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第二十四楽章

流血表現があります。

苦手な方は、とばしてください。

 どうして。どうして。どうして。どうして。


 ――誰か私に教えて下さい、どうしてこんな事態になっているのでしょうか…!




 「アレク、お願い、目を開けて……!」

 いつもなら瞬時に治るはずの、アレクの傷が塞がりません。

 私はアレクの胸の傷を両側から掌で押さえました。それでも貫通した傷痕から溢れる血は留めようがありません。私の両手は見る間に紅く染まっていきます。

 血が。

 温かい体温が。

 そしてアレクの生命が。

 容赦無く、流れ出て行ってしまいます。


 「いや、アレク、駄目…!」


 何故。どうしてアレクだけが血を流しているのでしょう。

 最後の瞬間、アレクが私を庇って前に出ました。馬鹿。アレクの馬鹿。私がアレクを守りたかったのに。止められなかった自分が、思い返しても悔やまれます。

 けれどあの時、刃物がアレク越しに私の身体をも刺し貫いていった感触が、確かにありましたのに。


 私に向かってうつ伏せに倒れ込んだアレクから出る血は、二人の着衣を赤黒く染めていきました。むせ返るほどの血の匂いで、鼻の奥が殴りつけられたように痛みます。

 頭がガンガンします。心臓が頭の中で脈打っているみたいです。自分の鼓動が邪魔で、やるべき事が上手く纏まりません。

 どうしよう。どうしたら。どうすれば。

 ……誰か。誰か、アレクを助けて!


 「――ルチル!」

 遠くから三人が駆け寄って来てくれました。騎士様、神官様、黒魔導師様。仲間の姿を見とめて、私の視界は一気に涙で歪みました。

 「皆…っ!」

 駄目。泣いている場合じゃないです。とにかくアレクのこの出血を止めないと…!

 「オブシディアン様! アレクが、アレクが…っ!!」

 癒しの技を持つ彼に縋ると、神官様は厳しい表情でアレクの横に片膝をつき、そのまま傷口に手をかざしました。間髪を入れず、彼の唇が治癒呪文を口ずさみ始めます。私は嗚咽をどうにか飲み込みました。


 「お前…っ! 黙って勇者の剣を持ち出したと思ったら。どうして、こんな…!」

 悲痛な叫びにハッとして顔を上げると、黒魔導師様が息子の胸倉に掴みかかった所でした。

 「ま…待って、パパラチア」

 膝立ちして血塗れのアレクを抱きとめたまま、私は息子に問い掛けました。一部始終をこの目で見たというのに、何もかもが未だに信じられない気持ちで。

 「…オニキス、どうしてなの……っ」

 答えはありません。

 私達を見下ろす息子の視線は虚ろで、その手はとうに得物を取り落とし、黒魔導師様に掴まれてやっと立っているような状態でした。この子はまだ十六で。本来、とても優しい子なのです。覚悟をしていたとしても自らの行いに心が衝撃を受けずにいられなかったのでしょう。


 地に転がっているのは勇者の剣。

 魔王を唯一滅する事の可能な剣です。

 そう。

 魔族、だけを、傷つける、剣。


 息子が、躊躇わなかった理由が分かりました。ヒトである私が勇者の剣で決して傷付くことはないと知っていたからです。

 でも、誰が?

 誰が息子に、魔王アレクも知らなかったその事実を教えたのでしょう?

 どこの誰が、息子に…私のオニキスに、このような非道を強いたのでしょうか。


 「……だって…王が……オレは……でも………」

 「聞こえねえ!」

 「ラチア、やめろ。――王命だった。そうだろう?」

 今にも殴りかかりそうな黒魔導師様を苦い口調で制したのは、騎士様でした。


 おうめい。


 一瞬思考の停止した私を、神官様の焦り声が現実に引き戻しました。

 「駄目ですルチル、呪文が効きません、弾かれてしまう。私の力は魔王には効果が無いようです…!」

 その言葉に愕然とします。


 次の瞬間。私達の傍らには、一陣の風と共に現れたかのように唐突に、ルーベライトとピジョンブラッドが立っていました。

 「…魔王様」

 この場の惨状を見て、驚愕に目を見開いたルーベライトが、がくりと膝をつきます。

 対してブラッドは、無表情で腰を屈め、アレクへと手を伸ばしました。その視線はただアレク一人だけに向けられています。意識の無いアレクの冷たい頬に触れ、口角に散った血痕をなぞり、乱れた額の髪をそっと払い、歌うように主の名前を呼び続けました。

 「アレク様。アレク様………アレク様」


 「ブラッド! ルーベライト! アレクを助けて、お願い…!!」

 魔族である二人なら、アレクを救う方法を何か知っているかもしれません。

 渾身の私の叫びを聞いたルーベライトは、しかし首を左右に振りました。

 「勇者の剣で刺されたのじゃな。それでは傷は塞がらぬ。先代の魔王もそれで逝った。名にも反応されない。――もう、助からないじゃろう」

 彼女の非情な宣告に、私と仲間達は息を飲みました。


 たすからない。…アレクが?


 彼女の言葉を否定もせず、ブラッドは表情を無くしたまま、静かにアレクに語り掛けています。

 「……何、やってるんですか、貴方は。これでは私のやってきた事はまるきり無駄骨ではないですか。…ルチル様を庇ったのですね。くだらない。如何ようにも他にやり方があったでしょうに。膨大な魔力を持ちながら反撃もせず、愚かな。……ああ、それで。分かりました。成程、手を下したのは……」

 ゆらり。ブラッドの姿形が揺らめいたかと思うと、それは彼の残像でした。


 「…貴様かぁ!」

 「ラチア!」

 目にもとまらぬ速さで私の息子へと躍りかかったブラッドが透明な障壁に弾かれるのを、辛うじて私の視界が捉えました。咄嗟の判断で騎士様が息子を抱きかかえて後方へ跳び、その指示に応じて黒魔導師様が防御の陣を展開されたのだ、と遅れて理解がやってきました。

 豹変したように怒り狂うブラッドが、獣の唸り声をあげて執拗に息子を狙っています。牙を剥いたその姿は、迸る紅蓮の炎のようでした。ブラッドと黒魔導師様の間には攻撃魔法が飛び交い、防ぎきれない余波を、息子を連れた騎士様が巧みに躱します。

 いつも冷静だったブラッドが初めて見せる狂乱に、一年半前の悪夢が甦りました。あの時でさえあれほど強かったブラッドが、怒りに我を忘れています。このままでは息子までもが奪われてしまうのでは。私の背筋を戦慄が走り抜けました。

 「…嫌! オニキス、オニキス!!」

 「オニキスは俺達が護るから! ルチル、お前はアレクを!」

 取り乱す私に、騎士様が檄を飛ばしました。黒魔導師様はブラッドと競り合うのに精一杯で此方を見もしません。けれど二人が必死に息子を守ってくれているのは十二分に分かりました。

 横を見れば、額に玉の汗を浮かべた神官様が、黒曜石の瞳で私を見つめてきます。その唇は、一欠けらの可能性を求めて、アレクに向けて治癒の言葉を紡ぎ続けています。


 …そう。今はアレクを。


 このまま手をこまねいて、幼い息子を魔王の殺害犯にしてしまう訳にはいきません。

 それに私は、まだアレクに何も応えていないのです。

 諦めない。諦めません。愛しい二人の為にも、助けてくれる仲間達の為にも、足掻けるだけ足掻かなくては。


 ――神よ。どうかこれ以上、私の愛する人を奪わないで下さい。


 私は、涙で霞む目元を自分の手の甲でごしごしと乱暴に拭きました。代わりに紅い痕が付いたでしょうが構いません。アレクを強く抱き締め、己の二つの目でルーベライトを強くねめつけます。些細な希望でも見逃さずにちゃんと拾い上げられるように。

 「…何か、何かないの? アレクを助けられる手段は。教えて、ルーベライト。私、何でもするから…!」


 物憂げに座り込んでいたルーベライトは、私の気迫に、ふっと目を覚ましたようでした。戦闘を繰り広げるブラッド達を他人事のように眺めてからふらりと立ち上がり、投げ出されていた剣の下へ向かいました。彼女は触れる事も厭わしげに勇者の剣を拾い上げると、数回振って血糊を払いました。それから柄を逆手に持って、私の方へ差し出します。

 「これは、勇者の剣。……そなたの剣じゃ」

 アレクを傷付けたそれを受け取ることは一瞬だけ躊躇われました。しかし私は唇を噛み締めて剣を受け取ります。腕の中で刻一刻と生気を失っていくアレクの命を繋ぎ止めるためなら、もう何も恐れはしないと、誓ったのです。


 「…魔王が斃れる処を二度も見ようとはな。ヒトより長く生きてはいても、妾が知る事はそう多くは無い。これが役にたつかどうかは分からぬが、一縷の望みがあるとすれば、此度こたび致命傷を与えた剣の使い手が『勇者』本人ではなかったという所じゃ」

 ルーベライトは、底知れぬ深みを湛えたその猫の瞳に、私とアレクを映しました。

 「教えたじゃろう。名には、力がある。勇者よ、そなた、魔王様の真名まなを聞いてはおらぬのか?」

 「真名…?」

 「呼ぶことを許された者だけが呼べる、真実まことの名じゃ」


 ルーベライトの言葉に、私の記憶の片隅が点滅しました。


 考えて。

 思い出して。

 私は知っているはず。

 そう。初めて会ったあの時、アレクは何て名乗った?


 「アレク…サンド……ライト」


 ぴくり。血の気が抜けて白蝋のようになったアレクの指がほんの僅か、動きました。


 気の所為?

 ――いいえ、違います。今、確かに、アレクに反応が。

 励ますように、神官様が私に向かって力強く肯いてくれます。

 私の胸の動悸が、期待に激しさを一層増しました。


 この剣を、一番使いこなせるのは、『勇者』である私。その言葉を、今はただ信じて。

 私は、願います。伏して神にいます。全身全霊で祈ります。

 魔王は敵じゃない。ヒトと魔族には分かり合える未来がきっとあるのです。

 この剣がアレクに負わせた傷を、どうか消して下さい。

 私が勇者であることも、アレクに真名を許された事も、彼に愛されている事も、必要なら私自身の命だって、使えるものは何であろうと使います。

 だから、どうか。どうか、お願い…!



 「アレクサンドライト! 貴方の真の名にかけて、死んでは駄目。治癒の呪文を受け入れて。傷を塞いで、出血を止めて。私を好きだというのなら、お願いだから、目を覚まして――…!」



 永遠にも思われる数秒の後。

 夢でも、幻でもなく。

 「……ルチル」

 アレクの睫毛が微かに震え、この世のどんな宝石よりも愛おしいエメラルドグリーンの双眸が、ゆっくりと開かれる瞼の向こうに現れました。

 ――アレクが、目を開けたのです。




 

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