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黒雨夜話  作者: ずほ子
3/7

二話目  弥山

 手前が身を預ける月照寺は、真言宗の一派に有る。

 僧達は少なき食事で日を過ごし、読経や写経をし、或る時は山中に入り修行をする。全ては仏の教えを体得し、宇宙即ち大日如来の理を知る為である。

 然し、僧とて人間、ごんぎょうの後には気が休まるもの。まだ若かった手前らは、夜が更ける迄談話会でもしようと云う話になった。

 言い出したのは、えんしゅうと云う快活な男だった。若さ故に血気がみなぎっていたのだろう、師からの説教もまるで懼れていなかった。

 手前を含めた他の僧達は自分の身の上話や、故郷の伝承等の話をしていたが、円舟はしたり顔でこう言い放った。

 「俺は、もっと凄い物を見たぞ」と。

 今から話すのは、その円舟がした話だ。


 善男子である父親に付いて回って、野山を歩いていた時の事だ。空は突き抜ける様に青く、入道雲の出る夏の気候だった。

 緑深き山を歩いていると、蝉が鳴いているのが聞こえる。耳朶を打ち、とうがいを震わすその音色に、幼き円舟は辟易したと言う。

 蝉の声と暑さで、円舟の意識は朦朧としていた。せめて一滴の水を口にしたいと思い父親を見ると、息子の顔など目に入っていない様子で読経を続けている。

 此の侭では倒れてしまう、そう思った矢先、木漏れ日が失せるのが見えた。空が俄かに曇り、黒雲から落ちた雨が鼻先に当たった。

 間も無く山中は豪雨に覆われた。―――丁度、今の様にな。

 雨は激しさを増し、遠方で雷が鳴るのまで聞こえる。父は読経を止め、近くにあった小さなほらあなに入るよう言ってきた。

 洞穴は狭かったが、二人入る分には問題は無さそうだった。藁にも縋る思いで身を滑り込ますと、先程よりも近くで雷鳴が轟いた。

 

 『お前もだ雷が怖いか。』


 父の背中に顔を押し付け、稲光が見えないようにする円舟を、父は笑った。

 円舟はそれ所では無かっただろう。手前も、坊主の頃は雷を畏れていたものだ。

 「雨が止むまでここで休もう」と提案され、気が抜けたのかそのまま寝入ってしまった。水が飲みたかったのも忘れてな。

 


 父に揺り起こされ、やっと目を開けた時、洞窟の入口から光が漏れているのが見えた。

 雷様は去ったのだと思い、のそのそと洞窟から這い出してみると、仰天した。…何を見たと思うか?

 白い砂浜の様な地面、金や銀の樹木、それに実る七色の珠、流れるは瑠璃色の川。伝説に聞いた、ほうらいさんだったのだ。

 勿論だが、今迄親子が居たのは有り触れた田舎の野山だ。今見ている光景は、どのように考えても幻であるとしか思えない。

 困惑している父を余所に、円舟は近くの木に寄った。都の細工師が作る金細工の如く、精緻で美しいこんじきの木だ。枝に下がった赤や青の宝玉は父の拳程もあり、これ一つで一国一城の主に成れる気さえしたと言う。

 指で触れると、鉱物の固く冷たい感触がする。本物の宝玉と分かった円舟は、何の疑念も持たずにそれをもぎ取ろうとしたが、父に止められてしまった。


 『この珠はこの山の人の物だ。それを取ろうとするとは、お前は盗人だ。』


 父は山を下りるのを勧めた。今居る所が人の居るべき世界でないと感づいていたのだろうな。

 その行為を止める様に、誰かが立っていた。気配無く突然現れたかの様だった。呆気に取られる親子を優しい目で見ながら、その人はこう言った。

 「喉が渇いておられるのでしょう。」

 羽衣を纏った天女が微笑んでいるのだ。親子は正に忘我の心地、口を縫われた様に一言も話せない。

 右手のすいびょうを傾け、左手の杯になみなみと甘露を注ぐと、円舟に手渡した。この時漸く、円舟は水が欲しかったのを思い出した。

 然し、先程父に言われた言葉が飲むのを咎める。が、飲みたいのも事実だ。

 「御厚意を頂いているのだから、戴きなさい」父が言った。恐る恐る杯を受け取り、甘露を口にすると、何とも言えぬ滋養が体に回るのを感じた。正月に甘酒を飲んだのを思い出した―――そう口にしていたな。

 甘いが、砂糖や糖蜜とは違う。だが果物の甘味でも無い。知っている限りの甘味の何れとも違う美味だったのだ。

 円舟の渇きと疲労が癒されたと分かるや、天女は一層の微笑みを浮かべた。

 漸く父が口を利き、此処は何処の山かと問うた。「蓬莱の山で御座います。」と天女が答えた。

 「貴方がたがここに御着きになったのも御縁でありましょう。少し遊山をなされては如何ですか。」

 疑念無く着いて行かざるを得ぬ、甘美な誘惑であっただろう。親子は既に、今居る場所が伝説の蓬莱山であると確信していた。

 天女に導かれ、親子は蓬莱山を歩き回った。先に目にした様な黄金の木や白金の草、たわわに実る宝玉。瑠璃色に澄み渡る川を泳ぐ極彩色の魚、五色の羽を持つ尾の長い鳥…。夢幻と見紛う世界が何処までも広がっている。

 此れらの生き物は全て、仏の所有する物だと天女が説明した。そして此の山は、仏の作り出した箱庭の様な世界であるとも言ったという。

 円舟は、現実の世界と乖離した美しさにすっかり見惚れていた。

 だが、「そろそろお戻りになった方が宜しいでしょう」と云う声が耳に入ったのを最後に、彼の意識は途切れてしまった。

 気が付けば元の山の麓に、父と一緒に倒れていた。体の異常は特に見当たらなかったので、その侭家に帰った。―――此処迄は、暑さ故の白昼夢と片付ける事も出来よう。

 此れよりが円舟の話の本題かも知れぬ。



 蓬莱山を見た翌日から、父は村の者に体験を触れ回る様になった。村人は当然、相手にしなかった。狂人と評する者もいた様だ。

 父の話が嘘でない事は円舟が一番よく分かっていた。何より、自分は天上の甘露を口にしたのだから、真実味で言えば父の体験談よりも信じる余地がある。

 然し、円舟は未だ幼い子供。子供の話等、一笑に付されるだけである事も分かり切っている。

 円舟の悩みを余所に、相変わらず父は蓬莱山での出来事を家族に語っていた。「あれは実在するのだ、いつか到達して見せる」と。

 或る日、何も言わずに父が姿を消した。村の中も外も総動員で探したが、とうとう見付からなかったそうだ。

 

 …此れは閑話だが、何処かの山中で誰とも知れぬ木乃伊ミイラが発見されたと云う報せを聞いた事は無いか? 然程古い報せでは無いと記憶しているのだが。

 円舟がそれを聞いたのは二年前だった。父に違いないと、真っ先に思ったそうだ。

 蓬莱山へ至る為、俗世を確実に離れる為、即身仏に成ろうとしたのではないか? その木乃伊が本当に父であるのか、真相は知れないが、兎に角円舟は此れが切欠で仏道を志したと云う。

 父は仏の世界に身をやつした。ならば、自身も同じ場所に至れば良いのだ。仏道を極め、何時の日か即身仏となり、父の許へ行く積もりだ。…円舟は溌剌とした顔でそう語った。



***



 「日々の修行の最中、思うのだ。仏の教えは本当に、我々の理解の及ぶ範疇に有るのかと。」


 弥山は溜息を吐いた。長々と話したので疲れたのだろうか、堂々とした偉丈夫が少しやつれて見えた。

 「…此れは私見だが、円舟親子が見たのがゆめまぼろしでなく、真実まことの仏の世界、蓬莱山であったとしよう。円舟の父は人ならざる世界に触れてしまったが故、木乃伊になったのでは無いか。だとすれば円舟も何れ父の様になるのだろう……蓬莱の山に着けるかは分からぬがな。」

 とこには人知の及ばぬ領域が有るのだと祖父に言われた覚えがある。例えば鳥居はその境目であり、境内は神々のおわす領域であると。

 鎮守の森等、所謂神域にて行方不明者が出るのは、神様が侵入者を喰らっているからだ。だから近寄ってはいけない。…当時は、子供を怖がらす為のお伽噺かと思っていたが、今にして思えば笑えぬ話である。

 ―――今我々を取り巻く山は、如何なのだろうか? 神の領域か仏の世界か、常世ならざる場所ではさか在るまい。

 「次は、其処なロイドのあんさんにやって貰おうかエ。」

 「えッ、私に?」

 「ウンウン。あんたは何をなさる御仁で?」

 「拙いが、小説を書いております。」

 「そいつァ良い。一篇、ブルッと来る話をしておくんなせエ。」

 上機嫌の傴僂に急かされる思いで、私は姿勢を正し、改めて周囲を睥睨した。

 私の話で半ばだ。此れを過ぎれば話会も佳境だろう。


 「自己紹介が遅れて申し訳有りません。しのもりじゅんぷうと申します。」

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