゃなかったんだろうな。G Senseを持つことができる人間はやはり稀で、だけど、地上よりかは遥かに頻度が高い。だから俺たちが出会えるくらいには、G Sense持ちがいるってことだ。十%未満てのは、まぁその辺りを計算して考えたら大体それくらいっていう尺度だ」
「綿兎は、G Senseを持ってたのかな……」
「綿兎だけじゃねぇよ。地上の戦争で猛威をふるってるやつは大体G Sense持ちだ。あいつら、まじで化け物だぜ」
かつて戦場の最前線に居た涼くんが言うからこそ、その言葉には真実味がある。
「この事って、皆知ってるの?」
「まさか、ほんの一握りだ。俺だって、自分で調べて調べて、ようやくたどり着いたんだからな」
G Senseの存在。それが生じる為のバックグラウンド。そして、葡萄の木のシステム。これらをつなぎ合わせれば、いくら鈍い私でも、ある事実にたどり着く。
「でも……そんなの、有り得ない」
「他にも色々知ると、意外と有り得るんだな、これが」
悪寒がする。さっきから妙な震えが止まらない。
「涼くんが、全てを放り出してここに来た理由って」
「あぁ」
いつも通り、涼くんはにやりと笑った。頼もしくて、大好きな、意地悪い笑顔を浮かべて、言う。
「だから俺は、葡萄の木を壊しに来たんだ」