天暦992年 7月16日 其の四
ついたー! と切原さんが言った場所は、この辺りでは一番高い山の麓だった。丁度学校の裏側に位置しているから、裏山、なんて安直な名前で生徒からは呼ばれてたりしている。
「え、切原さん、ここに住んでるの?」
そうか、地上から来たから住む場所ないのかな。毎日野宿なんて、女の子にはちょっときつすぎる気がするけど。
「え? ち、ちがうよ? 今日はエアロ・ウォルクスの練習するから、広い場所が必要で、それで……」
あぁ、なんだ。そういうことか。てっきり切原さんたちの拠点にでも連れて行ってくれるのかと思ってたけど、違うみたいだ。まだ僕が信用されきってないってことかな? いや、それは勘繰り過ぎか。
「確かにここの広さならエアロ・ウォルクスも飛ばせそうだけど……肝心の涼さんは?」
登山道の入口すらない中途半端な場所だからか、人気は全くなくて、ただ何もない空間だけが広がっていた。
「んー、この辺りにいると思うんだけど……あ!いたいた!涼くーん!」
ぱたぱたと切原さんが駆けて行ったその先に、その人は居た。
身長は僕より少し小さいくらい、多分百七十と少し。けれど、僕と同じくらい大きく見えるのは多分、そのどっしりとした雰囲気のせいだ。細いつり上がった攻撃的な目と、視線が交差した。
瞬間、僕は歯噛みした。
初対面の人と会話を交わす時、僕は大抵「どうやったらこの人に勝てるのか」を考える。そうやって弱点を探して、最もリスクなく殺せそうな人をPOPの対象にするためだ。
でも、今は。
僕は「どうやったらこの人に負けないか」を考えた。考えてしまった。
それは同じようだけど、全然違う。
僕は無意識に、この才松涼という人間と戦えば、勝つ見込みが少ないことを悟ってしまったんだ。
それが悔しい。ただただ、悔しい。
「よぉ、顔を合わせるのは初めてだな」
「えぇ……」
「才松涼だ、よろしくな」
「深條タタラです、よろしく」
手を握り合う。決して大きくはない、でも、とても重い手だ。
「あなたが敵じゃなくて、本当によかった」
「あぁ、俺もそう思うよ」
涼さんもにやりと笑った。
「じゃぁ早速始めるか。ミリア、見張りよろしく」
「ん」
「……その子は?」
涼さんに気を取られすぎて全く気づかなかったけど、この場にはもう一人僕の知らない女の子がいた。
「こいつは逢沢ミリア。俺や綾香と同じ、地上の人間だ」
「あぁ、なるほど」
涼さん以外にも地上の人間がいることは勿論予想していたから、特に驚きはない。
「初めまして、深條タタラです、よろしく」
いつもの通り笑顔を張り付けて手を差し出す。自慢じゃないけど、愛想笑いとか中身のない笑顔には自信あるんだ。
「逢沢ミリア。あなたと仲良くするつもりはないから、そういう意味でよろしく」
「……オッケー、よろしく」
差し出した手をぷらぷらと振る。びっくりするくらい淡泊だなぁ。言葉を交わしてみて分かったけど、切原さんと同じくらい小柄なのにすごい存在感がある。近づいたら切られそうというか、殺されそうというか。体中からそういう気迫みたいなのがばんばん出てる。涼さんの方が存在感大きかったから、最初は気づかなかったけど。
「じゃ、見張りしてくるから」
「おい、ミリア。お前初対面なんだからもう少し……」
「ここの人間は嫌いなの。知ってるでしょ」
そう言うと、さっさとどこかへ行ってしまった。涼さんが申し訳なさそうに僕に言う。
「いやー、ごめんな……。あいつ嫌なやつだけど、悪い奴じゃないから……」
「涼くん! そういう言い方、よくないと思うよ?」
二人が言い合いを始めている傍らで、僕はさっき逢沢さんが言った言葉の意味を考えていた。
逢沢さんが僕の事を好もうが、そうでなかろうが、正直どうでもいい。『ここの人間は嫌い』、この言葉から結構いろんなことが推測できる気がする。ふふ、後で確認しなくちゃならないことが増えたみたいだ。
一通り話に区切りがついたらしい涼さんが仕切り直す。
「とにかくだ。今日はエアロ・ウォルクスの試運転だ。深條、エアロ・ウォルクスに関してはどれくらい知識がある」
「んー、ほとんどないですね」
そもそも、エアロ・ウォルクスに関する情報はほとんど公開されていない。知っている方がおかしいのだ。
「そうか、じゃぁ説明もしつつ実践するか」
涼さんが足元に置いてあった袋を紐解き、中に入っていたものを地面に乱暴に出した。重々しい金属が触れ合う音と共に、銀色の機械が顔を出す。
「これがエアロ・ウォルクスだ」
「これが……」
重厚な銀色の靴の底に、円盤がくっついている。一言で表せばそんな見た目だ。こうして言葉にしてしまうと随分淡白になってしまうけど、日の光を照り返すぴかぴかの装甲とか、滑らかな曲線を描く黒光りする円盤部分とか、正直見ているだけで興奮する。すごくかっこいい。
「まず装着からな。普通に靴履く感じでいい。中に足を入れたら、足首の金具閉めて固定するんだ」
エアロ・ウォルクスに足を入れた。中はひんやりとしている。けどなんというか、思ったより空間がある気がする。ちゃんと固定はされてるんだけど、フィットはしていないというか……
「あのこれ、サイズあってます?」
「あぁ、なんか空間あるのが気になるなら大丈夫。そういう仕様だから」
「そうなんですか」
じゃぁいいか。しかしこれでどうやって空を飛ぶんだろう。
「で、後これ浮上装置のコントローラー。腰とか腕とか、好きなところにつけてくれ」
ダイヤルがついているだけのシンプルな機械が渡される。プラスとマイナスの記号だけが彫り込んである。腕時計くらいの大きさで、長さを調節できるチェーンがくっついている。
「これで浮上するんですか?」
「あぁ、エアロ・ウォルクスは底にくっついてる円盤と、地面に埋め込まれてるでっかい磁石みたいなもんとの磁力の反発と吸引で浮上する。その磁力の力の調節をするのが、その機械だ。特に名前はないけど、皆『ダイヤル』って呼んでるな」
「なるほど、これをプラスに回せば浮くんですね」
「そういうこと。早速やってみろよ」
腕にチェーンを巻き付けて、ダイヤルを恐る恐る回す。いきなり滅茶苦茶浮上しちゃったら怖いしね。
特に抵抗なくダイヤルが回る。同時に、視界が広がった。
「お、おぉぉ! 浮いてる!」
足が固定されてるからかあんまり浮遊感はないけれど、確かに浮いている。地上三十㎝くらいの微々たるものだけど。でも、ダイヤルを回し続ければどこまでも浮上できるのかと思うと、否応なく鼓動が高まる。
「いい反応だ。じゃぁ次は、滑走だな。安全レバー外すぞ。両足の踝についてるボタン押せ。ゆっくりな」
屈み込んで、言われた通りにボタンを押す。
足を固定していた部分が外れて、急に浮遊感に襲われる。まるで氷の上に立たされたみたいに、つるつると滑る。
そうか、摩擦がないからバランスをうまく取らないと簡単にこけちゃうのか。
「あ、ちょ、これ」
「まぁ最初はそうなる。綾香、支えてあげて」
「うん、オッケー」
僕の背中を切原さんの手が支えてくれた。お陰でひっくり返らずにすんだ。
「ありがと、切原さん。これ難しいね」
「だよねー。私も最初立つだけですっごく苦労したもん。だから普通は最初――――」
「よし、じゃぁフットバーの説明するな」
切原さんの言葉にかぶせるように、涼さんが大きな声で言った。何か隠したいことでも、あるのかな。
「今、足を固定していた部分が消えて、足の周りにはかなりの空間があるだろ」
「はい」
さっきまで足の周りを囲っていたものが消えて、かなり不安定な感じだ。おまけになんだか少し、滑るような……。
「エアロ・ウォルクスの縦の移動はダイヤル。そして、平面の移動は空気の噴射で行う。空気は円盤の側面から出る。で、どこから空気を噴射するかを決めるのが、フットバーだ。深條、ちょっとエアロ・ウォルクスの中で、足を右に移動させてみろ。足首から先だけ動かす感じだ」
恐る恐る足先を動かしてみる。指先に何かが当たった。
「なんかあります」
「それがフットバーだ。蹴りつけると、蹴った方向に空気が出る。右のフットバーを蹴れば右に空気が出る。左、前、後ろでも同様だ」
「斜めは?」
「ある。が、斜めに蹴り入れるのは結構難しいから、最初は前後左右だけにしとくのがオススメだな。よし、綾香離れろ」
「え? で、でも――――」
「いいから」
半ば引きずられるように、切原さんが離れていく。五メートルほど離れて、涼さんが言った。
「よし、深條。滑走してみろ。危なかったらすぐに助けに行くから、心配するな」
「了解です」
切原さんの反応は気になるけど、まぁやってみようかな。
右に蹴れば右に空気が出る。という事は、体自体は左に動くという事だよね。
しかもこのフットバー、当然両足についてるから、多分両足同時にフットバーを蹴りつけないと足がバラバラに動いてしまう。エアロ・ウォルクスの中が若干滑る気がしたのは、このフットバーを蹴りつけやすくするためか。
「よし」
覚悟を決めて、前を見据える。
最初は前に進もう。
だから蹴りつけるのは、後ろのフットバー。
両足同時に、タイミングよく――――――――蹴るっ!
「どおおわぁあぁぁぁぁぁぁぁぁああ!」
瞬間、空気の奔流が体の全面を叩きつけ、僕はあえなくバランスを崩し、そして――――こけた。
「いってぇぇええ……」
「ぶあっははははははは! やっぱりそうなったか!」
ずきずきと痛む後頭部をさすりながら、馬鹿笑いの方向に顔を向ける。エアロ・ウォルクスが重すぎて足を動かすことはできない。
「涼さん、こうなるってわかってたんですね……」
「あぁ、まぁ最初は大体皆そうなる。原因は何かわかるか?」
涙が出るくらい面白かったのか畜生。悔しさをかみしめつつ、失敗の原因を挙げる。
「フットバーの蹴りつけが強すぎる。体の上体に力が入っていないから風圧に耐え切れずにバランスが崩れる。バランスが崩れた後、フットバーを逆方向に蹴り入れれば立て直せたはずですが、一瞬のことでそこまでは頭が回りませんでした」
「お前……腹立つくらい優秀だな」
どうだろう、これくらいは簡単に分かる気がするけど。滑走をはじめる前に気付かなかった時点で、失敗したことに変わりはない。
「どうだ、もう一回やれば飛べるか?」
「多分いけます。『飛ぶ』っていうのは、滑走しながらダイヤルをプラスに回して立体的に移動することですよね?」
「その通り。是非盛大に失敗してくれ」
にやりと笑いながら、立ち上がる為に手を差し伸べてくれた。優しいけど、なんか心の底から感謝できない人だなぁ。狙ってやってるのかもしれないけど。
「じゃ、もう一回な。慎重に、大胆に頑張れ」
エアロ・ウォルクスを装着しながら涼さんが言った。次はさっきと違って立体的な移動をする。失敗したら本当に命を落としかねないから、涼さんも装備してくれてるみたいだ。
「あ、後あんまり上に飛びすぎんなよ。見つかったらめんどくさいから。あの辺の森とか山とかの陰になる範囲で頼むわ」
「了解です」
確かに警備隊にみつかったら涼さんたちは言い逃れできない。だからこそこの場所なのだろうし、見張りとして逢沢さんを配置してるんだろうけど。
まぁ。
いいや、そんなことは。
集中しよう。
さっきはフットバーを蹴り入れすぎた。
上体に力が入ってなかったから、風圧にやられた。
滑走はあくまで滑らかに、優しく。力が入りすぎてはダメだ。
両足の後方フットバーを蹴り入れる。
周囲の景色が動く。空気の流れを感じる。
いい感じだ。もう少し、速くしてみよう。
フットバーを蹴り入れ直す。さっきよりも少し強めに。
「――――っ!」
風が当たる。思わず目を瞑ってしまいそうになるけれど、ここはこらえどころだ。景色がどんどんと後ろに飛んでいく。よし、十分滑走したはず。
だから。
次は。
「飛ぶ」
腕に巻いたダイヤルをプラスに回す。今までに体験したことのない浮遊感。
内臓が地上に残ろうとしているみたいに、引っ張られる。
足が少しがたついている。これは恐怖かな。
「……違う」
興奮だ。
夢にまでみた空への一歩を今僕は、踏み出しているんだ。
ダイヤルを回す。
どんどんと浮上していく。
地上が遠くなり、代わりに空が近づいてくる。
気づけば。
周りは青かった。
今まで何度も仰いできた空が、こんなにも近くにある。
両手を広げて、思い切り息を吸う。肺を満たす空気はどこか新鮮な気がした。
あぁ。
「姉さん……やったよ」
呟いたその時、異変に気付いた。なんだか、視界がおかしい。空が視界いっぱいに広がっている。まるで、仰向けになってるみたいに。
「あ」
しまった。
つい夢中になりすぎて、いつの間にか上体のバランスを崩していたのか。
エアロ・ウォルクスは円盤と地面との間に生じる磁力の反発力で浮遊している。ならば、エアロ・ウォルクスは常に地面と平行になければならない。
今、僕の足についた円盤は地面に垂直な方向に向いている。
まぁ、簡単に言えば。
「やばー……」
落ちる。
浮上してきたよりも数段速い速度で落ちていく。頭から落ちているから簡単には体勢を立て直せない。こういう時はどうすればいいのかな。えーと、とりあえず円盤と地面を平行にしたいわけだから、足を下に持ってこなくちゃいけなくて、この場合体をひねったらいけるのかな? あ、無理か。うーん、とすると次は
「ぐぇ」
「お前は馬鹿か」
急に落下が止まった。まぁ予想はしていたけど、涼さんが助けに来てくれた。できればもう少し優しく抱えて欲しかったです。鳩尾に腕が入ってすごい痛い。
「飛びすぎんなっつっただろうがぼけ。しかもなんかいきなり落ちてくるし、びっくりしたわ。あれか? 俺の事試してんのか?」
「いやー、めっそうもないですごめんなさい」
どっちも不可抗力です、とは言えず素直に謝る。気づいたらすっごく高いところにいたし、気づいたら落ちてたんだけどなぁ。まぁこれは言うだけ無駄だね。
涼さんに抱えられながら、地上に戻った僕は、泣きそうな顔の切原さんに迎えられた。
「深條くん、死んじゃうかと思ったよー……」
「あはは、僕もだよ。心配かけてごめんね」
ふるふると首を振って大丈夫だよ、とほほ笑む切原さんはとっても可愛かった。頭をなでてあげたいけど、さすがに涼さんの前でやる勇気は僕にはないね。
「ま、上々の滑り出しだな。次からはテクニックの練習するぞ。戦うやつだ」
「はい、よろしくお願いします」
二回目で飛べた事に特にお褒めの言葉がなかった所を見ると、大方の人は数回で飛べるのかな。なんとか落ちこぼれにはならずにすんだみたいで、ちょっとホッとする。
「エアロ・ウォルクスはここに置いて行けよー。勝手に練習されたらたまったもんじゃねーからな」
「はは、分かってますよ」
安全バーを付け直し、エアロ・ウォルクスを脱ぐ。地面ってこんなにしっかりしてたっけ? なんかすごい安心感がある。けど、どこかじれったくもある。あんなに風を切くくらいの速度を体験した後なんだから、当然かな。
「じゃ、気をつけて帰れよー。そろそろ日も落ち始めるしな。帰り道、分かるか?」
「大丈夫です。それじゃぁまた明日、よろしくお願いします。あ、逢沢さんにもよろしくです」
「おう」
まぁ逢沢さんは僕となんて二度と会話したくないんだろうけど。
ちょっと苦笑いしながら、僕は弾むような足取りで帰路に着いた。
なんといっても僕は、念願のエアロ・ウォルクスを手に入れたのだ。まだ完全に僕の者ではないけれど、着々とその準備は整いつつある。
いつ姉さんに報告しようか、そればっかりが頭の中でぐるぐるとまわっていた。
◇◇◇
「ねぇ、涼くん」
「なんだよ綾香」
深條くんの姿が見えなくなった頃、私は涼くんに声をかけた。ちょっと怒っているのだ。
「なんでサポーター渡さなかったの?」
「さぁ、なんででしょー」
いつもの通りにやりと笑って、涼くんはさらりと受け流した。いつだって私の怒りは、こうやって軽くあしらわれてしまう、不服。
「普通、初心者は使うのになんで? 危うく深條くん死んじゃうとこだったよ?」
サポーターは両手に握る機械で、フライングアシストをしてくれる。慣れてくればエアロ・ウォルクスの足元からの空気の噴射だけで滑走はできるが、初心者はまず、このサポーターの空気の噴射を用いつつ、体の上体にかける力を掴んでいくのだ。
両足と両手の四方向の空気の噴射が、エアロ・ウォルクスの初心者には必要なはずだ。
「いやー、俺も渡そうと思ってたんだけどさー」
深條くんが使い終わったエアロ・ウォルクスを片付けながら涼くんが言う。
「なんかあいつ、できそうだったから」
「え、そんなふわふわした理由?」
「うん、まぁなんとなく初見で。まさかあんなに綺麗に飛ばれるとは思わなかったけどな」
涼くんの言う通りだ。深條くんは、初心者とはあり得ないほどナチュラルな飛行をみせた。だからこそ、最後に落下してきたときは驚いたのだけれど。
「まぁそれに。あいつ多分、サポーター渡しても使わなかったんじゃないかな」
「え、どうして?」
サポーターがあれば、飛行は勿論、明日からのテクニック練習もスムーズにこなせるはずだ。そもそも二日目にテクニックの練習をすること自体、異例ではあるのだけれど。
「んー、なんかさ。あいつの両手って、何かを抱えてる感じがしたんだよな」
涼くんが少し遠い眼をした。
何かを抱えて飛ぶ。それって……
「エアロ・ウォルクスで宅急便やるってこと?」
「お前って頭いいのになんでそんなに馬鹿なの」
「ひ、ひどい! なんでそんなこと言うの!」
必死の抗議も軽くかわされた。
こうやって涼くんは、いつも何かを私に隠す。
時が来れば話してくれると、分かってはいるけれど。でもそれでもたまに、全部私に話してくれたり、相談してくれたりしてもいいのにな、なんて。
身の丈に合わないことを、思う。