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第二十二楽章

 「勇者! 勇者」


 廊下の途中で、綺麗なお姉さんに呼ばれました。

 …年齢不詳な相手なので、もしかしたら私の方が年上かもしれませんが。『可愛らしい』より『美しい』の形容詞が相応しい女性の事を、『お姉さん』と呼びたくなるのは何故なのでしょうか。

 その女性とは、銅色カッパーの短髪にグラマラスな体つきの猫目な女魔族……ルーベライトでした。


 「ルーベライト、貴女、もう帰ったのかと思っていたわ」

 アレクに一喝された女性魔族達は、そのほとんどが予定を繰り上げて『成魔』の日当日に城から去っていたのです。知り合う機会も無かった悲しい、と魔王城の衛兵が不満を零していました。あの日ルーベライトも途中で姿が見えなくなっていましたので、てっきり彼女達に便乗して行ってしまったのかと、私は早合点していました。

 「魔王は伴侶を勇者に決めたと言ったが、妾はまだ諦めてはおらぬからな」

 ルーベライトは、赤い唇の隙間から舌をちろりと出しました。

 「つまるところ妾は、魔王の子種さえ貰えればいいのじゃ! 本妻がいても気にはせぬ。それゆえ僅かな機会をも逃さぬよう、こうして魔王城に留まっておる訳じゃ」

 いえ、そんなイイ笑顔で言われましても。それってちょっと、どうなんでしょう……。


 私、個人的にはルーベライトの事は嫌いではないんです。率直な所には好感が持てますし、猫っぽくてなんとも可愛いですし、女の私から見ても綺麗だと思いますし、魔族同士でアレクとはお似合いですし、なにより猫ですし。(猫が二回出てきたのは仕様です)


 それなのに、アレクとルーベライトが、と考えると。

 何故なんでしょう…あまり嬉しくないのですが……。


 考え込んで黙ってしまった私の顔を、ルーベライトは覗き込んできました。甘い、良い香りがします。

 「勇者は何故、魔王の気持ちに応えないのじゃ?」


 ――何故?


 心の裡で私は自問自答してみました。


 種族が違うからでしょうか?

 息子と同世代な外見だからでしょうか?

 アレクの実年齢が見掛けより更に低いからでしょうか?

 それとも、初めからそういう対象に見ていなかったからでしょうか?


 ……どれもが正解で、どれもが間違いのような気がします。


 「私ね。もう恋愛はいい、と……十四年間、そう思ってきたのよ」

 私の唇からは勝手に言葉が滑り落ちていきました。

 「修道女見習いだった私の初恋は、叶うはずもなかったの。それが、運良く実ってしまった。それこそ一生に一度の恋になるはずだったわ。でも、それが潰えて。一時は私のせいなのかと思った。神の花嫁になることを拒んだ私に天罰が下って、夫は非情にもその身代わりにされたのかと。…けれど違う、そこまで神は狭量では無かった。世界はただあるがままにあって、残酷で優しいことわりがその全てに働いていて、ヒトは精一杯に生きるしかないのだと知ったわ。だけどもはや以前と同じ気持ちで神を愛する事は出来ず、私は修道女には戻れないと悟った。それで、息子と村の皆――この掌に残った大事なものを守って生きて行こうと決めたの。二度目の恋がくるなんて、考えてもいなかった」

 私の独白をルーベライトは口を挟む事もなく黙って聞いてくれ、その後に言いました。

 「仕方がないのではないか? だって、恋はするものではなく、落ちるものなのじゃろう?」

 まるで告解をした後に授かる神父様の文言のように、彼女の言葉は、私の胸の中心にストンと落ち着きます。

 「まあ、受け売りじゃがな。妾は恋愛をしたことが無い故」

 肩を竦めるルーベライト。素っ気ない物言いではありましたが、彼女の美しい顔には、食べた事の無いお菓子を手にしている他人を羨む子供のような表情が浮かんでいました。



 そう、ルーベライトの言う通りかもしれません。恋とは、ある日いきなり落とし穴に突き落とされるようなものなのかも。


 でも、私のこの気持ちは本当に恋なのでしょうか?


 一つだけ確実に言えるのは、私がアレクに最初に抱いた気持ちは決して恋情では無かったという事です。でも、瀝青れきせいに触れれば…と言うように、次第次第にアレクに影響されて、私の中の気持ちも変容していったふうに思います。それともこれは、アレクの願いを叶えてあげたいがための私の思い込み――錯覚なのでしょうか?

 一度目の恋とは出会いもプロセスも立場でさえも何もかもが異なるというのに、私のような未熟者がどうやってその真贋を見分ければよいのでしょうか?

 今アレクへ向かう気持ちが、私が亡夫に対して持っていたそれと違う事だけは分かります。けれど息子への気持ちとも微妙に違っているのです。

 これを、この気持ちを、私は一体何という名で呼べばよいのでしょうか。



 仮に、……仮にですよ? もしこれが恋なのだとしても。

 

 私は、アレクの気持ちに応えてもいいのでしょうか。


 血を吐くようなアレクの慟哭を二度とは聞きたくありませんから、刷り込みとしか思えないアレクの熱情がはたして恋愛感情なのかどうか――疑うことはもうしませんけれど。


 ただでさえ年齢差がある、その上に、お互いの種族までが異なる訳で。

 アレクは、魔王で。間違いようもなく強くて。

 弱いヒトである私が共に過ごせる期間は、この先きっと限られているはずで。


 いつか、私が味わったものと同じ懊悩をアレクに与えてしまうのではないかと思うと、足が竦みます。彼にはもっと相応しい相手がいるのでは、と考えずにいられないのです。



 そして、恋の為に他の全てを捨て得るかと訊かれれば、それにも首を縦に振ることが出来ません。

 私には息子という大切な存在があって、キトサ村の皆の事も好きで、アレクと出会う前にはそれが総てで充分に幸せだったはずなのに。

 息子とアレク、大事な二つを同時に手中にするのは、あまりにも不遜な行為なのではないでしょうか。そんな事をすれば今度こそ罰が当たってしまうのではないでしょうか。

 孤児であった私を娘同然に育てて下さったキトサ村の神父様の教えが、胸をよぎります。

 私は、多くを望み過ぎてはいけない――のではないでしょうか…。



 「ルチル」

 神官様と騎士様が、幾分疲れた様子で、廊下の奥から出てきました。角を曲がった先には、会議に使われている部屋があります。お二人は会議を抜けてきたのでしょう。今日もまた、我が祖国からの使者達と魔王側が平和協定の件で数度目の話し合いをしているはずでした。

 「部下と一緒ではないのね、ヘリオドール。まだ協議中なのかしら?」

 「元・部下な」

 質問に肯いてから騎士様が私の言葉を訂正し、私の隣の美女に目を向けます。

 「お、ルーベライトもいたのか。二人して何しているんだ?」

 「…妾は貴様に名を呼ぶ許可を与えてはおらぬぞ」

 ツン、とルーベライトは騎士様から顔を背けました。しかし、おお、尻尾が左右に動いています。いつの間にか騎士様と仲良くなっていたのですね。それなのに彼女の口から出るのは相も変わらずの憎まれ口です。

 「貴様なぞ、穴の中でいつまでも足掻いておるがいいわ!」


 グッ、と騎士様が数秒息を止めました。横目でそれを見たルーベライトがまた面白くなさそうな顔をして。殊更に騎士様へ背を向けたまま、彼女は私に話し掛けます。


 「勇者がそういう態度なら、妾が魔王に情けを貰うても別に異存は無いな?」

 ルーベライトの科白に、瞬間、己の心臓が鼓動を打つ事を止めたのかと思いました。

 「……っ、お願いルーベライト、無理矢理はやめてね…!」

 どうか私のアレクを傷付けないで。

 酷く苦いものを飲み込むような気持ちで私がそれだけを言うと、ルーベライトは形の良い唇を歪ませました。

 「どんな命知らずなら魔王に無理強いが出来るというのじゃ?」

 言い捨てて立ち去って行くルーベライトの甘い残り香に包まれながら、私はもやもやした気持ちを持て余します。何でしょう、この感じ。

 「…何だアイツ?」

 怒った様子のルーベライトに、騎士様が首を捻りました。


 自分の気持ちすらしっかりと分からない私に、ルーベライトの望みを嫌がる権利などありはしません。選ぶのはアレクです。ルーベライトが言ったように、嫌だと思うならアレクには拒める力があり、保護者代わりの私が口を出す必要などもう無いのです。

 だというのに、私の心はさかしらに主張を繰り返していました。

 あんなことが言いたかったのではない、私が本当に言いたかった事は違う、と――…。



 そのまま放っておくとあらぬ方向へ思考が彷徨い出しそうだったので、私は首を振って、頭を切り替えました。憮然とした表情でルーベライトを見送っていた騎士様に、水を向けてみます。

 「平和協定はそんなに難航しているの?」

 「ああ、少し難しいみたいだ。好条件を提示してもアレクが納得しないらしい」

 「…そうなのですか? オブシディアン様」

 不穏な感じがして別視点からの意見を求めますと、騎士様の一歩後ろにいらした神官様は苦笑を零されました。

 「勇者一行全員の帰還が前提条件にされていますから。アレクとしてはそれが不満なんでしょう」

 「…陛下は何故、全員そこに拘るのでしょうか」

 いくら『勇者』だとはいえ、旅に出る前に数回お目に掛かっただけの私を、王様がそこまで気にして下さっている理由が分かりません。神官様、騎士様、黒魔導師様の三人なら分からなくもないですよ? 皆さん、以前から国内でも有数のエリートでしたから。

 魔王アレクが帰還を渋る対象は私だけなのですし、『全員』の部分さえ譲歩したら条約締結交渉は成立するのではないでしょうか。

 ……実際そんな事になったら息子が怒り狂いそうなので困りますが。

 

 「友好の証として、拘束されている自国民の解放を要請している訳ですから、国策的にみれば至極真っ当ではあります。もっとも私達の場合は自由意思で留まっているので、この条件には当て嵌まりませんが」

 神官様は、声を僅かにひそめました。その言葉を聞き取ろうとして、自然と私達三人の距離が近くなります。

 「実のところ……王の思惑は違う所にあるのではないかと、私は思っています」

 そう言って、神官様は軽く首を傾げました。周囲に他人の気配が無いか探っていたのでしょう、暫くすると息を吐いて、私と騎士様に向かって話を続けます。

 「500年に一度、魔王が生誕する―――伝承は事実でした。王族も神殿も、伝説の魔王の強大さを恐れています。魔王の恐ろしさは、本人の力量もさることながら、魔族を統括出来るところにあります。個々主義で統率のとれていない種族だった魔族が、魔王の下に一軍となるのです。それはヒトにとって大いなる脅威です。実際、魔王誕生を起点として、過去、数多の国々が魔族に滅ぼされたと記録に残っています。ヒトと共存しようとする現魔王、アレクこそが異端なのです。我らが王はアレクを信じられないのですよ。王の心の安寧の為には、平和協定締結後にも二重三重に保険を掛けておく必要があるのです」

 そこまで言い募ってから、神官様は、薄目を開け、私を見つめました。随分久方振りに彼の瞳を見た気がします。黒曜石のその瞳には、私を気遣う労わりの色が浮かんでいました。

 「これは私の推論でしかありませんが、おそらく王は、魔王が貴女に一方ひとかたならぬ執着をみせているという情報を内々に得ているのでしょう。貴女を自分の手元に置くことで、平和協定をより一層堅固なものとし――魔族の裏切りを前もって牽制しようと考えているのではないでしょうか」


 ……つまり私は、アレクの情を逆手に取った『人質』なのですね。


 神官様は言い淀んだ末に、もう一言付け加えました。

 「ゆえに、ルチル。貴女の自発的な帰還を促すために、わざわざ息子さんが派遣されたのではないでしょうか」


 …………。


 そう、かもしれません。

 ええ、よく考えたら、騎士見習いになって一年も満たない息子が同行させられるには、任が重すぎますものね……。


 なんだか、気付かないうちに外堀を埋められているようで、とても嫌な気分です。

 魔王は悪だと私に教え、討伐を指示しておきながら―――次はアレクの気持ちに付け込むのでしょうか。私の息子まで巻き込んで。

 確かに、二年前は私が愚かだったのです。魔王と戦う事が勇者の義務だと疑う事もなく信じ込んで、実情も知らずに魔王城に乗り込んできたのですから。あの時アレクをこの手にかけなくて本当に良かった、危ない所だったと、今でもそう思います。唆された自分の単純さを棚に上げて責任転嫁しようとしているだけのような気もしていますが。

 けれど、でも、だからこそ。

 深謀遠慮が為政者の常だとはいえ、人の情の部分を利用しようとする王様のやり口が……許せない、と私は感じるのです。

 



 暫く廊下を歩いて部屋の前まで来ると、扉の向こうから怒声が響きました。会議が行われているはずの、まさにその部屋です。バタン! と音を立てて扉が開き、顔を室内に向けたまま、アレクが勢いよく出てきました。

 「だから! 何度も言っている! ルチルを奪うというのなら、ヒトなど全員滅ぼしてやると―――!!」


 それは、アレクの口からは、けして聞きたくなかった言葉でした。


 私と仲間とアレクとの、この一年半を否定する言葉でした。


 怒りのままに言い捨てて前を向いたアレクと、私達三人の視線が合いました。

 その瞬間私はどのような表情をしていたのでしょうか。

 アレクの整った顔が、しまった、という気持ちを如実に表して強張ったのが見え……、そうしてその背後の部屋で息子と二人の騎士が青褪めて立ち尽くす姿が――悲しく見えました。

 


  

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