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第十五楽章

 このところ、魔王城は少し慌ただしいです。

 アレクの誕生日が近付いてきている所為だと思います。

 魔王の側近ピジョンブラッドが采配を振るのかと思っていましたら、彼はいつも通りアレクと行動を共にしたり優雅にお茶を楽しんだりしています。時折コーンフラワーや料理長らがお伺いを立てにやってきます。そうしてブラッドに(目が笑っていない)笑顔で、

 「…無能なんですか?」

 と言われては蒼白な顔で逃げ去って行きます。どうやらこの紅髪の魔族は、仕事を部下に丸投げした挙句詳細を指摘せずに駄目出し、という鬼畜な所業を行っている様子です。

 可能ならば助力して差し上げたい所ですが、口出しは到底無理なので私は遠くから応援です。コーンフラワー、料理長、その他大勢の魔族さん達、頑張って……。ブラッドの下についた事が不運だったと諦めて下さい。

 そんな訳で魔王城配下の皆さんは今、アレクの成魔記念祝賀の準備に余念がありません。


 私に出来る事と言ったら、城内を少しでも綺麗にしておくことくらいでしょうか!

 そう思った私は、普段よりも張り切ってあちこちお掃除をして周っています。


 まあ、魔族が綺麗好きかどうかは疑問ですけどね。

 最初に私達が魔王城に到着した時、結構城内汚れていましたし…。調度品は一見して高価な品揃えだったのですが、雰囲気が荒れ果てているというか、おどろおどろしい感じの城でした。ええ、いかにも『悪い魔王が棲んでます!』という感じでしたよ。仲間と一緒でなければ絶対入りたくなかったくらいですもの。

 もしかしたらああいう鬱屈とした迫力が魔王のステータスだったのかもしれません。

 しかし魔王城に住んで一年半が経ちますけど、今までお掃除に苦情が出た事も無いですし、皆さんそこまで拘っていた訳でもなかったのでしょうか。自分で掃除するのは面倒だけども生活空間は清潔な方が良い、というよくあるアレでしょうか。

 それなら、式典が終わってから徐々に、魔族の皆さんのお掃除観念を鍛え直していかなければなりませんね。私達勇者一行が去った後、また魔王城がすさんだら嫌ですものね。私達の帰国がいつ頃になるのか目処は全く立ってはいませんが、準備しておいて早過ぎるということは無いでしょうから。



 お掃除道具片手に各部屋を周っておりますと、音楽室に辿り着きました。

 思わず仕事の手を休め、ピアノの前に佇みます。

 数分逡巡した後、私は念入りに手を拭ってから、鍵盤の蓋を開けてみました。


 ポ―――ン……。


 触れた指に、硬質な一音が響きます。

 その繊細な音色をもっと味わいたくて、私は黒鍵の前の椅子に腰を下ろしました。

 何も考えずに動いた指は、慣れ親しんだ聖歌を奏でます。

 神を讃える歌詞が自然と唇から零れていきました。


 ふと、控えめに低音でコーラスが添えられている事に気付きます。

 いつの間にか神官様が部屋の入り口近くに立っており、私に合わせて、副旋律のパートを歌ってくれていました。


 「オブシディアン様」

 私は慌てて演奏を中断し、立ち上がりました。

 「懐かしいですね、その曲」

 神官様は穏やかな笑みを浮かべています。

 私が教会で何度となく奏でた讃美歌は、職業柄、神官様にも慣れ親しんだ曲だったようです。

 「止めなくても良かったのですよ。とても惜しい。もっと聴いていたかったのに」

 「いえ、そんな」

 無意識に口ずさんでいた歌を聞かれたのが恥ずかしくて、私は首を振ってしまいます。私の楽器演奏の腕は素人に毛が生えた程度でしかないのですが、歌唱力はと言えば更に拙いものなのです。アレクの独唱を聴いた事のある人に、平気な顔で晒す事など到底出来ません。

 「僕もまだ聴いていたかったよ。ルチルの声は耳に心地良いもの」

 そう考えていたら、当の本人であるアレクが、神官様の後ろからひょこりと顔を出しました。


 「私とアレクは、図書室で授業をした帰りですよ」

 神官様が説明してくれました。

 ちなみに図書室というのは、この音楽室同様に魔王城のサロンの一つで、古書や文献等が置いてある部屋の通称です。当初は魔族の文字で書かれたものが大半だったのですが、ここ一年半で私達ヒトの使う文字で書かれた蔵書が増えました(アレクが集めさせました)ので、とても助かっています。

 話し言葉が通じるのに文字が異なるというのも不思議ですが、これは発想が逆で、魔族本来の固有言語は我々ヒトのものとは違っていたのだという話です。つまり魔族がヒトの話し言葉を覚えたと言ってもいいでしょう。間近でアレクの高い能力を見ていると、第二言語の習得など魔族には造作も無い事だったように思えます。


 「ルチルは神が好きなんだね。讃美歌を歌う時いつも、とても優しい顔をしている」

 話しながらアレクが近付いてきたので、私はピアノの蓋を閉めて立ち上がりました。

 「そうね、以前話したことがあったでしょう。私は教会で育てられたから」

 捨て子の私を拾って育てて下さったのは、キトサ村の神父様でした。その環境のせいか、私にとって神を信仰するという事は呼吸同様に当然の事で、自分は将来修道女になるのだと一片の疑いも持たずに確信していましたっけ。


 「今日は僕、神学について学んだんだ。オブの話によれば、神はこの世界総ての創造主なんだってね。無機物も、有機物も、この世のありとあらゆる生命も。まあ無神論者のラチアに言わせれば異なる解釈があるみたいだけど。論争に決着がつかなくても仕方ないよね、真偽のほどは確かめようもない訳だし」

 アレクの言葉に神官様の方を見ますと、苦笑されています。

 魔王城への旅の間、神官様の信仰と黒魔導師様の理念とが度々(たびたび)衝突しあっていた事が思い起こされます。

 「……ねえ、ルチルはオブと同じで、神を信じているんでしょう。どう思う? 魔族も、神に創られたものの一つなのかな。それとも僕は――魔王は、神に敵対するものなのかな」

 どこか躊躇いがちに投げ掛けられたアレクの質問に、私はハッとしました。

 「敵対だなんて。アレク、私はそうは思わないわ」


 アレクが、この少年が魔王として生を受けたのが間違いようのない真実だからといって、ただそれだけを踏まえて神の敵だと断ずることがどうして出来るでしょう。

 ヒトを襲うただの野生の獣だとて、神の創られた命である事に変わりはありません。それなら魔族も同様のはずです。

 過去、魔族とヒトは確かに相容れない存在ではありました。

 けれども、私達はお互いに歩み寄れるはずなのです。


 「そう? ……ならルチル、約束してくれる? この先いつかまた神殿が僕の事を『敵』だと言う日が来ても、ルチルは……ルチルだけは、僕を裏切らないって」


 胸の痛みと共に、私は思い出しました。 

 魔王は邪悪だ。滅すべき存在だ。だから征伐しろ。勇者としての役割を果たせ。

 そう言い聞かされて無心に信じ込み、目の前の存在に剣の切っ先を向けた日の事を。

 今ではこれほど愛しい存在となったこの少年魔王を、危うく殺してしまう所だった悪夢を。


 アレクの声が喉の奥で震えている様に聞こえるのは、単に声質の不安定な変声期のせいかもしれません。

 けれど、私は。

 愛おしいと思う気持ちを抑えきれずにアレクを抱き締めて、彼の望む言葉を口にしました。

 「ええ、アレク。約束する。私はずっと貴方が大好きよ」

 生まれだけで憎まれ恐れられるだなんて、そんな事、どのような子供にでも、あって良いはずがありませんよね…!

 ああ、神様。この子の不安を少しでも取り除けますように。


 神官様が、私の腕の中のアレクの肩に、そっと手を掛けました。

 「アレク。ルチルだけではありませんよ。私ももう、貴方を知っています。ヘリオドールやパパラチアだってそうでしょう。貴方は私達の教え子です。神殿がどのように言おうとも、無実の咎で貴方を神の名のもとに断罪する事だけはさせません」

 「オブ……」

 アレクは少しの間言葉を途切れさせ、ふふ、と笑いました。

 「そうだね。勝負するなら正々堂々としないとね? いくらオブでも、僕の欲しいものは譲れないからね。負ける気もしないけど」

 「はなから同じ立ち位置で争うつもりはありませんよ。私は、手に入れたい訳ではないのです。ただ近くに在って、幸せであるさまを確認できれば……それで満足なのです」

 瞼を伏せたままで、慈愛に満ちた笑みを浮かべる神官様。

 対するアレクはどことなく不満げです。

 「何それ。前々から思っていたけど、オブは不可解だよね。枯れてるの?」

 「どうでしょうね。まあアレクよりは長く生きてますからね」



 二人が何の話をしているのかさっぱり分かりませんが、……アレクの表情が明るさを取り戻したので、まあ良しとしましょう。

 楽しげに言い合いを続ける二人の横で、私は気付かれないようにこっそりと、自らに誓いを立てました。


 二度と、決して―――金輪際。

 他人ひとの言葉を鵜呑みにして誰かに剣を向ける事はしないと。


 アレクは私が護るのだ、と……。


 

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