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第十七楽章

 「だ、誰……っ!?」

 私の誰何すいかの叫びは、途中で断ち切られました。

 黒魔導師様が強引に私を美女の手中から奪い返した所為です。

 「こいつに触るな! 貴様、一体何者だ!?」


 「おっと」

 私の手から零れたお皿は床に当たる寸前で美女に受け止められ、ミックスベリーのタルトは危うい所で廃棄処分を免れました。

 「勿体無いのぅ。無粋な」

 猫の瞳を持つ魔族は、赤い果実を一掬い、口に入れました。


 私を背後に庇い、美女と対峙する黒魔導師様。その声の険しさが、私からは見えずとも、彼の表情の硬さを物語っています。

 相対する美女はと言えば、気負う様子など微塵も見せずに咀嚼を続けています。

 見れば見る程綺麗な女性でした。


 赤茶けた銅色カッパーの髪はベリーショートで、惜しげもなく真っ白なうなじをさらけ出しています。ややつり目気味の赤い瞳は今ひとたび瞳孔が細められて、まさに猫そのもの。赤くふっくらとした唇は官能的で。そこはかとなく漂う一種傲慢な感じが、彼女の場合はかえって魅力的でもありました。

 多分こういう体つきの女性ひとをボン・キュッ・ボンと言うのでしょう。出るべきところが出た身体の動きはしなやかで、ラインを強調するタイトな黒革の衣服が、彼女の妖艶さを一層引き立てています。

 しかし、あの黒魔導師様が緊張を隠そうともしない程の相手なのです。ただ美しいだけの魔族ひとなはずがありません。即ち――強敵、という事です。


 「ふん。その魔力……お前こそ何者じゃ。ヒトなのか?」

 「……っ!」

 黒魔導師様の背中が強張りました。

 魔力の強さで種族を判断する魔族にとってみれば、強大な魔力を持つ黒魔導師様はヒトならざる者に思えるのでしょう。魔王城への旅の途中で、小競り合いの中、それは幾度も投げ掛けられた問いでした。平静を装いながらも、敵にそう問われるたび黒魔導師様の気持ちの揺らぎが徐々に大きくなっていったのを、私は知っていました。繰り返される疑問に、己の立ち位置が次第に否定されていくような気がしていたのかもしれません。

 だから。


 だから私は、黒魔導師様の黒衣の背を強く掴んで、大きく声を張り上げました。

 「パパラチアは私の大事な仲間です!」

 後ろ向きに私の身体に沿えられた黒魔導師様の手には、きゅっと力が籠められたようでした。


 「仲間……くだらぬな」

 鼻で笑った美女は、手にしたタルトからラズベリーの実だけを選んで食べ終えると、残りの部分をお皿ごと投げ捨てました。陶器の割れる耳障りな音が廊下に響きました。


 「ともあれ黒魔術使い風情に興味はない。そんな事よりも勇者、そなたからは実に妾好みの香りがする。どれ、ひとつ味見してみようか」

 にやり。

 そうとしか形容できない笑みを浮かべ、美女は禍々しい赤い爪を私に伸ばしました。

 否、伸ばそうとしました。

 「やらせるか!」

 キィン。

 金属同士がぶつかった時のような音。

 美女の鋭そうな爪は、私の背後から繰り出された鉄の刃に阻まれました。騎士様の剣です。黒魔導師様の部屋からでた騎士様が、瞬時に抜刀されていたのです。

 「ちっ」

 舌打ちをして猫目の美女は人二人分ほど後方に跳躍し、それを追うように騎士様が私達二人の前に出ました。

 「ヘリオドール!」

 思わず叫んだ私の声は、騎士様の耳には届かないようでした。いつの間にかこの身は既に黒魔導師様の防護結界内に在ったためです。


 「――ヒトか」

 よく見れば、女魔族の臀部には、髪と同じ銅色の細長い尻尾が蠢いていました。

 「ああ、勇者はやれないから、俺にしておけ。存外、俺からもいい匂いがするんじゃないのか? さっきルチルと同じお茶を飲んだからな。あんたの好きなラズベリーのさ」

 「ほう」

 美女は形の良い鼻孔をひくつかせます。

 「…確かに。微々たるものじゃが」

 騎士様の言葉は、彼女の興味を上手く惹けたようでした。一触即発の臨戦状態から会話モードへ誘導しようと、騎士様は人好きのする笑顔を浮かべます。油断なく剣を構えながらも。

 「とはいえ、あんただって知らない訳じゃないんだろう。魔王は『ヒトを襲うな』と全魔族に勅命を出しているはずだ。先の違反者は厳罰を喰らったと聞いているぞ」

 その指摘は、彼女にとって痛い所を突いたものだったようです。

 「よく考えろよ。まして、お膝元であるこの魔王城内で、しかもよりによって勇者一行に手を出したと知れたら」

  

 「―――魔王の逆鱗に触れるんじゃないのか?」



 「ふ……ふふ………ははは」

 美女が、静かに笑い出しました。

 「魔王の威信を利用するか。実に姑息じゃ。面白い。話に聞く、公明正大を尊ぶ騎士道精神とやらはどうした!」

 「名より実を取る。命あっての物種だろう。騎士道そんなものに拘るようなら、端から俺達はこの城に滞在してはいないさ」

 肩をすくめる騎士様。隣を窺えば、黒魔導師様もそれが当然のような顔をしています。


 魔王征伐をお題目に掲げて乗り込んできておきながら、返り討ちにあったその後は、しれっと魔王の教育に携わって共存している勇者一行、それが私達。

 ええと……確かに、その通りではあるんですが……。

 あれ、私達の行いをもっと崇高なものだと考えていた人って、もしかして私一人だったんでしょうか……?


 ………………。


 いえ、よくよく考えてみましたら、私こそが真っ先に脱線した張本人だった事を思い出しました。アレクの可愛さに目を眩ませて、ええ、あっという間に『勇者』本来の役割から逸脱したのでした……。

 後悔はしていません。

 後悔はしませんけど……あの…なんだか本当にすみません……。





 「いた! 赤様、困りますよ~」

 泣き出しそうな顔をして廊下の向こうから走り寄ってきたのは、ブラッドの配下である少年魔族、コーンフラワーでした。

 「あちこちウロウロしないで下さいって申し上げたじゃないですかぁ…。もう、ボクが紅様に叱られるんですからねっ!」

 ウサギ耳をぴこぴこさせて抗議する可憐な姿に、私の目は釘付けです。

 くっ。触りたくてたまりませんが、空気を読んでじっと我慢です、私…!

 けれど猫目の美女は意にも解さないようでした。

 「あいつの事など知らん。妾は妾のやりたいようにするのじゃ」

 不機嫌気味に背を向ける美女越しに、コーンフラワーと私達三人の視線が合いました。

 未だ抜身の剣を下げたままの前衛の騎士様に、背後で結界を展開されている黒魔導師様と、それに囲い込まれている私。

 一気に状況を理解したのでしょう、元々色白のコーンフラワーの顔面から、さらに血の気が引く様が見えました。

 「あああ、ルチル様じゃないですか! 赤様、手など出されていないでしょうね!? 魔王様に酷い目に遭わされてもボクは知りませんよ!?」


 ……コーンフラワーが言うと説得力がありますね。


 美女は少し動揺した様子です。不機嫌そうな表情にあまり変化はないのですが、尻尾が落ち着きなく左右に揺れています。…何ですかこれ、凄く可愛いです。

 「やはり魔王様は…噂通り、勇者にご執心なのか?」

 「そりゃそうですよ、でなきゃあんな禁止令出しませんって。今日だって大事に大事に隔離されてるじゃないですか。こんな事バレたらホント赤様、ヤバいですよ」

 「妾は危害を加えてなど」

 「あ~食べたかったなぁ、ルチルお手製のベリーのタルト」

 剣を鞘に納めながら、騎士様がにやにやと笑って言いました。普段は好青年そのものな騎士様ですが、今の面白がってる青い瞳は悪戯っ子にしか見えません。

 「誰かさんが上澄みだけ食べて捨てちゃったの、勿体無いよなぁ。アレクに言いつけちゃおうかなー」

 独り言を装ってはいますが……声の大きさがわざとらしいですよね。騎士様が美女に睨みつけられるのも当然の流れです。


 「ああハイハイ、赤様。何か拙い事やらかしたのなら、ちゃっちゃと謝って下さいよ」

 コーンフラワーに押された美女が、勢いよく私の方へ向き直りました。

 「……わ」

 「わ?」

 「妾が悪かった…かもしれぬ。食べ残しは返却すべきであった」

 …あれ? 謝られるところって、そこでしたか?

 「じゃが、よいか勇者! どう見てもそなたより妾の方が優れておるぞ! 魔力も、美貌もな!」

 いや、そこを認めるのはやぶさかではありませんが。むしろ比較したら、胸とか、お色気とか、戦闘力とか、どこをどう取っても私の方が劣っている点しか思い当たらないくらいですが。

 私は、不服そうに謝罪(?)する美女を前にして、激しい内心の葛藤と闘っていました。


 ……どうしましょう。


 この女性ひと、可愛い。


 外見は成熟した大人の女性で知性も高そうなのに、何ですかこの可愛い生き物は。気位が高くて気性の荒い野良猫みたいなんですけど。私が内心で考えている事がバレたら問答無用で殺されそうな凶暴さも感じない訳ではないのですけど。

 謝りながらも尻尾がじたばた動いている姿が、何とも凶悪に可愛いです。

 猫! 猫ですよね、これ! ああ、抱き締めたい。

 先刻は私の方が勝手にされたのですし、今度はこちらから抱き着いてもおあいこなんじゃないでしょうかね…!


 「…やめとけ、死ぬぞ」

 ――私の密かな企みは、実行に移す前に、深い溜息と共に黒魔導師様に潰されました。くすん。





 さて。

 ベリーのタルトがアレクの好物の一つであると聞いた美女がおもむろに顔色を無くしたので、私達は弁明の為にアレクに会いに行くことにしました。

 ああ勿論、猫目の美女は「必要ない」と断ったのですよ? でも後ろで彼女の尻尾が不安げにふるふると震えていたのです。それを見てどうして放っておけるでしょうか! いえおけません!! (反語)

 という訳で、私と騎士様、黒魔導師様の三人と、コーンフラワー、猫目の美女は、アレクが謁見を行っている場所へと向かっています。


 「それにしてもコーンフラワー。貴方はどうして赤様、紅様って呼ぶの? 本当の名前は違うんでしょう」

 話のついでに何気なく尋ねると、美女に呆れた顔をされました。

 「なんじゃ、勇者はその様な事も知らんのか」

 「名には力があるのですよ、ルチル様」

 コーンフラワーが説明してくれます。

 「ボクのような小物が魔力の多い方々のお名前を呼ぶのはあまりに畏れ多いので」


 ……コーンフラワー、意外と傍若無人だと思うのですが。

 これはきっと悪い上司の影響ですね。純真な少年(魔族)の未来が心配です。


 まあでも、それででしたか。私や騎士様の名前は当たり前に呼ぶくせに、変だなぁと思っていたのです。やはり魔族の判断基準は、所持している魔力の強弱なのですね。


 「妾の名はルーベライトじゃ。勇者には呼ぶ許可を与えてやろう」

 あくまで尊大さを崩さない美女です。

 でももう私には可愛い猫にしか見えませんけどね!

 「まあ有難う、ルーベライト。私はルチルよ」

 「るちる」

 「ええ、そう。よろしくね」

 お互いに名乗り合った後、私は思い切って、気になっていた質問をしました。

 「ねえ、ルーベライトはアレクの…魔王の事が好きなのかしら?」

 ルーベライトは少し考えました。それから、迷いなく首を横に振ります。

 それは否定の意でした。

 「好き――とは違うな。その感情はよく分からぬ。妾はただ、つがいたいだけじゃ。魔王の強大な魔力を継ぐ子が欲しい」

 「ぶはっ」

 数歩後ろで黒魔導師様が吹き出す音が聞こえました。


 「魔王は世襲制ではないし、魔力の大小も確実に遺伝するものではない。更に言えば親子の情もヒトのそれほど濃密では無い。じゃが魔族は皆、本能的に魔王に惹かれるのじゃ。妾達は、強大な魔力の持ち主に服従しその下に集うように出来ておる」

 あけすけに語るルーベライトは、確かに正直者で、その点は好感が持てるのですが…。


 うーん……何故でしょう、私としては複雑な心境です。

 息子の彼女に「愛情なんか無いわ、体目的なの」とでも言われたらこんな気分になるのでしょうか……。

 やるせない、というか。悔しい、というか。

 アレクを、魔力だけで判断してなんか欲しくないです……!

 良い所、他にもいっぱいあるんですからね…!

 見る目の無い女になんか、私のアレクは渡せません……!!


 そうやって熱い思いを滾らせていると、私一人だけ皆と違う方向へ進んでいました。

 「あれ、ルチル様? 謁見室はこちらですよ?」

 訝しげにコーンフラワーに呼び止められましたが、何故だかアレクがすぐそこにいるような気がして、私は目の前の扉を開けました。

 瞬間。



 【下がれ下種! 我が伴侶は既に定めた。この身に触れるな!】



 室内から熱風が吹き出したのかと思いました。

 炎のような憤怒の感情と共に放出された魔力が、物理的な空気の振動となって感じられたのでした。悲鳴を上げて数人が部屋の中から逃げ出してきます。見知らぬその全員が、女性と思われる魔族でした。

 部屋の入口に立ち尽くしたまま、私は息を詰めました。

 火災を思わせる熱感を伴い、怒りが現実的な圧迫感となって、容赦なく襲いかかってきます。これは、どこか覚えのある状況です。これ程の魔力の持ち主はといえば、心当たりは一人しかいません。


 「アレク……?」


 まるで、灼熱の水底にいるように。息苦しい呼び掛けは酷く小さなものでしたが、ハッとした気配が部屋の奥から伝わってきました。そしてすぐに、アレクが姿を現します。

 「ルチル!」

 アレクに抱き着かれた途端、その場を支配していた途轍もない重圧は、幻のように消えていきました。大量にかいた汗の粒が冷えて私の身体がぶるりと震え、それだけが今起きていた事は現実であったと伝えています。


 「…大丈夫? アレク」

 私は、溺れた者が救助者にするように縋り付いてくるアレクの、頭をそっと撫でました。

 何があったというのでしょうか。

 アレクが酷く立腹していたのであろう事は察せられるのですが。


 「―――ああ、もう、やめた!」

 開き直ったようにアレクはそう言うと、私の腕を掴んで立ち上がりました。


 え?


 「方針転換する。ルチル、一緒に来て!」


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