62.喪失 その9
夕食はコンビニで買ったサラダと焼き魚、冷蔵庫にしまってあった作りおきの煮物に、お湯を入れるだけで簡単に出来る味噌汁、それにタイマーで炊いたご飯とかなり豪華である。
今日は少し残業だったので、コンビニだったが、時間がある時は出来るだけスーパーに寄り、自分で調理するようにしている。
リコは小さいころから、食事のバランスは母親からうるさく言われて育ったので、やはり今でも食事のバランスには知らず知らずのうちに気を遣っている。
実家にいた時は料理などしたことなかったリコだったが、初心者向けの料理本や材料宅配のレシピを利用しながら、基本的な作り方はかなり出来るようになった。
願わくはいつか一人でなく、誰か一緒に食事の出来る人が現れれば……。
そう考えると、ふと気分が落ち込んだ。
慎也と、その夢を叶える日は来ないのだろうか……?
そんなことを考えながら、食事をしていたら、携帯の着信が鳴った。
ディスプレイを見ると、実家からだった。
「もしもし?」
『もしもし、莉子?』
懐かしい声が電話口から聞こえて来た。
「お母さん?」
『元気にしてる?』
「うん、大丈夫」
お決まりの会話かもしれないが、久しぶりに聞く母の声はやっぱり安心する。
「それより今日はどうしたの?急に?」
『莉子の声を聞きたかったのもあるけど、今日は莉子におめでとうを言いたくてね』
「私に?」
リコは何のことだか、分からなかった。
『先ほど沢田さんって方から電話を頂いて、来週の日曜日に婚約式を行うから来てくれって連絡をもらったのよ』
母親から思わぬ話を聞いて、リコに衝撃が走った。
「え!?」
『やだあ、莉子ったら、自分のことでしょ?』
母親はリコの事情など知らず、可笑しそうに笑った。
『沢田さんって莉子と同い年なのに、一流大学を出てIT企業の社長さんなんですって?驚いたわ』
母親は半ば浮かれながら、沢田のことを話した。
「う、うん」
リコはとりあえず、相槌を打っておいた。
『宿泊の方は沢田さんがわざわざ私たちの為に一流ホテルを用意下さったみたいなの。だから、心配しないでね。お父さんも沢田さんから話を聞いてとても喜んでいたわよ』
一樹が、私と婚約式……?
リコは真相を確かめるべく、一樹に電話した。
「もしもし?」
『リコ?もう電話をくれないと思っていたよ。どうしたの急に?』
一樹は事も無げに聞いた。
「さっきお母さんから電話があって、来週婚約式って……」
『ああ、その件か』
一樹は余裕で笑って答えた。
『急に決めたから式場の予約が取れるか心配だったけど、どうにか押さえられたんだ。準備段取りは僕の方でやっているから、リコには心配要らないよ』
リコが聞きたいのはそんなことではなく、何故急に婚約式などしなければならないのかということだった。
だが、一樹はリコの考えをはぐらかすようなことばかり答えた。
「私は婚約式なんて何も聞いてないし、納得出来ない!」
しかし、一樹は冷静にリコに答えた。
『言っただろう、君とあいつには未来はないって』
リコは電話口で首を振った。
「なんでそう決めつけるのか私には分からない!」
リコの声を電話で聞きながら、一樹は憐れむように目を細めた。
「君のご両親だって婚約式を楽しみにしているよね?それに、尾藤は勝手に君を裏切って手の届かないところへ行ってしまったんだろう?あいつのことを忘れる為にも、ことは急いだ方がいい……それに今さら破棄だなんて言ったら、ご両親はどれだけ悲しむことか……」
一樹は有無を言わせない強い口調でリコに迫った。
確かに、既に自分の婚約式を楽しみにしている両親を裏切ることは出来ない……。
そして、一樹の言う通り、慎也はもう手の届かないところへ行ってしまった。
「分かりました……」
リコは苦悶の表情を浮かべて言った。
――このまま、私も尾藤くんとは永遠に別れてしまうのかもしれない……。
リコは洗面台の鏡に映る自分の顔を見つめた。
そして、慎也と二人で選んだ右手薬指のリングを静かに抜き取った。
「さようなら……」
リコの目から涙が一筋、零れ落ちた。




