第五楽章
「手紙を出したいのですが」
私はそう、ブラッドに切り出しました。
どのように伝えれば要望が叶えられるのか考えあぐねた末に、結局は端的に表現するのが一番だと思ったからです。
「……手紙、ですか」
紅茶の入ったカップを口から離し、ブラッドは黒に近い深紅の瞳で私を見つめます。言葉の裏に潜む私の真意を探り出そうとするかのように、じっと。
まあその様なものは元からありません。だから私には探られても痛むお腹は無いはずなのですが、瞬きもしないピジョンブラッドの視線を浴びていると、なんだか落ち着かない気分になるのは何故でしょうか。
ただ今、3時のお茶の時間です。
今日は紅茶と焼きたてのアップルパイにしてみました。アップルパイは、シナモンを利かせたものが私流です。あまり香料がきついとアレクが食べられないので、ほんの少しだけですが。それにお好みでバニラアイスクリームを添えます。アレクは多めに、ブラッドは無しで。騎士様と神官様は少しずつ、甘党の黒魔導師様は山盛りです。
「手紙って何?」
アレクがアップルパイを一切れ頬張りながら質問します。
うん、その零れ具合から見ると、パイ生地はきちんとサクサクに焼けているみたいですね。でもお行儀悪いですよ、食べ零しは。
「アレク、口に物を入れたままお話しては駄目よ」
一本指を立てて、めっ、とすると、アレクは口の中の物を咀嚼して飲み込んでから、はぁい、と返事をしました。私はにっこり笑顔を返します。マナーを守って綺麗に食べるのも大事ですが、アレクのように美味しそうに食べてもらえると、作った甲斐がありますよね。
「アレク様、手紙というのは、文章による報告ですよ。大抵は、直接相対する事の叶わない遠隔地にいる相手と遣り取りするものですね」
ブラッドが説明します。
「ルチルが手紙、書くの? ………誰に?」
アレクとブラッドが揃って私を見ます。事前に相談していた騎士様、神官様、黒魔導師様の3人はもうご存じのはずなのですが、彼らも一緒に私の方に目線を向けてきます。
「息子と、お世話になっている故郷の村の方々に、私の無事を報せておきたいのです。それと…国王様、大神官様にも出来れば現状のご連絡を」
「許可が下りるようなら、国王と神殿への手紙はヘリオドールと私が各々したためましょう。勿論、発送はそちら側で内容を検閲して頂いてからで構いません。このまま連絡断絶を続けているのは両者にとって最良の状態とは申せないでしょう」
私の言葉に一つ肯いてから、神官様が口添えして下さいました。騎士様、黒魔導師様も同意を示します。
お茶のテーブルを囲んで、私達一行はアレクとブラッドの返答を固唾を飲んで待ちました。
「そうですね。私はそれで構わないと思いますが……アレク様はどのようにお考えでしょうか?」
側近であるブラッドは、どうやら魔王アレクの意見を尊重するようです。アレクの成長に伴い、最近の彼には時折このような傾向が見られます。
「……息子……」
アレクの呟きは小さなものでした。親指の爪を噛みながら、何か考えている様子です。
「それは、ルチルの家族……って事?」
「ええ、そうよ、アレク。お願い。あの子きっと心配しているから」
「心配してる―――ルチルの事を大事に思っていて、ルチルもその子が大事。そういう事……?」
「ええ、勿論」
反抗期だろうが、厨二病だろうが、血を分けた二人きりの家族です。私が勇者となって故郷の村を旅立った時14歳だった息子も今では15歳、あと数ヵ月もすれば16歳になるはずです。
ああ、どれ程大きくなっている事でしょう。せめて母親が無事に生きている事だけでも報せておきたい、そう思うのです。
アレクは唇から指を離し、顔を上げて私を見ました。
その顔には未だ幼さが残ってはいるものの、幼児とはもう誰も言えないでしょう。
かといって大人でもありません。少年、そう呼ぶのが一番しっくりきます。子供と大人の狭間という、短い期間の存在。ヒトよりも駆け足で成長を続けるアレクには、殊更に刹那の瞬間です。
日々、大きくなっていくアレク。彼の身長は、もう息子が12~3歳だった時のそれを超えている気がします。アレクが成長して、別れた時の息子の年齢に近付いてくると、どうしても我が子を思い出さずにはいられないのです。
「僕よりも……?」
「え?」
回想を追っていた私には、アレクの言葉の意味が一瞬、理解できませんでした。
整ったアレクの眉が、中央に寄せられます。
「ルチルは……僕よりも、その子の方が、大事なの……?」
「えっ……」
思ってもみなかった事を訊かれて、私はつい返答に詰まってしまいました。
比べた事など一度もありません。息子も、アレクも、どちらも大事で、どちらも愛おしい、かけがえのない子供です。兄弟を育てている母親ならば同じように感じているのではないかというように、私は二人共を大切に思っていました。
「アレク様!」
けれど瞬時に否定しなかった事を肯定だと思ったのでしょうか、アレクは顔を歪ませて席を立ち、部屋から駆け出して行ってしまったのです。
お皿の上には手を付けられなかったバニラアイスが溶けだしており、それがアレクの泣き顔のように思えて、私の胸は痛みました。
どうしよう。アレクを傷つけてしまったわ。
私は皆に断りを入れてから、慌ててアレクを追い掛けました。座したままのブラッドから無言の圧力を感じつつ。
アレクは音楽室に隠れていました。
音楽室、という名は私が勝手に呼んでいる名前で、本当は魔王城のサロンの一つなのだと思います。色々な楽器が置いてある部屋です。中央には立派なグランドピアノが据えてあり、アレクはその脚元に力無くうずくまっていました。
「アレク」
脅かさないように優しく呼び掛けると、俯いていたアレクは、目元を乱暴に擦り上げました。室内では薄い赤紫に見える彼の瞳からは分かりにくくても、腫れぼったい瞼や、耳朶が赤くなっている様子から、やはり泣いていたのだと察せられました。
「ごめんね、アレク」
何よりもまず傷つけてしまったことを謝りたくて、私は少年魔王の傍に近寄りました。ぴくんと震えるアレクの、私よりもまだ一回り小さい体を、包むように抱き締めました。
「……ルチルの一番は僕じゃないんだ」
拗ねたような口調に愛おしさが募り、アレクの前髪を掻き上げて、額に口付けをします。
「お馬鹿さんね、アレクは一番よ。それから、オニキス―――私の息子も、一番。一番はひとつきりじゃないのよ」
「僕はルチルだけが一番なのに。ルチルが違うなんて嫌だ。ルチルの一番は僕だけがいい」
「あら、アレクにとって、ブラッドは一番じゃないの?」
「ブラッドは違う。ルチルへの気持ちとは全然違う。そんなの、僕はもうとっくに判ってる」
憤然とした抗議はどこか大人びていて。
ふと、寂しい予感を抱きました。
息子が成長して徐々に母親離れしていったように、アレクにもいつかその日が来るのだと。今は私の事をこれほど慕ってくれているアレクですが、順当にいけばヒトよりも早くその日が来るはずだと、そう思うと、独占欲を剥き出しにしてくれるアレクの姿が、ひどく可愛らしく感じられました。
「……アレクが大好きよ」
抱きしめたまま、アレクの髪に顔を埋めます。心を込めて言ったのに、アレクは溜息をつきました。それからアレクの細い腕が伸びてきて、私を抱き返します。逃がさないとでもいうように、痛い程の強さでした。
「……ルチルは分かってないと思う」
お互い、相手の顔は見えません。誰よりも近い距離に居るのに、その所為で却って相手の表情が分からないのです。
「ルチルが選べないというのなら、僕が決めてあげる。ルチルの一番は僕だけ。いっそオニキスとかいうルチルの息子なんか殺」
「分かって? アレクの傍に居たいから、手紙を出すのよ」
理解して欲しいという気持ちが急いてしまって、私はアレクの言葉の途中で発言を被せてしまいました。アレクが息を飲んだのが分かります。おかげで先刻の彼の言葉の後半部分が聞こえませんでしたが、私はこの機を捉え、再度懇願してみました。
「手紙、出してもいいでしょう? お願い、アレク」
数秒、沈黙がありました。
「……分かった。いいよ」
アレクが、不承不承、というように、許可を出しました。
「ありがとう! アレク!!」
最後にもう一度だけぎゅっとして、私は腕の力を弱めました。アレクも気付いて、拘束を解いてくれます。
見つめ合った顔は、少年っぽい照れ笑いに彩られていました。
素直で可愛いアレク。貴方が立派な魔王になれるように、私達、全力を尽くしますからね!