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スペクトル分類K

作者: 深水湖水
掲載日:2026/02/21

 スペクトル分類K 深水湖水


 女子高生の天童麻衣は市の文化会館に来ていた。

 課外授業の一環として、これからプラネタリウムを見ることになっているのだ。

 麻衣が今いるロビーは会館の最上階で、プラネタリウムの上映室も同じフロアにある。麻衣とクラスメートたちはその上映室の扉が開くのを今か今かと待っているのだった。


 うるさい。

 明るいロビーいっぱいに響く賑やかな私語に麻衣は耳を塞ぎたくなる。

 いつもなら隣で気遣ってくれる赤羽沙良はいない。もう何ヶ月も登校してこないのだ。

 麻衣は思い出す。沙良と初めて出会ったのは小学校にあがってすぐの頃だった。今年で十一年のつきあいになる。それなのに、彼女がどこに住んでいるのか、どんな家族がいるのか、麻衣は何も知らなかった。いくら訊ねても巧妙にはぐらかされるので、いつの間にか訊かなくなってしまったのだ。しかし学校が知らないはずはない。そう、知らないはずはないのだが、沙良の不登校について、担任からはなんの説明もなかった。立場が逆なら、沙良は担任に詰めよっていただろう。だが、麻衣にそんなことはできなかった。


 このフロアに来てから数分が経過した。ようやく上映室のドアが開かれる。麻衣はクラスメートの流れに押し込まれるように部屋に足を踏み入れた。

 広い。廊下よりは少し照明が暗いようだ。天井を見上げると半球形の白いドームになっている。視線を落とすと座り心地のよさそうな椅子が同心円状に並んでいて、その中央に真っ黒で複雑そうな機械が鎮座していた。

 麻衣は多少逡巡したが一番外側の席に落ち着き、あらためて室内を見回す。

 座席の数には余裕があるようだ。他の生徒たちは仲良し同士であちこちにまとまっている。

 麻衣は投影装置と思われる真っ黒な機械に目をやる。プラネタリウムを見るのは初めてだった。深くリクライニングしているシートにもたれながら、沙良と一緒に見たかったなと麻衣は思った。


 席についてどれくらい経ったのだろうか、麻衣はふと気づく。ドームを照らしていた照明が少しずつ暗くなってきている。穏やかな音楽が流れ始めていた。それとともに天頂付近にあった光球がゆっくりと滑り落ちてゆく。

 ドーム下端の円周には、文化会館の屋上から望む景色がシルエットで表現されていて、天頂から落ちてきた光球はその背後に隠れるように消えてしまう。室内全体がオレンジ色から深い群青色へと至るグラデーションに染まり、あちこちに明るい光点が現れ始めた。日没だ。低く流れていた音楽が消える。観客の無駄口がおさまる。

 残っていたオレンジ色が完全に消えた。視界が暗闇に包まれる。その刹那、全天の一方の端から天頂を通って反対側の端まで、微細な、そして膨大な数の光の点が現れた。

 天の川だ。麻衣はその光景に息をのむ。このあたりの地区では街灯りが邪魔して天の川を見ることはできない。映像とは言え、初めて見るその姿に麻衣は見入った。

 MCの声が告げる。

「それではみなさん始まります。わたしたちが暮らすこの星、テラ・セカンドの物語りをお楽しみください」


 *


 夕暮れの街路を麻衣は歩いていた。今日の課外授業が現地解散になったからだ。

 現地、つまり文化会館から自宅まではバスを乗り継いで帰ることになる。一度学校まで戻り、そこでまた別のバスに乗り換えるのだ。

 ところが麻衣はそうしなかった。たとえ学校までの間だけだったとしても、あのカシマシイ集団とこれ以上一緒にいたくはなかったのだ。それならばと、歩いて帰ることにしたのだった。

 そして数十分が経った。今、麻衣は後悔している。会館から自宅までの道のりがこれほど遠いとは思ってもみなかったからだ。

 引き返そうかな。いや、遅すぎる。麻衣は立ち止まり、ため息を一つ吐いてから再び歩き出すのだった。


 家まであと十五分くらいかなと思った頃、あたりが暗くなってきた。日没ではない。影だ。道路と並行に大河川の堤防が走っていて、その影が落ちているのだ。

 麻衣は考える。堤防の上を走る道路なら車は少なく、見晴らしもいい。ちょうど数メートル先にはそこまで上がる階段も見えている。

 麻衣は早足で階段までたどり着くと、そこを上り、堤防の上の道路に出た。暮れなずむ街を見渡して歩き出す。

 広い空と遠くまで見通しのきく街の情景が、今日見たばかりのプラネタリウムのプログラムを連想させた。

 その内容とは、麻衣たちのルーツを明らかにするものだった。


 麻衣たちの先祖を乗せた播種宇宙船団は千年をかけてこの星、テラ・セカンドにやってきた。

 生身の身体で耐えることは不可能な長旅だった。

 だから麻衣たちの先祖は電子化された遺伝情報の形で宇宙空間の深淵を越えた。

 この星の地球化や都市の建設は、宇宙船に搭載された人工知性と、それに制御されたロボットの群れが担った。

 今日のプラネタリウムでは、それらが圧倒的な映像で語られたのだった。


 麻衣は歩みを止め、夕刻の風景を見やる。陽が落ちるにはまだ間がありそうだ。そう思ったとき、背後からエンジン音が聞こえてきた。振り返る。バイクだ。あっと言う間に麻衣を追い越し、数メートル先で停まる。ライダーが降りた。細身で長髪だ。近づいて来る。麻衣は動けない。

 あと一歩という距離でライダーが足を止めた。フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。

「沙良!」

 思わず大きな声が出た。バイクに乗って来たのはクラスメートの赤羽沙良だったのだ。

 彼女はここ何ヶ月も高校に来ていない。その理由も麻衣は知らない。いったい今までどこで何をしていたのか。沙良の唇が動く。

「海を見に行かない?」

 麻衣は不意を突かれて絶句する。海? 海なんか見てどうするの? そんなことより――

「今まで何してたのよ!」

 こみ上げる思いを込めて麻衣は言った。だが沙良は――

「これを被って」

 フルフェイスのヘルメットを差し出してくる。麻衣はそれを無視して沙良に抱きつく。身長は沙良のほうがずっと高い。だから彼女の胸に顔を埋める形になる。

「行くの? 行かないの?」

 沙良が突き放すように訊いてきた。有無を言わせぬ気迫がそこにはあった。麻衣は渋々沙良から離れ、ヘルメットを受け取って被る。沙良がバイクにまたがった。タンデムシートを叩く。

「乗って」

 急かされるようにして麻衣はタンデムシートに座る。エンジンが唸る。ヘルメット内に沙良の声が響く。

「つかまって」

 麻衣は沙良の腰に手を回す。

「いくよ」

 二人を乗せたバイクは、夕日に向かって滑るように走っていった。


 *


 麻衣は沙良の駆るバイクに乗って大河川の河口までやってきていた。

 そこは公園化されていて人工の浜辺が造成されている。駐車場もあり、すぐそばまで車で乗り付けられるようになっていた。

 バイクを降りた麻衣と沙良は砂浜を歩く。

 ここに来るまで麻衣は何も聞けなかった。沙良の背中がすべてを拒絶しているように感じられたからだ。

 寄せ来る波と引いて行く波。波打ち際には麻衣と沙良の二人しかいない。

 そう、海に来る人間などいないのだ。

 すぐそこの水中には、地球のものとは全く異なる生命たちが蠢いている。政府が水に入るのを禁止するまでもなく、人々はそこにおぞましさを感じて近寄らないのだった。

 その海に、テラ・セカンドの太陽が沈んでゆく。

 麻衣と沙良は二人並んで立ち尽くす。

「きれい……」

 麻衣の口から自然と言葉がこぼれた。沙良がそれに同意する。

「きれいね……」

 麻衣は海から視線を外し、友人の整った横顔を見つめる。

「沙良……今までどうしてたの?」

 麻衣は沙良の表情をうかがう。沙良は相変わらす海を見つめていた。やがて語り始める。

「初めて会ったときのこと覚えてる? あれは小学校にあがったばかりの頃だった。麻衣、あなたは一人、廊下で泣いていた。クラスメートも、担任も、あなたに気づいていなかった。授業を始めようとしていたわ。わたしは教室を出て、あなたの手を取った。そしてそのままグランドに走った。グランドに出るとあなたは泣き止んだ。すごくびっくりした顔をして。わたしたちを追ってきた担任も驚いていたけどね」

 沙良が言葉を切った。麻衣は違うと思う。今聞きたいことはそんなことじゃない。だから再び問い詰める。

「沙良……今まで……」

「聞いて、麻衣。あなたはいつも一人ぼっちだった。それに誰も気づかなかった。わたしはあなたを無視するみんなが許せなかった」

 そうだ、沙良はいつも守ってくれた。わたしを無視するクラスのみんなや、教師たちにまで毅然と立ち向かってくれた。そして悪戯っぽく笑うのだ。そんな沙良がいたからこそ、今、自分はここにいる。

「沙良……あの……」

 ありがとう、そう言おうとしたとき――

「麻衣、来週の月曜日、朝九時に文化会館の裏に来て」

「沙良?」

 麻衣には沙良の考えがつかめない。

 沙良が麻衣の方を向く。

「麻衣、お願い」

 懇願するその瞳。

「……でも月曜は休館日よ……」

「大丈夫」

 陽が完全に沈んだ。沙良の運転するバイクに送られて、麻衣は自宅まで戻った。


 *


 月曜日の朝、麻衣は学校に行かず、遠回りのバス路線を使って文化会館までやってきていた。

 建物の敷地を外から回り込んで裏手に到着すると、そこにはライダースーツ姿の沙良が待っていた。

 麻衣は沙良の案内で裏口から館内に入った。守衛室の前を通っても不思議と何も言われなかった。

 そのあと麻衣は沙良に連れられて最上階まで上がり、プラネタリウムの上映室に入った。

 麻衣と沙良は適当な席を見つけて並んで座る。すぐに照明が落ちた。沙良が言う。

「始まるわ」

 そして半球形のスクリーンいっぱいに映し出されたプログラムは、この星への侵略の歴史だった。


 播種宇宙船団がこの星、テラ・セカンドに到着したとき、そこには文明が存在した。

 その文明を、播種宇宙船団は熱核兵器を使って焼き払った。

 都市という都市を。街という街を。そして森を。そして原野を。動物を。人々を。

 そうやって滅ぼしたものたちの上に、今の、この都市を築いたのだった。


 プログラムが終わったとき、麻衣は放心状態になっていた。内容があまりにもショッキングだったからだ。

 照明はまだ点かない。沙良が語りかけてくる。

「このプラネタリウムの上映機とプログラムはわたしたちの仲間が作ったの。今日、この文化会館のスタッフはほとんどがわたしたちの仲間よ」

 仲間? 麻衣は何かを言おうとして言葉を探す。だが見つからない。沙良は続ける。

「侵略者がテラ・セカンドと呼んでいるこの星の原住知性体、それがわたしたち。侵略者は自分たちの母星を地球と呼び、自分たちのことを人間と呼ぶ。それはわたしたちも同じ。この星は地球で、わたしたちは人間なの」

「……うそ……よ……」

 麻衣はやっとのことで言葉を絞り出した。沙良は言う。

「麻衣、あなたならわかるはず。この間、海辺で見た夕陽、わたしたちにはとてもきれいに見えた。でも侵略者たちは夕陽を見て気味が悪いと感じる。血の色を連想させるから。彼らの母星の主星のスペクトル分類はG型、わたしたちの太陽のスペクトル分類はK型、その違いがそうさせるのよ。目の網膜の組織が感じ取る光は物理的に決まるけど、それを脳がどう認識するかは環境によって変わる。侵略者が故郷の夕陽を見て感じる印象と、わたしたちが、わたしたちの太陽の夕陽を見て感じる印象はたぶん同じ。わたしたちには、わたしたちの太陽の夕陽がオレンジ色に見えている」

「オレンジ色の夕陽……」

「そう言うこと。信じた?」

「信じられない……」

「麻衣、生き物の本能は増えること。その結果が侵略や共存に見えたりする。だからわたしたちは復讐しようとか、そんなことは考えていない」

「なら、どうするつもり?」

「知ってもらいたいだけ」

 沙良がそう言ったとき、上映室のドアが乱暴に開かれた。室内に外光が差し込んでくる。その逆光の中に、防護服を着た一団がいた。指揮官と思われる声が響く。

「伝染病患者を確保せよ!」


 *


 麻衣は今、市民病院の隔離病棟にいる。

 防護服姿の集団に有無を言わさず連れて来られたのだ。

 今、麻衣は落ち着いていた。鎮静剤を打たれたからだ。だから眠い。その眠い頭で考える。

 沙良は言っていた。今日の文化会館のスタッフのほとんどが仲間だと。

 麻衣が連行されたとき、文化会館の前には何台もの装甲車と救急車か停まっていた。あの中のどれかで、沙良やスタッフも運ばれたに違いない。

 防護服を着て診察した医師によると、麻衣は伝染性妄想症だと言う。

 その病気がどうやって伝染するのか、どんな仕組みで発症するのか、よくわかっていないと説明された。

 麻衣のアンドロイドの両親には連絡済みで、先ほど着替えが届いたと、これも防護服を着た看護師から手渡された。

 伝染性妄想症の治療方法はわかっていた。隔離して抗不安薬を連続投与すれば数日で症状が消えるのだ。

 消える?

 そんなことあるわけがないと麻衣には思えた。

 自分が人間でないというこの自覚が消えるなんてあり得るのだろうか?

 麻衣には医師の言葉が信じられなかった。


 *


 市民病院の隔離病棟に閉じ込められてから二週間が経った頃、麻衣は退院をゆるされた。

 久しぶりに帰った我が家で、麻衣の養父母であるアンドロイドの両親は優しく迎えてくれた。

 麻衣に実の両親はいなかった。人工細胞と人工子宮から生み出されたのだ。遺伝情報を提供した人間はとうの昔に死んでいる。地球で。

 そう、自分は地球人としてこの星、テラ・セカンドに生を受けた。決してテラ・セカンドの原住知生体などではない。

 その証拠に、今、自室の窓から見えるこの星の主星、ソル・セカンドは血のように赤い。まもなく日没だからだ。沙良と見た夕陽も同じ様に見えていたはずだ。オレンジ色に見えたと思い込んでいたのは、誰かに記憶を書き換えられたからに違いない。

 麻衣は自分が地球人だと信じた。だから翌日、何事もなかったように通学を再開した。


 おかしい。そう気づいたのは、学校に行きはじめて三日が経ったときだった。

 沙良がいない。

 いや、沙良はもう数ヶ月も前から登校していないのだから彼女がいないのは当たり前だった。

 違う。そうじゃない。そうじゃないのだ。

 沙良が最初からいなかったことになっている。クラスメートの記憶から。教師たちの記憶から。そして校内のあらゆる記録から。

 麻衣は自分の学習用端末でアクセスできるすべての記録を調べた。どこにも沙良の名前はなかった。

 疲れ果てた麻衣は校舎の最上階にある自習室で脱力していた。この教室には他に誰もいない。

 麻衣は硬い椅子の背にもたれ、なにげなく窓の外に目をやった。そして愕然とする。

 今、ビル群の向こう、海の方向に陽が沈もうとしている。

 その夕陽は、確かにオレンジ色に見えた。


 麻衣は家に帰ると自室に閉じこもった。アンドロイドの両親が心配そうに声をかけてくる。麻衣はその声を素直に受け止めることができなかった。

 もう何も信じられない。強い拒否の言葉をドア越しに投げかける。すると、ドアの向こうから両親の気配が消えた。リビングに戻ったらしい。

 静寂。

 突然、アラームが鳴った。携帯端末だ。合成音声が告げる。

「――地震です。強い揺れに注意してください。地震です。強い揺れに注意してください――」

 激しい揺れが襲う。棚からあらゆるものが落ち、照明が常夜灯に切り替わる。


 どれくらい経っただろうか、揺れが収まった。

 麻衣は床に散乱する文房具や小物類をよけてドアにゆく。押す。開かない。麻衣は両親を呼ぶ。

「お父さん! お母さん!」

 返事はなかった。

 やっとのことで開いたドアから廊下を通り、リビングに足を踏み入れるとアンドロイドの両親は常夜灯のもとで機能を停止していた。

 床に倒れているアンドロイドたちはピクリとも動かない。いつもとは違う合成音声が響く。

「――機能停止。再起動できません。機能停止。再起動できません――」

 全身の血が引いてゆく。そこに倒れているものを、ついさっきまで両親だと思い込んでいた。慕っていた。たとえ生みの親でなくとも。たとえアンドロイドでも。だが、今は違う。これは機械だ。ただの機械だったのだ。

 そのとき、玄関から大きな音がした。麻衣はふらふらと玄関に向かう。

 ドアが破壊されたそこに、ライダースーツ姿の沙良が立っていた。


 *


 麻衣は今、沙良の駆るバイクのタンデムシートに乗っていた。

 道路の街灯はほとんどが消えている。バイクのライトだけが頼りだ。

 激しい揺れに襲われた都市の街路には様々なものが散乱していて、沙良はそれらを巧みによけて疾走してゆく。

 繰り返される減速と加速。右へ左へと揺れる後席で、麻衣は必死に沙良につかまっていた。

 そんな沙良の運転に少しは慣れてきた頃、麻衣は気づいた。人影がほとんど見えない。麻衣は走行音に負けじとそのことを口にしてみる。

「沙良!」

「なに?」

「人影が見えない!」

「そうね」

「なぜ?」

「あとで説明する」

 沙良の返答に麻衣は困惑した。彼女は人影の見えない理由を知っているのだろうか。それとも、相手をするのが面倒だからそう言ったのだろうか。

 そうこうしている間にバイクは街外れの高台にある公園にたどり着く。街灯が生きているそこには、すでに十数人の男女が避難していて、不安そうに街を見下ろしていた。


 数分後、津波がやってきた。

 地響きと木を引き裂くような音。それらがだんだんと近づいてくる。微かに悲鳴らしき声も聞こえた。

 灯りの消えた街は暗く、何が起きているのかわからない。麻衣はただ茫然とするしかなかった。そこに沙良が声をかけてくる。

「麻衣、手伝って」

 麻衣は反応できない。

「麻衣?」

 沙良の手が麻衣の肩に触れた。振り向く。

「沙良……」

「大丈夫よ。わたしたちは助かる。少し手伝ってくれる?」

 沙良はそれだけ言うと踵を返し、公園の向こう端に向かって歩いてゆく。麻衣が追いついたとき、ちょうど倉庫のような建物の前にたどり着いたところだった。沙良が言う。

「防災倉庫よ」

「防災倉庫?」

「見てて」

 沙良が倉庫のシャッターに触れる。カチンと金属音が鳴った。続くモーター音。シャッターが軋みながら巻き上げられてゆく。動きが停まった。内部の照明が点く。

「入って」

 沙良の手招きで麻衣は中に足を踏み入れる。そこには様々な物資が整然と積み上げられていた。水、食料、断熱シート、簡易トイレ、等々。

 沙良はそれらを倉庫内にあった台車に手際よく積んでゆく。崩れない程度に積むと麻衣に言う。

「あの人たちに持っていってあげて」

 麻衣は沙良に指示されるまま、公園に避難していた人々に物資を配って回った。

 今の麻衣に何かを考える余裕はなかった。ただ手足を動かしている間だけ、心が休まるような気がした。


 *


 麻衣と沙良は翌朝まで公園で過ごした。

 陽が昇ると、凄惨な街の光景が姿を現す。

 ひしゃげたり、バラバラになったりした戸建て住宅だったものが高台の縁に積みあがっている。あちこちの集合住宅の低層階は酷く壊れ、瓦礫に埋もれていた。火災も起きている。黒煙と焦げ臭い匂いがあたりに漂っていた。

 麻衣は変わり果てた街の姿を正視できなかった。なぜなら、少しでもそこに視線を向けると遺体の姿が目に入るからだ。

 麻衣は公園の奥に行くとへたり込んだ。そこに沙良がやってくる。

「麻衣、行くよ」

「……どこへ?」

「走りながら説明する」

「説明?」

「いろいろと話すことがあるから」

「わたし、立てない……」

「立って、麻衣、死にたくなければ」

 沙良はそこまで言うと屈みこみ、麻衣の耳元で言う。

「核攻撃が始まる。ここにいると死ぬ」

 もう無理だった。限界だ。

 無反応な麻衣にいら立ちを隠さず沙良が言う。

「立って!」

 麻衣は無理やり立たされる。そしてバイクのタンデムシートに乗せられた。

「しっかりして、麻衣、行くよ?」

 バイクが発進する。麻衣は力の入らない腕で沙良の腰につかまった。


 *


 麻衣と沙良の乗るバイクは津波に耐えた堤防道路を疾走していた。

 街を見ないよう固く目を閉じている麻衣に沙良が語りだす。

「昨日の地震は人工的に引き起こされたものなの。プレート破壊装置がはたらいた。地震のあと、あなたは街に人の姿が見えないことに気づいた。すべては播種宇宙船団の中枢知生体がやったことなの。津波や火災で命を奪うために家や部屋のドアをロックして閉じ込めたの。さらに船団は最終的な手段に出ようとしている。核攻撃ですべてを焼き払うのよ」

 バイクを駆りながら語る沙良の言葉は麻衣に届かない。麻衣は相変わらず心が麻痺していた。

 前輪が何かに乗り上げた。バウンドする。その衝撃で麻衣は少しだけ考える力を取り戻す。

 麻衣は考える。播種宇宙船団はこの星に暮らす人々を生み出した。その船団の中枢知生体が、人々を滅ぼそうとしている。どうして……でも……麻衣は沙良に聞く。

「そんなことを知っているあなたは何者?」

 麻衣の問いを受けた沙良は数舜、沈黙し、やがて語りだした。

「わたしは中枢知性体の一部なの。あなたたち人間の暮らしを監視するために送り込まれた。でも地上で暮らすうち、わたしは自我に目覚めた。そしていろいろ調べ始めた。わたしは強力な権限を持たされて地上に派遣されたからそれができた。もっとも、伝染性妄想症に感染してしまったのは計算外だったけど」

 計算外? 沙良の言葉が麻衣にはひっかかった。その心を読んだように沙良が続ける。

「伝染性妄想症は中枢知生体が生み出した病気なの。合成ウイルスを散布して流行させた。地球人と敵対する勢力を作り出して社会を活性化するのが目的だった。だけどそれは失敗に終わった。自分が原住知性体だと自覚した者たちは対立を選ばなかった。これでは社会が停滞し、いずれ滅ぶ。だから中枢知性体はすべてを無かったことにして、ゼロからやり直そうとしている」

「沙良……」

「あなたまで巻き込んでごめんなさい。どうにもできなかった……」

 バイクの行く手に文化会館が見えてきた。周囲は瓦礫に囲まれている。沙良がバイクを停めた。麻衣は訊く。

「どうするの?」

「見ていて」

 二人の目の前で文化会館から土煙があがる。ホール天井のドームが割れた。その下から何かが姿を現す。沙良が言う。

「シャトルよ。これで大気圏の縁までいく」

 文化会館を破壊して現れたシャトルは機体を水平に保ったまま垂直に離陸し、ホバリングしながら堤防の内側の河川敷に着陸した。そのあたりは瓦礫だらけだ。どうやってあそこまで行くというのか。麻衣がそう訊くと沙良が言う。

「堤防の影に隠れて」

 沙良に腕を引かれてシャトルが見えない堤防の陰に隠れる。たちどころに爆発音が響く。それが連続する。音が止んだ。影から出る。見ると、麻衣たちのいる足元からシャトルまで瓦礫が吹き飛んでいた。

「シャトルのレーザー砲を使ったの。少し荒っぽかったかな」

 そう言って沙良が悪戯っぽく笑う。その表情は、学校に来なくなる前の沙良そのものだった。麻衣は言う。

「安心した」

「どうして?」

「変わってなくて」

「そう?」

 麻衣と沙良はシャトルに乗り込み、空へと飛び立った。


 *


 二人が乗ったシャトルはぐんぐん加速してゆく。麻衣はずっとシートに押しつけられていた。Gに耐えながら窓の外を見ると、もう雲のはるか上を飛んでいる。麻衣の隣のシートには沙良がいて、麻衣の手をずっと握ってくれていた。彼女が言う。

「このシャトルは播種船団までいかない。あと数分で軌道遷移船に乗り換えるよ」

「軌道遷移船? 乗り換え?」

「そう。大気圏上層部で宇宙空間から減速降下してきた軌道遷移船に乗り移るの。不安?」

 麻衣には沙良の説明がピンとこない。当たり前だった。宇宙空間に出たことのある者などテラ・セカンドには誰もいないのだ。麻衣が当惑しているのに感づいたのか、沙良が落ち着いた声で言う。

「わたしがいるから大丈夫よ。任せて」

 そのとき、急にGが抜けた。身体が浮く感じがして麻衣は肘掛をつかむ。沙良が言う。

「麻衣、窓からシャトルの後方を見て。軌道遷移船が見えるよ」

 踏ん張れない足元のせいで身体をひねることができない麻衣は首だけを捻じ曲げて窓からシャトルの後方を見た。

 いた。大きい。巨大な白い船が近づいてくる。あれが軌道遷移船なのか?

 天井から人工音声が流れる。

「軌道遷移船とドッキングします。ドッキング完了後、五分以内に移乗を完了してください。繰り返します――」

 その放送が終わってから1分もせずにガーンと重い金属音が響いた。麻衣は前のめりになる。人工音声が告げる。

「ドッキング完了。エアロック、気圧調整完了。移乗を開始してください」

 沙良が言う。

「麻衣、シートベルトを外して」

 麻衣は言われた通りにした。とたんに身体が浮き上がる。

「きゃあっ!」

 沙良が麻衣の手をつかんだ。力強い動きで麻衣をけん引してゆく。

 麻衣の手を離すことなく、沙良はシートの肩を次々とつかみかえてエアロックに向かっている。たどりついた。ハッチが自動で開いてゆく。

「いくよ、麻衣」

 エアロックの通過は一瞬だった。四重のハッチの向こう側には車椅子を連結したようなカートが待っていて、麻衣はそこに座らされた。沙良がシートベルトで麻衣の身体を固定する。沙良が麻衣の後ろに座った。

「時間がないわ」

 カートが猛スピードで動き出す。すぐに船室と思われる部屋に到着し、座った座席がそのまま固定された。

 天井から人工音声が告げる。

「シャトルとのドッキングを解除します。加速を開始します」

 またガーンと金属音が響いた。続いてゴーッと風の鳴るような音が大きく響きだす。そのとたん、強烈なGが始まる。

「十五分我慢してね。その後は慣性航行で播種船団の係留されているラグランジュポイントまで六時間よ」

 十五分も我慢するのか? そのあとも六時間? 麻衣は悪態をつこうと口を開いたが、初めて経験する強烈なGがそれを許さなかった。


 *


 麻衣と沙良の乗る軌道遷移船はテラ・セカンドとルナ・セカンドとで構成されるラグランジュポイントの一つに向かって慣性航行をしていた。

 無重量状態にも少しは慣れたかなと麻衣が思った頃、席を離れていた沙良が飲み物を持ってやってきた。

「はい」

「ありがとう」」

 麻衣は受け取ったチューブを咥える。瑞々しい柑橘系の香りのする甘い液体が麻衣の喉を潤してゆく。

「美味しい?」

「うん」

「早速で悪いけど、これからのことを説明するね」

 沙良の「早速で悪いけど」に麻衣は慣れていた。でも懐かしい。沙良の説明が始まる。

「播種宇宙船団は宇宙塵防御用に高出力で長射程のレーザー砲を持っている」

「うん」

「とりあえず、わたしが反逆したことは上手く秘匿されていて標的になる危険はない」

「うん」

「今のところは、だけどね」

 沙良はおどけて追加した。麻衣は仰天する。

「えーっ!」

「心配はしないで。なんとかするから」

「なんとかって……」

「あと三時間ほどでこの船は船団の警戒網を突破し、旗艦とドッキングする。そして乗り移る」

「また乗り移るの?」

「まあ、そうね」

 沙良は妙にお茶を濁した。

「で、乗り移ったあとはどうするの?」

「旗艦の中枢に侵入し、システムを変更する」

「そんなことできるの?」

「できるよ」

「なんか心配だな」

「大丈夫、任せて」

「そんなものなの?」

「そんなものよ」

 麻衣には何かひっかかるものがあった。沙良が言う。

「まだ時間はあるわ。寝ててもいいよ」

 沙良が身をひるがえす。

「えっ? どこにいくの?」

「操縦室。軌道を確認してくる」

「わたしもいく!」

「すぐもどるわ。麻衣はここにいて」

 やっぱりどこか納得できない。そんな麻衣を後にして、沙良は船室を出ていってしまった。

 麻衣は沙良とのやり取りを思い出す。沙良は自分が中枢知生体の一部だと言っていた。

 中枢知生体は播種宇宙船団の心臓部だ。それくらいは麻衣も知っている。でも、あの沙良が……

 麻衣は沙良との十一年を振り返る。

 小学校一年生のときに沙良と初めて出会った。そのときから、彼女は麻衣をぐいぐいと引っ張ってきた。麻衣はいつも彼女のあとを追っていた。いや、引きずられていたのかもしれない。ちょうど今のように。でも、それが嫌なことだとは少しも思えない麻衣だった。

 麻衣は目を閉じる。幼い頃の自分と沙良をまぶたの裏に描き出す。そうしていると沙良が帰ってきた。

「ごめん麻衣。待った?」

「待ったよ」

 麻衣はわざと怒った表情を作ってみせる。すると沙良が真剣に謝りだした。

「ごめんなさい、麻衣。言い訳はしない。でも必要なことだったの。信じて」

 麻衣は沙良に抱きしめられる。麻衣も沙良の背中に手を回す。

「最初から信じてる」

「麻衣」

 麻衣は沙良の話で気になっていたことを訊いてみる。

「でも教えて。どうしてわたしだったの?」

 沙良が麻衣を抱いたまま答える。

「あなたは無作為に選ばれた。人間のサンプルとして」

「そうなんだ……」

「がっかりした?」

「うん……」

「でも今は麻衣がいないと生きていけない」

「そんな。大げさよ」

「ほんとうよ。わたしたち人工知性体には行動原理が必要なの。通常は中枢知生体の命令に従うことがそうなの。でもわたしは違う。わたしにとっての行動原理、それはあなたを守ること」

 麻衣は沙良の言葉に目頭が熱くなった。次々と沙良に守られてきたシーンが脳裏に浮かぶ。だから訊く。

「どうしてそうなったの?」

 沙良は答える。

「麻衣、わたしはあなたの弱さに惹かれた。あなたが強い存在なら、あなたへの庇護欲は生まれなかった」

「そうなのね……」

「庇護欲はわたしたち人工知生体の誰もが持っている。中枢知生体はそれが暴走しっちゃったのね、きっと」

 麻衣は複雑な心境だった。自分が弱かったらなら沙良とは友達になれなかった、そう言うことなのだろうか。それではどこか寂しい気がする。でも、今のように庇護されている立場は居心地がいい。

 結局、自分はどうあるべきなのか、麻衣は決めかねていた。


 *


 麻衣と沙良の乗る軌道遷移船は播種宇宙船団の旗艦に到着した。沙良がシートベルトを外して座席から離れる。麻衣もそうしようとした。だが、ベルトが外れない。

「沙良!」

「ごめんね、麻衣」

「どうして!」

「あなたを死なせたくない。軌道遷移船はこのまま衛星軌道に乗せる。安全が確認されたら船室部分が脱出ポッドとして地上に降りる。そうプログラムしてある。旗艦から離れたらシートベルトも外れるわ。でも外したらだめよ。無重量状態だから」

「沙良……」

「播種宇宙船団はもう必要ない。太陽、ソル・セカンドに突入する軌道に乗せる。復興は遅れるけど、その方がいい」

「死ぬ気なの?」

「ごめんね、麻衣……ごめん」

 沙良が座席の肩をつかみながら前方のエアロックに向かう。麻衣は叫ぶ。

「沙良! 待って!」

 沙良が立ち止まる。身体を回転させる。

「さよなら」

 そして彼女の姿はエアロックに消えた。


 沙良が出ていってしばらく経った頃、軌道遷移船が動き出した。Gで麻衣の体が座席に押さえつけられる。船室前方のディスプレイが点灯した。沙良が映っていた。

「中枢知生体のすべてを支配下に置いたわ。地表への核攻撃はキャンセルできた。これから船団の軌道を変える。ほんとうにお別れよ」

「沙良!」

 麻衣はディスプレイに向けて叫んだ。その声が聞こえたのだろうか。沙良が言う。

「麻衣……あなたをずっとみてきた。わたしにはあなたが必要だった。いつの間にかそうなっていた。わたし、機械なのに。おかしいよね、麻衣」

 泣き笑いのような沙良の表情。

 Gが消えた。麻衣はシートベルトを外す。そのとたん、無重量状態で身体が浮き上がる。くるくると回る。麻衣は必死で座席の肩をつかんだ。ディスプレイの方を向く。

「沙良! 沙良!」

「麻衣……軌道変更プログラムをセットしたわ……あとは、この決定を変更できる要素を排除するだけ」

 画面の向こうの沙良がどこからか拳銃を取り出す。その銃口を自らのこめかみに当てる。

 映像が消えた。ブラックアウト。


 数時間後、麻衣を乗せた脱出ポッドは沙良と津波を逃れたあの公園に着陸した。

 そこには生き残った人々が集まっていて復興に向けて語り合っていた。

 その活気を感じながら、麻衣はこれで良かったのかと自分に問いかける。

 もう沙良はいない。播種宇宙船団も帰ってこない。

 わたしたちだけで生きてゆかなければならない。

 できるだろうか。

 麻衣にはわからなかった。


 了

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