第六楽章
早いもので、魔王城での生活が始まってから1年が経ちました。
私の仲間のうち二人の事は、もう説明しましたよね。
最後の一人、黒魔導師様の名前は、パパラチアです。
漆黒の髪に、ピンクがかったオレンジという珍しい瞳の色をしています。
黒い髪というのは、黒魔術を生業とする人達共通の特徴です。黒魔術を使う事によって、生来の髪の色が段々と黒に染まっていくのだそうです。反対に白魔術の使い手である神官様は銀髪。これも髪が白魔術に染まった所為だと思われます。なんでも人体の中では最も髪が、魔力の影響を受けやすいのだとか。そういえば齢60の大神官様の御髪は輝くばかりの白髪ですものね。単に年齢的なものかもしれませんが。
私達勇者一行の一員である黒魔導師様は私より10歳以上年下なのですが、その若さにも拘らず、黒魔術の使い手としては当代一という才覚の持ち主です。年齢に見合わない程に黒い彼の髪の色も、それを証明しています。
そして―――そして、何というか私、彼の事がすごく苦手、です。
「よお、ルチル」
夕食後。
斜めになった手摺りに凭れ掛かる様に身を乗り出し、私の名を呼んだのは、件の黒魔導師様でした。桃色と橙色のちょうど中間の彼の瞳は、離れて見ると、蓮の花の蕾のようです。
「…パパラチア」
ぎくり。驚いた私は、思わず笑顔が引き攣ってしまいました。
「き、奇遇ですね。こんな所でお会いするなんて」
私達が立っている場所、ここは大浴場付近の階段です。それこそ浴場に用が無ければ通りかからない場所だと思うのに、何故黒魔導師様がここにいるのでしょうか。
ちなみに私の方はお風呂掃除の帰りなのですが。
「お前さ、馬鹿じゃないの?」
黒魔導師様は、唇の片側だけを歪めて話します。
「狭くはないけどお互い魔王城の中だけで暮らしているんだから、必然的に何回だって遭遇するだろう。ましてや僕、普段のお前の出没ポイントは把握済みだし。まあ今回はちょっと予想外の場所だったけど」
「…え、私に何かご用事ですか?」
「は、なんで?」
「だってそれって、わざわざ会いに来られたって事なんじゃ…」
途端に不機嫌そうに口を噤む黒魔導師様。
あ、しまった、と私が思ったのが伝わったのでしょうか、
「そんな訳ないだろう?」
彼はにやりとしか形容できない笑みを浮かべました。
黒い! 笑顔が黒いです、誰か助けて~!
「どんだけ馬鹿でおめでたい頭してるんだか。死ぬかいっぺん死んでみるかお前?」
うう。
やはり私、黒魔導師様に嫌われてるんでしょうか………。
半年共に旅をし、1年共に暮らし、苦楽を共にしてきた仲間の筈なんですが……。魔王城に突入した時私を庇ってくれたり、ブラッドに帰還を勧められても魔王城に残ってくれたり、ああやっと仲間らしくなってきたなぁと思ってましたのに……。
うっうっ。
私がいつまで経っても不甲斐無い勇者なのがいけないのでしょうか……。
「なんでだろう、お前見てると泣かしたくなるんだよなぁ」
貴方はいじめっ子ですか!
この人の言動、20歳過ぎた大人とは到底思えないですよね…。10代の若者みたいですよね…。
「……きっと、ルチルの精神年齢が僕より低いせいだな」
ふふん、とふんぞり返って蔑む黒魔導師様。
(いえ、精神年齢低いの貴方の方ですから! むしろアレクの方が人間出来てますから! 魔王ですけど!!)
私の心の叫びが聞こえたのでしょうか。黒魔導師様は鼻で笑って言いました。
「何か言いたい事があるなら口に出して言えよ。まあルチルには? 人の心の機微など分からないだろうけど? ホント、お前よくそれで結婚できたよな。相手の心が余程広かったんだろうな。まあ僕も? 心は広い方だと思うけど? お前くらいなら十二分に受け止められると思うけど?」
上から目線ですかそうですか。身長、私と大して変わらないくせに。
私は己の眉間に皺が寄るのを感じずにはいられませんでした。
―――駄目駄目、私は大人です。この悪ガ……げふんげふん、若者相手にむきになってはいけません。ええ、そうです。例えキトサ村の悪ガキ(あ、言っちゃいました)を彷彿とさせる態度を取られようとも、お仕置きにほっぺむに~って抓りたい衝動に駆られようとも!
ええ、いましたよ、昔……。
息子より少しばかり年長の男の子で、やたらからかってきたり、スカートめくってきたりする子が。私も当然嫌な気持ちではあったのですが子供のする事だと思って放置していたら、数日後に私の息子とその子が取っ組み合いの喧嘩をやらかしてきましたっけ……。それで嫌がらせはパッタリ無くなり、うちの子はなんて母親思いのいい子なのかしらと感激していましたら、「母さんは甘い。危機管理意識が足りない」と怒られて、その後3日間は口きいてもらえませんでした。子供の悪戯に怒るのは大人げないと思って我慢していたのに……くすん。何が息子の逆鱗に触れたのでしょうか。やはりあれですね、よその子でも我が子同様に躾けなくてはならなかったと、そういう事ですよね?
うんうん。負うた子に教えられたと思って、それからは私、村の子供達には我が子同様に接してきましたよ! その甲斐あってか、皆改心していい子たちばかりに育ちました。誠心誠意向き合えば、思いは通じるのですよね! でもそうするとまた息子が「母さんはチョロイ。相手は戦法を変えてきただけなんだってば」と怒るんですよね……。はあ。思春期の男の子の心は、女親には理解不能です……。
首を左右に振って反芻していた過去の記憶を消し、私は心の中で「黒魔導師『様』、黒魔導師『様』」と2回唱えました。
ええ、『様』を強調です。
会話の時に黒魔導師様の名前を呼ばないと「いつになったら僕の名前覚えられるのかな? お前は3歩歩くと忘れる鳥頭だから仕様が無いって事かな? ん?」と、また嫌味を言われるので「パパラチア」と呼ぶのですが………そう呼んでいると時折キトサ村で生意気盛りの子供と話している様な錯覚に陥ってしまって、「それが目上の人に対する態度なの?」と、ついお説教をかましそうになるのです。
危ない危ない。
うっかりそんな態度を取ってしまった日には、今度はどんな目に遭わされるか……。
ぶるぶる。
はい、旅の途中で既に何回かやってしまったんですよね、私……。
……以前、『大人になってから同世代の人に叱られる事ほど辛い事は無い』等と申し上げたような気がしますが、前言撤回します。もっと辛い事、それは、『大人になってから、年下の人に叱られる事』です! 穴掘って埋まりたくなるくらい、へこみますよ。勿論、経験談です。くすん。
彼は黒魔導師『様』、国一番の黒魔術の達人です。年齢が私の息子と10も離れていないからといって子供扱いしてはいけません。(遠い目)
黒魔導師様の凄い所は、高度な術を軽々と使いこなすそのスキルだけではありません。頭の出来も良いのです。研究にも熱心で、今までに幾つもの偉大な魔術学上の発見をされているとか。長い呪文詠唱を必要とせずに攻撃魔法である黒魔術を使用できるのは彼が編み出した独自の論理体系によるものらしく、他の追随を許さないとか。まさに、天才と呼ぶに相応しい方なのです。
聞く処によりますと、黒魔導師様は幼い頃にその才能を見いだされて修行に入られ、神童と呼ばれていらしたとか。黒魔導師様達の集う『黒の塔』の中で実力はNo.1であるものの、権力に興味が無いために何の役職にもついていらっしゃらないとか。つくづく、変わった方です。
や、でも本当に凄い方なのですよ。
魔術の講義を受けているアレクも言っていましたもの。パパラチアの魔力は、ブラッドに匹敵するくらい凄いって。1年前のあの日パパラチアがブラッドに負けたのは、それまでの戦闘で消耗していたからで、五分の条件で魔力の勝負をするなら実力が伯仲する二人の勝敗は予測不可能だろうって。ヒトでしかもこの若さでは規格外だろうとまで言っていました。
惜しむらくは、その性格に難ありなんですけどね……。
「なんだよ黙り込んで…。ルチル? まさか本当に泣いている訳じゃないんだろう」
黒魔導師様の声で、私はフッと我に返りました。
あら。
私の顎に黒魔導師様の手が掛けられています。いつのまに?
顔を固定したうえで、私の瞳を真剣に覗き込んでくる黒魔導師様。身長が近いとこういう時便利ですよね。って、そうじゃありませんね。いけません。真面目に心配させてしまったでしょうか。
「泣いてませんよ?」
黒魔導師様の目を見てニコリと微笑むと、
「……っ!」
なんだか怒ったように顔を背けられてしまいました。
ええと…耳朶が赤いのは怒っているからでしょうか?
「ルチル~!」
階段を元気よく駆け降りる音がして、アレクが姿を現しました。
後ろに付き従うのは腹心のブラッド。深紅の髪と目を持つ魔族です。
アレクはその勢いのまま私に飛び付きました。
「お風呂、もう入れる? お湯溜まったかなぁ。ルチル大浴場初めてだよね。すごく広くて気持ちいいんだよ」
アレクの言葉に、振り向いた黒魔導師様が目を剥いています。
「ふ、風呂、とかさぁ…! ルチルお前、ちゃんと気を付けろよ!! 一人で入ってたら危ないだろう。大浴場でなくとも部屋の備え付けで充分なんじゃないのか。部屋だってそろそろアレクと別の部屋に変えた方がいいんじゃないのかよ。アレクだってもう大きくなってきてるんだから」
かと思えば、黒魔導師様は急に威勢よくしゃべり始めました。
話の趣旨がよく見えませんが……心配してくれた、という事なのでしょうか……?
「……お風呂は、いつもは部屋のに入っています。今日はアレクが気分を変えて大浴場がいいと言ったので。一人じゃないので大丈夫ですよ? ブラッドも廊下で見張っておいてくれると言ってますし」
ブラッドが無言のままアレクの背後で肯いてくれました。良く見れば、その手に持っているのはアレクの着替え一式です。
「って!! 待て! それは、いつもアレクと一緒に入っているって事か!」
「そんなの1年前からずっとですよ?」
「ね~?」
と、アレクと私は視線を交わします。
「じゃあルチル、行こう行こう、お風呂。楽しみだね」
「そうね」
「ルチル! お前は! もっと危機感を持て!!」
黒魔導師様の言う事は、どこかうちの息子の発言に似ています。
いやだわ。黒魔導師様、もしかしてまだ思春期なのでしょうか……。
パパラチアは典型的な「好きな子をいじめちゃう」タイプですね。
そして鈍感なルチルには全く気付いてもらえていません。
美味しい所はアレクの総取りです。
パパラチア不憫www