第十一楽章(Aパート)
それは、アレクの一言から始まりました。
「ピクニックに行きたい!」
朝寝坊者若干一名が加わり、ようやく全員が揃った朝食の席での事。
ホウレン草とベーコンのキッシュを口一杯に頬張ったアレクが、唐突にそう発言しました。
「アレク様、ピクニックとは…?」
毎回の事ながら食べるスピードの早いブラッドは、既に自分の朝食を食べ終え、食後の紅茶を楽しんでいる所でした。そのカップを優雅にソーサーに戻しながら、アレクに質問します。
アレクは左手で『ちょっと待って』のポーズを取りながらキッシュを咀嚼し、嚥下を済ませてから、徐に側近の問いに答えました。
「以前、ルチルから聞いたことがあるんだよね。ヒトは、天気の良い日に棲みかから遠く離れた場所までわざわざ出掛けて、食事をするんだって。食べ物は現地調達じゃないんだよ、自宅から持って行くんだ。『おべんとう』って言うらしいよ。同じ食べ物でもピクニックして食べるだけで、数段美味しくなるんだって! 魔術も使ってないのに」
「ほう。それはまた」
片眉を上げたブラッドが真偽を確かめるように私の方を見たので、取り敢えず私は数回肯いておきました。本来のピクニックは風光明媚を楽しむものでもあるはずなのですが、アレクにとっては食事がメインなようです。
まあ、えてして子供は皆そうですよね。私の息子も、幼少の頃二人で何回か行ったピクニック先の風景なんて、今ではきっと覚えてないでしょうし…。いえ、そもそも私達親子の出掛け先はと言えば遠方の名所であるはずもなく、キトサ村の近くの森とか、湖とか、丘とか……そうですね、目的地は大体そんな所ばっかりでした。しかも最終的にはメインの目的が、木の実やキノコ、山菜を取る事に何気にすり替わっていたり………そうそう、魚釣ったりもしてましたっけ。―――あれ、よくよく思い返してみますと、『ピクニック』という名目で単に食料探索をしていただけだったような………当時うちの台所は結構切実な食糧事情を抱えていたような………そんな切ない記憶が甦ってきますね……。うう、何もかも貧乏母子家庭だったのがいけないのでしょうか………。
「ただでさえ美味しいルチルの料理が更に美味しくなるなんて、凄いと思わない?」
興奮した様子でアレクが話を振りますが、
「…何処で食べてもそれほど味は変わらないと思いますよ」
とブラッドは素っ気ない様子。でもアレクは挫けません。会話の相手を変えました。
「ラチアとヘリオとオブはどう思う?」
よっぽどピクニックに行きたいのですね、これは。
「あ~いいんじゃないか~好きにすれば…」
寝起きの悪い黒魔導師様は生返事です。かろうじて朝食のテーブルには着いていますが、食物は一口も摂らず、紅茶だけ。これはおそらく、またしても夜通し研究に没頭されていたのでしょう。目元にうっすらと隈が見えますし。
『可能な限り食事は全員で!』というのが私のモットーなので、半ば無理矢理顔を出している、といった体ですね。
黒魔導師様がもごもごと口の中で「まぁ僕は寝るけど…」と言っているのが、聞こえなくとも分かります。
「俺は賛成だな! 天気もいいし、断然ピクニック日和だ」
健啖家である騎士様は、朝から軽く三人前は食べられるのが常です。今もキッシュの他に白パン、黒パン、スープ、ソーセージのグリルと、瞬く間にお皿を空にしていってます。
毎朝夕の自主鍛錬を欠かさない彼は、どれだけ食べても太らないという、全世界の乙女垂涎の体質の持ち主なのです。筋肉は脂肪よりエネルギー消費するって言いますものね。
う、うらやま妬ましいだなんて、私、思っていませんよ? …ちょっとだけしか。
「私も素晴らしい案だとは思いますが……」
神官様が本日召し上がったのは、白パンとスープのみ。彼はどちらかというと少食な方です。というより、消費カロリーに見合った分だけを摂取されている、という方が正しいかもしれませんね。運動量の多かった魔王城への道中は、もっと食が進んでいたように思いますので。
なんて理想的な体調管理法でしょうか。だから神官様は齢を重ねられても体型が崩れる兆しもないのですね。細すぎず太すぎず、まさに無駄の無い体型。私も見習わなくては……………………スミマセン、ええ、多分無理です。ゴハン美味しいです。くすん。
「そもそも私達が城外に出てもよろしいのですか?」
神官様の質問はピジョンブラッドに向けられていました。
ブラッドはテーブルに両肘をついて指を組み、わくわくして自分を見つめるアレクの顔に、視線を合わせました。ふ、と表情を和らげると、
「そうですね。……頃合かもしれませんね」
「やったぁ! ルチル、おべんとう! おべんとう作ってね!! 今日行っていいよね、ブラッド?」
「いいですよ」
アレクは大喜びです。うふふ、微笑ましいですね。
「良かったわね、アレク」
「うん、嬉しい! 楽しみだなあ」
まあ始めから、ブラッドがアレクの頼みを断るなんて思っていませんでしたけどね。
では私は、急いでお弁当を作りますか!
「じゃ僕は部屋で寝…」
「折角ですからパパラチア、ぜ・ん・い・んで行きましょうね?」
「………」
にっこり笑って私がそう言うと、黒魔導師様は黙って紅茶の残りを飲み干しました。
あ、いけません、私の今の発言、悪ガキ対応モードになってました。睡眠不足で頭が回っていない状態の黒魔導師様で良かったです……(冷や汗)。
それから朝食を大慌てで片付け、有り合わせの材料で全員分のお弁当を作ると、私達は出掛けることにしました。
ピクニックです!
さて、移動手段ですが。徒歩で行くのと、馬に乗るのと、どちらにするか話し合った結果、今回は馬にすることにしました。万が一の不測の事態にも対応しやすいだろう、との事で。
魔族なのだから空を飛べたりしないのかしら? と思いましたら、実は鳥系の魔族なら身体能力で飛行可能なんですって。それ以外の魔族は、魔術によって空中浮揚や高速飛行をする事が可能となるそうです。しかし高度な技である上に今回は使用可能な魔族が限られておりそれ以外の付随人数が多い事、さらに目的がピクニックであるという事を鑑みれば手段としてあまりそぐわないであろうとの判断で、地上を移動することになりました。
というか、アレクもブラッドも飛べるんですね…。何だか凄い。あ、黒魔導師様も実行可能なのだそうですが、「疲れるから」あまり使わないそうですよ。衝撃カミングアウトです。それならそうと言って下されば、魔王城への旅の行程で、幾度も不要な戦いを回避できたのではないでしょうか……。まあ、お馬さんに乗ってるだけで辿り着けるのならば、そりゃあその方が楽でしょうけどね…。(遠い目)
ところで、私が馬に乗れないという話は、もうどこかでしましたよね?
そうです。その所為で、旅の間中、常に三人の仲間のうち誰かに相乗りさせていただいていた、不甲斐無い私です。ああまたどなたかに迷惑を掛けてしまうのね、としょんぼりしていましたら、なんと今回はアレクがその役を買って出てくれました!
アレクが。あの小さかったアレクが、もう馬を乗りこなせているだなんて。
大きくなったものです。なんだか胸に迫るものがありますね。
「アレク様の決定に異論でも?」
騎士様、神官様、黒魔導師様の三人が、ブラッドと向き合って「うっ……」とほぞを噛んでいるのが見えますが、えっと……一体何の話なのでしょうか。ともかく出発です。魔王城から外に出ます!
「本当はルチルの後ろから手綱を取りたかったんだけど……ごめんね、そうすると前が見えないんだ」
穏やかな常歩で進む馬上。私はアレクの後ろに座っています。
アレクの発言ももっともで、少年魔王の身長はまだ私より小さいのです。黒魔導師様が私と同じくらいの身長ですから、アレクは彼より少し低いという事になりますね。まあ、アレクの成長具合からして、私も黒魔導師様も、近いうちに確実に抜き去られそうですが。
ちなみに私の服は今、ドレスではありません。ズボンです。騎士見習いの衣装に近いものです。勇者として魔王城に向かっていた時の懐かしい旅支度を引っ張り出してきました。だって……あの……スカートだと鞍に横座りしなくちゃいけないじゃないですか。あれ、不安定で物凄く怖いんですよ……! ご存知ですか、馬の上に乗ると、体感位置がかなり高くなるんです。そんな所で踏ん張りの効かない体勢でいるなんて有り得ません。泣きそうです。私としては体の線が出るズボンを着用する事は少し恥ずかしいのですが、背に腹は替えられない、というやつです。
馬は、馬は好きなんです。可愛いと思うんです。賢いし。
でもこの高さがどうにも苦手で…! 内緒ですが実は、騎馬の度に必死に悲鳴を堪えています。はぁ。私、高所恐怖症の気でもあるんでしょうか。
「そろそろギャロップにするよ~。ルチル、ちゃんと僕につかまっててね?」
アレクの言葉と共に、馬の早さがぐんと跳ね上がりました。揺れ具合も先程までとは段違いです。
「…ゃ……っ!」
思わず声が漏れましたが、唇を強く噛んで押し殺します。舌を噛んでもいけませんし。
そのまま私は、アレクの背中に思わずしがみ付いてしまいます。アレクに誘導されて両手の先は彼の前に回し、まるで背後から強く抱き締めているような形で。
「……これもいいなぁ」
アレクがぽつりと独り言を言いましたが、私はそれどころではありません。久し振りの城外の風景を楽しむ暇も無く、ただただ必死にアレクに縋り付いているのでした。
済みません、長くなったので分割します。
ごめんなさい。
この続きは、十一楽章(Bパート)で……!