本当の私
鍋の火は消えている。それでも、私たちの前には酒があった。空いた徳利の数は知れず。「なんで、看護師になったわけ?」
菊野が私に尋ね、私は考えた。そう、私は本当は小説家になりたかった。
「本当は、文学部に行こうと思ったんだけど、それじゃ食べていけないでしょ。だから、私は看護師になったの。人の役に立つし、仕事は楽しいし、今じゃ天職だと思っていうるけど、最初は不純な動機」
「へえ。文学部に行って何を?」
かなり飲んだから、酒が私の中を回る。心地よいほろ酔い。ついつい口が軽くなってしまう。
「本当は、小説家になりたかったわけ。でも、生きていけないでしょ」
言うと、菊野は笑った。
「だったら、書けよ」
その一言。
――書けよ。
たぶん、菊野は何も考えていない。私のことなんて、考えていないのに、私の欲しい言葉をくれる。不思議だった。
友達に求めた言葉。
それをくれたのは、菊野だった。
嬉しいのに、素直に認めるのには抵抗がある。
「いやなんで今更」
言うと、菊野の言葉が少し強まった。
「なんで?書けばいいじゃん」
欲しい言葉をくれる。私を止めるのでなく、背を押してくれる。それが嬉しい。嬉しい。
菊野の言葉が私に答えをくれる。
そう。
私の根底はここにある。
いろいろなことをするのも、コンプレックスに打ち勝つため。
そして、小説家に必要な情報を得るために、いろいろなことをしてみる。
結婚できない私。
頑張りすぎる私。
断れない私。
酒が強い私。
コンプレックスのある私。
恋をする私。
そんなすべての私を受け入れてくれそうな包容力がそこあった。本当の弱くて、惨めな私を受け入れてくれそうであった。
これが、本当の私。




