誰も見ていないふりをして
「おお、見応えのある眺めよ。護衛どもよ、そなたらもそう思うであろう?」
董卓様の嘲りの声が、闇に響きわたりました。
それに答える声はなく、ただ虫の音と池のさざめきだけが、夜を満たしています。
わたくしは衣を乱されたまま、東屋の梁に両腕を高く縛り上げられておりました。
足は石畳についているものの、手で胸元を押さえることも、身を隠すこともできません。
頭上には半月が白々と照り、冷たい光が肌の上を滑っていきます。まるで月そのものが見物人となって、わたくしの恥を照らし出しているかのようでございました。
董卓様はしばし愉しむように目を細め、低く囁きました。
「貂蝉よ……次に何が起こるか、分かっておるな?」
ぞくり、と背が粟立ちます。
声にされた途端、この先に待つ屈辱を、想像せずにはいられませんでした。
「……董卓様、本当に外でなさるのですか?」
理解していても、問わずにはいられません。
ここは庭の東屋。四方は開け、護衛たちの気配も感じられます。
「だからどうした。外であろうが月の下であろうが、わしの気まぐれに従うのがお前の務めよ」
直後、背後から肩をぐいとつかまれ、強引に体勢を変えられました。
支えを奪われた体は不自然にねじられ、痛みに思わず息が詰まります。
全身は、董卓様の意のまま――その事実だけが、冷たく胸に沈みました。
これから味わう痛みへの恐怖のあまり、董卓様から逃れようと腰がわずかに引けたその瞬間、低く響く怒声が落とされます。
「なぜ拒む、貂蝉!」
胸が凍りつきました。
「ち、違います……ただ、護衛の方々の目が……。恥ずかしさで、心が追いつかないのです……どうか、屋内に……」
涙に滲む声で、必死に訴えました。
「そうかそうか……わし以外の目が気になるのだな」
董卓様はねっとりと笑うと、わたくしの足もとに落ちていた衣に視線を落とします。
脱げ落ちた衣を拾い上げ、乱雑にねじると、その布をわたくしの目許へ押し当てました。
「これでよい。もう何も見えぬ。ほれ、護衛などおらぬぞ」
目隠しをしたからといって、護衛が消えてなくなるわけもありません。
董卓様がふざけておられることは分かっておりましたが、反論したところで意味はないでしょう。
それに、これ以上、董卓様の機嫌を損ねるわけにもまいりません。
口を閉ざしたまま、わたくしは息をひそめました。
やがて、ふと気づきます。
視界を奪われたことで、虫の音がいやに近く響き、草の匂いがむせるほど鼻を満たしていることに。
――ほとんど素肌のまま、外にさらされている……。
その事実は先ほどから分かっていたはずなのに。
風が肌に触れるたび、何度でも改めて思い知らされるのです。
光を失ったぶん、他の感覚が鋭くなり、羞恥はいや増していきました。
乱暴な手つきが肩や背を押さえつけるだけで、全身が痺れるように震えました。
荒々しい掌に全てを握られたようで、逃げ場のない支配だけが刻みつけられていきます。
「もうワシとお前だけじゃ。安心して受け入れ、身を委ねるがよい」
耳元に落ちる低い囁きが、頭の奥をくすぐるように響きました。
董卓様と二人きり――などと信じられるはずもございません。
けれど、いっそ信じてしまった方が楽だということも、分かってしまうのです。
それに、今宵もまた「子を授かるための行い」が始まろうとしております。
董卓様の御子を授かることができるなら――それは、後継者の母として迎えられる未来へとつながるかもしれません。
ならば、自分をだましてしまえばいい――。
騙した先にあるのは、その幻のような未来。
その像を胸に描き、わたくしは覚悟を固めました。
「……はい。董卓様とわたくししかおりません。どうか、お望みのままに」
恥ずかしさの奥に、どこか安堵を滲ませた声音を、あえて演じてみせます。
震える足を叱咤しながら、少しだけ体勢を整えました。
――外であろうと、誰に見られていようと、それを耐え、受け入れることさえできるわたくし。
そんな虚像を思い描いた瞬間、頭の先からつま先まで痺れるような熱が駆け抜けました。
演じることは、やがて自己暗示へと変わり、胸の奥がじんじんと重くなっていきます。
やがて、その夜の務めが静かに始まりました。
どれほどの時が過ぎたのか、はっきりした光景は残っておりません。
ただ、息苦しさと屈辱とが幾度となく押し寄せ、そのたびに心が砕けそうになったことだけが、焼き付いております。
「……董卓様……どうか……この身に、御子を授けてくださいませ……」
半ば祈りのような声が、夜気にかすれて消えていきました。
屈辱の先に、せめて一つだけでも報いがあってほしい――その一念だけが、揺らぐ心をつなぎとめていたのです。
いつ終わるとも知れぬ今宵の苦しみに翻弄されるうち、体の感覚は次第に遠のいていきます。
ただ「これで未来が変わるのなら」と言い聞かせることだけが、わたくしを現に繋ぎ止めておりました。
――どうか、この屈辱が、無駄になりませんように。
その願いが頂点に達した、その刹那。
世界が止まったように、音が消えました。
董卓様の気配がぴたりと動きを止め、夜気だけが肌を撫でていきます。
「……董卓様?」




