君とハッピーバースデー
私達の結婚式を数日後に控えた、とある日の午後。
アレクを探していた私は、愛しい後ろ姿がソファに座っているのを見つけました。
「お誕生日のプレゼントは何がいいかしら? アレク」
「え、誕生日? 何? 誰の?」
振り返ったアレクの戸惑い顔が、私には逆さまに見えました。アレクの頭が、ソファの肩に凭れかかるように仰向けになっていたからです。その所為で、形の良い額が前髪の隙間からのぞいています。
「勿論、貴方のよ」
「……僕の誕生日はまだ先だよ? ルチル」
怪訝な表情で問い返すアレクに背中側から近寄って、クスクス笑いながら私は彼の髪をかき分け、額にキスを落としました。アレクが目を細めます。
「懐かしいね、それ」
出会った時から続けていた、額へのキス。
アレクの背丈が私を越えてしまってから、この行為は滅多に出来なくなっていたのです。
「ほら、去年のお誕生日は会えなくて、手紙を送っただけだったでしょう。再会したら貴方にその分を渡そうって、私ずっと決めていたの」
ソファ越しに触れたアレクの髪は数年前と変わらぬ柔らかさで、私は角に触れないように気をつけながらも、撫で回さずにいられませんでした。アレクは気持ち良さそうに瞼を閉じています。
「何が欲しい? アレク」
私の再度の質問に、アレクはそっと薄目を開けました。
「ん……じゃあ、タルトが食べたいな。ベリーの」
そういえば、と私は思い返しました。
アレクの二歳の誕生日、成魔の儀式の時に拵えたタルト――色々あってあれは結局、アレク本人には食べてもらえなかったのだったわ。
「いいわ、タルトね。お安い御用……と言いたいけど、まだ少し早いかしら。今の時期なら苺ね。それでもいい? アレク」
「充分。なんなら今から森に摘みにいこう」
アレクの発案で、私達は魔王城の近くの森に出掛けました。
森には野生の苺やラズベリーが実っていました。魔族の皆さんはそれほど果実を好まないようなので、ある意味取り放題です。アレクやルーベライトくらいでしょうか、ベリー系が好物だと言うのは。ブラッドも食べはしますが、どことなくおつきあいで口にしているような感じがしますものね。勿体無いです、これがキトサ村の近くだったらどんなにか嬉しかったことでしょう……! こうなったらたくさん保存食を作って村に送ろうと、私は心に誓いました。
摘んだ苺を口と籠に交互に入れながら、私とアレクはのんびりと森の中を歩いて行きました。春の日差しは暖かく、風は気持ちよく流れて行きます。魔王に遠慮してか、生き物の気配は遠くにしかありません。二人きりです。
「ところでさ」
籠半分程も摘んだ頃でしょうか、ふと思い付いたようにアレクが訊いてきました。
「ルチルは欲しいもの無いの? 毎年の誕生日に、ルチルからは一度だって強請られた事無いけど」
「欲しいもの? ……私はもう、一生分貰ったわ」
――そう。
貴方が生きてくれている事。
その腕の中に私を抱き締めてくれる事。
そうして、笑顔でいてくれる事。
これ以上、私がアレクに望むものなどあるでしょうか。
私の答えにアレクは少し考えてから、
「なら僕は、キスを贈ろう」
と宣言したかと思うと、すぐに唇が降りてきました。
私は下唇を軽く食まれ、そのまま深く口付けされました。いきなりの展開に、籠を落とさないように握り締めるだけで精一杯です。息継ぎの合間にアレクが囁きました。
「……甘い」
「苺、の味……で」
角度を変えて何回も繰り返される口付けに、私の方は息も絶え絶えだというのに、アレクは余裕たっぷりに微笑んでいます。
「違う、ルチルが甘いんだよ」
おかしいです。私の方が歳上なはずなのに。
目の前にいるのは、あの、可愛かったアレク本人のはずなのに。
いつの間にこんなに凶悪な色気が醸し出されるようになったのでしょうか……!
互いの唇が離れた後も、アレクは私を抱き締めたまま。鼻先を私の髪の中に埋もれさせていました。
「ルチル」
アレクが私の名を呼ぶたびに、吐息が耳朶に触れます。
くすぐったい、ような。ぞくぞくする、ような。気が遠くなりそうです。
「離れていた分、会えなかった分、僕らが出会う前の分まで、これから毎日お祝いしようね?」
話題を、話題を逸らさなくては。このままでは私の心臓がもちませんもの。
「……それにしても、アレクがそんなにベリーのタルトを好きだったとは知らなかったわ。もしかして、食べ物のなかで一番に好きなの?」
さり気なく話を替えられたと思ったのに、
「ああ、そこは訂正しておいて。僕はね、『ベリーのタルト』が好きなんじゃなくて、『ルチルの作ったベリーのタルト』が好きなんだから」
そう言って耳元で甘く笑うアレク。
何だかもう、色々と敵いません。成長し過ぎです、アレク!
私が片耳を抑えて内心でジタバタしていると、アレクの口から衝撃的な発言が飛び出しました。
「それに、好きには好きだけど一番じゃない……二番目くらいかな」
「まあ、言ってくれれば一番の好物を準備したのに!」
ちょっとだけ残念に思ってそう言うと、アレクはフフ、と優しく笑いました。
「いいんだ。一番食べたいものはもう予約してるから」
「……そうなの?」
少し悔しいです。アレクの事なら私、もう何でも知っていると思っていましたのに。
一体何なのでしょうか、アレクの大好物って。
「欲しくて欲しくて堪らないものが、もうすぐ手に入るんだ。待ち遠しいよ」
そう言うアレクの顔が本当に嬉しそうなので、きっととても美味しいものなのでしょう。
「気になるわ。意地悪しないで、何なのか教えて頂戴?」
「だーめ。秘密」
「酷いわ。私達、もうすぐ結婚するのに……」
わざとそう呟いて軽く睨みますと、
「じゃあ夫婦になったら教えてあげる」
と、アレクが譲歩してくれました。
仕方がありません、私もそれで納得することにします。
「いいわ。じゃあ、アレクの誕生日より結婚式の方が先だから、次のお誕生日プレゼントはそれにするわね?」
「ええ〜。誕生日にしか貰えないの? 結婚したら毎日頂戴?」
お強請りする時のアレクって、心なしか口調が幼くなる気がします。外見はもう立派な青年で、キスだってあんなに情熱的なのに。……もしかしたら分かってやっているのかもしれませんね。どうやら私はアレクのその口調に弱いみたいですから。
「……いくら大好物でも、毎日はさすがに飽きるんじゃないかしら」
「飽きない。絶対に飽きないから!」
「……可能だったらね?」
「うん! 良かった。約束だよ」
まあ、そんなに喜んで。
ラズベリーやブラックベリーのように、時期のあるものだったらどうしましょう……。
悩んでいた私の耳には、だからその後に零れたアレクの呟きは届いていなかったのです。
「――お願いだからこれ以上、僕を焦らさないでね? ルチル」