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第四楽章

 「精が出ますね、ルチル。貴女は本当に働き者です」


 昼食後、廊下の窓ガラスを無心に磨いておりますと、神官様に声を掛けられました。

 「オブシディアン様」

 私は乾拭きしていた布を片付け、神官様に向き直りました。汚れ水の入ったバケツもさっと後ろに置き換えます。

 我が心の師、神官様に粗相があってはいけませんからね。



 神官様の名は、オブシディアンといいます。

 私より10歳程年長でしょうか。世俗から離れた生活を長年送られている所為か、どこか中性的な美貌の持ち主です。

 彼は腰まで届く長い銀髪を、首の後ろで一つに纏めています。眼の色は、本当は黒です。けれど、大抵その瞳は閉じられています。盲目ではないのですが、なんでも長時間ものを見ている事が出来ない、弱視なのだそうです。

 そのような身体的ご不自由にも関わらず、もしくはその為に却って生来の高潔さに磨きがかかられたのか健康しか取り柄の無い私には分かりかねますが、オブシディアン様は大変優れた人格者であられるのです。身寄りの無い孤児達の為に孤児院を設立されたり、平民でも学問が出来るように教育機関の門戸を一般にまで広く開かれたのも、オブシディアン様の尽力に寄る所が大きいと言われています。

 神力に通じると言われる白魔術の使い手としても一流で、その上、私などが顔を会わせるのも勿体無い程の、高位の神官様です。神殿では大神官様、神官長様に次ぐ、第三位の権力者であると聞き及んでいます。


 勇者として私が初めて都に上がった時、神殿側の代表として迎えて下さったのが何を隠そう、彼なのです。敬愛するキトサ村の神父様は、幼かった私に折に触れ、都には素晴らしい方がいらっしゃると教えて下さっていました。ですから、お名前を伺った時、私にはすぐこの方がそうなのだと分かりました。感激して思わず抱き着いてしまったのは、私の至らなさゆえです。はい、ミーハーでした。海よりも深く反省しています。そんな私を呆れもせず寛大なお心で許して下さったオブシディアン様は、さすがですよね。


 その後暫くして勇者の仲間の一人として彼が再登場された時、私がどれほど吃驚したか、分かって頂けるでしょうか!


 これでも一時期は修道女を目指していた私です。

 雲上人といっても差支えの無い高位の神官様の事を『仲間』だなんて、恐れ多くてなかなか口に出来ませんでした。お名前を呼び捨てにするよう何度求められても、未だになかなか『様』付けは抜けません。ご期待に添えず、申し訳ない限りです。それなのに神官様は、気さくに私に話し掛けて下さるのです。

 なんと博愛精神に溢れた方でしょう!

 貴族のご出身ではありますが、オブシディアン様の信仰心は本物です。

 神殿側としても彼が勇者一行に加わるのを思いとどまるように、大分引き留めたと聞きます。オブシディアン様ほどの神官を万が一失うことにでもなったら、それが魔王討伐と引き換えだとしても、大きな損失ですものね。けれど彼は自らの力を世の平和の為に役立てたいと、懇々と周囲を説得なさったのだそうです。これは小耳に挟んだ話ですが。

 なんという無私の心でしょうか!

 事あるごとに私に、「帰国したら都の神殿で共にお仕えしましょう。大丈夫、低俗な輩を配置換えして、すぐ貴女に相応しい役職を見繕いますから」と誘って下さるのも、「貴女の為ならばいっそ還俗しても後悔はしません。貴女を得られる幸福に比べれば、神官職など何程のものでしょうか」と冗談を言って場を和ませて下さるのも、神官様のその広い御心を示しているのです。「実を申しますと私が魔王討伐に志願しましたのは、ひとえに貴女を想うが為なのです」等と私にだけこっそり発言される時もありますが、どれほど謙遜されようとも、高尚なそのお志は隠しきれるものではありません。

 まったく、なんと謙虚な方なのでしょうか!

 私もかくありたいものです。



 「瞼を閉じていても分かります。窓の汚れが落ちて、廊下が明るくなりましたね。まるでルチル、貴女の存在そのもののように、魔王城が明るく輝いています。ここがかつては暗黒の魔族の巣窟であったとは思えない程に」

 穏やかに微笑む神官様。

 有難いお言葉ですが、……今でも充分魔族の巣窟だと思いますよ?

 「魔族の心の在り方が違うのです。ここ最近は、配下の一人とて、我々ヒトを見ても襲いかかって来ないでしょう。魔王の厳命によるものだと言えばそれまでですが、無差別に殺戮を行ってきた彼らが、例外を認め、己を律する事を覚え始めたという点に意義があるのです」


 なんだか難しいお話ですが……、要はあれですね、アレク偉い! という事ですよね?

 私は我が子を褒められた様な気持ちになり、表情が上手く作れずに照れ笑いをしてしまいました。


 なんででしょうね、自分が褒められた訳でもないのに、我が事のように嬉しいのは。自分の事だと「いえいえ私などまだまだで」と普通に謙遜してしまうものですが、子供の事だと「そうなんです、凄いでしょう! 褒めて、もっと褒めて下さい!!」と言いたくて言いたくて……もう、にやけ顔を抑えるのが大変です。一苦労です。だって本当に口にしてしまいますと、確実にイタイ人認定ですからね。

 親の心子知らずとはよく言ったもので、「またまた~うちの息子なんか大した事ないですよ~」と余所様に必死に謙遜してみせていると、そういう時に限って、息子本人に聞かれたりして。「ふ~んそっか……どうせオレなんか大した事ないんだ…」とか、拗ねられたりして。

 この! 親の内心の葛藤が! どうして分かってもらえないのでしょうか!!

 本当は自慢したいのに! ご近所一周して自慢しまくりたいのに!!


 …っと、いけません。つい思い出して熱くなってしまいました。

 私もまだまだ修行が足りませんね。



 でもこんな風にアレクの事を褒められたら、素直に嬉しがってもいいですよね?

 だって神官様が認めて下さったって事は、魔族とヒトとの友好の懸け橋を架ける、その第一歩だと思ってもいいって事ですよね?

 私達勇者一行が魔王を征伐せずに教育している、この方向転換は決して無駄ではないって事ですものね?



 「ふふ…貴女は本当にアレクの事を大事に思っているのですね。ルチル。以前私は、貴女を聖女になるべき方だと言ったことがありますが、あれは訂正します。貴女は、そう。……聖母、なのですね」


 神官様の一言に、私は大いに動揺してしまいました。身じろぎした拍子にバケツに足が当たり、汚水が飛び跳ねます。

 聖母とか!

 いえいえ、無いです!

 私が聖母とか、有り得ないですから!!

 考えただけで恐れ多くて震えが来ます!


 「オブシディアン様は、私の事を買い被り過ぎだと思います……」

 「いいえ? 魔王の進退は、良くも悪くも貴女に掛かっていると、そう思っていますよ?」


 陽光が燦々と降る明るい廊下は、神官様の目にはあまり良くないはずです。けれど彼は動く様子もありません。期せずして二人きりになったこの機会に何か話しておきたい事があるのだろうと、私はようやく気付きました。



 「何故、魔王討伐の為にわざわざ勇者が選定されるのか、知っていましたか? ルチル」

 「え……」

 正直、疑問に思った事もありませんでした。

 何百年も決まっている、そういう慣習だとばかり……。

 「軍隊を差し向けるのでもなく、力自慢の誰かを派遣するのでもなく。勇者の剣を抜いた者が唯一人の存在である勇者として認定され、魔王の元へ送られる。それは魔王を倒すという事が、勇者の剣をもってしか可能とならないが為、なのです」


 神官様は言葉を続けます。

 「魔族そのものがヒトより圧倒的に強い種族なのは、ご存知ですね。生命力しかり、戦闘力しかり。しかし魔王は更にその上を行きます。生命力も戦闘力も魔力も、並みの魔族より桁外れに強い。ほぼ不死身の存在と言ってもよいでしょう。その魔王を唯一殺傷出来得る武器が、勇者の剣なのです。そしてそれを一番使いこなせる者、それが勇者です」


 ええと、つまり……。

 魔族は強いけれども通常の武器でも倒せる、しかし尋常じゃなく強い魔王は勇者の剣でないと倒せない、という事なのですね。


 「勇者の剣は、一貫して抜身のままだったでしょう」

 そうです。

 私が大岩から抜いた時よりずっと、あの剣には鞘がありませんでした。

 刀身に軽く布を巻いていただけで、そのまま他の荷物と共に馬の背に積んで運ばれていました。うっかり触れたりしたら危なくないのかしら? と最初は思っていましたが、時折私が騎士様と剣技の練習に使う位で、魔王城までは実地で使う事も無かったのです。

 「あの剣は、ヒトを傷つけることはありません。魔族だけに有効なのです」


 まあ。

 なんとも不思議な話です。

 もっとも、大岩に刺さっていたあれを私しか抜けなかった事の初めから、不思議な剣ではあったのですが。


 「でも、オブシディアン様。私があの剣をアレクに向ける事など、有り得ません。私は、あの子を守るためにここに居るのですから」

 私が心外そうに言ったのが分かったのでしょう。神官様は瞼を伏せたまま、苦笑を零されました。

 「そうですね。貴女が勇者に選ばれた理由が、おそらくはそこにあるのでしょう。自らの生殺与奪の権を握る勇者に魔王が心を許す事など、本来起こり得ない事態な訳ですから」

 神官様はそう言うと、微かに首を傾けました。耳の聡い彼は時折こうやって、私達には聞き取れない音を拾っているのです。

 「―――そして、だからこそ。あの子がどのように成長するか、ルチル、貴女に掛かっているのですよ」



 神官様の言葉が終わるか終らないかのうちに。

 「ルチル!!」

 喜色満面で廊下の向こうから駆けてきたのは、魔王アレクでした。

 「お勉強、終わったよ! 僕いっぱい頑張ったよ。だから遊ぼうルチル!」

 「アレクったら、廊下を走っては駄目よ?」

 抱き着かれながらのお説教には、我ながら説得力がありません。

 だって顔が笑ってしまいます。

 黒髪をくしゃくしゃにして、必死に走ってきたアレクが可愛くて堪らないんですもの。

 つい、何でも言う事を聞いてあげたくなってしまいます。

 でも、駄目駄目。躾が肝心です。神官様のお話も、結局はそういう趣旨だった、ですよね?


 「はぁい」

 アレクは素直に私の忠告を聞き入れ(こういう素直さが堪らないですよね!)、それからふと視線を下に移しました。

 「ルチル、服、汚れてるよ?」

 「えっ」

 スカートの裾を見ると、先程跳ねた汚水が染みを作っていました。じわり、冷気が立ち上ります。

 「大変、すぐ着替えよう? ルチルが風邪ひいちゃう」

 「まあアレクったら大げさね。これ位大した事ないのに」

 「いいからいいから! 遊ぶのは着替えてからね。じゃオブ、ルチルは連れて行くからね」

 アレクは神官様に挨拶をすると、私の背中を押して、部屋へと向かわせました。私は慌てて掃除道具を纏めて持ちました。アレクも手伝ってくれます。



 まったく、仕様が無い心配性さんですね。

 けど、こんな魔王が一人くらいいても、いいですよね?

 

 

 

 


 

 


 

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