104.受難 その8 ―磔刑―
いよいよクライマックス突入です!
今回は長文になりますので、ご注意下さい。
リコが目覚めるとそこは薄暗い倉庫の中だった。
かび臭い湿った空気が辺りを包んだ。
「よう……」
ややしゃがれた男の声の方を見て、リコの顔は瞬時に固まった。
僅かな投光機の明かりに逆光で浮かび上がった男の顔を、リコは忘れたくても忘れられない。
「しばらくはいい気持ちで寝ていたみたいだな」
男はククッと不敵な笑みを浮かべた。
手足を縛られ、リコの周りにはその男とその筋とおぼしき男が四、五人取り囲んでいる。
リコは頭痛に襲われ、そのばにうずくまってしまった。
リコはゆっくり事の状況を思い出した……。
ハナとドレス専門店を出て、ハナの乗用車の助手席に乗ろうとしたところ、誰かにいきなりガーゼで口元を覆われた。
そして、薄れゆく意識の中で、ハナがリコの名前を必死で叫んでいたのを微かに聞いた。
そこからはリコの記憶はなくなっていた。
自分が今どういう状況下に置かれているのか、すぐには理解出来なかった。
だが、段々と恐怖がリコを包み込んで行った。
「何をそんなに怯えた目で見てる?」
仙崎は恐怖で硬直させているリコの顎を手に取り、こちらに向けさせた。
「尾藤が今こっちに向かっている…」
「慎也に何をしようとしてるの?」
その時、聞き慣れたバイクのエンジン音が外から聞こえて来た。
リコは咄嗟に慎也だと悟った。
「予想通りか…」
仙崎がそう言うと同時に、慎也が倉庫の中へ飛び込んで来た。
「慎也…!」
「リコ!」
リコの顔が一瞬ぱっと明るくなった。が、すぐに不安が襲った。
「慎也!来ちゃだめ!」
リコの叫び声に一瞬足を止めた慎也だったが、構わず近づいて来た。
「リコに何をする気だ!」怒りを剥き出しの表情で慎也は仙崎を睨み付けた。
食ってかかろうとする慎也を目の前に男達がリコを立たせて抱き抱えた。
そして、男の一人が突如ジャックナイフを取り出すと、リコの服の前を縦に切り裂いた。ブラウスの前が裂け、中からは下着が露になった。
「!」
「それ以上近づくと、この女犯るぞ…!」
今にも飛び掛かろうとする勢いの慎也に対して、仙崎が脅しの口調で制した。
「これが単なる脅しじゃねえのは、てめえなら分かってんだろ?自分の女が輪姦されるのは堪えられねえよなあ?」
仙崎は愉快そうに笑った。
慎也は唇を噛みしめ、拳を強く握りしめたまま、仙崎を睨み付けた。
「このオンナを解放させたいなら尾藤、てめえが興和会に参入することが条件だ」
「!」
辺りを緊迫した空気が張り詰めた。
慎也には仙崎の考えは容易に想像出来た。
だからといって、仙崎の脅しに乗るわけにはいかない。
しかし、今はリコが人質に捕られている。
――これは、俺自身が撒いた種だ……
慎也は自分の心の中で呟いた。
彼女の命を考えれば、自分を仙崎に渡してしまえば簡単である。
だが、それでリコは幸せにはなれない。
ましてやお腹の子供がヤクザの子供になるのは許せないことだった……。
慎也はもともと暴走族上がりである。
そしてかつてはツインヘッドでリーダーを張った経験もあり、その筋からは今も一目置かれる存在である。
今までも何度かその筋からの誘いは来ていた。
父親の社会的地位の利用目的もあっただろう。
だが、慎也自身の力を買われていることの方が多かった。
だが、今ここにいる自分はまっとうな生活をしている普通の真面目な男、少なくとも慎也自身はそう思っている。
そして、リコを何よりも愛している……。
今の慎也はリコの存在なしではあり得なかった。
そのリコを失えば、慎也にとっては自分自身を失うことに等しい。
「俺は、リコ無しでは生きていけない……」
かすかに呟いた言葉が辛うじてリコの耳に届いた。
「どうすんだよ!?」
リコを羽交い締めにしている男が急かすように言った。
「尾藤、貴様に逃げ道はねえんだよ。お前が入るか、このオンナが輪姦されるか…」
「輪姦」という言葉にリコは恐怖で顔を強ばらせた。
慎也はうつむいていた視線を、ゆっくりとしかし鋭い目付きで仙崎の方に向けた。
しばらく黙ったまま二人は対峙した。
そして、慎也がゆっくりと口を開いた。
「俺は、どちらも取る気はない……!」
仙崎の配下の男は驚いた表情で慎也を見つめた。
「てめえ!ざけんじゃねえぞ!」
直後で怒り狂う手下に対し、仙崎は冷静な表情を崩さなかった。
そんな連中に対し、慎也はジーンズの後ろポケットから、先が鋭いジャックナイフを取り出すと、慣れた手つきで一回転させて握りしめた。
「!」
「!?」
リコは恐怖で顔が引きつり、仙崎の配下は身を乗り出した。
「何だ?やる気か!?」
「慎也!やめて!」
「ほう、面白い……」
必死で叫ぶリコとは対照的に、仙崎は冷静に口の端を上げて愉快そうに薄ら笑いを浮かべた。
「所詮お前は血に飢えた野獣……過去の傷は所詮忘れることは出来ない。それを拭おうと血で血を求める……それがお前のやり方だったからな……」
リコはただ怯えた目付きで慎也を見つめるしかなかった。
「やめて!いくらなんでも争い事はやめて!!」
必死で叫ぶリコに、慎也は不思議なくらいの穏やかな笑みを浮かべた。
「リコ……」
慎也は優しくリコに語り掛けた。
「確かに、過去を変えることは出来ない……。傷ついて、そして傷つけて…。俺の過去は汚れ切っている…。でも、そんな俺をリコは受け容れてくれた」
「慎也……」
慎也は静かに、しかし強い口調で言った。
仙崎の後ろの男達が更ににじり寄った。
しかし次の瞬間、慎也は握りしめていたナイフを軽く前へポンと投げ出した。
ナイフはにじり寄った男達の足元に投げ出された。
男達も、リコも唖然とした顔で慎也を見つめた。
ただ一人表情を変えない仙崎を除いて。
しばらくの沈黙が続いた。
「てめえ、何のつもりだ!」
興奮気味の男達を前に、慎也がゆっくりと口を開いた。
「俺をどうしようと構わない……。その代わり、リコには手を出すな……!」
慎也は仙崎の方を真っ直ぐと見つめ、はっきりとした口調で言い切った。
「慎也……!」
リコは名前を呼ぶことしか出来なかった。
自分の無力さに、ただ涙が溢れるばかりだった。
「リコ……」
「……」
慎也は優しい眼差しでリコを見つめた。
「俺のこと、好きになってくれてありがとう……」
少しはにかみながら、慎也は言った。
「俺みたいな、どーしょもねー男なんか……。でも、ホントに嬉しかった……。俺、リコみたいな純粋で優しい奴に好きになってもらえて、ホントだったらありえねーのに……。お前みたいな女が傍にいてくれて……。俺、お前さえいればホントに何もいらねーって思ってる…」
慎也は不器用ながら、それでも一つ一つ言葉を選びながら、リコに告げた。
「慎也……」
「だから、何よりもお前を…リコを失いたくない……!たとえ自分の命と引き換えになっても…!」
「……!」
リコは、言葉にならず、その代わり涙ばかりが溢れて来た。
「美しい、純愛気取りって奴か……」
仙崎は相変わらず表情を変えなかった。
「お前が稚拙なままごと遊びにハマるのは意外だったな……」
「……」
「だったら、ご希望通りにしてやる……お前の可愛い後輩と同じ目にな……!」
仙崎は薄暗い明かりの中で不気味とも言える笑みを浮かべた。
後ろの男達に「おい」と顎で指示した。
何が起ころうとしているのか、リコには理解出来なかった。
だが、丸腰となった慎也の両腕を男二人がかえで押さえ付けるともう1人が慎也のみぞおちに思い切り膝蹴りを食らわせた。
ウッと呻いた慎也その場でうずくまった。
「オラッ!」
両腕を押さえていた男達が慎也の両腕を再び引き上げ、両手首を鎖でつないだ。
そしてつないだ鎖を天井から下がっている細身の鉄骨の両端へしっかりと固定させ、慎也は張り付け刑のような形になった。
「何するの!?」
リコは恐怖に目を見開いて叫んだ。
「お前のイロがこういう種類の男だってこと、良く見ておけ!」
仙崎はそう言うと先に刃先が着いた革製の鞭を取り出した。
そして容赦なく思い切り、慎也の身体に打ち付けた。
「あうっ!!」
痛みに思わず呻くと鞭を打ち付けたところのシャツが破け、そこから血が滲んだ。
「オラぁっ!」
男達は容赦なく、鞭を打ち付けて来る。それに木刀、蹴りが加わった。
慎也は痛みにただ叫び声を上げるばかりだった。
「やめて!やめてー!」
泣き叫ぶリコも男二人がかりで押さえ付けられ、駆け寄ることもかなわなかった。
薄暗い湿った空気の中、鈍い音と怒声が響き渡った。
蒼白い薄い光に、微かに慎也の顔が苦痛で歪んでいた。
慎也は音の無い世界で、リコが必死に泣き叫ぶ姿を見ながら意識が薄らいで行くのを感じた。
薄れ行く意識の中、慎也は教会で見たキリスト像の姿を思い浮かべていた。
消えようとする幻影に、慎也は心の中で呟いた。
『これで、アンタは俺を許してくれますか……?』




