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黒雨夜話  作者: ずほ子
1/7

導入

 幾度かの遠雷が木々の間を縫って轟く。

 使われなくなって久しいであろう襤褸ぼろの山小屋の中で、私と数名の人間が雨宿りをしていた。

 東京から離れた田舎の山中、雨は未だ止む気配を見せていない。雷雨の中暗黒の森を抜けようとするのは危険だと誰もが分かっているのか、ここを動こうとしない。

 ハテ、今は何時だろう。時計を見ようにも自分の手すら見えない有様である。辺りは音一つ立てないので、起きている者がいるのかも分からない。

 仕様が無いので眠ろうかと瞼を下ろしかけると、白光で視界が開け、山小屋の戸が開くのが見えた。

 「失礼する。同席を許し給え。」

 一瞬見えたのは、チンドン屋のような奇妙な衣装を纏った青年の姿だった。

 「宜しいか。」

 「…あ、ああ。」

 車座の只中に置かれた洋灯ランプがぼんやりとした輝きを放つ。

 雨音は片時も途切れない。耳鳴りがする程に静謐な小屋の中と、今まで姿形の不明だった人間を洋灯が照らす。

 真向かいに座っているのは、身の丈六尺はある入道だった。片足を立てて胡坐あぐらを掻き、黒衣をぐっしょり濡らした侭目を閉じている。

 右方には、如何にも陰気そうな書生が壁にもたれて腰を下ろしている。傘も差さずに来たと云うのだろうか、濡れ鼠で、顔には血色が無く蒼白かった。

 左方を見て目をみはった。小柄な白髪の老人が、隅に蹲るようにして座っている。彼は傴僂せむしらしかった。傍に置かれた穴だらけの蛇の目が、残酷な迄に彼の境遇を物語っている。

 そして、私の直ぐ隣には、あの珍妙な風体の青年がいた。青年は薬屋(こう)らしき箱と、派手な図柄の蛇の目を持っていた。床に置かれた行李から煙管を出し。青年はまじない師の様な仕草で紫煙を燻らせた。

 と、雷雨以外の音を忘れた小屋の中、初めて人の声がした。声の主は、あの傴僂だった。


 「一興、怪談会と洒落込もうかエ。」

 数瞬の間また沈黙が降りた。何を呑気なと思ったが、反駁する気は起きなかった。

 「貴殿は、怪談が好きなのか。」

 「ヘエ。乳飲み子の時分から、語ってくれと親にせがんでやした。お岩やお菊の噺なんかはモウ、百遍は聞いたもんで。…あんた、何をなさる御方ですかイ。」

 「身共は芸を生業をしている、へんぷくさいだ。其方そちらの行者殿は、物の怪の話にお詳しそうであるが、如何に。」

 私の代わりに受け答えしていた青年が、周りをぐるりと見渡した。入道は片目でへいげいし、書生は視線をこちらに寄越した。

 「…手前は怪談には疎い。」

 「では、其方は。…体を拭かれよ、風邪を引く。」

 青年が差し出した手拭いを、書生は黙って受け取った。精神が参っているようで、どもりながらも言葉を返す。

 「僕は…、幽霊には、遭った事はありません。そんなのよりも…怖い、怖い物を見てるんだ、僕は……あれより恐ろしい物は、見た事が無い。」

 うわごとの様な書生の言葉に、傴僂が奇怪に笑った。あれが妖怪では無いかと思ってしまう、化け物じみた声だった。

 「そいつァ良い。ヤイ、早うそのお化けの話をしねエか。」

 「…お化けだと! 一緒にするな、あれは…あの人は!」

 緊張が走る。人が変わったようにいきり立ち傴僂に殴りかかろうとする書生を、入道が止めた。何事も無かったように蝙蝠屋が言う。

 「貴殿は何を見た? その様子は只事ではないぞ。身共らに話して見ないか。」

 私はというと、驚くばかりで何も言えなかった。唯、俯く書生の黒髪をじっと凝視していた。


 「……僕はいぬづかえいろうと云います。水野伯爵の屋敷で暮らしておりました。」

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