3.離乳食という名のフォアグラ
魔力測定での「数値バグ事件」以来、俺は公爵家において『触らぬ神に祟りなし』、あるいは『近づくと急に内臓が悲鳴を上げる呪いの人形』として、異様な畏怖と敬意を込めて扱われるようになった。
腫れ物に触るような扱いだが、俺にとっては好都合だ。静寂こそがニートの至福だからな。
だが、そんな俺にも抗えない絶対的な生理現象がある。
そう、「空腹」だ。
(……チッ、腹が減った。前世じゃ深夜のデスクでカップ麺すすってりゃ脳がバグって満足できたが、この体は燃費が悪い。早くパフェ……は無理でも、なんか脳を溶かすような糖分の塊を持ってこいよ)
俺が心の中で苛立ちを募らせていると、部屋に現れたのは公爵家お抱えの最高料理人、ムッシュ・ボナペティだった。
コック帽を誇らしげに掲げた彼は、仰々しく銀の皿の蓋を開ける。
「アルフレッド様、本日は最高級の魔導牛から絞った初乳と、南方の太陽の果実を練り上げた、公爵家秘伝の離乳食でございます。さあ、アーンして……」
(……いらねぇ。そんな素材の味を活かした健康そうなもんじゃ、俺の脳内糖分指数は満たされねーんだよ。もっとこう、脂ぎった着色料まみれの、生クリームをタワーにしたようなやつを持ってこい!)
俺が不機嫌に顔を背けると、ムッシュの顔が瞬時に青ざめた。
「な、なぜです!? 私の料理が、公爵家の御嫡男の口に合わないというのですか!? このボナペティ、三代に渡って王侯貴族の舌を満足させてきたというのに……!」
料理人のプライドを傷つけられたムッシュが、膝をついて泣き出した。
だが、俺にとっての本当の苦痛は「食べたくないものを強要されるストレス」と「空腹による胃のキリキリ感」だ。
(……あー、面倒くせ。説明するのも、泣かれるのも。この『胃の不快感』と『空腹感』……まとめて誰かに決済してやる。ターゲットは……あそこに立って、さっきから『甘やかすからこうなるんだ』と目つきで訴えてる教育係のジジイ――お前に決定だ)
【固有スキル:厄災の転嫁】発動
【転送負債:猛烈な飢餓感、および偏食による精神的ストレス】
「……ぐ、ぐあああああっ!? な、なんだ、この……この、ブラックホールの如き空虚感はぁぁぁっ!」
背後に直立不動で控えていた教育係のジジイが、突然、自分の腹をボクサーのボディブローを喰らったように抱えて絶叫した。
彼の怜悧だった目つきが、一瞬で飢えた野犬のように血走る。
「腹が……胃壁が癒着して溶け落ちるほど腹が減ったぁぁぁっ! 石でもいい! 煮込んだ革靴でもいい! 誰か、私にエサをぉぉぉ!」
ジジイは、俺の前にあった離乳食の皿を、老体とは思えぬ俊敏さでひったくると、そのまま顔面を突っ込んで文字通り犬食いし始めた。
ムッシュが「ああっ、私の芸術が!」と止める間もなかった。
「ムシャアアアア! 足らん、全然足らんぞぉぉっ! 厨房だ! 厨房にある肉を全部、生でもいいから持ってこい!」
飢餓に狂い、口の周りをミルクまみれにしたジジイが、全力疾走で部屋を飛び出していく。
一方、俺はというと……。
(……ふぅ。腹が物理的に膨れたわけじゃないが、空腹の『苦しみ』という不快な情報が消えただけで、これほどまでに体が軽いとはな。これぞ精神的満腹感……)
そう思った瞬間、脳内に不思議な感覚が流れ込んできた。
【補足:スキルによる負債決済の際、対象が摂取した栄養の『幸福感・味覚情報』のみがアルフレッド様に還元されました】
(……ほぉ。ジジイが必死に食ってる離乳食、意外とイケるじゃねーか。太陽の果実の酸味が後を引く……。なるほど、これこそ究極の美食家だな)
自分は指一本動かさず、咀嚼もせず、ただ他人の胃袋を経由して「美味しいところ」だけを無線通信で受け取る。これぞ21世紀の社畜が夢見た、究極のデリバリーサービスだ。
結局、その日のうちに公爵家の食料庫の半分が、一人の教育係の胃袋に消えた。
使用人たちは、震えながらこう噂したという。
「アルフレッド様は、見つめるだけで人の理性を奪い、暴食の化身に変えてしまう魔王の瞳をお持ちだ……」
俺は満足げにおしゃぶりを鳴らしながら、静かに眠りについた。
いいか、これが「食育」ってやつだ。
他人の犠牲と労働の上に成り立つ食事こそ、世界で一番甘美なスパイスなんだよ。




