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  間奏:縞瑪瑙

ルチルの息子、オニキス視点です。

 オレの母親は、救いようが無い程の馬鹿だった。



 子供の頃からいつも、なんでうちだけこんなに貧乏なんだろうと思っていた。

 そりゃあ確かに物心ついた時からうちは母子家庭だったし、頼れる親戚だって一人もいない。

 でも、母さんは毎日必死に働いていて、贅沢だって全然していなかった。綿花栽培は地味にきつい労働だけど、母さんは人並み以上にテキパキと動いて仕事をこなしていた。村民の中には愚図で要領が悪い奴もいて、そういう人は給料を減らされる。けど真面目な母さんは要求される以上の成果を上げてきちんとした対価を得ていた。

 二親がいても片方が飲んだくれだったり、怠け者だったり、家族に病人がいたりすれば、稼ぎより出費が多くなるのは当然だ。そういう意味では、うちは稼ぎも少ないけど出費も少ないんだから、そんなに酷い窮乏状況に陥る訳が無いのだ。言ってしまえば貧しい辺境の村の家庭なんてどこも似たり寄ったりで、貧乏なら皆横並びなのが当たり前。うちだけが困窮しているなんて絶対におかしい。オレは、四六時中空腹に鳴るお腹を宥めながら、いつだってそう考えていた。


 気が付いたのは、5~6歳の頃だったろうか。


 当時のオレは時々、近所の人から頼まれ事を請け負っていた。赤ん坊の面倒を見たり、川から水を汲んで来たり、村のはずれまでお使いに行ったり、そういう軽い用事だ。それでお駄賃代わりに僅かな食べ物を貰う。子供ながらに少しでも家計の助けになればと、母さんには遊びに行っているふりをして、細々とオレは働いていた。

 そういう時は夕方になるまで帰宅しないのが常だったが、たまたまその日は早く仕事を終えることが出来た。褒美に貰った魚(骨ばかりで身なんかちょっとしかついてない雑魚だ)を抱えて、たまには母さんを驚かせようと、オレは忍び足で自宅に近寄った。

 母さんを呼ぼうとした時、家の裏手から抑えた話し声が聞こえてきた。

 自分で言うのもなんだが、オレは結構聡い子供だった。ピンときた。これは母さんの隠し事だ。

 会話中の相手に気付かれないように裏手に回り込んだオレが見たのは、母さんと、村の若い女だった。確か昨年結婚したばかりの人妻だ。先日も畑でへまをして村長に怒られていた。女の顔色はとても悪かった。

 「ルチル、あたし本当に何てお礼言えばいいか…」

 「いいのよ、気にしないで。お互い様じゃない」

 母さんは、女の腕の中に茶色い包みを押し込んだ。それから、女が恐縮して包みを返そうとするのを笑顔で断り、女の背中を押しやった。

 「今が一番大事な時期なんだから、ちゃんと食べなきゃ駄目よ!」

 女は何度も何度も頭を下げながら帰って行った。


 「どういうこと、母さん」

 オレは怒りで目の前が真っ赤になっていた。何て事だ。母さんが渡した包みは、うちの最後の干し肉だ。三か月も食べずに我慢して、大事にとっておいたのに。

 「あ、オニキス」

 悪戯をみつかった子供のように母さんは首をすくめた。

 「ごめんなさい、あの子お腹に赤ちゃんがいるのに碌に食べていないって言うから。この前も仕事中に貧血で倒れたのよ」

 そんなこと知るか。

 オレだって、オレだってお腹すいているのに。

 その瞬間、オレは悟った。うちが貧乏なのは、全部母さんのせいなんだって。母さんが今みたいに自分の持ち物を惜しげもなく他人にあげちゃうから、うちには何も残らないんだって。

 「わあ、お魚もらったの? 良かったわねえ。今夜はお魚ね! ほらね、オニキス、世の中は持ちつ持たれつなんだって教えたでしょう」

 何言ってるんだ。これはオレの労働の対価だ。正当どころか過小に評価された、オレ達への報酬だ。

 オレは母さんの能天気さが、心底憎いと思った。

 どうせ、一口しゃぶれば骨しか残らないようなこんな小魚でも、母さんはオレに全部譲るくせに。

 「あなたが食べなさい。母さんはお腹一杯だから」

 とか何とか言って、にこにこしながらオレの食べる所を眺めて、そのくせ自分はどんどん痩せていくんだ。それをオレがどんな気持ちで気付かないふりしているかなんて、知らないで。


 ダメだ。母さんにまかせていたらダメだ。

 オレがしっかりしないと。このままではオレはいつか、母さんを失ってしまう。母さんは馬鹿だから。他人の幸せが自分の幸せでもあると愚かにも信じ切っているような、そしてそれを躊躇いもせずに実行してしまうような、馬鹿が付くほどのお人好しだから。

 二人っきりのオレ達家族を守れるのは、オレしかいないんだ。

 子供心に、そう強く思った。



 一度気が付くと、あとは芋づる式だった。


 母さんは、誰にでも優しかった。料理が上手で働き者。少し痩せてはいるが健康で、そして息子であるオレの目から見ても、まだ若くてそこそこ綺麗だった。

 だから当然の帰結なのだけれど、うちにある食べ物や持ち物だけじゃなく、未亡人の母さん本人を狙っている奴が、村には大勢いた。

 善良であるという事と、人の悪意に疎いという事は、必ずしも同義ではないだろう。

 けれど、少なくとも母さんに限っては同じだった。悪意とまではいかなくとも、下心とか、邪念とか、そういうものに母さんが気付くことはなかった。ひやりとする事態を何度オレが未然に食い止めたことか。いくら教会育ちで修道女を目指していたとはいえ、鈍いにもほどがあるんじゃなかろうか。

 今更父親なんかいらない。オレは母さんだけで手一杯だし、母さんだってオレがいればいいと何度も言っていた。

 オレは母さんが致命的な痛手を負わないように見守り、蠅のように寄ってくる男どもを蹴散らし、時には母さん本人を叱咤激励しながら暮らしてきた。

 まったく、どっちが親だというのだろう。

 純粋で他人を疑うことを知らない、馬鹿な母さん。早く大人になってオレが幸せにするから、それまで待ってろよ。飯だって、いつか腹一杯食わせてやるからな。



 そう思っていたオレの前に現れた千載一遇のチャンス。それが、勇者の選定だった。



 勇者にさえなれば、衣食住は保証される。魔王を倒した後の報奨金だって、望みのままだ。

 オレは当然の如く選定に挑んだ。そしてあえなく撃沈。世の中にそんなに旨い話は転がっていないという見本だった。

 それなのに。

 馬鹿な母さんが、また、とびきり馬鹿な事をしでかした。

 よりにもよって、勇者の剣を抜いてしまったんだ。

 母さんは、『勇者』なんてものになってしまった―――。



 「オニキス! オニキス、ごめんね! 母さん、すぐに帰ってくるから! やらなきゃいけない事を片付けて、すぐにまたこの村に戻ってくるからね!!」

 オレを村長の家に預けて、涙ながらに旅立って行った母さん。


 オレが、どんな気持ちだったか、分かる?


 人間相手にもあんなに頼りなかった母さんが、ヒトを食うという魔族と、ましてや恐ろしい魔王となんか、闘えるはずがない。ていうか、そもそも誰か勇者認定を拒否れよ。女でも戦士に向いている奴がいる事くらいは知っているけど、うちの母さんは全然そういうタイプじゃないだろう。

 都で最強の騎士と黒魔導師と神官が勇者の伴についたと風の噂で聞き、母さんが無理でもその仲間が魔王を倒してくれるのではないかと期待して、祈るように……ただ、毎日、待った。

 今日は母さんが怪我をしたのではないか、明日は訃報がくるのではないか、そう怯えながら暮らす日々がどれ程長く感じられた事だろう。村長一家は村から勇者を出したことに誇りを抱いているらしく親切にしてくれたが、オレには待ち時間そのものが責め苦だった。



 母さんが勇者になって出ていってから、一年が過ぎた頃だろうか。母さんから手紙が届いた。


 生きていた。無事だった。良かった…!

 泣き出しそうな安堵感と共に封を切ったオレは、手紙を読み終える頃には怒りで手が震え、満足に便箋を畳むことも出来なかった。


 母さんの馬鹿っぷりは勇者になっても健在だった。いや、むしろ、手が付けられない程に悪化していた。

 こともあろうに、魔王が子供だったから育てる、だと!?

 何やっているんだ母さんは!!


 大人しく待てと引き留める村長一家の手を振り切って、オレは都へ向かった。勇者の息子だと名乗っても、田舎者の戯言と相手にしてもらえないんじゃないかと思ったが、勇者選定の時の使者が運よくオレの顔を覚えてくれていた。まあ、あれだ。女勇者の息子なんて、そう頻繁にお目に掛かれるものでもなかっただろうからな。使者のミーハーじみた記憶力に感謝だ。

 オレは騎士見習いとして、騎士団に入隊することが出来た。一応入団試験は受けたものの、多分コネの力が大きかっただろう。常識的に考えて、辺境の村の農民がいきなり王都の騎士団試験に受かるはずがない。オレにだってそれ位の分別はある。

 数ヶ月が経った頃、オレにコネを効かせてくれたのは、とんでもない大物だったことを知る。

 上役の騎士二人と共に、いきなり王との非公式な面会に呼ばれたのだ。

 人払いをされたそこで聞かされたのは、魔王城への派遣の要請だった。ヒトと魔族間の平和協定締結の為に使者として魔王城へ赴くという。

 母さんに会える。オレは一も二もなく了承した。

 そんなオレを見て鷹揚に肯いた王の思惑はどの辺にあったのだろうか。

 国益の為ならば、明らかに不適切な女にも勇者の称号を与えられる為政者の考える事など、オレのような一平民に所詮分かるはずも無かったが。



 「勇者の息子よ、そなたを見込んで頼みがある。これは、そなたにしか出来ない事だ…」



 頼みという言葉を使ってはいても、オレにとってそれは、命令以外の何物でもなかった―――。 

 

 

 


 

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