第一話 「死んだ俺は異世界で~」(0歳)
某月下旬。
まだ冬の寒さが身体に堪える春先の早朝。俺、園宮悠太は車道の真ん中で仰向けに倒れていた。
何が起こっているのか、いまいち自分の置かれた状況を理解できなかった。ただ、背中に当たるアスファルトの冷たさに相反して、全身が異常に熱いのを感じる。
身体を動かす事もできずに呆然としていると、遠くの方で慌ただしい足音が聞こえてきた。
霞がかった視界の隅で、中年男性と思しきシルエットが浮かび上がる。
「お、おい君! 大丈夫か!」
大丈夫だったら、こんな場所で雑魚寝なんてしないです。
そう言葉を返そうと口を開いて、まったく声が出ないことに気付いた。いや、そもそも口を開いているのかも定かじゃない。五感がちゃんと働いていないようだった。通りで耳が遠いわけである。
などと、冷静に分析する程俺は大丈夫じゃないわけで――
「き、救急車を! い、いや、その前に止血か…!」
止血? というと、俺は出血しているのか。一体何処を? 駄目だ、わからない。全身が熱すぎて、何処が痛いのかもわからない。
ああ、瞼が重い。
そういえば昨日は仮眠を取るのを忘れていたっけか。夜勤明けで一睡もしてないから…今…凄く、眠い……。
睡魔に促されるまま首を横に動かすと、すぐ傍に自転車の車輪が転がっているのが見えた。フレームが曲がっているのか、もう車輪としての形は保ってないけど、あれは恐らく俺の自転車の残骸だ。
ちくしょう。貯めた金をたいて買ったばかりだってのになんて様だ。保険て効いたっけ? ああ、そうだ。ポケットの財布に、保険証を入れて…いた、はず……。
「あ、ああ! 救急車をお願いします! 人が車に接触してしまって……あ、はい! 場所は――」
「…………」
そして、俺の意識は限界を超えた。
即死を免れたのは、少しでも俺に天の情けがあったからなのか。それとも遺言を残す機会を与えてくれただけなのか。
どちらにせよ、自業自得だったのだろう。
夜勤明けで眠たかったとはいえ、交差点を渡るとき信号無視をしたのがいけなかった。
――ごめん、母さん。俺、最悪の親不孝者だわ。
某月下旬。
まだ肌寒い日が続く早春の朝、俺こと園原悠太は20年という短い生涯を終えてこの世を去った。
死亡要因は交通事故。まだ朝も早く車道も空いていたこともあり、制限速度をオーバーした軽トラに側面から撥ねられて吹っ飛んだのだ。
全身骨折に内臓破裂とその他外傷もろもろ。どれも洒落にならない大怪我を負いながら、結局俺の死因は出血多量による外傷性ショック死だという。
なんでそんな事がわかるのかって? それは俺も知らない。ただ、死んだ途端頭の中に怪我の症状が流れ込んできたんだ。
死者の特権という奴だろうか。そんなものクソ喰らえと言いたいところだが、症状を鑑みるに俺の生存率は絶望的であったに違いない。もはや死ぬ運命だったと開き直ったら、不思議と未練や後悔は感じなかった。もちろん先に残してきた母や弟妹は気にかかる。気掛りで仕方なかった。
だが、これは、なんというか……。
「おぎゃあ。おぎゃーー!」
――生まれ変わったような、新鮮なキブン……。
「奥様! お生まれになりましたわ!」
「おぎゃあ。おぎゃあ!」
闇に包まれたままだった視界に、一筋の光明が差した。
なんだ? 天国から天使が迎えにやってきたのか。それにしては随分とやかましい泣き声が耳をつんざいているな。いや待て、これは……俺が泣いているのか?
「はぁ……はぁ……私の赤ちゃん。嗚呼、ケレン。私の可愛い子を見せて頂戴…」
「はい! こちらに――」
瞬間、言葉に出来ない浮遊感が俺の腹部を冷や冷やさせた。
死後、霊体になって空中浮遊を会得したのかと思いきや、俺の身体は誰かの腕に抱きかかえられているのだと悟る。
状況を確認しようと目を開くが、途端に強烈な光に当てられて再び目を閉じる。思わず吃驚した俺は、誰かの腕の中で両足をバタつかせてしまった。
「おめでとうございます! 元気な“女の子”ですわ」
頭上で女性の声がした。恐らく俺を抱きかかえてる人だろう。
彼女の声に続いて、周りからも祝福の声が俺の耳に届く。
「……まあ。この子ったら、ケレンの腕の中でじたばたしているわ。ふふ……本当に、本当に、元気な子ね」
そして、頭を誰かに撫でられた。
よ、よしてくれ……。いい年して、知らない女性に頭を撫でられるなんて恥ずかし過ぎるだろ。
しかし、抵抗する俺の思考とは別に、首はまったく動かない。次第にそれも心地よくなって、いつしか俺は“母親”の行為にされるがままになっていた。
――ん? あれ? なんかおかしくない?
「ぎゃーー。ぎゃーー」
言葉を発音しようとして、またしても失敗する。俺の声は全て泣き声に収束されていた。
やっぱりおかしい。なんで俺はこんなに泣いているんだ。まるで無意識化の夢のようで、同時に現実のようなこの感覚……。もしかして俺、まだ生きてるのだろうか。
「マーヴェラ!」
今度は一体なんだ!?
突然、野太い男の怒鳴り声が轟いたのである。もう少しで理性が完全に吹き飛ぶところだった。
「マーヴェラ! ああ、マーヴェラ! 無事に出産したのだな! 良かった…本当に良かった…!」
「まあ。あなたったら大袈裟なんですから……。私のことよりも、娘を見てあげてくださいまし」
「娘? ……おお、なんと!」
ぐへぇ!
いきなり身体が横に激しく揺さぶられた。え? ちょっと待って、頭が重――
「きゃあ! あなたっ、そんなに乱暴にしては駄目よ! ケ、ケレン! 早く夫を止めて頂戴!」
「旦那様! 落ち着いて旦那様! ちょっと貴女たち! 突っ立ってないで旦那様の手からお嬢様を取り返して!」
「は、はい!」
「おお……ははは、そうか娘か! 見よ! 我がルーデニアハイル家が女子を授かったぞ! ははは! なんと素晴らしい! 私たちはなんと恵まれた家族であろうか!」
そこから、俺の記憶は途切れている。
ずっと泣き声が聞こえていたから意識はあったのだろうが、理性の方が先に参ってしまった。
図太い神経の持ち主ならともかく、常人が目も見えない状態で無抵抗に揺らされたら正気じゃいられない。それに加えてあの大音量の叫び声。あれは駄目だ…完全に頭がおかしくなる。
次に正気に戻った時には、普通に目が見えるようになっていた。
今度こそ天国に召されたのかと、瞬きを繰り返して視界を調節すること十数秒。見えてきたのは淡い緑色の天井…否、ベビーベッドの天蓋だった。
…………やっぱりおかしいよな、この状況。
もし生きているなら、病院の寝台にでも寝かされているのが普通じゃないか? しかし、周りの空気や雰囲気を見るに全然そんな医療施設の建物とは思えない。重体の患者を預かる隔離病室とか? いやまさか……じゃあさっきから俺の視界の端でチラチラ光ってるシャンデリアとか、俺の右手に握られたガラガアのおもちゃは何だっていうんだ。
――ってあれ。目の錯覚か……俺の手ってこんなに小さかったっけ?
「あぶ。ばー」
「あれ」と発音したつもりが、俺の口から飛び出したのはまったく予想だにしない意味不明な言葉だった……えぇー。
もしかして、言葉もろくに喋れないほど俺の怪我って酷いのか。それが本当なら、さっきから身体の自由が利かないのも頷ける。幸運にも視力は回復したようだが、このまま身体が動かないのであれば食事や排泄も人の手を借りなければいけなくなってしまう。
それは……嫌だな。いや、嫌過ぎる! お婿に行けない!
「おぎゃーー。おぎゃー」
心の叫びがそのまま現実の声となって俺の泣き声になる。
別に泣くつもりはなかったのだが、嗚咽が引き金となって涙が溢れ出してきてしまった。
二十歳にもなって大泣きとか勘弁してくれよ。つーか早く泣き止め俺! こんな場面誰かに見られてでもしたら……。
「あら、どうしたのかしら。お腹でも空いたの?」
あーオワッタ。恥辱だこれ。小学生の頃教室で失禁した時ぐらいに恥ずかしいぞこれ! うわー看護士さん、これは違うんです! 俺も好きで泣いてるわけじゃないっていうか、いや、状況的に泣きたい気分なのは確かなんですけど…嗚呼、すみません! お願いだからそんな赤ん坊を見るような目で俺を見ないでくれー!
「おぎゃー。おぎゃー!」
「はいはい、ママはここにいますよー。さあ、こっちにおいで」
ベッドを覗き込んだのは銀髪蒼眼の若く美しい女性だった。
人目見て外国人だとわかる容貌。しかし混乱していた俺は、愚かにもその人を看護士さんと思い込んでしまったのである。
ベッドの中に伸ばされる女性の両手。思った以上…いや、想像以上に大きな手だった。
いや、身長もかなり高いぞ。俺の四倍くらいあるんじゃないか!? ちょっと待て、なんだこの巨人は…!
そして、あれこれ驚いているうちに、気付けば俺は女性のふくよかな胸の内に抱かれていた。止まらなかった泣き声もいつの間にか引っ込んでしまっている。
「よしよし…良い子ね……」
女性の腕の中、揺り篭の要領でゆらゆらと左右に揺られる俺。微かに鼻に香る香水の匂いが心地よかく、動転していた気持ちも段々と落ち着きを取り戻していった。
……やっぱりおかしい。
収まらない違和感。何か決定的に欠けたピースがある。それはとても身近なもののはずで、俺はそれに未だ気付いていない。
冷静に考えてみよう。そもそもこの女性は何故こんなにも大きいのか。そしてどうして俺はその女性の腕に抱かれて大人しくなっているのか。
これらの謎は、女性の背後に置かれた鏡台の鏡が全て証明してくれた。
鏡には、薄手のドレスをゆったりと着こなす銀髪女性の後ろ姿。そして彼女の両腕には、まだ一歳にも満たない赤ん坊が布に包まれ抱かれている。
その赤ん坊は、まるで自分の正体を怪しむように、丸い目を細めてじーっと鏡の中の自分を凝視していた。
なんだこの子……赤ん坊のクセに偉く生意気な顔してるのな。
そんな感想を抱き、こちらもじっと赤ん坊を見つめ返す。すると赤ん坊の方も、さらに鏡の自分を凝視し始めた。
――ああ、なんだ。これ俺じゃん……。
………………………………………………………………え。
バタン!
「マーヴェラ! 書斎で色々調べたら、その子にぴったりの名前が見つか――」
「あ、あなた! そんな大きなお声を出したら……」
ええええええええええええええええええええええええええええええ~~~~~~~!!!??
「おぎゃあーー! おぎゃあーー!」
心の中の絶叫と現実世界の泣き声がシンクロして不協和音の悲鳴を奏でる。
いや、いやいやいやいやないないないない!
何でだ!? 何で俺が赤子に!? い、一体いつからだ! あ、いや……時期は大体わかる。自動車に撥ねられて意識を失って……恐らく意識を取り戻した時にはもう……。
「あーよしよし。パパが大きな声出すからびっくりしちゃったわね。もうだいじょうぶだからね~」
「む。すまなかった。つ、つい興奮してしまってな……」
女性の脇から、堀の深い険しい男の顔が現れる。
顎鬚を綺麗に整えた、少し強面の男性だ。そして当然というべきか、顔が日本人離れしている。話している言語も日本語でもなければ英語でもない、まったく知らない言葉。
ああ、察してしまった。
俺は気付いてしまった。
これは俺が見ている夢でもなければ、死に際の走馬灯でもない。ましてや天国の映像でもないだろう。
目に映る全ては現実。そう、俺はちゃんと“生きて”現実の光景を目にしているんだ。
――第二の人生……転生……。
拝啓。
題名:心の手紙。決して届くことのないメッセージを家族に送ります。
母さん、先立つ不孝をお許しください。そして司、 理沙。お前たちの父親代わりになれなかった不甲斐ない俺をどうか許してほしい。信じられないかもしれないけど、俺は死んで別の人間に生まれ変わったらしい。
この現象は、俺の短い人生を哀れんだ神様のお恵みなのだろうか。それとも、最初からこうなる運命だったのだろうか。
いずれにせよ、俺はここで生きていくしかなさそうです。永遠に、さようなら……。
園宮悠太。年齢二十歳。職業フリーター。夜勤終わりの帰宅中、事故って死んだ俺は、新たな命を授かり転生してしまったようです。