天暦992年 7月15日 其の二
勢いよく立ち上がる。椅子が派手な音を立てて後ろに転がった。一番後ろの席でほんとよかった。
「き、貴様! まさか、この世界の真理に辿り着いた者か!」
あーこれ、思ったより、はずかしいかも。なんでこんなセリフ、皆の目の前で言わなくちゃいけないんだろ。案の定、クラスの視線が僕に集まる。クエスチョンマークが教室内に満ちていく。そりゃそうだ、こんな短時間で、立て続けに変人が二人もカミングアウトしたんだから。ぽかんと口を開けた切原綾香に、僕は声をかける。
「――って設定でどう? ちょっとかっこよくない?」
「う、え? あ、そ、そそ、そうだね、かっこいいね!」
どもりすぎでしょ。ちゃんと僕の意図、汲み取ってくれてるかなぁ。
「どういうことだよ、深條」
「あれれ、真。まだわかんない?」
わざと勿体ぶってみる。ここで僕が注意を引けば引くほど、切原綾香に対する負の印象は薄くなる。
「転校したばっかりの時って、皆の輪の中に入りたくて、ちょっと痛い事しちゃわない? 前の学校ではすごいモテたとか、親の職業は王宮騎士だとか、誰も自分の事を知らないから、大嘘ついたり、見栄張っちゃったりして」
「まぁ……なくはない」
「それが空回りしちゃったんだよ、切原さんは」
ね? と笑顔で振り返る。視線を大分落とさないと視界に入らない。
「え? あ、えーと。その、なんというか」
「ね?」
いやいや、そこははやく肯定してよ。こっちにはこっちの段取りがあるんだから。
「う、うん。そうなんだ。私、緊張すると昔から変な事口走る癖があってそれで……」
「だってさ」
なーんだそうだったんだ、変だとおもったよー。切原さんおっちょこちょいだねー。みたいな声があちこちで上がる。ま、こんなもんか。これでこの子も過ごしやすくなるでしょ。
「よし、それじゃぁ切原さん」
「は、はい。えーと、深條、くん?」
小首を傾げて僕の名前を呼んだ、切原さんの手を握る。小さすぎてびっくりした。
「学校、案内してあげる」
「え? 今から? じゅ、授業は」
「そんなのさぼっちゃえばいいよ。行こ?」
「て、転校初日なんだけど……」
切原さんが僅かに抵抗のそぶりを見せる。無理やり連れていけなくもないけど、後々めんどくさそうだ。ここは少し、攻めておくか。
僕は切原さんに顔を近づけて、囁いた。
「僕と喋りたいこと、あるんじゃない?」
「――――っ!」
分かりやすいくらいに顔に出るね、君は。目なんか真ん丸に見開いちゃって、呼吸も乱れて。あと、体も一瞬硬直したね。
「違う?」
「ちがわ、ない」
「じゃぁ行こ?」
手を引くと、今度は抵抗がなかった。歩幅の違う僕に合わせるように、一生懸命についてきている。ペットの散歩をしている感覚だ。
教室からは黄色い歓声がぴーぴーと上がっているけど、気にしない。これが原因で切原さんが無視されたり、いじめられたりという事はないはずだ。寧ろ、根掘り葉掘り聞かれてすぐに仲良くなれる。だから心配しないで、僕についてくるといいよ。
授業開始のチャイムと同時に、僕らは教室を抜け出した。
実は僕も授業をさぼるのは初めてだったという事に、少し経ってから気づいた。新鮮な罪悪感を抱きながら、校内を歩く。
「さっきは、ありがとね。深條くん」
ぽてぽてと付いてくる切原さんが、上目づかいでお礼を言ってくる。あ、違うか。伸長差がありすぎるだけで、普通にこっちを見上げてるだけだね、これ。三十センチくらいは、伸長差あるかも。
「はは、気にしないで。そんなに大変でもなかったから」
死ぬほど恥ずかしかったけど。
「困ったこととか、分からないことがあったら、何でも聞いてね」
そう言いながら、僕は切原さんに見えるように、左手の手首を軽く振った。
「うん。ありがと」
「今は、ない?」
さぁ、なんて答える? 僕の手首にはまってる腕輪は、見えているでしょ?
「えーと、じゃぁ静かで景色のいい、学校のおすすめスポットみたいなのを……」
「おっけー、いいよ。いくつか回ろうか」
そう。
そんな事を聞くんだ。そんな答えで、いいんだね。
「屋上とか一番おすすめかな。とっても景色がいいし、人があんまり来ないから」
「葡萄の木も、よく見える?」
「当然。まぁあれは見えない場所の方が少ないと思うけど」
「都会だと、ビルが邪魔であんまり見えないところもあるよ」
「へぇ、そういえば切原さん、どこから転校して来たんだっけ? 都会だったの?」
屋上への階段を上がりながら、取止めのない会話を続ける。取止めのない会話の様に、見せかける。
「えーと、ドイスから来たんだ」
「へぇ! 実は僕も昔ドイスに居たんだー。アグリヌス通りってところなんだけど、知ってるよね? あそこ、すごい有名だから」
「う、うん。知ってる! 私もその辺りに住んでたから」
「そうなんだ、実はお互い、会ったことがあったりしてね」
「どうかな、私、引きこもり気味だったから……」
あはは、そうなんだー。アグリヌス通りかー。へー。ふーん。
どこ? それ。
そんな場所、ドイスに住んでた時でさえ、聞いたことなかったよ。本当に、おもしろいなぁこの子。
「さ、ついたよ」
この前田中君を殺した場所を通り過ぎて、屋上の扉を開く。空気と光ががぶわっと流れ込んできて、まるでシャワーみたいだ。
「う、わぁ……!」
切原さんが感嘆の声を上げた。
とってもいい反応。心から嬉しそうな、可愛らしい声。何も取り繕ってないと、そんなに綺麗なんだね。勿体ない。
「いいとこでしょ?」
「うん! すっごい! 見晴らし最高だね!」
ここは周りに学校以上の高さの建物がない。だから三六〇度、どこを向いても遠くまで見渡せる。南西の方向には葡萄の木がそびえたっている。その大きな柱にはいつ見ても圧倒されてしまうけれど、少し離れたところについているガラス玉が太陽の光を反射してきらきら輝いていて、威圧感を減らしてくれていた。
「あれは全部『保護区』って言って、あの中には色んな動植物が生育してるんだよ」
僕たち人類が住んでいる場所は『大都市』と呼ばれていて、葡萄の木の中でも七つしかない。一方、動植物の生育している『保護区』は大きさは小さいけれど、無数にくっついている。だから視線をあげて目に映るのは大抵『保護区』だ。
ここから一番近い『大都市』はジパンだったかな。確か柱の向こう側に接続してるはずだから、見ることはできないけど。
「綺麗……」
目を細めて切原さんがつぶやいた。確かに何度見ても圧倒される風景だけど、君みたいにうっとりした表情をする人は、初めて見たかな。でもその理由も大体、わかってる。
「あ」
切原さんの眼が、何かを追っている。
「エアロ・ウォルクス……」
その単語に。
僕は不本意ながら過敏に反応してしまった。
切原さんの目線の先を、素早く追う。
人が空を歩いていた。
いや、歩くというよりは、滑ると言った方がしっくりくる。
のびのびと大空を散歩するかのように翔る様は、とても優雅で、美しい。
保護区に移動する者、町の警備を行う者、そして王宮の騎士。そう言った人の為に開発されたのが、「エアロ・ウォルクス」だ。
足に付けるだけで空中を自由自在に飛び回ることのできる、僕たち青少年の憧れの装備。空中への浮上は磁力の反発・吸引力、移動は噴出する空気の力を用いているらしいけど、正直原理はどうでもいい。僕たちは透き通った青の中を飛ぶ、その空の覇者の様な姿に心惹かれているのだから。
「いいなぁ……」
思わず声に出して呟いてしまう。
外に出れば、一日に数度は、エアロ・ウォルクスで飛ぶ人を見かけることができる。その度に思う。いいなぁ、って。
空を駆けるのは、どれだけ気持ちがいいんだろう。あそこから見下ろしたら、どんな光景が広がっているのだろう。考えれば考えるほど、心が渇望する。何より、あれがあれば――――
「欲しいの? あれ」
「うん」
そんなに物欲しそうな顔をしてたかな。でも別に隠すような事でもないし、正直に答える。
「でもあれって確か、良い職業の人しか、もらえないんだよね?」
「そうだよ。保護区官、警備隊、関所兵、あと、王宮騎士。この四つの職業の人しかもらえないんだ。まぁ後は昇進かな。王宮政務官なんかになったら自由に使えるらしいし」
「そこまでして、欲しいもの?」
「当たり前だよ! 僕が一番欲しいものといっても、過言ではないね」
「そう、なんだ」
でも、そのうちのいずれかになる為には、座学とポイントを最高クラスの成績で修了する必要がある。エアロ・ウォルクスはエリートのみに許された、至高の装備なのだ。
「さて、と」
あれが欲しい。どうしても欲しい。
でもそのためには膨大なポイントが必要だ。ポイントをためるには、POPで沢山人を殺さないといけない。
でもそれはとても難しい。特にこの学校は、クラスメイト間でのPOPを極度に避ける傾向にある。
人を殺すのは決して簡単な事じゃない。相手の事をよく知っていれば知っているほど、策の幅も広がって、殺しやすくなる。
友達が一番殺しやすい。クラスメイトこそ、POPの対象にふさわしい。でもこの学校では、それはかなわない。
「ねぇ、切原さん」
僕に、力があれば。
もっと強ければ。夢がかなうのかな。
「そろそろお互い、本音で話をしようよ」
「え……?」
今更しらばっくれるのは、なしだよ。もう大体の事はわかってるんだ。
「『この世界は狂っている』。あれは、一種の暗号だよね」
普通に考えればただの狂言、妄想だ。でもよく考えてみよう。
あんなに自己紹介ですら噛み噛みだった彼女が、その台詞だけはさらりと言った。顔を真っ赤にしながらも、その眼は本気だった。まるで何回も何回も、このセリフを練習したみたいな。何回もこのセリフを言ったみたいな。
もし、あの言葉を本気で言っているとするならば、その真意は果たしてなんだろうか。
「僕の住んでいるこの世界の、どこが狂っているのか。僕にはさっぱりわからない。狂気も矛盾もない、平和な世界だと僕は思うから。きっと他のみんなだってそうだ」
こうなれば、話は単純。
「君は一体、どこから来たの?」
切原さんは答えない。ただじっと、僕を見ている。
「いや、それに関しても結論は出てるんだ。簡単にだけど、君を試させてもらった。まず一つ目、君はPOPについて何も聞いてこなかった」
腕輪を見せて、「何か聞きたいことはあるか?」と、あからさまな態度をとっても、切原さんは景色のいい場所がみたい、なんて明後日の方向の答えを返してきた。
「POPには厳格なルールが定められてる。けど、学校によって特色があるんだ。例えばそう、この学校だったら、「クラスメイト同士のPOPはしない」っていうのが、裏の掟。そういうローカルルールを知らないと、新しい学校じゃうまく立ち回れないんだよ。それなのに君は、何よりも最初に聞かないといけないそれを、スルーした」
もうほとんどこれで答えは出せるけど、もう一つ、僕は彼女に質問をしている。
「それともう一つ。ドイスにアグリヌス通りなんてものは、ない。それにドイスは農作や放牧で有名な都市。ビルがひしめき合ってる場所なんて、ほとんどないよ」
僕は小学生まであの都市に住んでいたからね。間違うはずがない。
切原さんはドイスという都市名は知っていた。でも、その中の町の名前、通りの名前までは知らなかった。なんでそんな返答をしたのか? 答えは簡単だね。
「ここから導き出せる答えは一つ。君は、POPのない世界から来た」
「……そんな場所、ないよ」
「あるよ。地上」
っていうかそれ以外に選択肢がないよね。いや、そんなびっくりした顔しないでよ、普通に分かるから。
「ち、地上はもう戻れないくらい汚染されて……」
「あ、僕、それ信じてないんだ」
あらゆる動植物の生育環境を再現することのできた人類が、自分たちの住む環境を整えることができないなんて、そんな馬鹿な話があるわけがない。何かの理由があって、地上には戻れないって事にしているだけとしか、思えないね。
「どう、当たり? ……って聞くまでもないね」
顔を見れば、僕の行ったことが図星だったとすぐに分かる。ほんと、喋らなくても大体何を考えてるか分かるから、楽でいいや。
「じゃぁさ、色々教えてよ。地上の事」
切原さんに一歩詰め寄る。
「どんな技術が発達してるの? どうやってここに来たの? もしかして」
もう一歩、詰め寄る。
「エアロ・ウォルクスとか、もってるんじゃないの」
「も、もってない!」
逃げ出そうとした切原さんの手首を握る。強く握ったら、折れてしまいそうだ。
「もってるんだ。まぁそうだよね。地上からここにくるまで、アクセスの方法はそれしかないもんね」
空を飛ぶ方法が他にもあるなら話は別だけど、僕が知る限りそんなものはエアロ・ウォルクスしかない。
「はなして!」
「そんな態度で、いいの?」
握った手首を強く引っ張り、切原さんの体を柵に押し付ける。可愛らしい顔が少し歪む。ごめん、ちょっと痛かったかな。
「君が地上から来たって、ばらすよ?」
何らかの事情で隠されている地上の存在。そこから人間が来るという事自体、イレギュラーなはずだ。望まれない来客を、果たしてこの葡萄の木の警備隊……いや、もっと上。例えば王宮政務官たちはどう処理するのだろう。
「そ、それは……」
「大丈夫、ばらしたりなんかしないよ。その代わり、頂戴。君の持ってる知識も、物も、それに」
切原さんの体にほんの少し触れてみる。女の子特有の柔らかさ。ちょっと良心が痛むけど、我慢。
「君、自身も」
「やめっ――――」
【はーい、ストップストップ。その辺でやめたげてー】
切原さんの胸から、男の人の声がする。あ、なんか表現が変だね。正確には、胸ポケットから声がしている。やっと出て来たか。このままだったら胸まで触っちゃうとこだったよ? もっと早く出てきてよね。
「りょ、涼くん! まだ喋ったらだめだよ!」
【あー、いーのいーの。もう目的は達成ってかんじだから】
「そ、そうなの?」
【おう。えーと、深條君、だっけ?】
切原さんが胸ポケットから電子端末を取り出す。タッチ式の画面が浮き出て見えるやつ。今の僕らの世界の最新機種と同じだね。スピーカーモードにしているからか、音質がちょっと荒い。
「はじめまして、深條タタラです」
【俺は才松涼。いやー、お前やるじゃん。俺が出てくるの、待ってただろ】
「あなたこそ、僕と喋りたかったんでしょう?」
切原さんに誰か、地上の仲間がいることは最初から分かっていた。「この世界は狂っている」。その台詞自体はとてもよく練られているけれど、肝心の切原さんの挙動はあまりにも拙い。
僕が咄嗟に考えた簡単な罠にもすんなりひっかかってしまうし、言っちゃなんだけどちょっと抜けている。どう考えても、裏にブレインがいるはずだ。
「あのセリフ、中々よくできてましたよ」
あれをただの酔狂ととらえるか、それとも僕の様に、切原さんを地上から来た人物だと判断し、接触をはかるか。
誰も接触してこないようならば違う学校に転校し、同じ事を繰り返す。切原さんがドイスの名前を知っていても通りの名前も知らなかったのは、多分これが原因だろう。
【おーそこまでばれちゃってるのか。よし、お前にするわ。二次試験も合格だし】
「……はい?」
よくわからない単語が聞こえた。二次試験? 何の話だ?
【こっちはこっちで、お前の事試してたんだよ】
「……いつですか」
【ん? 今さっきだけど】
思い当たる節がない。屋上にきて、切原さんとちょっと話して、それで終わりのはず。
【エアロ・ウォルクス、興味あるんだな】
「……」
まさか、それか。
切原さんが言った、静かで景色のいい場所。彼女はあれを何となく言ったわけではなく、エアロ・ウォルクスが見える場所に連れていく為の布石だったのか。
【くくっ……さすがにこれには気づかなかったか】
まずい、アドバンテージを取られる。
彼らの目的の真意は分からないけれど、根本には、この葡萄の木の住民と秘密裏に接触したいという願望があるはずだ。
そこを逆手にとって、僕は地上の知識を得ようとした。あわよくば、恐らく持っているであろうエアロ・ウォルクスを手に入れようとした。
けれど。
【油断したな、深條タタラ。まぁその為にそいつを送り込んだんだけどな】
このドジで抜けている切原さんの吐くセリフに、大した意味はないと、そう思い込んでしまった。この子が相手なら手玉にとれると、つい油断してしまった。
【そいつ、超見下されやすいから】
からからと愉快に笑う、涼という男の声が無償に腹立たしい。
この人、ちょっと頭いいかも。
【なぁ深條】
「なんですか」
【空、飛ばしてやるよ】
「――――っ」
くそ。
やられた。
【だからちょっと、俺のお願い、聞いてくんね?】
悔しいけど、僕は。その提案を断ることができなかった。
だって空を飛ぶことは。
僕の。
姉さんの。
夢、だから。