第二十一楽章
「それで、あれからどうしていたの?」
夜。新しい部屋に移った私は、息子に、離れていた間の話を聞きました。
皆が息災であることは村長様に手紙で教えてもらっていましたが、息子本人からの返信が無かったのでずっと気になっていたのです。
息子の話によれば、私の手紙へ村長様が返信をした後、単身王都に出て王立騎士団に入団したとの事でした。
「そんな無謀な。村長様に止められなかったの?」
「止められたけど、振り切って出てきた。都へ向かう道々、木の実とか野草とか食ってたよ。ほら、よく母さんと採取してただろ。オレ、粗食には慣れてるし」
キトサ村から王都までは、馬車でも五日かかります。子供だ子供だと思っていましたのに、予想だにしなかった息子の行動力に、私は舌を巻いてしまいました。
けど、それでは、村長様もさぞかし心配なさっている事でしょう。
初回の返事は、ブラッドの指示で手紙を運んだ使いの者がそのまま受け取ってとんぼ返りをしてくれたので、確実に届きましたけれど。うちはただでさえ辺境の村ですし、ヒトから魔王城への手紙がそう頻繁に託せる訳でもありません。村長様も村の皆さんも、きっと、息子の出奔を私に伝えられずにヤキモキされていたに違いないです。
明日にでも息子の安否を報せる手紙を書こうと、私は肝に銘じました。
そして村に帰ったら、真っ先に皆さんにお詫びとお礼をしなくては。
「それにしても入団試験によく受かったわね?」
「…運が良かったんだよ」
答える息子の顔つきは、こころなしか大人びていて。仄かに感じる違和感は、息子の成長に私の気持ちが追い付いていないせいでしょうか。気が付けば身長も、この二年の間に越されてしまっていました。別れた時十四歳だった息子も、今では十六歳。少年期から青年期へ向かう階段に片足を掛けているようでした。成長期の二年のブランクは、やはり大きいですね…。
「今はまだ見習いだけどさ。オレだって仮にも勇者の息子なんだし、才能が無いこともないと思うんだ。母さんの仲間の、ヘリオドールだっけ? 凄く強い騎士なんだってね! あの人も平民出身で、見習いから始めて、魔王討伐に出る前は騎士団団長補佐だったって聞いたよ。まあ、そこまでの出世は無理でも、オレだって頑張れば一人前の騎士にはなれるさ。そうしたらキトサ村なんか出て、都でオレと一緒に暮らそうよ、母さん」
「オニキス。ねえ、貴方、何か無理しているんじゃないの?」
「…何が?」
「だって……騎士になりたいだなんて、そんな事今まで一度だって言わなかったじゃない。勇者選定の時だってそうよ。職業の選択に口を挟む気は無いけれど――それは、貴方が本当にやりたい事なの?」
「あのね、母さん。オレは、仕事に好き嫌いなんか求めないよ。満足に食っていけるだけの収入があるなら、なんだってやるさ。母さんだって、別に好きで勇者をやっている訳じゃないんだろ?」
そう……ですね。
確かに、私は進んで勇者になった訳ではありません。
勇者の剣が抜けたから。抜くことが出来たのが私一人だけだったから。
どちらかと言えば、成り行きでなってしまったのです。
でも。
もしも、私以外の誰かが勇者だったのだとしたら、魔王アレクはあの時殺されていたのかもしれませんよね。(逆に勇者の方が、呆気なくブラッドに返り討ちにされていたかもしれませんが)
そう考えると、私が勇者になれて、少しは良かったような気もするのです。
そして、幸運にも選ぶ自由が与えられているのならば、どうか息子が自分の好きな職業につけますように、と願ってしまう愚かな私なのでした。
「都の騎士の方がキトサ村の何倍も生活を保障されてる。あの村に残るより、よっぽど楽な暮らしができるだろ。あんな貧しい辺境の村……いつだってオレは出て行きたかったんだ」
故郷の事を吐き捨てるように語る息子。この子は、キトサ村のことが嫌いなのでしょうか。
「もしかして、私がいない間に何かあった? 村長様の娘さんと喧嘩でもした?」
「いや…皆、親切にしてくれていたよ。村から勇者が出たことを喜んでいた。でもさ、それだって、母さんが支度金のほとんどを村に寄付したからなんじゃないの」
「それは、留守の間、貴方の事をお願いするのだから当たり前でしょう。あの村は本当に、皆いい人ばかりだから」
「…母さんはやっぱり甘いね」
苦笑いをして、息子は寝台に身を横たえました。
そのまま暫く無言の時が続きます。
息子は眠ってしまったのでしょうか。若いとはいえ、旅の疲れが溜まっているのかもしれません。私達が来た時と違って道中に魔族との闘いこそなかったでしょうが、それでも王都から魔王城までの道のりはけして近いとは言えませんから。
私は、明かりをそっと消し、隣の寝台に潜り込みました。
睡魔へと私も身を委ねかけた頃、隣から再び息子が話し掛けてきました。
どうやらまだ眠ってはいなかったようです。
「そういえばさ、母さん。勇者の剣って今どこにあるの」
暗闇の中聞こえてくる静かな質問に、眠気と闘いながら私は答えました。
「それなら、神官様…いえ、オブシディアン様かヘリオドールが持っているはずだけど…」
間違って魔族の誰かが触れたりしないように、厳重に保管されているはずです。
「二年前は大岩から抜くことも出来なかったけど、オレも見習いとは言え騎士になったんだし、出来ればもう一度握ってみたいんだ。駄目かな」
「いいんじゃないかしら…明日、聞いてみるわね……」
よく考えたら私自身も今日は色々あった日でした。抗いがたく蠱惑的な、泥のような眠りに引きずり込まれながら、もう寝ましょう、と言った気がします。それに対する息子の返事が、おやすみ、ではなく、ごめん、と聞こえた気がして―――夢うつつに、妙な聞き間違いだと私は可笑しく思いました。その記憶はすぐに眠りの渦に飲み込まれてしまいましたけど…。
翌朝。朝食の席に現れたアレクは、私の顔を見てほっとしたようでした。
「ルチル」
食器を並べる私に駆け寄ってきます。輝いたその表情を見て、過保護かとは思いながらも、
「昨夜はちゃんと眠れた?アレク」
と、私は聞かずにはいられませんでした。思えば、魔王城に来てからアレクと別々に寝たのは昨夜が初めてだったのです。アレクは、少し照れたように笑いました。
「うん…まあ、平気。少し寂しかったけど」
「その年で添い寝されないと眠れないなんて、恥ずかしいを通り越してちょっと痛いんじゃないですか、魔王」
厨房からスープ鍋を運んできた息子が扉の影から現れて、アレクに辛辣な一言を投げつけました。
「…ルチル。なんでこいつがここにいるの?」
あ、一瞬でアレクの表情が凍りました。低い声で尋ねてきます。
「あ、あのね、アレク。ホラ、魔族用の料理だとヒトには差し障りがあるし、この際、使者さん達も私達と一緒に食事を摂ってもらおうかしらって思って…」
言い訳をしながらも、アレクと息子が睨み合っている光景に、言葉尻がしぼみます。
「自分こそいい年をして、母親と同じ部屋がいいって主張してきたんじゃなかったのか」
「ほっとくと害虫がたかるみたいだったから、やむなくです」
「…害虫というのは誰のことか、当て擦りばかりではなく、はっきりと言ってみたらどうだ」
「自分と同世代の息子がいる女性相手に、見境なく言い寄る人の事ですよ。あ、ヒトではなかったですね」
「二人とも、やめて…? ねえ、ちょっと落ち着いて…?」
私の言葉は、全然耳に届いていないようでした。
世の中で誰よりも大切だと思う二人が、私の目の前でいがみ合っています。
……うわあ、もの凄く心臓に悪い光景です。
というか、この分だとうちの息子、どうやらアレクの実年齢を知らないようですね。見た目で自分と同世代だと思っているようです。もちろんブラッドの検閲の下にですけれど、王への報告には詳細が記されていたと思うのですが。魔王に関する事は、故国でもトップシークレット扱いだったのでしょうか。
ええと……どうなんでしょう。これって、本当の事を教えるべき?
魔王アレクが二歳だと教えたら、息子の態度が少しは軟化するでしょうか。あれで意外と子供好きだったりするんですよ、うちの子。『なんだ、子供か』とか言って大目に見てくれたりするかもしれませんね。
ああ、でもよく考えたら私、アレクに求愛されていたんでした。うちの子は昔から聡い所があるので、もうきっとその事には気付いているんでしょう。……アレクの年齢を知ったら却って逆上するような気もしますね。『ガキの分際で生意気な!』とか言って問答無用で引き離されそうな予感がします。
どうしたらいいんでしょうか。どなたか私に正しい解答をご教授してもらえないでしょうか…!
「おはようございます、ルチル。朝から何ですか、この雰囲気は」
立ち尽くす私に声を掛けて下さったのは、神官様でした。
茫然としている間に、ダイニングにはいつものメンバーが集まって来ていました。私は慌てて皆さんを席に案内し、テーブルのセッティングを再開しました。黒魔導師様はまたしても寝不足らしく、席に着くなり顔を伏せて惰眠を貪ります。いつもならお行儀が悪いと叱る所ですが、今日のところは好都合なので暫し放置です。口論にもう一人加わられても困りますし、ね。騎士様は、元部下の二人がまだいらしていないのに気付いて、部屋まで呼びに行かれました。ブラッドはアレクと私の息子との丁々発止を、他人事のように微笑ましく眺めています。…貴方は魔王の腹心でしょう、本当にそれでいいのですかと問いたいです。
「所詮貴方と母とは、ほんの一年ちょっとの付き合いでしょう。オレなんか十四年も母と暮らしてきましたけど。どれだけ母に迷惑を掛けられてきたか、他人には分からないでしょうね。母にどんな幻想を抱いているのか知りませんが、こんな馬鹿で奇特な人の面倒をまともにみられるのは、家族であるオレしかいません」
「く…っ、貴様! いくら家族だとて、ルチルの事を悪しざまに言うな!」
立ち姿勢で口論を続ける二人を遠巻きに見守りつつ、私は紅茶を注いで回りました。
どうしたら良いのか分からないので、取り敢えず目の前の仕事から片付けてしまおうかと…ええ、現実逃避です。くすん。
依然としてスープ鍋は息子が持ったままなので、今朝は温かいスープは振舞えそうにないですね。残念。
「…アレク、怒っていますね」
「はい、オブシディアン様…」
あからさまに、アレクの口調が『魔王』バージョンになっていますものね。
けれど、魔力の放出はどうにか押さえているようです。いつかのような重圧を感じませんから。
「一見するとアレクが押され気味ですが、その実、アレクは魔力が暴走しないように怒りをコントロールして喧嘩していますね。目覚ましい進歩です。これは、多分に昨日の息子さんの発言が効いているのでしょうね」
「え?」
私の疑問に、神官様は少しだけ笑いの混じった声で答えました。
「息子さんを手にかけたら貴女の心は永久に手に入らないという、あの脅しですよ。ルチル」
ええと、ああ…あれですね。
神官様の揶揄するような口調に、一連の出来事を思い出したら、私の顔は次第に火照ってきてしまいました。誤魔化すために頬に手を当てると、掌との温度差に一層恥ずかしさが募ります。
「オブシディアン様は……その、ご存知でしたか? アレクが私を…あの」
「ええ、そうですね、ルチル。気付かない方が難しかったでしょうね。なにしろアレクは感情表現も至って素直ですから。まあ、同じ穴の貉だというのもあるのですが」
「?」
「おや、漸く思い知ったのですか」
紅茶のカップを傾けながら、訳知り顔でブラッドが口を挟んできます。
「昨日一日の貴女の勘違いっぷりもなかなか楽しめましたのに。五体満足で残念ですね、ルチル様?」
だから、貴方はどこまで知っているんですか……!
「ルチルは我が伴侶なのだ。絶対に譲らん」
「だから本人の許可は取ったんですか? 勝手に言ってるだけなんでしょう、どうせ。母さんの鈍感さを舐めない方がいいですよ。そんじょそこらのレベルじゃないんですから」
「へ、返事待ちだ…!」
「ああ、それなら年単位で待ってたらどうです? 四半世紀過ぎる頃にはさすがに諦めもつくでしょう」
騎士様と使者二人が連れ立ってダイニングに姿を現しました。
「おはよう、ヘリオドール」
如才ない騎士様に息子とアレクとの仲介を期待して思わず声が弾みましたが、
「ああ、腹減った。食事にしないか?」
騎士様は屈託なく言って席に座ると、空のカップを持ち上げ、私の方に催促しました。
絶対口論が聞こえているはずなのにー。うわあ…スルーですかそうですか。そう言えば朝イチの訓練後の騎士様は、食事が済むまで動かない人でしたよ…。って、責任転嫁はいけませんね、私が何とかしなくては…。うう、打開策が全く思い浮かびません…。
「ほっとけ、ほっとけ。子供の喧嘩には関わらない方が利口だぞ? 気が済むまでさせておけよ」
諦めて私は騎士様のカップに紅茶を注ぎます。紅茶の色は思ったより濃くなっていました。
「ごめんなさい。渋くない?」
「大丈夫。目が覚める」
使者二人は、魔王と口論している自分達の連れ(私の息子です)を見てギョッとし、さらに同じテーブルで平然とお茶を楽しむ紅髪の魔族の存在にもう一度ギョッとしています。
「お二人はどうぞこちらに座って下さい。今、紅茶を淹れ直してきますから」
「いや、勇者様にそのような事をさせる訳には…」
慌てる騎士さん達を、騎士様が軽く制しました。
「いいから、黙って座っとけ。ルチルの料理は美味しいんだから」
「団長補佐、何ですかその惚気発言…。やっぱりあの噂は本当だったんですね」
厨房に向かう私の背後から、ゴホゴホ、と騎士様が盛大に咳き込む音が聞こえてきました。
新しい紅茶を皆さんに振舞い、料理をサーブしてから、私はおそるおそる騒ぎの中心に呼び掛けてみます。
「二人とも、そろそろ朝ごはん食べない…?」
「ルチルは」
「母さんは」
アレクと息子は同時に振り返り、揃って私に指を突きつけました。
「「黙ってて!」」
…………。
意外とこの二人、気が合うんじゃないでしょうか……。
シンクロニシティを見せたかと思えばまた嫌味の応酬に入った二人を見て溜息を吐き、私はテーブルに突っ伏して眠っている黒魔導師様を起こしました。
「パパラチア、朝食よ。今日は貴方の好きなハニートーストもあるわよ」
「何!?」
勢いよく顔を上げた黒魔導師様は、いつもと顔並びの違う食卓を見、それから言い争うアレクと私の息子を見て、鼻を鳴らしました。パパラチアの為に甘く淹れたお茶を手渡すと、私の顔をまじまじと見つめてきて、こう言いました。
「気にするな、ルチル。あいつらの分は僕がもらおう」
次の瞬間には、テーブルの全席が埋まっていました。
結局、黒魔導師様が一番子供の扱いが上手かったのです……。何か納得いきませんが。
「子供には子供か……」
と騎士様が呟いて、アレク、息子、黒魔導師様の三人からきつく睨まれていました…。