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トライアングルスカイ

作者: 山中 綾

「なんていうかぁ、アメちゃん先輩もストレス溜まってたんだと思うんですよぉ」

「だからぁ、別に悪気があったわけじゃないっていうかぁ……」

「とにかく責めないであげて欲しいんですよぅ!」

「きっと寂しかっただけだと思うんですよぅ!」

 同じ口調で交互にそう話すふたりの少女を見下ろして、ソラは溜め息を吐いた。

 彼女たちが必死になって弁護してくれているというのに、当の本人であるアメはだらしなく手足を投げ出し、はしたなく胸元をはだけて、庇うように立つ少女たちの後ろに寝転んでいる。

「わかったから、君たちは帰りなさい。そこに筋斗雲を待たせてあります。もう遅いので、気を付けるのですよ」 

 ソラがそう言って、スーツの胸ポケットからチケットを取り出し少女たちに渡すと、ふたりは不安気に彼を振り返りながらも、筋斗雲に乗って帰って行った。

「さて、と……どうしたものか」

 一向に目覚める気配の無いアメを見下ろして、ソラはもう一度、深い溜め息を吐いた。

 大の字になって眠る彼女の周りには、クープグラスが散乱している。扇のように広がった、アメの長く美しい銀髪を映し、グラスは星のようにきらきらと煌めいた。落ちた先がやわらかな雲の上なので割れてはいないが、なにしろ量があるので片付けるのは少し大変そうである。

 まぁそれは後ほど本人に回収させることにして視線を移すと、空になった酒瓶に混じって、とんでもないものが転がっていることに気が付いた。

「これ……は……!」

 慌ててアメの両肩を掴み、強く揺さぶりながらソラは叫ぶ。

「アメ!アメ!起きなさい!これはどういうことですか!」

「む……んぅ〜……」

 不機嫌そうな声と共に意識を取り戻したアメは、目の前で自分の名を呼ぶ男の顔を確認すると、大きく目を見開いた。

 そしてすぐにバツの悪そうな顔をして、ソラから視線を外す。それには構わず、ソラは空き瓶の一本を掴んで言った。

「予定に無い局地的豪雨が降っているというから来てみれば……これは来週、山向こうの地域に降らせる予定だった『雨』でしょう?一体なにを考えているんですか、貴女は!」

 傘のイラストがあしらわれたラベルを指し示しながら、顔の前に空き瓶を突き出す。すると、アメは白状したように、事の成り行きをぼそぼそと話し始めた。

「いや、だって……風神雷神と呑んでたらお酒なくなっちゃったから……」

「それでどうして『雨』の瓶が空になるんです?まさかこれを呑んだわけではないでしょう!」

「そうなんだけど……なんか無性にシャンパンタワー見たくなって……」

「シャンパンタワー?貴女、そんなことに貴重な『雨』を使ったんですか?」

 視界がクラッと揺らぐ感覚を覚えて、ソラは思わず目頭を押さえる。まさか散乱するクープグラスと、予定外の局地的豪雨の理由が直結していたとは思わなんだ。呆れてものも言えないとはまさに今この瞬間のことである。

 黙ってしまったソラに、開き直ってアメは言った。

「なによ!『雨』なんてまたつくれば良いでしょう!こんなの私の手にかかれば一発なんだからね!」

 そう言うと、アメは雲に手をかざし、そっと引き上げた。すると、その手に吸い寄せられるように、雲のなかから小さな雨粒が現れる。その雨粒を空き瓶のなかに収めると、瓶の底に薄く水が張った。

 その一部始終を見ていたソラの前に、アメは空き瓶を突き出して見せる。

「ほら、出来たわ!『雨』よ!」

 得意気にそう言い放つアメに、ソラは通算三度目の溜め息を吐いた。

「そんなペースではその瓶一本、満たすのにどれほどの時間がかかることか……いい加減、事の重大さを認めては如何ですか」

 アメがこの世界で唯一『雨』をつくることが出来る存在であることは確かだが、先の行動からもわかるように、それは実に地道な作業となる。そのため、日頃からつくった『雨』は瓶詰めで保管され、ソラの立てた予定通りに地上へ降り注がれるのだ。洪水に泣く地域や水不足に喘ぐ地域が出ないよう、平等に完璧に立てられたソラの雨降り予定を無視するということは、すなわち全世界の空模様を引っ掻き回す重罪なのである。

 その事実をソラの言葉でようやく理解したのか、アメの目にみるみる涙が溜まった。

「ごめんなさい……」

 先刻の威勢はどこへやら、弱々しい声でそう言うアメの瞳から涙が流れ出した。その瞬間、すかさずソラの指が伸び、アメの涙を拭う。

「ソラ……」

「むやみに涙を流さないでください。貴女から流れるこの一滴も立派な『雨』なのですから」

 きゅん、と胸がときめいたのも束の間、そう言って拭い取ったアメの涙を瓶に収めるソラを見て、アメのなかで何かが弾けた。

「いつもそうやって『雨』のことばっかり……アンタ、それ以外、私に言うこと無いの!?」

 叫ぶようにそう問うも、質問の意味が解らないらしいソラは、人差し指で眼鏡を押し上げながら平然と答えた。

「私の役目は天候を管理すること。貴女の役目は『雨』をつくること。私が貴女に『雨』のことばかり話すのは当然でしょう?」

 アメは唖然として目の前の男を見つめる。仕事熱心なのもここまで来ると病気ではないかと思う。

「そんなに『雨』が大事?」

「何を今さら……当たり前でしょう」

 ソラの返事を聞いた途端、アメの大きな瞳はたちまち潤い、涙がこんこんと溢れ出した。その量は先ほどの比ではない。流れ落ちた彼女の涙は足下の雲を抜け、地上へと降り注いだ。

 アメが幼子のように声をあげ、激しく泣けば泣くほどに、地上にもどしゃ降りの雨が降る。

「ちょっと、何なんですか突然!」

 ソラが慌てて涙の理由を訊ねると、アメは嗚咽混じりに訴えた。

「ソラは『雨』がつくれれば誰でも良いんでしょう?『雨』がつくれなかったら私のことなんかどうでも良いんでしょう!?」

「また……急に何を言っているんです?」

「だってそうじゃん!いつもそうじゃん!ソラは私がつくる『雨』にしか興味ないんだ!ソラが忙しくて会えない間、私がどんな気持ちで居るかなんて考えたこともないんだ!」

 いきなりタガが外れたようにまくし立てるアメに、ソラは戸惑うばかりである。しかし当の彼女はすっかり激昂してしまい、そんなことには構う余裕も無いようだ。

「それともわざとそういう態度なの?私を追い込んだら、こうして『涙雨』を降らせられるから?確かにね!こっちのほうがいちいち『雨』をつくらせるより手っ取り早いもんね!」

 そう言い放ち、顔を上げたアメはぎょっとした。睨み付けたソラの目は、彼女が未だかつて見たことの無い、悲しい色をしていたのだ。

「貴女は私のことをそんなふうに思っていたんですか……」

 目の色と同じ、暗く沈んだ声でソラはそう言った。

「謝るのは私のほうでしたね。あなたにそんな思いをさせていたとは、露ほども気付いていませんでした。すみません」

 思いがけないソラの言葉に、今度はアメのほうが戸惑ってしまう。先刻までの涙も怒りも、すっかり消えて無くなっていた。

「ううん、私こそごめん。こんな駄々っ子みたいなことして……」

 両の手を振りながら急いで答えると、ソラの瞳が真っ直ぐにアメを捉えた。雨上がりの青空に似た、美しく澄んだその色に、アメの胸がドキッと高鳴る。そんな彼女の手を包み込むように、ソラが自分の手を重ねた。

「では、私を許してくださいますか……?」

 囁くようにそう問われ、アメは大きく頷いた。その顔は耳まで真っ赤に染まっている。

「良かった」

 ソラはニッコリ笑ってそう言うと、重ねた手に力を込めた。

「アメ、忘れないでくださいね。大切な人をわざと泣かせようなんて考える男は、この世界の何処にも居ないのですよ」

 その言葉に、アメの顔がさらに赤くなったことは言うまでも無い。



「よくもまぁ、あんな台詞がスラスラと出てくること」

 アメが落ち着いたのを見届け、彼女のもとを後にしたソラを迎えたのはそんな言葉だった。

「盗み聞きとは感心しませんね、ハル」

「まぁ、人聞きの悪い。偶然、聞こえただけですわ」

 ハルと呼ばれた彼女はそう言って、小さく笑った。それに合わせて、短く整えられた明るい髪が細かく揺れる。

「アメさん……見目によらず、随分と純粋な娘ですのね。意外でした」

 彼女の鋭く光る視線は、窓の隙から射し込む朝日のように、寸の間ソラの目を眩ませた。

「貴方の言葉、すっかり信じてしまったのではなくて?」

「なにか問題が?」

 真っ直ぐに瞳を見返しソラがそう答えると、ハルは少し驚いたような顔をして、それからニッと笑って囁く。

「コワイ人」

 踊るようにソラに背を向け、歌うようにハルは続けた。

「まぁ、あの場ではああ言うしかありませんわね。一日に二度も予定に無い局地的豪雨を降らせるわけにはいきませんし」

「ハル……貴女まで、私が彼女のつくる『雨』にしか興味が無いと言うのですか?」

「違うと仰有るの?」

 振り向いたハルに、今度はソラがニッと笑う。

「アメは私の大切なパートナーですよ。無論、ハル、貴女も」

 ソラの瞳が真っ直ぐにハルを捉えた。晴天の青空に似た、美しく澄んだその色に、ハルの胸がドキッと高鳴る。そんな彼女に「それでは」と一礼し、ソラは背を向け歩き出した。

「……コワイ人」

 去りゆく後ろ姿に呟いた声は、風に流れて消えていく。

「私、あんな小娘には負けませんわよ」

 誰に聞かせるでも無くそう言うと、ハルも歩き出した。


 地上では間もなく日付が変わる。

 本日の天候は、ソラのみぞ知る。

読んで頂き、ありがとうございました。

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