第五話 「いざ出発して~」(七歳)
「……これでよしっと。うん、とても良く似合っているわ」
仕上げに赤いリボンで後ろの髪を結んだマーヴェラは、華やかなドレスを纏う銀髪金眼の少女に向かって大きく頷いた。
ドレスアップした少女の方はというと、着慣れない服装にやや戸惑っているのか、頬を赤くして俯いている。
「す、少し、動きにくいかも……」
「大丈夫。慣れてくれば、案外着こなせるものよ」
「そ、そうなのですか」
「ええ、勿論。なんたってシャスティは父様と母様の子供だもの。自信を持って。さあ、あなたのドレス姿を父様にも見せてらっしゃい」
「は、はい…」
ぎこちない動きで、そのまま衣装部屋を出て行く銀髪の少女――もとい、マーヴェラの娘シャスティル。
久しぶりに見せた我が子の初々しい後姿を眺めながら、マーヴェラは嬉しさ半分、切なさ半分の感情を抱いてほっとため息を零した。それから、背後で衣服を片付ける侍女長のケレンに向き直り――
「ごめんなさいね、ケレン。娘の着付けを手伝ってもらって」
「いいえ、そんな滅相もないです。お嬢様の晴れ舞台を飾るドレスを装うことができるなんて、侍女にとって最高の誉れですわ」
「ふふ……少し大袈裟だと思うけれど。でも、ありがとう。本当に、あなたがあの子の乳母で良かった」
これを機に、シャスティルに心を許せる友人を作ってほしい。
そう願うマーヴェラの蒼い瞳には、かつての娘を気に病む怯えは一切無かった。
◆◆◆
屋敷の当主であるバッシュ・ロウ・ド・カルマン・ド・ルーデニアハイル公爵が、娘のシャスティル嬢を連れてライーゼン公爵主催のパーティに参加する――。
その情報は俺のライーゼン行きが決まってすぐ屋敷中に広まっていたようで、出発当日は朝からその噂で持ちきりとなっていた。
社交界に進出する貴族がパーティの一つや二つ参加するくらいでこんなにも話題に上がるものなのだろうか。そう疑問を抱き納得のいかない俺だったが、その原因が俺自身にあるとわかった途端、現在進行形で窮屈な生活を余儀なくされていた。
一歩部屋の外に出ると、屋敷中の至るところを行動拠点とするメイドや警備兵が俺の姿を認めてこそこそと噂話を始めるのだ。元より目立つのはあまり好きじゃないので、俺の知らないところで自分のことを話されるというのは色々耐え難いものがある。それを逃れる良い方法があるとすれば、それはもう自室か図書室に篭るしかないわけで……。
結果的にここ一週間、両親と侍女のケレンとエリィ以外、ほぼ誰とも口を聞いていないという事態に発展してしまった。
三日後にはお偉方の集まるパーティが控えているというのに、こんな調子で上手くいくわけがない。
どう対処すれば良いものか。考えあぐねいている間に、ついにパーティへ向かう馬車に乗り終えてしまった。
お供のエリィに手を引かれ馬車の座席に乗り込むと、窓の外から母様が声をかけてきた。
「シャスティ。あなたはお利口さんだから、お父様の仰ることもちゃんと守れるわよね?」
「はい、母様」
無論である。何せ初めての外出だ。貴族のルールというのをようやく身に付け始めた現状で、知らない街の知らない貴族の家で、好き勝手できるほど肝の据わった性格は持ち合わせていない。仮にそんな“度胸”が道端に転がっていたなら、腹壊すの覚悟でも拾い食いしてやりたいくらいだ。
俺の返事に優しく頷いた母は、次に向いの席に座る父様に視線を移した。
「あなた。シャスティルのこと、どうかお願いします」
「勿論だとも。娘のことは私が責任を持って面倒を見る」
「シャスティルはまだ幼いのですから。パーティの席で安易に婚儀の話など持ち出さないでくださいませね」
「う、うむ。心得た」
「後、バッシュ様は少々酒癖が悪うございます。酔っ払って人様に迷惑をおかけにならないように」
「あ、ああ? いや、うん…」
「それから、エリィ」
納得のいかない顔で首を傾げる父様から視線を外し、母様は侍女のエリィに向き合う。
「ライーゼン公爵様主催の交流会となると、集まるお人も大変大勢になることでしょう。汚い言葉で言うようですが、人ごみの中では迷子にならぬようシャスティルの手をしっかり握って上げてください」
「畏まりました。お嬢様のことは私が責任を持ってお預かり致します」
エリィは父様と似たような返答をした。
しかしながら、その信頼に天と地ほど差があるようで、父様の時と比べて母様のエリィに対する反応がどこか力強い。不憫な父様。パーティから帰ってきたら、母様に父様の格好良さを自慢してあげよう。
◆◆◆
飛行機や自動車などの移動手段がないこの世界。普通のペースで馬車を走らせればライーゼン公爵領まで片道三日間の距離に相当する。
パーティの開催時間が半日程度なのに対し、移動時間が三日って一体何の冗談だ?
考えただけでも気が遠くなりそうだったが、父様がそれだけの手間を労しても参加する意義を見出していたのであえて不満な顔は見せなかった。
石造りの重厚な城壁門をくぐり、俺たちを乗せた馬車はルーデニアハイル家の屋敷――もとい公爵家の居城を後にする。
ずっと屋敷から出たことがなかったので今まで自分の家の外観を見たことがなかったが、今この瞬間それを拝んではっきりした。
これは間違いなく城だ。家の住人が屋敷、屋敷と呼ぶものだから物凄くデカい一戸建てのイメージを抱いていたのが、これは俺の想像をはるかに超えている。
貴族にはこれが一軒家に見えるのか……。恐るべし上流階級。
パーティに母様は参加しない。
参加してはいけない決まりなんてないのだが、母様自身それを断わったからである。
娘のことが気がかりで仕方がない彼女らしからぬ選択だった。体調が優れないとか、そういう身体的な問題が理由ではあるまい。
俺は馬車の小窓から外の風景を眺めた。
静かな車輪の音を奏でる馬車は、元気な馬たちに引かれてルーデンの街を横断している。ルーデン……元はルーデニア村と呼ばれる村落が起源とされているらしく、アークランド王国が興国され、この地が王国領として版図に記されるようになって以降“ルーデン”に改名されたらしい。領主はもちろん我が父、バッシュ・ロウ・ド・カルマン・ド・ルーデニアハイル公爵。屋敷から馬車で十五分程の距離に位置し、なだらかな平地に石造りの家々が並び、農業や商業に勤しむ住人ばかりののどかな街だ。見るからに無骨な城壁が地平線の森を遮断していて景観としては少し残念だが、前世で住んでいた街に比べたら何十倍もマシに違いない。
「シャスティル。ルーデンの街に来るのは初めてであったか?」
正面でずっと俺を見ていた父様が話しかけてきた。
俺は外の景色から父様に視線を移し、こくりと小さく頷く。
「はい。お屋敷のテラスから何度か眺めてはいましたけど、街に入るのは初めてです」
――とても素敵な街ですね。俺が素直に感想を述べると、父様はそうだなと答えて口を閉ざした。
それから、しばらく沈黙が続く。
隣に座るエリィは、屋敷を出てから一言も言葉を発していない。親子水入らずの会話の邪魔をしたくないのか、色々と気を遣って距離を置いてる感じではある。
俺は再び窓の外に視線を戻した。
途中、馬車とすれ違う旅人や街の子供が足を止めてもの珍しいそうにこちらを振り返る。まあ、人々の反応といえばせいぜいそのくらいだ。貴族の馬車が街道を通ることぐらいさして珍しいことでもないのだろう。なんたって貴族のお城を抱える大都市だし、他所から“高貴な身分の方々”がやってくるのを見るのにも慣れているに違いない。
「母さんは、シャスティルに友達を作ってほしいそうだ」
不意に、父様が口を開いた。
思ってもいなかった話の内容に、俺は言葉を失って父を見上げる。視界の隅でエリィが頭を動かすのが目に入った。彼女もまた、父の言葉の中に何らかの関心を見出したのだろう。
父様は話を続ける。
「お前は賢い子だ。本当に七歳の子供であることを疑う程に。それは父さんにとっての誇りでもある。だが、母さんはそんなこと二の次だったようだな」
「え……」
父様は自嘲気味に口元を緩ませると、腕を伸ばして俺の手を掴んだ。小さい手は、瞬く間に父の大きくて頑丈な手の平に包まれる。
「シャスティ、パーティでは慣わしや他人行儀なんて気にしなくても構わない。お前はまだ七歳なんだ。お前の好きなように振る舞い、そして心から許せる友人を作りなさい。……それが、父さんと母さんの唯一の望みだ」
なんとも、受け答えに困る話ばかり寄越してくれる親である。
今この瞬間「私は本当は、七歳じゃありません」と言ったら父様とエリィはどんな反応を見せるだろうか。子供の戯言だと言って笑って済ませるだろうか。それとも本気にして、純粋な子供じゃない俺を幻滅するのだろうか。
「はい、父様」
否、どちらに転んでも俺は一切得はしないのだから、身を滅ぼすようなことを言うつもりはない。
父様と母様は優しい。だからこそ、その優しさをふいにするような言動は控えねば。
◆◆◆
屋敷を出発してから二日後。
多くの護衛兵士に守られて街道を進む馬車は、ライーゼン公爵執政下の街イーストランの外門をくぐった。
時刻は深夜の零時過ぎ。本来なら、とっくに移動を中断して近場の村落で一夜を明かす時間帯のはずなのだが、とある事情により急遽予定を変更して徹夜で馬車を走らせたのである。
というのも、今日一夜を過ごすはずだった村落の付近でトロールなる魔獣の群れが目撃されたためであった。
魔獣……モンスター……人類の天敵として、世界中の人々から嫌われる害獣だと本に書いてあったのを見たことがある。トロールはその中でも凶悪な人型魔獣で、身の丈は人間の三倍程。強力な再生能力を備えており、刃物などによる殺傷は極めて難しいのだという。
そんな化け物が群れをなして人里に近い山中を動き回っているというのだ。通報を受けた魔獣ハンターたちが既に討伐に乗り出しているらしいが、細心の注意を払うべきだと主張する父様の指示により、やむを得ず寝る間を惜しんで一足先に街に向かったというわけである。
とはいえ、夜中の零時となれば街の衛兵が厳重な夜警を実施している時間帯だ。
街に入るための門は尽く検問が張られ、入来には身分を証明できるものがなければならない。
幸い検問中の衛士長が父様の顔を覚えていたとかで、ライーゼン公爵からの招待状を見せただけでほとんど顔パスのまま街に入ることができたから良かったが、もしそのいずれかが欠けていたらと思うとゾッとする。さすがに夜明けまで待たされることはなかっただろうが、手続きにかなり長い時間を浪費させられていたことは覚悟すべきだったろう。いやはや、大貴族ってスバラシイ。
ライーゼン公の治めるイーストランの街は、盆地に造られた城塞都市として知られている。
起伏の激しい山の麓に沿って堅牢な城壁が幾重にも取り囲み、執政の中心地である公爵邸近辺の執政区から外側に向かって居住区、商業区、工業特区と生活区域が指定されているのである。
主な収入資源は鉱物などの金属類。住民の半数以上を鉱夫が占めるぐらいだから、鉱物資源がこの街にどれほどの影響力を及ぼしているか理解できるだろう。アークランドの鉱山都市としての別称されるのもわかる気がする。
「よ、ようこそお越しくださいました。宿屋『ゴールドストーン』へようこそ…!」
屋内に入ると、つなぎのエプロンを着た宿屋の店主が揉み手をしながら俺たちの傍にやってきた。
かなり緊張しているのか、挨拶の最初と最後に同じ意味の言葉が混じってしまっている。まあ無理もない話だ。“貴族が庶民のために設けた宿舎に泊まる”なんて、普通有り得ないはずだから。
「夜分遅くに申し訳ない。如何せん公爵邸まで馬車を飛ばすのは荷が重くてね。ここで一晩寝床をお借りしたいのだが……」
そして、その有り得ないことを普通にやってのける父様が宿の店主と宿泊の交渉をしている。この光景を見るのもこれで二度目か。最初はつい昨日の出来事だ。この街に向かう途中、一晩宿を貸してくれと父様が村の村長と話していた。あの時はまあ、父様と村長は面識があったのでそんな騒動にはならなかったが……。
「は、はい! 先ほど雇いの者からお聞きしました! あ、あの……その、ここは酔っ払いの土木業者が雑魚寝場所に使っているような宿でして、お貴族様が泊まる宿舎にはもったいないかと思うのですが…」
「ここより適した宿が他にあるのか?」
「いえいえそんな! イーストランの下宿施設といえば、『ゴールドストーン』を置いて他にはありませんよ! あ、はははは……参ったな……」
貴族に泊めてくれと押しかけられる前代未聞の事態に、宿の店主はさっきからずっと平伏しっぱなしだ。これがこの国にとって当然の反応であるとわかっていても、元平民である俺の胸中としては店主に対する同情でいっぱいである。しかしだからといって、これから公爵邸に向かうのではかなりの時間を浪費してしまうそうだ。主に手続きに時間がかかるらしい。何時間も待って睡眠時間を削られより、安宿でもいいから寝床に娘を寝かせたいという父様の考えらしい。それはエリィや、他の同行の護衛たちも全幅の同意を示すほどである。……俺ってそんなに眠たそうな顔してるか?
交渉の末、一泊だけ泊めてくれることで相成った。
決め手となったのは、なんといってもお金の力。父様が今晩の宿泊代の倍以上の額を提示し、うんと首を縦に振らない店主を一瞬のうちに黙らせたのである。
あの大金なら、顧客の収入がなくとも一週間は遊んで暮らせるはずだ。財力をちらつかせて庶民を丸め込むのは父様らしからぬ行動だったが、夜もすっかり更ける状態では手段を選んでる暇もない。
それだけ一行の意識が限界に達していたということだ。そう思い込むことにして、俺はこの宿で一番清潔で高額な部屋を寝床に決めた。目の前に寝台の姿を認め、意識を手放す勢いで頭からダイブする。
ギシィ。ギィギィ。
木製の支柱と埃っぽい毛布が俺の身体を受け止め、二、三度バウンドしたのちに俺の身体をすっぽり受け止める。
自宅の天蓋付きベッドの感触とはえらい違いだが、睡魔に取り憑かれた極限状態の今の俺に寝心地の悪さなど大した障害にはならない。
――ふぅ……お布団最高。
「お嬢様。せめてパジャマにお着替えになってからベッドに入ってください。ルーデニアハイル家のご息女ともあろうお方がはしたない」
「ごめんなさいエリィ。私とても眠たい。お着替えは明日するから」
「まあ! もう寝ぼけていらっしゃるのね」
同室のエリィが、いつもの世話役魂に火をつけて俺の行動に注意を入れる。
しかしエリィ。こればっかりは俺も譲れないぞ。これから寝るんだ。絶対に寝るんだ! もう決めたぞそれじゃおやすみ……。
「はあ……仕方のないシャスティル様。ほら、毛布を被らないと風邪をお引きになりますよ?」
頭上で、ぶつぶつとエリィの喋り声が聞こえる。
しばらくして体が何か温かいものに包まれた思えば、「おやすみなさいませ」というエリィの呟き声が耳元を掠めた。
俺も「おやすみなさい」と言葉を返す。……いや、返したっけか。わからない。夢心地で既に寝息を立てていただろうか。
世話焼きの侍女に見守られながら俺の意識は、深い深い闇の中に沈んでいった。






