四話目 蝙蝠屋華歳
先に申した様に、身共は芸で日銭を稼ぐ身。各地を渡り歩き、歌や舞踊、時にはチンドン屋の真似事もする。
仕事を選んでいては糊口を凌げぬので致し方無いが、やはり万能を求められるのは辛い物だ。
遣り甲斐が在ると云うのも又事実。大衆を愉しませると云うのは、他の職では中々味わえぬ。
……然し、心の臓に毛が生えている様な傑物で無ければ、恐ろしい目に遭うだろう。
あれはホンの一年前だ。身共が流浪の旅芸人一座と出会い、彼らの業を目の当たりにしたのは…。
彼らは霖雨座と名乗った。
座長が一人、軽業師が一人、歌姫が一人、蛸小僧が一人、結合双生児が一対、そして畸形の動物達で構成された一座。
然り、見世物小屋だ。気味が悪いと言い乍らも見てしまう、奇々怪々極まる娯楽。
彼らの助演を依頼されたのだ。給与は弾むとの事、断る理由も無し―――一度芝居を見せて貰う条件付きで引き受けた。
巽英麿座長は条件に快く応じた。何でも、団員の殆んどは金に物を言わせ各地から引っ張って来たらしい。謂わば富める者の道楽だ。
身共には然程関係無いが……給金が貰え、拍手喝采が戴けるならば、身共にとって不足は無し。
ぞろぞろと団員が集まり、空洞の天幕の中で芝居が始まった。
一番槍を務めたのは歌姫。盲た娘が伊太利の歌劇も斯くやの絢爛たるドレスを纏い、駒鳥の如くに歌い上げる。
歌の余波に乗る様に現れたのは軽業師。玉に乗り、綱を渡り、舞台を飛び回る其の姿は正に牛若丸。
三番手は蛸小僧。曝け出した裸体に生きた蛸を這わせ、淫靡な視線を寄越して横たわる。
続いて来たるは頭が二つ、手が二本、心臓が一つに肢が二本の結合双生児。道化た衣装と所作で、失敗を交えつつ器用に踊る。
殿は怪々奇々の百鬼夜行。双頭の豚、六つ足の犬、二匹の大蛇が織り成す畸形の展覧会。
此れが芝居の全てだった。此れだけで舞台に地獄が観えた。
血肉と汗の百花繚乱。甘美と残酷の同居。巽座長の財で育った見世物地獄!
身共は魅せられ、且つ展望した。地獄の一部と成りて舞台に登り、特等席から篤と拝むのを。
斯くして身共は霖雨座に入団したのであるが―――此れで済んでいれば、今の身共は此処には居らぬだろう。
左様、動もすれば地獄で笑い笑われていたであろう此の身、如何にして浄土に戻れたのか?
何時の間にやらスッカリ日は暮れ、夜が更けていた。
決して豪華とは言えぬが良質な食事を貰い、団員達の生活する天幕にて布団に仰臥すると、身の上話をさせられる事になった。
人の良い軽業師は、新参者である身共にも親しく接していたものだ。そして、先程舞台に上がっていた団員を紹介してくれた。
名前、生い立ち、一座に入った理由……。彼らは親に売られたり、貧窮に困り自ら身を投じたりと、穏やかでない生活を送っていた様だ。
華やかなりし東京を離れて見ると、世間はこうも“不幸”に満ち満ちているのだな。
然し、団員達は今の生活に満足していた。特に歌姫は最たる例だった。綺麗な服を着て、客の喝采を浴びているのが、光を失った身でもよく分かるのだと言っていた。
蛸小僧は「自分は体の弱い軟弱者だけども、皆さんの稼ぎの手伝いが出来て嬉しい」と、少女の様な貌で笑っていたものだ。
皆、自分の置かれた境遇に満足していたのだ。恵まれぬ身に生まれても尚、懸命に。
少なくとも此の時迄は……。
翌日の朝早く、身共は団員達に芸を見せた。
行李から様々な物を取り出し、瞬時に失せたり出したりする手品だ。他にも折り鶴を紙吹雪に変えたり、千代紙の花を生花に変えたり、色々と遣って見た。
シャムが一番愉快そうだった。二十歳を過ぎていたらしいが、子供の様に純真だった。
予行を成功させ気を良くした身共は、其の侭本番にも参加した。
『サアサア、此れなるは東京から来た手品師! お代は見てのお楽しみ!』
黒山の人集りを前にして地獄が始まる。
他の団員と比べれば幾分程度の低い、浅い地獄だったが、其れでも地獄である事には変わり無し。
紅の振袖を纏い、身共は夢中になって芸をした。何故かは知れぬが、平常よりも気分が昂揚した。まるで舞台袖にモウ一人身共が居て、其れが壇上で熱中する身共を冷ややかに見ていた様な……そんな風に、熱狂と冷静が一緒になって居た。
血の滾る地獄。
身共の演目を最後に霖雨座の一日は過ぎた。
座長曰く久方振りの満員御礼、千客万来の大儲けだったそうだ。
鳴り物入りで霖雨座に迎えられた身共だが、飽きられるのにそう時間は要らなかった。
一月もすると全ての演目を遣り終えてしまったのだ。二匹目の泥鰌が受けないのは分かり切っているから、新しい技を考えるしかない。
然し、モット困っていたのは他の団員だ。態々身共を呼んだのだから、彼らの上演目録は疾うに尽きていたのだろうな。
目に見えて焦り始めていた。見世物小屋は客商売だから、客が来ねば意味が無い。砂漠に取り残されれば枯渇して死ぬ様に、一座にはモウ後が無かったのだ。
思えば、座長と団員とでは焦燥の種類が違っていた。経営者たる座長は金に苦心していたが、演出者たる団員は、何と言えば良いか、【如何にして注目されるか】に苦心していたのだ。
夜、会議が行われた。……歌姫を除いた団員の目の色が明らかに違っていた。
彼らは既に地獄に居たのだ。身共よりも先に、戻れぬ位に深い、無間地獄に落ちていたのだ。
『サアサアサア! 今日の見世物は一味二味、三味違う! 見なくちゃ損だよ、サア入った入った!』
座長の鬼気迫る客引きが功を奏したらしく、此の日の天幕はギッシリ埋まっていた。
先鋒は道化衣装のシャム。平常の通りにお道化た足取りで登場した彼ら、違う点と言えば双頭の豚を抱いている事だった。
此の時点で観客は湧いていた様に思う。空気が変わっている事に感付いていたのだろう。
「本日の御来場誠に感謝しまアす。最大の祝祭を御見せしますので、最後までごゆるりと御楽しみ下さアい。」
一礼し、挨拶を終えるや否や、シャムに抱かれた豚の首から鮮血が噴き出した。
知っていたとは言え、目を疑った。木で作られた舞台に真っ赤な血が染み込んで行くのだ。間も無く豚の腹が裂かれると同時に観客席から感嘆の合唱が響いた。恐ろしいと思いながらも眺める群衆を象徴するかの様な、溜息と興奮の混ぜ物だ。
次は、血と腸に塗れた床の上で歌姫と身共がダンスをすると云う演目だ。盲た彼女を如何にして導くか、身共も人並みに緊張していた。
静々と舞台に上がった歌姫は誰より堂々としていた。
馴染みのドレスの裾が血で汚れ、翻る度に赤色を主張する。
歌いながらクルクルと舞い踊る彼女に、身共は見惚れていたのだ。―――其れが原因だ。
スッカリ油断していた身共の胸に、何時の間にやら匕首が刺さっていたのは。
歌姫が其れを抜いた。黄色い悲鳴と共に漏れ出した血液が衣装を汚し、豚の血と混ざって床を染めていた。何が何だか分からぬ侭倒れた身共は舞台袖に追い遣られ、惑乱し乍らも成り行きを見守る事にした。
身共が倒れた事で観客は更に湧いていた。最早彼らは残酷劇を見ずには居られなくなったのだ。
歓声に答える様に登場したのは、軽業師と蛸小僧だった。
『次なるは絞め殺しの刑!』
自分の身の丈より長大な十字架を持ってきた蛸小僧が、予め舞台に開けておいた穴に其れを挿し込む。
そして、軽業師が慣れた手付きで歌姫を十字架に縛り上げると、双子が登場して二匹の大蛇を放った。
かつて双頭の豚、六つ足の犬と共に舞台に上がったあの大蛇だ。観客に危害を加えぬ様に轡を咬まされていたが、今日は其れが無い。彼らは今持って生まれた暴食性を許され、解き放たれているのだ。
十字架に架けられた歌姫は殉教者の様に天を仰いでいた。其の足元に大蛇が這い寄り、血に塗れた足から巻き付く。注連縄の様な太さの蛇、それも二匹が少女の体に巻き付いているのだ。観客の視線を一身に受けている歌姫は、心なしか忘我の面持で大蛇に身を委ねていた様に思う。
―――後は語らずとも分かるだろう。
物言わぬ屍となった歌姫を中央に頂き、大蛇退治が始まった。血の味を覚えたのだ、いつ人を喰っても可笑しくはないのだから、早めに殺しておこうと云うのだろう。
身共は舞台袖で此の地獄を見ていた。架刑され大蛇に絞め殺される歌姫の最期を。アッという間に斧で解体され、真新しい血液で舞台を濡らす大蛇を。
血の臭いで咽返る天幕の中、観客はスッカリ地獄に魅せられていた。現世に現れた血腥き地獄、人の業で作られた見世物地獄に。
驚かざるして何とする。彼らは一座の興行の為、一人の少女を犠牲にしたのだ。あの夜の会議で見せた、獄卒の様な目をしてな。
芝居が終わらぬ内に身共は逃走を図った。衣装の上から刺された為か血は大方止まっており、ふらつき乍らも動く事が出来たのだ。
行李を背負い、天幕を飛び出し、一目散に走って逃げた。給金などモウ忘れていた。只、あの場所から離れなくては、逃げなくては、と云う思いが一心不乱に働きかけていた。
あれ以来霖雨座の公演は目にしておらぬ。
何処か遠い土地にいるのか、其れとも全員地獄に堕ちたのか……今となっては確かめ様も無い。
もしあの侭霖雨座に留まっていれば、身共は間違いなく、軽業師か蛸小僧か双子か座長の何れかに依って、演出の道具となっていただろう。
何が彼らをああさせたのかは分からぬ。見世物小屋と云う因果な商売に手を染めた故の報いか、果たして……。
***
「…何れにせよ、霖雨座は魅入られていた。其れだけは確かだ。」
紫煙が音もなく燻った。
蝙蝠屋の端正な顔が心なしか青白く見える。
「その、刺された傷と云うのは…。」
「ああ。此れだ、予想したよりも浅かった。」
着物の下、左胸上部に刺し傷らしき痕があった。成程、確かに刺された様な傷だ。
「此れで四話目。ヒヒ、如何やらあっしで最後の様だ。此の集まりもモウ直ぐお開き。……何だか寂しくなるねエ。」
傴僂が気味悪く笑う。そうしてやっと、自らの名を口にした。
「村田吉三と言いやす。」