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9/13

子を願う夜の稽古

「……月のものが、また来てしまいましたね」


 霜華(そうか)の声に、わたくしはそっと下腹を押さえました。


 初夜の日から、すでに幾月かが過ぎております。

 その間、五日と空けず董卓様のお相手を務めてまいりましたが――今月も、子を授かることはかないませんでした。


 お子を授かれば、董卓様とのつらい夜の営みから解放されるかもしれないのに。


「はぁ……」


 おもわずため息がこぼれます。きっと暗い顔をしていたのでしょう。霜華が、そっと微笑みかけてくれました。


「貂蝉様は、まだお若いのです。董卓様があれほど貂蝉様をお求めになっているのですもの。すぐにお子は授かりますわ」


「……そうですわね」


 口ではそう返しながらも、声には力が入りません。


(いっそ董卓様に嫌われてしまえば、この責苦から解放されるのに)


 ほんの一瞬、そんな思いが胸をかすめました。

 けれど、すぐにかき消します。子を授からねばならないのです。桃房塾で積み重ねた日々を、無にするわけにはいきません。


 霜華は、わたくしの迷いを見透かしたように、静かに言葉を継ぎました。


「それでは、今日も董卓様との夜に備えて、お体を整えるお稽古をいたしましょう」


「……日々の継続こそ、肝要なり、ですものね」


 分かってはおります。けれど、どうしても心は重くなってしまうのです。


 霜華が小瓶の蓋を開けると、甘やかな香りがふわりと漂いました。


 杏仁の油に蜂蜜を溶かし、蘭の花を沈めた香油――寝所に満ちるその香りは、清らかさと艶めきを同時に運んでまいります。


「まずは、こわばったところをほぐしましょう」


 霜華は香油を両の手のひらになじませ、わたくしの肩や背へそっと触れました。


 温かな手がなぞるたび、張り詰めていた筋が少しずつほどけていくのを感じます。


 腰のあたりに触れられると、思わず身がこわばりましたが、それも霜華の穏やかな声に促され、やがて息とともに緩んでゆきました。


「大丈夫ですよ。息を吐いて……はい、そうです」


 霜華の声に合わせて、わたくしは胸の内の熱を吐き出すように、ゆっくりと息を整えました。


「よろしいですか?」


「……はい。お願いいたします」


 本日は董卓様の、あまりに性急なお振る舞いに備えるための稽古だと、霜華は言いました。


 あのお方は、初めから荒々しく求めてこられます。その勢いに少しでも慣れるための練習――そう分かっていても、胸は強く脈打っておりました。


「まずは、表情からまいりましょう」


 霜華は、わたくしの頬にそっと指を触れました。


「董卓様のお好みは、うぶな娘の恥じらい。羞恥に震え、頬をあからめるお顔です」


「……それは、存じておりますけれど……」


 思わず視線を伏せると、霜華は軽く首を振ります。


「痛みや怖れで固まってしまうと、それだけでお体も締めつけられてしまいます。表情と呼吸を整えれば、少し楽になりますよ」


 彼女はそう言うと、わたくしを鏡の前に座らせ、顎を軽く持ち上げました。


「貂蝉様、そのお顔は演技ですか? 本当に演じるのなら、全身で痛みと恥じらいを『見せて』くださいませ」


「ち、違います。これは芝居では……本当に、恥ずかしいのです」


 わたくしは、首をふるふると振って否定しました。けれど霜華は、厳しくも優しい眼差しで見つめてきます。


「たとえ本当に辛くとも、演じなさい。董卓様の前では、羞恥に震えつつも、なお美しくあらねばなりません」


 霜華はわたくしの両肩に手を置き、呼吸に合わせて軽く押し下ろしました。


「顔を覆って、息を震わせてごらんなさい。『いやぁ』と声を零す時は、苦しさだけでなく、『それでも従う』覚悟も(にじ)ませるのです」


 促されるままに、わたくしは両手で顔を覆い、小さく息を震わせました。


「……いやぁ……」


「その調子ですわ」


 霜華の声音がやわらかく胸を打ちます。


 わたくしの震えはいっそう大きくなり、それを見つめる霜華の瞳が、どこか誇らしげに細められました。


「羞恥に揺れるその姿――なんと綺麗な震えでしょう」


 その言葉に導かれるように、わたくしはもう一度、鏡の中の自分を見つめました。頬は赤く、唇はかすかに震えています。


(これは……演技? 本当の姿?)


 自分でもわからなくなったその瞬間、霜華は軽く息を吐きました。


「ほら、ご自身で背筋を伸ばし、胸をひらいて」


「はい……」


 ためらいながら姿勢を整えると、ひやりとした空気が肌をなでました。夜の支度というだけで、人目に晒したくない部分まで意識してしまいます。


「貂蝉様、その表情……とても愛らしいですわ。そのまま演技を続けましょう」


「これは……演技ではなくて……」


 声を絞り出すと、霜華はわたくしを見透かすように目を細めました。


「……体が、恥じらいに応えるように少し火照っておられますね。それは、心が揺さぶられた証――。もしかして、心まで揺さぶられているのでは?」


「霜華、いじわるは……おやめくださいませ」


 抗う声を出した途端、胸が焼けつくように熱を帯び、わたくしは思わず吐息を止めました。


 霜華は、ふっと微笑みます。


「いいえ、これは素晴らしいことですわ。羞恥の感情を、美しい震えへと変えられた瞬間に他なりません」


 おめでとうございます――そう告げる声は、甘くやさしく、心に染み入りました。


 けれど、違うのです。霜華でなければ、こんな感覚は生まれません。


 その視線に包まれると、羞恥は苦痛ではなく、胸の高鳴りへと変わっていく。自分でも知らなかった感情が、静かに目を覚ましてゆくのでした。


 しかし、董卓様に強いられる羞恥はまるで違います。


 (あざけ)りとともに押しつけられるそれは、痛みと恐怖に支配されるだけ。

 心地よさなどひとかけらもない、魂を砕くはずかしめ――。


 ――同じ「羞恥」でありながら、なぜこれほどの隔たりがあるのでしょうか。


 それでも、わたくしが折れずにいられるのは、霜華が傍にいてくれるからです。

 霜華の声を思い浮かべるだけで、闇に沈む心が、ひととき光に照らされます。


 その光を支えにしなければ、董卓様を待つ夜を耐え抜くことなどできません。


 今宵も寝所に灯をともして祈ります。


 ――どうか早く子を授かれますように。


 そう願いながら、わたくしは霜華とともに、いつものように静かに夜の支度を整えていきました。


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